迷  走  録


一旦自分の口から飛び出してしまったコトバには責任を持たなければならない。それは既に社会に向けて発信されてしまったのである。

ましてそれが確実な記録として残る「書く」ということにおいてはなおのことである。

自分に確たる思想があるわけではないし、生き方の方向が定まっているわけでもない。だからコトバを発することは恐いし、書くことはもっと恐い。

自身で振り返ってみても矛盾に満ち満ちているので・・・。

しかし、だからといって考えることを止めるわけにはいかない。瞑想することを放棄することは出来ない。

たとえ、迷走でも良い。口から発することによって、書くことによって、多少なりとも自らを律することが出来るのだとすれば。

自らを律する意味でも「毎日更新努力」を宣言して、本コンテンツを設置した。    

                                                                       2000年 12月 1日
レジメ 

2000/12  0101前半 0101後半 0102前半 0102後半 0103前半 0103後半 0104前半 0104後半 0105前半 0105後半 0106前半 0106後半 0107前半 0107後半
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030218 リモコン騒動 

先週木曜の話である。例によって社から帰宅してスグ、我が居室に入ってパソの電源を入れてからエアコンのリモコンをプチッとした。
ところがエアコンがプシュッと音がして、ガタガタガタと震えて、ブシューンと泣いて止まってしまった。
リモコンのどこのボタンをどう押してもピクリとも動かない。もちろん温風は吹いてこない。

仕方がないから脚立を引っ張り出してきて本体の下にある蓋を開いてみたが、テレビと違って中には電源オン・オフのスイッチ以外は何もついていない。当然電源はオンに入っている。

知らなかったが完全なのっぺらぼうであり、リモコンについている運転切替とか温度設定とかその他諸々の表示は一切ない。考えてみればそれはそうだろう。テレビと違って天井近くに設置されているものだから脚立を持ち出して操作なんていうことはあり得ない。
電源がオンになっていて、後はリモコンからの電波を受信するコンピュータがあれば良いだけだ。

この部屋で過ごすと凍死すること疑いなし。猛妻に翌日金曜に購入した近所の電気屋に電話して貰うことにして、その夜はリビングの方、深夜は「どん」に避難して凌いだ。 ところが金曜に帰宅すると直ってないっ!! 「どうしたのだ」 と聞いたら 「もう十年選手、多分リモコンがダメなのだろうがいま店にない。取り寄せて明日テストに行く」 の返事だったそうだ。

しかし土・日の昼は小生が不在ということを猛妻は知っているし、彼女自身は熱海旅行。 「土・日は留守」といったら 「月曜は定休日なので火曜になる」 といわれたそうだ。すなわち豊かなるウィークエンドの夜を厚着して震えあがりながら過ごさなければならない。
「どうせ私はいないのだからリビングで過ごせばいいじゃない」 と簡単にいうが、パソをどうしてくれるのだ。
ウィークエンドの夜にパソのない空間でどうやって過ごせというのだ。


ということで押し入れの奥に潜り込んで昔使っていた電気ストーブを探したがない。
「そういえば多分引っ越してくる時に処分してしまったかも」 とのこと。代わりにガスストーブが出てきたが、我が居室にはガスの元栓がないときている。猛妻が 「アッそうだ。あれがある」 と叫んだのが何と電気炬燵、座敷用のばかでかいヤツ。

しかし背に腹は代えられない。居室のデッキチェアとサイドテーブルをとりあえずリビングに置くことにして、ワッセワッセと持ち込んだはいいが、今度は立錐の余地もないのだ。パソを置いてあるデスクに辿り着くためには一旦炬燵テーブルに上って反対側から下りなければならないという仕儀。しかもパソは動かせないので、結局炬燵をつけっ放しにして横の椅子に腰掛けて・・・。
文字通り 「炬燵がついているからもしかしたら暖かいのかも」 という気は心程度である。


そして土曜の夜、といっても「どん」から帰宅の午前二時前。わが居室はギンギンの冷凍庫状態である。もちろん即炬燵の電源を入れたが例え気は心であってもそんなもので部屋全体が暖まるのを待つのは百年河清。 ハタと思いついた。 猛妻は留守、娘は自室で寝ている。リビングのエアコンをつければ良いじゃないか! 
最強に設定して仕切りドアとわが居室のドアを開けっ放しにしておけば、何がしかの温風が届く筈だ。


このグッドアイデアを実践すべくリビングに入ってリモコンを探したら無いのだ。否、リモコンは山ほどあるがエアコンのがない。たかだか八畳のリビングなのにどこにも見当たらない。雑誌の下から洗濯物の山まで引っ繰り返して探したがダメ。
コートを着てパソの前で、寒い寒い土曜の夜だった。


日曜の夜、猛妻が帰宅した時に 「どこにあるのだ」 と聞いたら 「どうせ私しか使わないのだから」 といって・・・。
何と自分の椅子の後の食器棚の、ナイフやフォークの入った引き出しの中から。   あのなぁ・・・。


030217  頭がパニックだ

今朝の「天声人語」。

〔戦争によって民主主義を守った。そう考える欧米の人たちは少なくない。先の大戦では、ナチズムやファシズム、日本軍国主義と戦って民主主義陣営が勝利を収めた、と。そういう国々では、戦いを忌避する「平和主義」や「平和主義者」は「意気地なし」といった非難につながりかねない。にもかかわらず近年にない反戦のうねりがイラク攻撃をめぐって欧米で広がっている。「平和主義者ではないが、この戦争には反対せざるをえない」。そういう思いの人をも駆り立てた動きだろう。〕

そう全くその通りだと思う。しかし続けて「産経抄」に目を通すと、流石「朝日」嫌い。例によって例のごとく真っ向から対立している。といっても、お互い相手の記事を読んでから書いているわけではないので、文字通り基本的に考え方が違うわけである。

〔いまイラク問題をめぐって欧米は分裂寸前だが、国際関係を考えるとき、善悪(道徳)のモノサシで計るのはナンセンスなのだ。たとえば仏独は正しくて、米英は間違っているといった判断は意味がない。計るべきモノサシはただ一つ、何が国益なのかである。日本の国益はどうすれば守ることができるか、これである。いま考えるべき重要なカギは、北朝鮮の核恫喝(どうかつ)への対処だろう。どうやら本気な北の核武装に対し日本の安全をどう守るかといえば、日米同盟堅持以外に選択肢はない。観念的、偽善的な反米はナンセンスなのだ。〕

ウン、分かる。そうなのかもしれない。北朝鮮のミサイルがいつ日本に飛んできてもおかしくない情勢だ。その時、日本は自力で自分の国を守れるのか。絶対にノーだろう。

小生も基本的には「戦争反対」をここに何度かアップしている。しかしホントに信念として「戦争反対」なのだろうか? 
ブッシュに対する嫌悪感が先走っているだけではないのか?


もちろん単独武力行使などはとんでもないことと大反対であるが、日本人である以上、「日本の国益を守るためにどうすれば良いか」 ということを考えなければいけないのではないだろうか。 てなことをいうとまたガハクに噛み付かれること必定。

「国益って何だ。国って何だ。それがお前がいう小汚い帰属意識というヤツだろう。そんなものいらない。地球規模で、宇宙規模で物を考えろよ。テメエの国なんてチッポケなこと考えるんじゃねえや」 と。

「戦場のピアニスト」。映画コンテンツの方に 「これから見る人が多いだろうから・・・」と評価の記入を遠慮したが、書いてしまう。
これから期待して「観に行きたい」と考えている方は以下は読まない方が良い。 それでもお読み下さるというなら、自己責任で。


主人公は超一流のピアニストである。われわれ凡人は足元にも及ばない芸術家なのだ。それが一旦戦場に置かれるとどうなるか。
ナチスの理不尽な迫害の前で右往左往して逃げ惑うだけ。
周囲の人間が銃を持って立ち上がっても、ただただわが身可愛さに逃げ惑い、ゴミ箱をあさって食い物の残骸をガツガツと口に運ぶ。


それじゃあ多分小生がそういう場に置かれた場合と同じじゃないか。小生なら多分そうなるだろう。でもあんたは超一流の一芸を極めた人間なのだ。もっと毅然とした所を見せてくれよ。あんたの周りでは女・子供までが戦っているじゃないか。
「覚悟」とか「潔さ」っていうのは、人間らしく生きたいと思っている人間にとっての 「人間の条件」 だろがっ!!


隠れることが平和なのか。逃げ回るだけのことを平和主義というのか。 理不尽なものと戦うのはいけないことなのか。
平和って、戦って勝ち取るものじゃないのか。  ああ、書イチャッタ。


再三の引用になるが、むのたけじ氏。 
「人間這いつくばってでも生きなければならない時がある。立ち上がって死ななければならない時がある」。


030216  もう一つのプレゼント

先週アップした「どん」ママからの誕生プレゼント。メインの野球帽とネットで取り寄せというもう一品。 「着いたわよ」とおっしゃるので頂きに伺ったが ? である。
一ダースではなく一缶なのだ。 缶ビール一缶をネットで取り寄せるか?

まあそれでもプラスαのプレゼントなのだから仕方がない。
「アリガト」といって有難そうな顔をして頂戴したがどうもおかしい。
確かにビール一缶の重さなのだが何か仕掛けがありそうな雰囲気だ。

「そうか、これはビックリ箱に違いない」 と思って、顔から遠く離してプルトップのタブを引っ張ってみた。 ごく当り前に引っ張れるが何事も起こらない。

振ったり叩いたり、アチコチをガチャガチャしてたらこの野郎、正体を現わしやがった。

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030215  逆ギレ

気が早いという点だけは哀夫であるオレに似ている。猛妻が 『私も携帯を買おうかしら』 といいだして驚いたとアップしたのがほぼ十日前。カタログを持ち帰ってやったら翌日にさっさと自分で買ってきてしまった。しかも小生の推奨した機種とは違うものを。

「何だ、買うなら買うでひとこといえ。一緒に行ってやってもよかったのに」 といったら 『いいわよ。だってあんたのいうことよりお店の人のいうことの方が信用できるもん』 と可愛気のないヤツだ。
店員の勧めるがままのものを買ってきたようだが、まあ悪いものではないし、少なくともオレが持っているヤツよりはよほど良い。


早速、番号をズラズラッと並べたメモを分厚いマニュアルと一緒に持ってきて『この番号で全部短縮に登録して』という。マニュアル読むなんて面倒臭いから、オレの携帯にだって短縮が入っているのは会社と自宅だけなのだ。それも買った時に社ダチに入れて貰ったのだ。

でも折角猛妻が一歩コッチの世界に近づいてきたのだからと思い、目をしばしばさせながらご希望通りに短縮の登録をしてやった。
お蔭で自分の携帯のマニュアルなんて読んだことないし、探さなければどこにあるかもワカランが、ははあ、こうすれば良さそうだなということは分かった。

「登録してやったぞ」 といって渡してやったらそれから練習である。まずは受ける練習で 『その電話からかけてみて』。
次に 『じゃあアンタの携帯からかけてみて』。
それが終わったら発信練習。短縮登録した親しい人間のうちその時間でも起きている人間に片端から。『携帯買ったの、番号いうからね。じゃあ練習でかけただけだから切るわよ』。 それにしても僅か一時間ほどの間に一体いくら電話代を使ったと思っているのだ。


その翌日早速、社に夕方になってから不意の来客があり晩飯が要らなくなった。用件のある始めての電話である。しかし呼び出し音は続くのだがいつまでたっても出ない。二・三度チャレンジしたところで諦めて結局いつものように聞かれないであろう留守電に。

帰宅してから 「何だ、昨夜あんなに練習したのに取れなかったのか」と聞いたら 『ううん、出かけてたの』。
「出かけるから携帯電話だろ」 といったら 『慣れないもの持ち歩いて落としたら困るからマスターするまでは家に置いておくの』。
不携帯電話というヤツだが電源だけは常にオンにしているから、オレの発信専用常時電源オフ携帯とどっこいだ。


その猛妻が明日曜出発で友人と一泊の熱海旅行へ。携帯もいよいよ実戦への出動である。十日以上も電源入れっぱなしで練習しまくったため、バッテリー残量がなく充電しなければならない。昨日の朝わが居室に充電器を持ってきて 『教えろ』 という。

しかしわが机上の六個のコンセントは満杯である。パソ、プリンタ、スキャナ、モデム、テレビ、スタンド。仕方がない。スタンドは滅多に使わないのでコンセントを抜いて開けてやった。やってやろうかと思ったが、こういうことは自分でやらなければ覚えない。
「ケーブルのコッチを携帯に繋いでコンセントをここに差し込むだけだ」 と教えてから会社に出かけた。


帰宅したら 『ねえ、充電って時間かかるのね』。
「そりゃあそんなにパッとはできない。でもオレのビデオのバッテリーなんて三十分以上もかかる。携帯の充電なんて早いものだ」。


『だって今朝あれからすぐに始めたのに、まだ充電できてないわよ』。 「そんなバカな」 ということで携帯のコードをたどっていったらコンセントへの差込がぶらぶら。 差込の方には元のスタンドのヤツがしっかりと入っていた。

『何でコードばっかりこんなにごちゃごちゃあるのよ。何がなんだか分からないじゃない。整理しなさいよ!!』。
こういうのを称してまさしく 「逆ギレ」 という。

030214 持つべきものは・・・

駐車場に行くとわが愛車にやたらにべたべたとビラが貼り付けてある。
「ぜひ当社で」「安い」 等々の車検の勧誘である。 「そうか、もうあれから二年たったのか」。

もちろんビラに書かれている電話番号をプッシュする心算はない。
わが愛車の主治医は免許を取って以来十数年間ずっと角ちゃんである。顔が座布団のように真四角であるところから「スナックどん」の常連達からこう呼ばれているが、現在では店を離れてもよく一緒に遊ぶ親しい友人である。大手の自動車修理工場の腕の立つ技術者である。

免許取り立ての頃はやれブツケタだのやれコスッタだので再三再四世話になった。
最初の頃は彼に 「遊びに行かないか」 の用件で電話した時も開口一番 「今度はドコやったの」 と聞かれたものだ。
初めて高速道路に乗った時も、高速教習代をケチッて友人達に同乗を頼んだがみんなに断られた。
結局彼がかなりの長区間を助手席に座って指導してくれた。

最近のことでいえばラジアルタイヤをスノータイヤに交換の時。彼には「どん」でスペアキーだけ渡しておけば良い。次の朝起きると、車庫にはわが愛車に代わって彼のワンボックスが入っている。夜帰宅して車庫を覗くと、わが愛車がタイヤを履き替えて、外周はもとより室内までピッカピッカに磨き上げられて鎮座している。タイヤは次のシーズンまで工場で保管してくれる。

次回「どん」で会った時に 「アリガトウ、いくら?」 と聞いたら 「オイルがへたっているので交換した。それからウォッシャー液がなかったので・・・」 で、スタンド価格に比べればバカみたいに安い。部品とか用品とか、会社を通さなければならないものは当然その対価が必要であるが、タイヤの交換とか保管とか、洗車とかの彼の権限の及ぶところ、彼の労力の部分は全て無料である。


こんな有難い話はないし、この好意に甘えない手はない、ということで当然車検も彼に頼む。ビラの枚数が増えだした頃に、やっぱり彼から電話がかかってきた。 自分で覚えていなくても、ビラなどで教えてくれなくても、ちゃんと彼が管理してくれているのだ。

「じゃ、明後日の夜『どん』でスペアキーを渡すからお願い」 と頼んで次の日は車出社した。帰りにガソリンスタンドに寄った。
彼の工場往復はかなりの距離がある。大丈夫とは思ってもマンタンにしておくこと位は礼儀というものだろう。


ガソリンを入れ終わった所でSSマンが 「お客さん、タイヘンです。降りてきて見て下さい」という。
「何だ?」 と聞いたら 「左後輪のタイヤに釘が刺さっています」。 降りて見たら、確かにかなりデッカイ釘の頭が食い込んでいる。「これは非常に危険です。いま当店ではタイヤキャンペーンをやっています。安いですからすぐにタイヤ交換しましょう」。


素人は 「危険です」 のフレーズに非常に弱いのだ。
辛うじて 「いま金の持ち合わせがないから」 と断って、こわごわそろそろと転がして帰宅。角ちゃんに電話したらスグに来てくれた。

「この部位でこの角度だから大丈夫とは思うが、釘は抜かない方がいい。明日車検の時に僕が工場まで乗って行ってそこで抜く。多分それだけで済むだろうが、もしチューブまでいかれていたとしても修繕で済むだろう。タイヤ交換の必要は無いと思う」。

ということで今朝の出社時、下を見下ろすとわが愛車の代わりにワンボックスが入っていた。そして夕方帰宅した時に覗いたら、外も中もピッカピッカに磨き上げられたわが愛車が。運転席にはスペアキーと車検証。タイヤはもとのままだが、釘の頭はなかった。
角ちゃん、深謝。


ああ、持つべき物は友なり。 それも便利な友ならもっと良い、なんていうとバチが当るか。

030213  編集の暴力

説得力に欠ける少々乱暴な例になってしまったが、次のような質疑応答があったとしよう。

菅原 「例えば、AがBに殴りこみをかけるとして、貴方はAと一緒になって殴りこみに参加するのかしないのか。イエスかノーかで答
    
えて欲しい
小島 「そういう仮定の質問には答えにくい。
ひとことでイエスかノーかといわれてもねえ

菅原 「イエスかノーかで答えてくれといってるんです
小島 「イエスといえば
イエスです。明らかにBに非があって放置したら危険だと判断した場合にはね。しかし今はまだそういう段階で
    はないでしょう。だからノーといえばノーです」


菅原 「わかりました。いまイエスだといいましたね
小島 「そんなことはいってない。状況によってはイエスだけれどもその状況がまだハッキリしてないじゃないかといっているのです」

隅から隅まで新聞に目を通せば分かるのだろうが、実際にはこういう論戦が行われたのかもしれない。どちらの言い分に組するかは人それぞれの考えがあるだろう。しかしエライ人はこう考えて、こう議論しているのだなということは分かる。

でもこれがひとたびテレビ報道という形で「編集」されると、茶の間の我々には次のような形で入ってきているかもしれないのだ。
間に「ギャッ」とか「ギュッ」とかいう文字の吹き出しが入り、場合によっては漫画のコマが挿入されたりするので、説得力抜群である。

菅原 「例えば、AがBに殴りこみをかけるとして、貴方はAと一緒になって殴りこみに参加するのかしないのか。イエスかノーかで答
    
えて欲しい」
小島 「ひとことでイエスかノーかといわれてもねえ」

菅原 「イエスかノーかで答えてくれといってるんです」
小島 「イエスです」

菅原 「わかりました。いまイエスだといいましたね」
小島 「そんなことはいってない」


もちろんここまで極端にということはないだろうが、こういう具合に編集されて電波で流されると、これはどっからどうみたって、この小島なる人物は精神分裂症であるとしか思えない。

ここに取り上げた例はいかにも稚拙であるが、いわんとしていることは分かって頂きたい。
ワイドショーならいざ知らず、いくら視聴率アップのためとはいえ「ニュース番組」でここまで編集してしまっていいものだろうか。
それが局としての主張だという意味もあるのだろうが。


昨日の党首討論。どっちが勝った負けたで騒いでいるが、国会は土俵じゃない。も少し冷静になろうじゃないか。面白いとか面白くないとかの問題じゃないのだ。も少し考えようじゃないか。その点、今朝の日経社説の書き出し、一服の清涼剤であった。

〔『緊張感が出た小泉・菅対決の党首討論』小泉純一郎首相と菅直人民主党代表の初めての党首討論が行われた。論戦はイラク・北朝鮮問題を軸に展開され、菅氏は民主党の方針を示しつつ、日本政府が明確な外交方針を示すよう迫ったが、首相は菅氏の挑発には乗らず、冷静・慎重な答弁で応戦した。菅氏の登場でこれまでより党首討論に緊張感が出てきたことを歓迎したい〕

030212  路上禁煙条例

先日地下鉄を四谷見付で降りて麹町まで歩いた。といっても目と鼻、いつも歩いている道である。四谷見付駅で降りて地上に出て陸橋を渡るとすぐにここより「千代田区」の標識。そのすぐ先でお巡りと、腕章を巻いたボランティア風の老人が立ち話をしていた。

そうそう、そこから千代田区、歩行喫煙は罰金だということを思い出した。くしゃくしゃの腕章の文字は読めないが、歩行喫煙の監視員みたいだ。例によってものは試しの悪戯心が湧いたがそこは自制して、別に特に喫いたいわけではなかったが、標識の五メートル手前で立ち止まって煙草に火をつけた。といっても刺激的な態度はまずいので、その二人の方は見ない振りをして電柱に寄りかかって、いかにも待ち合わせ風を装って腕時計をオーバーに見ながら。

そっと横目で見てやったら煙草の煙が流れて行く先で、その二人がキッと厳しい目で小生の方を睨んでいる。心の中で笑ってやった。
「ウシシ、そこは千代田区。でもここはまだ新宿区。どうだ口惜しいだろ」。 一服し終わった所でおもむろにポケットから携帯灰皿を取り出して吸殻を収納。もう一度オーバーアクションで腕時計を見て 「待ち人来たらず」の演技をしてから千代田区への境界線を越えた。二人のすぐ前を通り過ぎて行ったが、十メートル行き過ぎてからも、その二人の射るような視線が背中に刺さってきた。


まあ千代田区なんていうのは仕事以外ではまず行かない。仕事で行く時はせかせかと急いでいるので、煙草を喫いたい気分じゃないから、小生にはあまり関係ない。しかしその夜のニュース。「杉並区でも路上禁煙条例」が採決されたとかされそうとか。これは冗談じゃない。

すぐにお隣の区じゃないか、というより小生の激歩帰宅の起点は荻窪駅。レッキとした杉並区である。ここから五キロの激歩に備えて、呼吸を整えるためにも最初はゆっくりと煙草を吸いながら・・・なんてことはしょっちゅうなのだ。 小生にとってはまさに死活問題。

世の中窮屈になったものだ。
携帯電話は運転しながらかけている所を見つかると罰金。電車の中でもバスの中でもあっちでもこっちでもダメ。そのうち公衆電話ボックスの中の電話機を撤去、箱だけ残して 「携帯電話は携帯電話ボックスの中で」。 それ以外は罰金ということになりかねない。


水曜はマイカー規制デー。横断歩道橋に垂れ幕ポスターだけのいまは良いが、そのうち水曜のマイカーは罰金刑なんて事態も笑い事ではない。規制・規制・規制。 息がつまる。

しかし一方において、この休日にチャリンコ十分映画館に行った時、驚いた。ここも全館禁煙、喫煙は二階の外に面した狭いスペースのみということで日頃から頭に来ているのだが、映画館のドアを入る絨毯の上に煙草の吸殻が落ちていたのだ。 絨毯の上に!
拾おうかと思ったが後々のこともある。ひき返して係員に知らせに行った。


官と民、何のかんのといってはみても、所詮は対立の構図である。
小生はいま民の立場でモノをいっているというか、頭に来ているわけであるが、もし官の立場だったらどうだろうか。


このマナーが悪くて非常識な人間が多い民の野郎ども。「規制・規制でふん縛らなくてはどうしようもない」 と思うのではなかろうか。いや、きっとそう思う。

自分への反省を含めてであるが、この自主規制のできない、自制の効かない民族。
まず自分達で厳しく自制を働かせないと、それこそがんじがらめの官の規制によって、金正日万歳の世界が遠からずやってきてしまうぞ。


何とも情けないことだという舌の根も乾かぬうちに、隣の杉並区までということはこの練馬区も近々中にと思って、ものすごく頭に来ているのだ。


030211  誕生プレゼント

「スナックどん」のママからの誕生プレゼント。一番下の真っ赤な野球帽が還暦誕生日に頂戴したものである。一九九七年であるから、庇の下に97と書いて貰ったがいたくお気に入りである。爾来毎年の誕生プレゼントは野球帽に決定、激歩通勤で愛用しているため、小生のトレードマークになっている。

今年のヤツがこの一番上、庇の下には03と書いて貰った。「猫に小判」で申し訳ないとは思うが、七つともブランド品である。なに、五つしかないじゃないかって? 

そうなのだ。忘れた場所まで特定できるのに取りに行けないのが悔しいと、ここにアップした覚えがある。でもそのうちの一つは今ごろ信州の雪の中を舞っているだろうし、もう一つはゴールドコーストのジェットコースターの中で目を回しているだろう。 また良き哉!

小生としてはこの野球帽だけで十分なのだが、毎年もう一品を添えて下さるのだ。
催促がましい目つきで睨んだら「ゴメンね。今年はネットで取り寄せたの。まだ着かないから着いたらね」とおっしゃって下さった。  良かった、楽しみだ♪


030210  白昼豪笑

本日の社の昼下がり、午後二時頃のことである。丁度昼飯が腹に応えてきて飛び石出勤の倦怠も伴い、ウトウトとしかかった時。
突然社内が騒がしくなりハッと目が覚めた。

「折角いい気持で眠りかけているのにウルサイッ!」 と叫びかけて、ウルサイ元凶が社員諸君の声だけでないことが分かった。
というよりは彼らの声の数十倍もの騒音が空から降ってきているのだ。 全員が空を見上げて 「何だ、何事だっ!」 と喚いている。

小生も完全に目玉が全開になった。わが社の真上を新聞社のヘリが三機、ぐるぐるぐるぐると旋回しているのだ。
やかましいったらありゃしない。 下の道を近所の商店やビルから飛び出した野次馬が、ぞろぞろと走って行く。

下を走る野次馬の中に定食屋のオヤジを見つけたので 「何事ですかあっ?」と聞いたら「分からない。ヘリコプターが飛んでるっ!」。そんなことは分かっている。だから目が覚めたのだ。

見通しのよい四つ角まで走ったオヤジが引き返して来てまだ二階のテラスに出ていた小生に教えてくれた。
「そこのドトールの前のビルで何か事件だ。パトカーが一杯止まっている。空には取材の新聞社のヘリが三機旋回しているっ!」。
そんなにヘリコプターが珍しいか。 ヘリは道路からよりここ二階からの方が近くに見えているのだ。


「どんな事件ですか?」 と聞いたら 「分からない。消防車はいないから火事じゃないみたいだ」。
部屋の中から声があがった。 「白昼強盗だあっ!」。 パソで産経ニュースを読みあげてくれた。
下にいる定食屋のオヤジに教えてやった。 「それで何を取られたのですか?」 と聞くから 「三千万円だっ!」 と教えてやった。

でもさあ、産経新聞社なんてここから十五キロも離れているんだぞ。あんたは現場まで百メートルの所にいてそんなことも分からないのかといってやろうと思ったが、それは自分の場合も同様であるからグッと言葉を飲み込んだ。 早速パソを見るとその内容はこうだ。

拳銃で脅迫、3000万円奪う 東京・新宿区
10日午後1時20分ごろ東京都新宿区新宿のマンション2階で、男性から「2人組の男に紙袋に入った現金約3000万円を奪われた」と110番があった。警視庁四谷署は強盗事件として、逃げた男の行方を追っている。調べでは、男らは拳銃のようなものを男性に突き付けて脅迫し、頭を殴って粘着テープで男性を縛り、現金を奪って逃げた。

グエッ。 サ・三千万円。 「でもそんな大金がなんで紙袋なんだ」 と話している最中に経理の女性が出かけていることに気づいたので「どこに行ったんだ?」 と聞いたら、丁度その現場近くの銀行に出かけているとの話。  「もしかしたら彼女が男装して犯人かもだ。それならお手柄だぞ」 といっている所に青い顔をして戻って来た。現場のすぐ側にいただけあって、強盗の情報は知っていたようだ。

胸にしっかりと現金運搬用の頑丈なバッグを抱いている。 「恐いから走って帰ってきた。まだ息が切れてる」。
「だっていま銀行で二十万円下ろしてきてここに現金が入っているんだもの」。 


社員から一斉に大爆笑。中には腹を抱えて笑い転げたヤツもいる。
シャチョーである自分がバカにされて、サラシ者になっているようで、恥ずかしくてじっと下を向いてしまった。


あのなあ、せめて二十万円の運搬の時はそんな頑丈なバッグじゃなくて紙袋にしてくでえっ!!


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03209  脅迫文 

近々値上げされるという煙草にまた嬉しいニュース。「あなたの健康を損なうおそれがありますので吸いすぎに注意しましょう」の表記を変更する案が財務省で検討されているそうだ。
十年以上も使っているから警告効果が薄れたというのがその理由。

確かに小生なども 「センスの悪いデザイン」 程度にしか意識していない。
第一、一日五箱五十本が 「喫いすぎ」 なのか 「喫わなすぎ」 なのかもワカラン。おっとそうだ。それ以前の問題として、美女の唇ならいざ知らず、煙草は吸うものじゃない。喫っているのだ。

新しい表記案は 「喫煙は肺に悪い」 とか 「妊娠中は胎児に影響を与える」 とか、より具体的な脅迫フレーズにするらしいし、箱ごとに脅迫文を何種類も用意するという案もあるそうだ。

コンプリコレクターを増やすだけで逆効果だと思うが。そして究極の案がガイコツの図柄だと。 俺は断じてグレテやる。
絶対に煙草では死なん。 煙草で死ぬ前に他の手段で死んでやるのらっ!


030208  爆睡映画館 

昨日は久々に休暇を取った。いくら出社しても仕事がない、鼻糞を丸めて弾き飛ばすだけの毎日といっても、一日まるまる休暇というのはなかなか取りにくい。ひとつかふたつかは別にして、何らかのヤボ用があるのだ。
銀行の書類にサインするだけとか、もしかしたらあの仕事が決まって今日にでも連絡があるかもしれない・・・ということだけのために。


ということで、まるまる一日休暇は昨秋の地獄谷行き以来である。本来ならば数年振りに雪の露天風呂に日帰り入浴をと思っていた。
猛妻も「ずいぶん雪の温泉に行ってないわね」といったのだ。だから先週から会社で騒いで『来週は一日休むぞ』と宣言していたのだ。


そして数日前、猛妻に 『今週“たぬきのお宿”でも日帰りで行こう』 と誘ったらニベもなく 「ヤダ」。
『何でだ。お前が行きたいというから休暇を取ったのだぞ』 といったら 「だって寒いもん」。
『決まってるじゃないか、雪の露天風呂のシーズンが寒くなくてどうするのだ。第一お前が行きたいといいだしたのじゃないか』。
「行きたかったら一人で行ってきたら」 と話にならない。 でも折角休みを取ると宣言してしまったのだから予定通り休暇を取った。


しかし人間横着になるものだ。少し前までは 「えーっ、あんな所まで日帰りでっ?」 といわれるような所まででも、ヒョイッと一人で出かけていたのだが、片道たったの四時間の「たぬきのお宿」でも、一人でとなるとどうも億劫だ。
従ってベッドの中で十時過ぎまでうだうだとしていた。


起きてぼんやりしていたら、猛妻も少し気が咎めたとみえる。「ねえ、映画なら付き合うわよ」。
『おうそうか。いま丁度“トランスポーター”をやっていて、見たいと思っていたのだ』 というと 「何よそれ」。
『ドンパチの活劇映画だ』 といったら 「イヤよ、そんなの。いま“黄泉がえり”をやっているから見たいの」。
ギョヘッとは思ったが、まあ日頃お世話になっている猛妻様である。自分の見たい映画はいつだって見られるのだから、休暇の時ぐらいはガマンしてお付き合いするべきか・・・。ということでネットで時間を調べて出かけた。


車で十分。まずはビル一階の「築地すし幸」へ。休暇でのんびりの昼食、カウンタでビール片手に好きなものをちょこちょこっとつまんで二人で五千円前後というところだ。ところが人が煙草を買いに行ってる間に、先に店に入った猛妻様はさっさとテーブル席の方に行ってしまい、何と七百円のランチ寿司をオーダーしてしまっているのだ。

『たまにのことなのに何でそんなにケチるのだ』 と聞いたら 「だってここも映画代もこっちが払わなければならないんでしょ。私、ケータイ買うことにしたから倹約するの」。 どうやらホンキで買うようだ。温泉の中止もケータイのせいらしい。ため息である。
それでもやっとの思いで 『三時間もたてば酔いは醒めるじゃないか』 と叫んでビールだけは何とかゲット。
 そして映画館へ。

平日だというのに、十人も入っていないのではないかと思っていた館内に三十人位入っていたというのはかなり人気のある映画なのだろうか、この「黄泉がえり」。


見ている途中でヒジ鉄が二回、鼻をつままれたのが三回。
空いているから回りの人に迷惑とまではいかないが、大いびきをかいていたということである。


「アンタよく映画を見に行くけど、もしかしてビールを飲んだ後の眠り場所として通っているのっ!」。
『チガウッ! 眠りこんでしまうくらいツマラン映画なのだっ』。


猛妻にいわせるとなかなか良い映画だったらしい。どうも本とか映画とかの評価は人によってドラスティックに違うので難しい。
まあ、それが当然なのだろうが。


教訓; 映画を見る前にビールを飲むのは止めよう!

ところで、突然話を飛ばすが昨日の話ではなく、本日はわがゾロ目の誕生日。
こちらの話題の方は「零細企業の哀しい社長」を久々に更新したので、よろしかったらお付き合い願います。


030207  確たる証拠

昨夜のニュース番組はアメリカが「イラク大量破壊兵器と細菌兵器所持の動かぬ証拠の提示」まで後数時間ということで大騒ぎだった。
そして今夜のニュース。パウエル国務長官が国連に対して、その動かぬ証拠を提示したのだ。

実に驚いた。まあ今回始めて見たわけではないが、衛星写真から地上のこんな細部までが撮影出来るのだ。そういえば昔みた何だったかの映画で、衛星写真を通じてビーチでの男女のセックスシーンを覗いて楽しんでいるというのがあった。
その時は映画のことと思って見ていたが、改めて今日のような映像を見せられると、プライバシーの保護が聞いて呆れる。

丸裸の日本など、至る所の細部のシーン全てがアメリカによって記録・保存されているに違いない。
地上活動でこういう写真を撮ると 「スパイ」 で捕まるし、そういう映像がテレビで流される時は 「命がけの撮影」 といったコメントがつく。しかしいまやそんな危険を冒さずとも、地球上の森羅万象は、特にアメリカではほぼ全てお見通しであるに違いない。

そして今夜のニュースでもっと驚いたのが、イラクの軍部高官の会話が録音されていて、それがテープで再生されたということである。
まさかこんな明瞭な会話が衛星から盗聴できるということはないだろう。だとすれば、一体全体誰が、どこで、どのようにして録音したものなのだろうか。その辺の説明がなかったのでわれわれには、少なくとも小生にはよく分からない。

それにしても恐ろしい世の中になったというか、物凄い科学の進歩というか。
日本の政治家の赤坂の料亭での密談などは、全て録音されていると考えた方が良さそうだ。

「やぁやぁやぁやぁ、遠からん者は音にも聞け。近くば寄って目にも見よ。我こそは天下の豪傑何の誰兵衛なるぞ」 と刀や槍を振り回していた講談の世界の昔の戦争は、いくら彼が残酷に何人をぶった切ろうと、全く「平和な戦争」だったというべきだろう。
ここまで科学が進んだら、近くも遠くも関係ないし、近くなくたって見えるのだし、遠くだって聞こえるのだ。


さてパウエル国務長官が以上のような「確たる証拠」を見せつけた。これが 「確たる証拠なのかどうか」 ということは、もとより小生が判断出来るものではない。アメリカのその筋の専門家が「確たる証拠」という以上は 「はあ、そうですか」 と信じる他はないのだ。

しかしもっと不思議なのは、この証拠の提示に対する各国の反応である。見ているのはあくまでも同じ映像、聞いているのは同じテープである。にもかかわらず多くの国の発言は 「決定的証拠とはいい難い」 というものであるし、中には 「何でこれが確たる証拠なんだ」といい切る専門家が出てきている。これまた小生ごときは 「はあ、そうなんですか。確たる証拠ではないのですか」という他ないのだ。

まあせいぜいが 「私の常識でいえば、確たる証拠とか動かぬ証拠とかいうのは、誰がどの角度から見ても“絶対である”といえるもののことをいうのではないでしょうか?」 の質問を発する程度である。


これが「確たる証拠」であるかどうかの議論はこれからも続くのだろうが、小生にはサッパリ判断出来ない。
ただ不思議だったのは、今夜のニュースは時間枠を広げてでもこの証拠の分析があると思っていたのに、あっさりと流れてしまい 「汚染ワーストワンだった立会川にぼらの大群が戻って来た」 とのんびりとした映像が流れたことである。


したがって小生の正直な感想は 「泰山鳴動して鼠一匹」 というところだったのだが、もしかしたら各マスコミも同様の反応で、穴埋めのために大急ぎで他のニュースの取材に走ったのかもしれない。 いずれにしてもますます血なまぐさい風が吹いてきた。
泰山の鼠どころか、その鼠にたかる一匹の蚤ほどでもない小生。  はてさて・・・。


030206  携帯デジカメ

昨夜のことである。猛妻が突然 「私も携帯買おうかしら」 と言い出したのには驚いた。
「どういう風の吹き回しだ」 と聞いたら 「だって最近皆が持っていて、持っていないといったらバカにされるんだもの」。

別に見得で持つ必要はないと思うが、ダンス教室に行っても写真教室に行っても、年齢的には猛妻よりやや若い構成であるにはせよ、殆どの人が持っているとのことだ。


「ちょっと持たせて」 というので、小生の携帯を持たせてやって多分今年になって二・三回目だと思うが電源をオンにしてやった。
「ホレね。字がこんなに小さいし、ボタンを押すのだっていちいち眼鏡をかけなければならないからイヤなのよね」 という。
「イヤなら止めればいい」 の言葉をグッと飲み込んだ。 猛妻が一歩でもデジタルに近づいてくれれば小生は有難い面もあるのだ。

「何が面白くて家族を放っておいていつもいつもパソコンにしがみついているのよ」 と文句を言われなくて済むだろうし、まかり間違えてメールを始めてその面白さ・便利さを分かってくれればバンバンザイである。 用事があって家に電話しても大抵留守電。
「遅くなるから飯要らん」 と吹き込んで遅くに帰宅すると 「用意してあったのにいっ! ご飯要らないなら要らないで電話ぐらいしてよっ!」 「冗談じゃない、留守電ぐらい聞けよっ!」 の言い争いも無くなる。


こういう層ですらが「欲しい」と思うことがあるのだから、つい先日アップしたような小生の大発明になる老人向け携帯電話を発売すれば良いのだ。 (030117  何をいまごろ・・・)

という小生の発明アイデアを今朝会社で得々と話したら、若い諸君が大笑い。 「シルバー携帯なんてとっくの昔に発売されてますよ」。
まあ夫婦揃って周囲からバカにされていれば世話はない。ヨドバシカメラに行って「シルバー携帯」と言えばすぐに分かると教えられた。


ということで昼休み、早速ヨドバシカメラに行って見た。小生は携帯には用がないので足を運んだことがないが、やはりそういう心がけがいけないのだろう。少なくとも情報産業に携わる者としては、もっと旺盛な好奇心を持って、ヨドバシカメラに限らずスーパーやコンビニや百円ショップを駆け回らなければならないということは、理屈の上では分かっているのだが。

今日のヨドバシカメラでもわき目も振らずに携帯売り場へ。 自分で探そうとはせずに店員に 「シルバー携帯は?」。
「これです」 と見せられてビックリ。まさに小生の発明仕様そのままである。
いま小生の持っているものより更に小型軽量。 しかもばかでかいボタンが 1 2 3
 だけ。

三箇所以外に電話する時は蓋を開けてフツーのダイヤルボタン、といってもこれまた小生のものよりは一回りデカイ。
「オプションをつければインターネットにも繋がりますし、デジカメ付きのものもあります」。
どうなっちゃってんだろ。とりあえずカタログだけ貰って来た。

店を出た所で「あらっ」と声をかけられた。仕事で世話になっている若い女性といっても主婦の方。
喫茶店に入り 「携帯を見に行った」 と話したら 「どうせならデジカメ付きが面白い」 といってバッグから出して見せてくれた。
勿論知ってはいるが興味がないのでしげしげと見て、操作してみたのは始めてである。
「撮るよ」 と言ってレンズを向けるとデッカイ音で ピッ!。


「何だ」 と聞いたら 「スカートの中などの盗撮防止のために最近のものは全てそういう仕掛けだ」という。
「この程度のフラッシュでスカートの中がそんなに綺麗に写るのか」 と聞いたら 「撮ったことがないからワカラナイ」 の返事。

そりゃそうだろう。
 「でも自分で自分のスカートの中を撮る分には大丈夫だろう。ちょっと撮って画像を見せてくれ」 と頼んだら、モノスゴク蔑んだような目で睨まれた。

どうせ小生は誰と話しても馬鹿にされたり笑われたり、蔑まれたりするのだ。

030205  一所懸命

「言葉は生きている」とか「言葉は変化する」とかいわれるが、決して頭から否定しようという気はない。
しかし何の基準もなく、ただただ世の中で 「そちらの方がよく使われているから」 とか 「そちらの方が一般的になったから」 というだけの理由で、一方的に変えられてしまうのは何とも淋しいし、不便なことである。

今年の正月にビックリしたのがパソにいきなり飛び込んできた「アケオメ」。
「明けましておめでとう」の略だということに気づくまで時間がかかったし、気づいた後で「このヤロウふざけやがって」と思って笑ってしまったが、その後すぐに彼女の創作語ではなくて、ごく一般的に使われている言葉だということを知ってビックリした。

しかしまあこれなどは別に言葉が変化した訳ではなく、単に言葉を省略しただけの話だからこのネットや携帯のご時世、仕方がないことともいえるし、このように工夫された言葉というのはまだまだ増えて行くのだろう。

小生のガキの頃、最速の通信手段が電報しかなかった頃によく郵便局に使いに行かされた。
そこで電報を打つわけであるが  ウナ○タム」フシ゛コ  というヤツ。 おふくろから地方に行ったきり帰って来ないオヤジに当てての仕送りの催促である。 確か電報料金の最低単位が十文字まででそれ以後は五字増えるごとに加算されて行くというシステムだった。

タ゛イシキュウカネヲタノミマス」フシ゛コ と打電していたのでは二十文字になってしまい、十文字分の追加料金を請求される(因みに濁点は一文字として計算された)。
同年代の方ならご存知だろうが「ウナ○タム」や「ウナ○オクレ」の略語はそれほどポピュラーだったのだ (○は カネの意味)。

言葉を短縮したり略したりするのはその時代々々の知恵で、元の言葉がキチンと生きていればそれはそれで仕方がないかとも思っている。先日も「小泉メルマガ」の編集後記が 「アケオメとは何事か」 というようなことを書いたら 「じゃあメルマガはいいのか、メルアドって何だ」 と逆襲されて、ギャフンといっていた。

しかし、意味やその言葉が持つニュアンスまでが変わってしまうような変化というのはどんなものだろうか?

先日の会社での話。「この前の飲み会はオマエのどくせんじょうだったな」 といったら 「はあっ?何ですかそれ?」と聞き返されたので説明したら笑われた。「シャチョーッ。それをいうならどくだんじょう(独壇場)です」だと。 ちゃんと辞書を引いてから物をいえ。

「広辞苑(第四版一九九一年)」で 「どくせんじょう(独擅場)」 をひくと、ちゃんと 「その人だけが思うまま活躍できる所」 と書いてあり、その後に注記のような形で 「誤って独壇場ともいう」 と書いてあるではないか。
ものはついでで「どくだんじょう(独壇場)」をひくとこれまたキチンと「擅(せん)の誤読からできた語」と書いてあるではないか。


キチンと正しい言葉を使っている小生の方が、世間一般から 「モノを知らないヤツ」 と思われるのは非常に不愉快なのだ。
特に自分が拘っているコトバの場合にはなおのことだ。

「一所懸命」 であるべきところが、いまや新聞までもが 「一生懸命」。
小生の好きな作家だから多分浅田次郎か椎名誠だろうと思うが、片方は一所懸命でもう片方は一生懸命を使っている。
広辞苑でも「誤」とこそ書いてないが一生懸命については「一所懸命の転」とちゃんと書いてある。

小生でいえば「自分の家庭」と「自分の会社」。 この場所にしがみついて一所懸命生きている心算だ。 
一生懸命なんて、極めて当たり前の情緒 (じょうしょ―――“じょうちょ”はなまり) のない字面じゃないか。
一生の間常に命がけなんていうのも、くたびれてしょうがないだろう。

「ここにしがみついて生きる」。 その「覚悟」を表明したコトバが「一所懸命」なのだ。


030204  マニュアル・マナー

チャリンコ十分の映画館ビル。非常に重宝しているし、痛く気に入っているということは再々書いている。しかしひとつだけ気に入らないことがあるのだ。これについてはどんのママもガハクも同意見であるが、多分この映画館に通う南が感じていることだと思う。

上映前の館内アナウンスである。いかにも声優の卵とおぼしき女の子が、いかにも柔らかそうに、硬い語り口で台本を読んでいるようなマニュアル口調。

「非常口の確認」「館内禁煙」「携帯のスイッチオフ」を延々と回りくどくアナウンスする。そんなことはいまや映画館内において常識中の常識である。それでもごく一部に非常識な人間がいるかもしれないし、消防法か何かで義務づけられているのかもしれないからガマンしよう。そんなに間延びした声で長々とではなく、も少しテキパキと簡潔にアナウンスしてくれ。

その後がいけないのだ。「それからあ、上映中のオシャベリは〜、周りの人のご迷惑になりますし〜、みんなから嫌われますう〜。上映中のおしゃべりは止めましょうねえ。で〜も、映画を見て〜笑ったり泣いたりは大歓迎で〜す。大いに笑ったり泣いたりしましょ〜ね〜」。ああ、この歯の浮くようなキザなアナウンス、殆ど丸暗記してしまったぞ。

最後の締めのセリフがメチャクチャ気に食わない。 「さあ、では映画が始まるようで〜す!」 で開演のベル。
「始まるようです」 とは何事だ。 あんたは興業者の側なのだろ。
それなら 「始まるようです」 ではなくて、「始まります」 とか 「始めます」 というのが正しい日本語じゃないか。

「始まるようです」じゃ、まるで観客側じゃないか。観客側だとしたら今までのアナウンスは何なのだ。観客の一人がその他の観客に向けてしゃべっていたアナウンスなのかっ! と、つまらないことに突っかかりたくなるほど、この上映前のアナウンスはイヤでたまらない。

もっとも梯子で二本見て、二回続けてこのイヤなアナウンスに付き合うという人間もそうはいないのだろうが・・・。
多分似たような経験は皆さんも電車のクッチャベリ車掌などに遭遇してお持ちなのではないかと思う。あれもヒドイ。あれほど読書タイムの妨げになるものはない。

と、前から書こう書こうと思っていたのだが、書いてみてもここまで。規定行数には到底達しないし、これ以上しつこく書いても面白くも何ともないし、不愉快さが倍増されるだけだ。 

ところが同じように客にマナーを要請するアナウンスや張り紙にも、こんなにユーモラスでインパクトのあるものがあるじゃないか、という例に先日ぶち当たった。 実は先日アップした松っあんと行ってきた「赤提灯」で、もひとつネタをゲットしてきたのだ。
松っあんに 「ちょっと失礼」 と断って席を立ってトイレに入って笑ってしまったのだ。 


席に戻って 「ちょっと失礼」 と断って肌身離さず持ち歩いているネタメモ帳にメモをした。トイレの前にこんな張り紙があったのだ。或いは小生が知らなかっただけで知っている方も多いコトバなのかもしれないが、小生は初めてお目にかかったし、感動した。

「小便を 東に西に振りまくな 南の人が 北ながるから」。  同じマナー要請でも実に愉快だし効果的ではないか。

そういえばということで突然三十年も前に「ざくろ」のトイレで見たものを思い出した。いまは知らないが「ざくろ」といえば一応一流の料亭である。こちらの方は張り紙ではなくアクリル板に印刷されたものだから、全店共通なのだろうと思う。立派なヤツだった。
小便器の前にこう書かれて張り出されてあった。

PREASE ONE MORE STEP.
YOUR HONESTJOHN IS NOT SO LONG AS YOUR THING.

030203  時差の問題だ

〔昨年の「悪の枢軸」から「無法者政権」へ。ブッシュ米大統領のイラク非難の調子は高まる一方だ。「いつ武力行使が始まってもおかしくない」というのが、国際政治の常識のようだ〕  の書き出しに始まる先日の日経コラム「春秋」はこう続く。

〔戦争を目前にしてイラクの人々はどのように暮らしているのか。攻撃する側の報道はあふれているが、「無法者」の下で普通の人々が何を考えているのかは、伝わってこない。作家池澤夏樹、写真家本橋成一両氏による「イラクの小さな橋を渡って」(光文社)という本は、ほかの国の人々と変わらぬイラクの普通の人々の表情を生き生きと伝えている。「人なつこいというか、物怖(お)じしないというか、実に明るい人たちだ」。昨秋、2週間旅した池澤氏は書く〕

〔「戦争というのは結局この子供たちの歌声を空襲警報のサイレンが押し殺すことだ。恥ずかしそうな笑みを恐怖の表情に変えることだ。それを正当化する理屈をぼくは知らない」〕

米英は何が何でも攻撃開始の姿勢を崩さないようだし、ますますエスカレートしている。国連常任理事国のフランス、ロシア、中国は「時期尚早、査察を延期して待て」とブレーキをかけているが、このブレーキの強さが火に油を注ぐというか、ますますブッシュの苛つきを増幅させているようだ。世界の他の国々も続々と意思表示をしているが大勢は「戦争回避」である。

日本はどうしたのだ。なぜ意思表示をしないのか。閣僚等へのインタビューを聞いても、まるで禅問答を聞いているようでサッパリ分からない。どう好意的に聞いても「まあ、そんなに急いで意思表示をしなくても、そのうちなるようになるでしょう」としか聞こえないのだ。

ブッシュ様のケツにぶら下がって後方支援に馳せ参ずるから早く攻撃を始めろというのか、身を挺してでも攻撃には反対するぞということで何らかの行動を起こすのか、日和るとしても「日本はこう思う」とか。

とにかく何らかの意思表示をしてくれないことには、われわれ烏合の衆 (大衆とか庶民とかでなく、百歩譲歩して烏合の衆と呼んでくれて構わない) はそれこそどうしてよいか分からないではないか。
非常時にあって自らの意思表示もできない、しようとしないこの日本、恥ずかし過ぎるとは思わないのだろうか。

いまイラク問題を考える時、北朝鮮問題もダブラせて考えざるを得ないが、このふたつの国もいったいどうなってしまっているのだろう。確かに連日のようにフセインと金正日の情報と映像は流されてくるが、上記の本に紹介されているようなイラクの烏合の衆とか北朝鮮の烏合の衆とかの情報はサッパリ伝わって来ないではないか。

ここの所連夜のようにニュース番組で紹介されている北朝鮮のドラマを始めとするテレビ番組を見ると慄然とする。戦争ドラマなどはなかなかの迫力であり、朝鮮軍兵士が「金正日将軍万歳!」を叫びながらニッコリ笑ってバタバタと死んで行く。どう見ても、子供の頃に見せられた映像の再放送である。多分イラクのテレビ番組だって似たようなものだろう。万歳の対象がフセインに変わるだけの話だと思う。


子供の頃に習った日本の歴史、天皇様や将軍様を始めとする為政者の業績は懇切丁寧に習ったし、いまだって年号まで暗記している。でも民・百姓を始めとする烏合の衆のことは何も教えてくれなかった。本当の日本の歴史が語られ始めたのはやっと最近になってからである。

ガハクと話した。 「国とか宗教とか民族とか地域の差じゃないよな。イラクと北朝鮮、時差の問題なんじゃないだろうか。日本とは六十年の時差があるだけだよな」。

「たかだか六十年の時差、黙って六十年待とうよ」。 ともいいたくなるが、それはわれわれ烏合の衆レベルの話。
国家たるものさっさと、はっきりと、意思表示くらいはせんかい。


追記;本稿は先週末に書き、昨夜アップの準備を終えたものであるが、あまり大きな扱いではなかったが今日の朝刊。
閣僚もやっと発言を始めたようだ。 ただしその内容は 「わが国の対米関係はフランスやドイツの場合とは異なる」 ということで
「例え米英の単独戦争開始だとしても、後方支援に駆けつける」 という根回し発言のようだ。


030202  これで七万円!?

先日の目黒雅叙園騒動。散々アチコチに電話してやっと判明。ポスターではなくてリーフレットだったのだ。世界文化社から電話をかけてきた女性社員は確かにポスターと言ったのだが。

まあポスターで七万円はないだろうと思ったので、やっと見つけた担当者からリーフレットと聞いた時は納得した。そしてその実物を送って頂いて再度びっくり仰天。

最初は何か間違えてお送り頂いたのではないかと思った。各ページの中を探しまくって、やっと猛妻撮影の写真を見つけることができた。
A4版八ページのリーフレットの中の一ページである。その一ペジの中の、右側の写真の下段。豆つぶのような写真がそうである。

これでは全く分からないだろうから、拡大してある。クリックして下さい。


030201  またネタを盗まれた

考えてみればブンヤさんというのも大変な職業である。いくら多勢の記者や社員を抱えているとはいっても、毎日々々しかも朝と夕方に、あれだけ膨大なページ数の新聞を発行しているのだ。小生の超ミニページ・超マイナーなここですらがこの苦しみ。
彼らのネタ探しの苦しみたるや、どれほどのものであろうかと心からご同情申し上げる。

それでもここの所、ブッシュとイラクと北朝鮮と、小泉失言と貴乃花引退と松井大リーグ入り等々、何とか助けられて紙面を埋めてきた。しかしいくらなんでもそうそうは読者がついてこない。
新聞社同士の競合がある以上は、目先を変える必要もあるし、独自のスクープというやつも必然である。


しかしだなあ。前にも確かこんなことがあったのだが朝日新聞、天下の大朝日新聞が、小生のこんなコンテンツからネタを盗むというのは一体全体どういう了見なのだろうか。呆れ返って開いた口が塞がらないとはまさにこのことだ。逆の言い方をすれば小生のこのコンテンツがいかにメジャーになったか、各社のブンヤさんが目の色変えて読んでいるかということの証左であり、悪い気はしないが。

まあ目先を変えるという意味だけでもなかろうが、今日の朝刊各紙は「NHKテレビ放送開始五十周年」一色だった。
五十年前といえば小生十六歳「高校一年生」。十八歳のとき数年前に潰れた当時の大手広告代理店「萬年社」に就職した。
その「萬年社」が 「テレビ番組個人視聴率調査」 を開始したのがそれから二・三年後のことであり、間もなく小生がその担当責任者となって、退社するまでの五・六年をメインの仕事として担当した。


今でこそ視聴率調査といえばビデオ・リサーチの専売特許みたいになっているが、日本で始めてテレビ視聴率の調査を開始したのは、しかも個人視聴率まで調査したのは正真正銘「萬年社」であり、その責任者は若干二十数歳の小生だったのである。

もちろん当時の局は「NHK」の他は「NTV」と「TBS」だけ。
その後局が増える度に調査運行に大改革が必要だったが、その難局を乗り切ってきたリーダーが小生だったのだ。


勿論全てがばかでかいアンケート用紙を配布・回収しての手作業から始まり、集計は当時の最新鋭機IBMのパンチングマシーン016とソーティングマシーン075を駆使して、徹夜々々の連続であった。
報告書はもちろんガリ版刷。いまでもダンボールの底には日本最古の 「テレビ視聴率調査MTR(萬年社テレビジョンレポート)」 が何冊か入っているが、きっとそのうちにとてつもない値がつくものと思って死蔵してある。


いや、本日の新聞記事のことを書いていて脱線してしまったが、そうではなくて大朝日新聞に小生のネタを盗まれた話をする筈だった。
これからが本題。


最近新聞紙上で「二千円札」のことが話題になったことがあるだろうか? 否、「二千円札」 の活字すら見かけない。
然るに小生がここに 「消えた二千円札」 をアップした昨夜から四・五時間後に配送を始めたであろう朝日新聞の今日の朝刊。
いくらなんでもタイミングが良すぎるではないか。
小生でなくとも 「コノやろうっ、ネタを盗みやがったなっ!」 と思うではないか。 こんな記事を発見してしまった。

〔みずほ銀行が昨年末2000円札の「滞貨一掃」を試みていたことが分かった。ボーナス支給後、行員に預金や手持ちの現金を2000円札に両替して持ち帰るよう求めたもので、1人あたりの目標は100枚(20万円分)。金庫にたまる一方の2000円札減らしに、手っ取り早く行員を利用したらしい〕

しかし良いアイデアだ。日銀は勿論だが、国会議員の報酬も振り込みでなく、全て二千円札での現金支払にすればよろしい。


030131  消えた二千円札

皆さん、二千円札が流通している現場を見たことがあるだろうか? 
景気浮揚のためにと称して鳴り物入りで登場した二千円札。ここにも随分前にアップして叫んだ。
「このままでは贋円札になってしまうぞっ」 と。

然るに小生の周りではこの二千円札がガンガンと流通していたのだ。こんなに激しく流通するなどとは予想だにしていなかった。
明らかに小生の不明であった。

ことの起こりは昨年暮、十二月の始め頃だった。いつものスナック〔どん〕で万札を出したら、ママさんの呉れた釣銭の中に二枚の二千円札が紛れ込んでいたのだ。 『どうしたのだ?』 と聞いたら 「先刻来た一見客がそれで支払って行ったから」 という。

『こんな紛らわしい札はイヤだ、千円札でくれ』 と頼んだら 「ワタシだってイヤだから釣銭で出したのだ。チップで呉れるというなら話は別だが、そうでないなら国家で発行している紙幣なのだから、アンタに受取を断る権利はないのだ」 とおっしゃる。

まあ、理屈の上では確かにそういうことになるし、チップで置いてくるのはイヤだ。しかし、ソッチがその気ならコッチだってその気になってやる。次に出かけた時にその二千円札を持って行って、それで支払った。
ママが 「二千円札はイヤだから千円札で頂戴」 とおっしゃる。すかさず言い返してやった。 『国家で発行している紙幣なのだから、アンタにこの札での支払を拒否する権利はない。タダにしてくれるから要らないというなら話は別だが』。

それから今月中旬までの約一ヶ月半、二枚の二千円札は常連客の間でスサマジイ流通振りである。これだけ激しく流通すれば確かに景気浮上の大刺激となっている筈だ。この二枚の二千円札が同じものであるということは一目瞭然である。

最初から両方の札とも右上に赤のサインペンのインクのシミがついていたのだ。違うのはあまりにも流通が激しく、クシャクシャに丸められてのポケット経由で戻ってくるため、最初のうちは比較的ピン札に近かったものが、でれでれの札になっているということである。
これだけ激しく流通すれば、二千円札も本望というものだろう。完全に所期の目的を達成しているのだから。

しかし店のカウンタはあたかも婆抜きの場と化してきた。常連客の誰もが、極力釣銭を貰わなくても済むように、千円札で支払うようになった。一見客に釣銭で渡せばよさそうなものだが、流石のママもこのでれでれ二千円札を釣銭にする勇気はない。
その客が二度と来なくなってしまうのは必定だから。

そして今月中旬、家中引っくり返しても小銭がなかった小生が、とうとうこの二枚の婆を引いてしまうという不運に見舞われた。当然、明日また使えばよいさとは思ったが、誰かが犠牲的精神を発揮しなければこの泥沼戦争はいつまでたっても終わらないし、常連客同士の関係も殺気だってギスギスしたものになりかかっている。

こういう時に犠牲的精神を強要されるのは常にこの店の唯一の紳士客である所の小生なのだ。
以後半月の間、机の引出しに眠っていたが今朝出掛けにそのことに気づいた。本日はまず二度と行かないであろう下町に行く用事がある。

到着したのが昼飯時間、蕎麦屋に入ってきつねそば七百円也。婆さんにこの婆を渡したら、物凄く胡散臭げに人を睨みつけて、電気の明かりに透かして見てからイヤイヤのように千三百円の釣銭を呉れた。 次に二百円コーヒーショップでもう一枚。
「細かいのありませんか」 と聞かれたので 『ない』 と答えたら、犯罪者を見るような目つきで千八百円の釣銭。

これで〔どん〕での泥沼戦争に終止符を打ってやった。 感謝して頂きたいものだ。
それにしても皆さん。  二千円札、どこでどうなっちゃってるんだろうね?


030130  赤提灯

社のすぐそばに「赤提灯」という居酒屋がある。通常「赤提灯」というのは大昔からの居酒屋の総称であり、これが固有名詞の店名として使用できるというのは不思議であるが、とにかく「赤提灯」という名の店である。
ネットで検索をかければごっちゃり出てくる有名店であり、有名芸能人は珍しくないとしても、小渕首相もご愛用の店だったそうだ。

売り物は「牛の内臓」。新鮮な牛の内臓の至るところの部位を調理してくれる。ただし小生は会社の近くで飲むということは殆どないし、たまに来客があって近くで接待という時も居酒屋というわけにはいかないのでここ十五年ほどの間に一・二度しか足を運んだことがない。

最近では三年前、ネッ友の松っあんと初めて会った時である。松っあんとはもとはといえば利尻の「かわまささん」のBBSを通じての交遊である。そのBBSで「旭川ラーメン」の話題で盛り上がっている時、小生が「ラーメンなら荻窪でしょ」と横槍を入れた。
すぐに松っあんからRESがあり、荻窪の美味いラーメン屋の名前が列挙してあった。

ひょっとしたら利尻のBBSであるにもかかわらず、住所が近いのではないかとは思ったが、最初のうちはお互いに警戒してそのBBSでのジャブの応酬だけだった。
何かの機会にメールに発展、そこで荻窪を挟んで北と南であるが、そう遠くない地域の住人ということが判明した。

以後、お互いの家族や友人も含めて年に何度かお目にかかる親しい友人の関係に発展した。
ネットというのは確かにいろいろ弊害や危険も多いが、注意深く扱う限りにおいてはこういう楽しい出会いがあるから、絶対に捨て難い。


その松っあんが新宿に出てくるついでがあるというので、じゃあお目にかかりましょうということで初デートの場所を「赤提灯」と決めたのだ。大の焼酎通であり、ゲテ物大歓迎の彼。ネットを通じてこの店は知っていたそうだ。

しかしお互い目印の手に持った封筒をみつけてこの店の前で会った時は無情にも超満員。外まで並んでいる状況だった。
初対面同士で列に並ぶというのも間が抜けているので、その時は利用できなかった。


その後彼とは何度も会っているが、そのうちそのうちで、とうとう一昨夜までこの店を利用する機会がなかった。
彼が新宿まで出てくる仕事があって、その足で行けるという連絡が入ったので「今回こそチャンス」ということで、彼と「赤提灯」に足を運んできた。かつてはあんなに混み合っていた店なのに、例の騒動以来バッタリ客足が減ったと噂では聞いていた。


一昨夜も入っていった時は小生の対面のテーブル席にご近所のOL風が二人、カウンターに常連らしき人間が一人という閑古鳥だった。
そして壁面にはズラリと芸能人のサインや写真が貼られていたが、なるほどこれは珍しい。
小渕総理が店主と握手している写真が飾られていた。


三年越しの約束を果たして松っあんもご満悦とみえてしばし歓談。
それでも最初はレバとかハツとか、無難なところでつまんでいた。彼はこの「迷走録」をチェックしてくれているが 「それにしても毎日更新というのはスゴイですねえ」 と軽蔑と同情の混ざった口調でいってくれた。 


「まあ書くのは二十分もあればだけどネタ探しがねえ」 とボヤイタら早速ネタを提供してくれた。
「ちょっと変わったものにチャレンジしましょうか」 といってメニューを睨み店の女の子に 「これはどこの部位だ」と聞いている。
多分韓国人か中国人だろう女の子がカタコトで日本語に訳してくれている。
よせば良いのに松っあん、それを小声で日本語でオーダーしたのだ。 


店の女の子は外国人だから逆に日本語の方には全く抵抗がないのだろう。
調理場に向って大音声で 「チンポコシオヤキ一丁っ! キンタマサシミ一丁っ!」。
前の席の、明日その辺ですれ違うかも知れないOL二人が唖然とした目で俺を睨みつけた。  俺じゃないっ! コイツだっ!

030129  絶対評価と相対評価

わが社の全社員を対象として 「社長を支持するかしないか」 の支持率調査を実施した。
零細企業であるから当然即日開票どころか即時開票であった。 結果は「支持する」が四七%、「支持しない」が三七%であったが、開票後に緊急取締役会を開催した。 田中取締役がテーブルを叩いて真っ赤な顔をして怒鳴った。

「シャチョーっ! この情けない支持率は何ですか? たったの四七%の支持率ですよ。これではあなたにシャチョーを続ける資格はありません。やはりこの際、即刻退陣ですっ!」。

アタマに来たので真っ青になってテーブルを引っくり返して怒鳴ってやった。『何を寝ぼけたことをいってるんだ。支持率が四七%もあるじゃないか。不支持の三七%を十%も上回っているじゃないか。シャチョーを続けていくのに十分な合格点だ』。

鈴木取締役が例によって黙ってニタニタしているので 『君はどう思うのだっ!』 と矛先を向けたら 「そうですね。四七%しかないともいえるし、四七%もあるともいえますよね」 と相変わらず煮え切らない。
「でも前回の時は支持率が五四%でしたから、その時の比較とでは七%落ちましたね」 と、小学生でも分かる算数を解説した。

『おうっ、そんなことは分かっている。だからどうしたっていうんだ。それをいうなら歴代のシャチョーの中では支持率が十%を割った人間だっていたじゃないか。過去の数値との比較というのは一応の基準だということは認めるが、いまの議論 “四七%が高いか低いか”ということの答えにはなっていないじゃないかっ!』 と怒鳴って、引っくり返ったテーブルの手前で淋しそうに立っている椅子を蹴飛ばしてすっ転がしてやった。

いつも冷静で正論を吐く頼みの綱の高橋取締役がやっと口を開いた。
「絶対評価だけで結論を出そうというのは無理があります。ここはやはり相対評価のデータも必要じゃないでしょうか」。

いわれてみれば確かにそれはそうだ。そもそもシャチョーだけの絶対評価を問うて、比較対照すべき人物の絶対評価を問わないのは片手落ちというか、基準となるべきノーム値がないではないか。「支持率」が高いか低いかを判断するためには、客観的な基準値が必要である。

「シャチョーはどうか?」 を問うたのであるから、一緒に 「田中だとしたらどうか?」。「鈴木なら?」「高橋なら?」 を同じ基準で問うて、それぞれの「支持する」と回答した数値を比較しなければ四七%が高いのか低いのかは判断のしようがない。

そこで支持率調査のやり直しをすることにした。同じ調査をもう一度するというのも能がない。だってやり直し調査で次は 「シャチョーの支持率が四三%」 と出てしまったら 「先刻の四七%との整合性はどうなるのだ」 という新たな議論をしなければならない。

先刻の調査から一時間も経過しているのだから、社員の考えが変わるということだって十分にあり得るのだ。
さっきエレベータの中で佐藤さんの足をうっかり踏みつけてしまったから、彼女は支持から不支持に鞍替えするかも知れない。
所詮「支持」なんて、その程度に良い加減なものじゃないか。従って次の投票は簡潔に「相対評価」で行うことにした。

質問は簡単である。「次期社長として “この社長なら支持する” と思う人は次のうちの誰か? 現シャチョー、田中社長、鈴木社長、高橋社長の中から一人、答えて下さい」。

結果は現シャチョーが二二%、田中社長が五%、鈴木社長が四%、高橋社長が七%、残りのの六二%は 「誰でも同じ」 の回答だった。ホレ見ろ。やはり俺の四七%の支持率は「高い」と結論付けられるじゃないか。 やっぱり俺はシャチョーの座にしがみつくぞ。

朝日新聞が行った「絶対評価」と「相対評価」両面からの世論調査。
「小泉の支持率に翳りが見え始めたが、かといって他には適材がいない」 という結果だったようだ。


030128  目黒雅叙園のポスター

猛妻が大手出版社の「世界文化社」のライブラリーに、主に社交ダンスの写真を登録。一昨年暮に雑誌のカットにするために買い手がついて二万円の振り込みがあり、すっかりプロ気分になって騒いだということをアップした。  (011229 猛妻ついにプロ写真家に)

「肉弾シンポジウム」のメンバーである「世界文化社」のオエライさんに、ライブラリーを紹介して頂くために猛妻と一緒に出かけて見学させて頂いたが、市ヶ谷の世界文化社高層ビルの一階。そこの全フロアがライブラリーになっていて、ジャンル別に整理されたフィルムロッカーに数万枚のフィルムが格納されている。

そこでプロの審査を受けて採用されたものがロッカーに収容される。閲覧室では色々な業態の人達が目を皿のようにして、ルーペで欲しいフィルムを探していて、これぞと思うものを見つけたら値をつけて買う。
売れた場合には世界文化社から五十パーセントが撮影者に振り込まれるというシステムである。


その後しばらくは音沙汰ナシだったが、昨年の十月初めに再度ここで大騒ぎした。   (021005 濡れ手に「泡」の夢)。
「目黒雅叙園が『ポスターに使用したいから』フィルムを買いたいと申し出があったが、肖像権の問題があるから足の持ち主の了解を取って欲しい」 という世界文化社からの電話があったという話だ。


雑誌のカットではなくポスターともなれば、ん百万円かと期待した。もっとも目黒雅叙園は会社更生法の管理下での営業であるから、ん十万円程度かも知れない。でもスゴイことだ。と喜んでみたもののダンス世界選手権出場者の足だけの写真。
モデルを特定できるどころか、どこの国の人の足かということもワカラン。 折角の大物ゲットであったが、諦めた。


ところが先週末に突然「世界文化社」から三万五千円也が猛妻口座に振り込まれてきた。ということは肖像権の問題は 「足だけだから大丈夫」 との判断で、世界文化社が目黒雅叙園に七万円で販売したということになる。ん十万円とはいかなかったが更生法下の企業とあっては止むを得ないだろう。とにかく三万五千円が振り込まれてきたのだ。

猛妻が振り込み通知を飾してぜいぜいいいながらわが居室に飛び込んできた。
「わたしの写真が七万円で売れた! それで半分の三万五千円が振り込まれてきたっ!!」。


小生が答えた。 「やっとほんの少しは回収したな。前の時は二万円だったよな。二回目のものが一挙に三万五千円とはいよいよ本格的にプロの仲間入りだな」 といったら猛妻が答えた。
「二回目じゃなくて四回目なの。去年の夏と秋にも五千円が振り込まれてきたことがあるから今回で四回目」。


ギョエッ!そうだったのか。 「なぜ報告しなかったのだ」 といったら 「だってそんな少ない額でいちいち喜んでいられないもの」。偉そうにキザなヤツだ。 でも真相は違うと思う。小生に報告するとタカラレルと思ったのだろう。 このドケチがっ!

しかし今回の三万五千円はどうしても黙っていられかったようだ。
何しろ地に落ちたりといえども「目黒雅叙園」のポスターだ。 舞い上がって 「夕食ごちそうするわ」 とおいでなすった。


ただし交換条件付きである。 「実物を欲しいから目黒雅叙園から貰ってきてね」。
簡単にいうがかなり面倒臭そうだぞ。広報部だが宣伝部だかワカランが電話をして、色々説明して、そのポスターの保存セクションを紹介して貰って、場合によっては頂戴するために出かけて行って・・・。


それにしても三万五千円! まあまあじゃないか。とりあえずはオメデトウだ。早く小生が髪結の亭主になれるようにガンバッテ欲しい。


030127  「リターン」と「Uターン」

 いつもの時間に「どん」の扉を開けると、すでにガハクが来ていた。他に客はいない。 
「ほれ、来た」といって二人でジロッと小生の顔を睨む。 四つの目玉がトゲトゲしく突き刺さってきた。

「マズイ顔で悪かったわね。ムリに見にくることないのよ」 とママ。
「オレはどうせいつもベロンベロンで酒癖が悪いのだからな。今夜も絡むぞ」 とガハク。
二人とも先日のアップ「また噛み付かれた」を読んで、丁度そのことで小生のことをクソミソにけなしている最中だったようだ。
『イヤ、あれは俺の創作のアップだから気にしないで』 と謝ったが、時すでに遅し。


ママは 「座ってもいいけど今夜からウチの勘定は高いわよ」。
ガハクは 「俺に絡まれたくなかったらもっと離れて座れ」 と極めて険悪な雰囲気である。

スミッコで小さくなってチビチビ飲んでいるうちに、コッチだってアルコールが回ってきた。

『何が言論の自由だ。こんなチッポケな店にすら言論の自由がない。社会や国家に、そんなものを求める方がムリだ』 とつぶやいたら、“社会や国家”の言葉が刺激のキーワードになってしまった。

ガハクが 「なあ、馬鹿よお。例のアップでしつこく“帰属意識”を書いていたが、これは俺の考えとは平行線だから、ここでチロチロと論ずるのは止めよう。そのうち徹夜してでも膝詰でじっくりと語り合うことにしようではないか」。

うーーーっ、シツコイ奴め。しかしこのことは俺にとっても放置しておくことが出来ない問題なのだ。
「今日はちょっと違う言葉の問題について話したいのだが・・・」 とガハク。

うーーーっ、また面倒臭い話かよ と思ったがママのご機嫌が悪い以上はいい逃げ道でもある。 

『何だよ?』
 と問い掛けたら 「よくUターンというコトバを使うだろ」。
『Uターンラッシュは二十日も前に終ったじゃないか。それがどうした?』 と問い返したら「そうじゃないんだよ。Uターンというコトバとリターンというコトバは同じイミかどうか、あんたの意見を聞こうと思ってたんだ」。

うーーーっ、またそんな難しい話かよ。 しかしガハクが問い掛けてくるからには伏線がある。
う〜ん。 Uターンとリターン。 確かに本質的に違うぞっ! 心の中で言葉を咀嚼してから答えた。

『リターンはデジタル。Uターンはアナログ』 と。
ガハクが 「そうだっ! 流石バカ。それで具体的に言うと?」 と畳み掛けてきた。
珍しく意見が合いそうな予感がしたので答えた。

『リターンは壁に打ったピンポン玉みたいに、行って真っ直ぐ帰ってくるだけ。Uターンは行った先で彷徨ってから帰ってくる。リターンは上から見ても横から見ても規則正しい一直線。Uターンは上から見たら一見シンプルな曲線だが、真横から見たら螺旋状で、決して同じ所に戻ることはない』。 ガハクが盛大に拍手してくれた。 「おう、流石!! 俺も今日一日そのことを考えていた」。

これで仲直り完了である。確かに考えなければならない。簡単にリターンとUターンを同じ意味に使っているが、この二つの単語は本質的に全く違う。 リターンは行って同じ道を反射して帰って来るだけ。 Uターンは行った先で彷徨って、別の出発点に戻って来る。

リターンには人生の成長と深みがない。Uターンは迷った分だけ成長がある。
戻って来た時には元の場所ではなく、螺旋階段を一段だけ昇っている。単なる帰省にしてもそうだ。帰省して呑んだくれただけでリターンして帰宅してきたヤツ。何か一つでも二つでも感性を掴んでUターンして来たヤツ。 人生が、生きている意味が全然違うだろうが。

そこでまたガハクを刺激するが「帰属意識」の無いヤツはリターン人生。「帰属意識」に拘るヤツはUターン人生を送っているのだっ!!ザマミロッ!!!

しかし珍しく意見一致でガハクと握手。
いまでも超美人のママも 「いい話を聞かせて貰ったから勘定はいつも通りにしておくわ」 とおっしゃって下さった。


030126  わが母校

五十年前の高一の時、ガキの役をやった。母親役は一年先輩。その母親に飛び掛ってしがみついて行くシーンがあった。練習の時は型だけだったが「本番では思い切り飛び掛ってしがみつけ」と指導教官にいわれ、その通りの演技をした。

イガ栗頭をゴシゴシと両のボインにこすりつけて、夏服の薄い生地を通して柔らかく、暖かい二・三十秒だった。文化祭期間中の三日間、放心したように過ごした。

その後彼女が卒業するまでの二年間はわが憧れのお姉さまだった。しかし彼女はいまでも 「あのときは髪の毛がチクチク刺さって痛かったわよ」 とおっしゃる。

新宿高層ビルの五十三階。先輩たちの酷使から逃れて、しばし展望台に。
ピンポイントで拡大すれば、この中にあの時の母校の学舎が写っている筈だ。

あの時のあこがれのお姉さまは・・・。
サワーをガブ呑みして、皴の中の顔を真っ赤にしてはしゃいでいなさる。

030125  いもの会

毎年一月の最終土曜日の本日、年に一度の恒例「いもの会」の総会兼新年会である。ここにも何度か書いたが「いもの会」。
卒業した都立高校の演劇部のOB会である。当時の今は亡き指導教官のあだ名が「さといも」だったことと 「われわれは大根よりは少しマシな“いも”役者」 ということをひっかけて先輩たちが命名した名ネーミングである。


卒業以来このOB会は延々と続いていたが、続いているとはいっても気息奄奄たるものであったらしい。演劇部創立三十五周年を機に先輩たちが集まって 「伝統ある演劇部OB会を活性化するために何とかテコ入れを」 ということで「記念誌の発刊企画」が持ち上がった。

そのためには若手の中から強力な推進役、会長役が必要ということから、在校時の実績が買われて小生の名が候補にあがったそうだ。
しかしこちらは行方不明、そんなことは知る由もない。
そして先輩たちが手分けしての 「アイツを探せキャンペーン」 の探索網ににひっかかって小生の登場とあいなったわけである。

小生が発見されて会長職を拝命したのが四十七歳の時であるが「引き受けたからには徹底的にやる」を旗印に毎年この日を総会日と決めて爾来十九回、一度も欠かしたことはない。古狸の先輩たちの「あのオッチョコチョイを探せ」の策にまんまと嵌ってしまったわけである。


その後五年前の創立五十周年の大記念行事を終えたのを機に、更なる若手に会長職を禅譲したことがあるが、無責任にも放置されてしまい急遽再度の返り咲きを強制執行された。

その時に復職の条件としてつけたのが 「会員は毎年の高校卒業と同時に増える一方、百五十名を越えているしほぼ全員が休眠会員。“笛吹けど踊らず”を相手にするのは大変な労力で体力的に持たないし、この少人数で全員への連絡費の負担もバカにならない。比較的帰属意識の強い八期生以上(因みに本年卒業者は六十期生に近い)のこの三十人弱だけで親睦会的な意味の会に縮小するなら引き受けよう」と。


ということで依然として小生の会長職は続いている。しかし僅か三十人になったとはいえ、何分にもこの小生が若手。
相手は爺さん婆さんばかりで、世話のやけることこの上ナシだ。会場を手配して懇切丁寧な地図までつけて出欠を問うハガキを出しているのに、その返事がなかなか来ない。締め切りを過ぎて会場に人数予約を済ませた後で 「連絡が遅れたが出席だ」 とか 「出席のハガキを出したが突然ダメになった」 とか、「突然ダメになったと電話したが突然行けるようになった」 とか、電話嫌いの小生の所に毎晩のように電話がかかってくる。 「地図が小さくて見えない。会場の場所を口頭で説明してくれ」 の電話にはキレソウになった。


しかしこれらの先輩の中にはメジャー商業劇団の大幹部とか、日本折紙学界の大権威とか、国立劇場の設計に携わった工学博士とかの錚々たるメンバーが存在し非常に勉強になるし、それより何より高校卒業以来三十年の長きにわたって同級生達からも行方不明だった小生を発掘してくれた大恩人達なのだ。 この時を起点として小生の古い古い過去への遡行が始まったのだ。

しかしねえ。本日の 「オイ会長、大先輩がトイレだそうだがおみ足が不自由だ。トイレまで肩を貸して差し上げてくれ」 はまあ仕方ないとしよう。「コラッ会長。ビール瓶が全部空っぽじゃないか。さっさと気を利かせろやい」。「ねえ、会長さん。ウーロン杯お代りだけど薄くっていったのにさっきのこれはちょっと濃すぎたわよ。も少し薄く作って貰ってちょうだい」。

あのなあっ! ウェイターもウェイトレスもそこら中でうろうろしてるじゃないかっ! 
「そんなもの自分で頼んでくでえっ!!!」。 会長様っていうのは本来ならば偉いんだぞっ。

030124  いつかは仲良くなれる?

十五万人といわれる米精鋭部隊がアラブ沿岸に集結、着々と戦闘準備が整っているそうだ。その一方においてワシントンで二十万人規模の反戦デモ、呼応するようにフランスでも各都市で合わせて二十万人の反戦デモが展開されているということが報道された。ブッシュの支持率(いつもいうように嫌いな言葉だし、信頼に足るコトバではないが)に翳りが見え始めたということも併せて報道されている。

世界の世論が大きく動き出したということであるが、残念ながら過去の歴史を振り返ってみると、暴力や革命を伴わない世論が、時の為政者の方針を変更させたり覆したりという例は聞いたことがない。せいぜいが暴走のブレーキとして機能したという程度である。

ただしフランスのデモの場合は強硬であり、国連が戦争参加を決定した場合には「拒否権の発動」をということをシラク大統領に求めているそうだ。世論という前に、シラク自身の理性もその方向に動きそうだという推測も流れている。

しかしアメリカの発言が面白いというより滑稽である。テレビを通じて流したそうだ。
「もしフセインがいずれかの国に亡命を求めれば、戦争犯罪人として裁くことを免除する」 と。

まだ戦争が始まっているわけではないのに戦犯を云々すること自体が滑稽であるが、これから自分の方から戦争を仕掛けに行って、それに抵抗したら、正当防衛をしたら戦犯だぞ、という論理がどうにもこうにも可笑しいではないか。

もちろん小生フセインが気に入っているわけではない。というよりは、少なくとも日本の報道を通じて知らされている彼のことは気に食わないヤツだと思っている。その点ではキム・ジョンイルについても同様であるから、いっそのことフセインが北朝鮮に亡命して、イヤなヤツ同士で固まっていてくれればと思う。

しかしいずれにしても先日も書いたように、地球の裏側に存在する人間が気に食わないからといって、それを攻め滅ぼしに行くという考え方がどうにもこうにも納得できないのだ。というよりは考えると背筋が寒くなるのだ。

いまの日本は安全だ。ショー・ザ・フラッグで後方支援を強行する首相、ブッシュとは仲良しだし、頼りにされている。
しかしひとたび我々の選挙によって、ブッシュが気に食わないと思う首相が選出されたとしたらどうなるのだろうか。

わが国のリーダーがブッシュ様のお気に召さないからという理由だけで、日本中が火の海になってもおかしくない。

クライアントで超映画通の女史から頂戴した今年の年賀状。
昨年度の一押し映画は「夜を賭けて」とあった。まだ上映していたので早速観に行ってきた。

一九五八年の大阪の朝鮮人集落のスラムが舞台。食うために目の前のどぶ川から夜中になると対岸に船で渡る。警戒厳重な旧兵器工場の跡地。鉄くずを掘り出しては持ち帰り、換金してその日の糧とする。大砲の砲身などにブチアタッタ時は酒と肉と女のドンチャン騒ぎ。
その彼らに対する日本の官憲の理由なき差別と凄絶な弾圧。しかしその官憲の中にも一人だけ彼らを人間として見る者が存在した。
主人公の朝鮮人の青年がいう。「十万人に一人」と。

その官憲がつぶやき返す。「いつかきっと仲良くなれるさ」と。その時代からみてもすでに半世紀。
日本と朝鮮は、否、世界は、一向に仲良くなっている兆しはない。

一度全てを破壊しつくして、ゼロからの出発以外に世界平和への道はないのだろうか。



030123 また噛み付かれた

全くもってケシカランことではあるが「どん」がまた三連休。ママが歯痛で顔がお多福風邪みたいに腫れ上がったからだそうだ。
四日振りに出かけた昨夜、確かにまだ腫れていた。


でも腫れていたっていなくたって、基本的土台は変わらないのだ。どっちでも同じ様なものだから湿布をしてでも、お絞りで頬を抑えながらでもオープンするのがプロだろう。勿論ママはここをチェックしていないからこんなことを平気で書いているが、万一読まれていたら出入り禁止は必定。それは困るから安全牌を出して置くが、ママ様は大昔は絶世の美女だったのだ。 

オープンを待ちわびていたのはもちろんガハクも同様。こちらはいつもの時間、十一時半を回ってから出かけて行った。二十〜三十分も待てばガハク登場の時間に・・・。 ところがカウンタには既にべろんべろんに酔ったガハクが腰掛けていた。
何でも八時に飛び込んで来て三時間半、ジンのボトルを一本空にしてしまって、更に追加のボトルを入れたということだ。


シマッタと思って直ぐに引きかえそうかとも思った。何しろガハクの酒癖の悪さはハンパじゃないのだ。しかしコッチだって四日振り。
すぐに回れ右ともいかない。カウンタの定席に腰掛け「クルゾくるぞクルゾ」と覚悟しながら待っていたら案の定の蒸し返しの咆哮。


『馬鹿電よおっ、シツコイようだがお前さんの言う“帰属意識”というヤツはオレには絶対にワカランし認めない』。
そしてあろうことか引き合いに出したのがアインシュタインなのだ。どこからか情報を入手、このオレ様に反論したいがだけのためにビデオを借りてきて見たそうだ。その中でアインシュタインがいっているそうだ。
彼の生涯の中で最もキライだったコトバが「帰属」。彼の生き方の中で最も邪魔になったのが「帰属」だと。そしてガハクが続けた。


『アインシュタインは宇宙に生きた男だ。我々だって究極の生きている場所は宇宙じゃないか。それを“宇宙に帰属している”っていうのかあっ!』。 ちぇっ、オーバーなっ!! 全く酒癖の悪い輩だ。 

オレ様は答えた。「百歩譲歩して宇宙にまで話を広げるなら、それは帰属じゃなくて浮遊というのじゃないだろうか。そう考えると帰属の対極のコトバは浮遊なのかもしれないな。つまる所、数学でいう所の無限大数とか、不可思議とかいう単位で、浮遊と帰属は繋がっているのかも知れない」。 さらにガハクが吠えた。
『違うっ!確かに浮遊の表現は当っているかもしれないが、浮遊というのはあくまでも個体であって、どこにも属していないっ!!』。


ちょっと違うんじゃないだろうか。個体というのは個に属しているではないか。オレはオレ、オレに帰属している。先日もアップしたことであるが 「じゃあアイデンティティといい直したらどうだ?」 と聞いたら、案の定 『それなら分かる』 とおいでなすった。

「属という文字にそんなに拘るなら“帰属意識”というコトバを“帰点意識”とか“帰結意識”とか“帰個意識”とかに置き換えてみたらどうだ」 といってみたら 『それなら分かる』 と吠えた。 
何の事はない。日本語というかコトバの難しさを議論しただけで、いっている中身は同じことなのではないだろうか。

とにかくオレ様は己に帰属して生きていくし、家庭に、会社に、社会に帰属して生きていく。
自らの帰属意識を完遂するためには生命を賭するくらいの「覚悟」が必要だと思っている。 


折角の四日振りの「どん」。いくらまずい面でもママに会いたいしお話もしたいと思って出かけたのだ。
ホントはママに 「大変だったねえ。大丈夫?まだ少し腫れているねえ。でも腫れているママも魅力的。ナンセ土台が綺麗だからねえ」。『あらアリガト。バーボン一杯奢るわね』 の展開を期待して出かけていったのだ。 べろべろガハクに台無しにされた。


030122 人生、ひとつの区切り

大相撲には殆ど興味がない。せいぜいが白熱した場所での千秋楽に持ち越した優勝争い、猛妻と娘が奇声を発している時に後から覗き見する程度である。どうもあの仕切りというヤツが性に合わない。狭い土俵の中をのそのそと行ったり来たりの確か三分間。イライラする。
ハッケヨイノコッタ、でスッと取り組めばいいじゃないかと思う。
そういうと 「競馬だってパドックというものがあるじゃないか」 と反論されるが、馬とは違うだろ。


確かに競走馬の場合には自らの感情というやつはコントロールできないのだろうから、パドックで周回を重ねるうちに段々気合が乗ってくる。馬場に出てからその時の具合で軽重の運動で調整し、ベストコンディションでゲートに向わせるようにする。
いわゆるこの間の「仕切り時間」は必須である。


しかし力士の場合には人間様である。 「十分に気合を入れてから土俵に上がること」 というルールを作れば、控席でバシバシと自らの体を引っ叩いて気合を入れて土俵入り。ハッケヨイノコッタでバッ! どれほど時間や諸経費の節約になるか分からないではないか。

実際の大相撲を観戦した経験がないわけではない。最初は国民学校一年か二年の時に大相撲が上海に巡業してきた時、オヤジに連れて行かれた。名前の一部が同じということだけで 「アキノウミ(安芸の海?)」 を声を枯らして応援したことだけ覚えている。
年代からみて双葉山も一緒に来ていた筈と思うが、もちろん全く覚えていない。


二度目は就職して間もない頃、誰かに何かのことで一枚だけ入場券を貰い国技館に物は試しででかけた。栃若時代より少し前か、丁度始まりの頃だと思う。 隣に座っていた芸術家風のお兄さんが途中で帰ってしまったが、その時座席に忘れて行った本がスタニスラフスキーの「ドラマツルギー」。 演劇論の古典である。
有難く拾って帰って来たのを覚えているし、この本は今でもダンボールの底を探せば出てくると思うが、相撲の内容は全く覚えていない。


三度目は七〜八年前だったろうか。猛妻が 「どうしても実物を一度は見たいが一人では行き方が分からない」 というので、当時はまだ入手難だった入場券を何とか手に入れて見に行った。
時代から類推して多分若貴時代で曙なども出ていたのだろうと思うが、これまた退屈だったことと、帰宅途中の荻窪ラーメンがうまかったことしか覚えていない。

ナマで観戦したのは上記の三回だけであるが、中学時代は阿佐ヶ谷に住んでいて、釣堀に遊びに行く度に花籠部屋の前を通っていた。
部屋からもれる掛け声をいつも聞いていたし、力士の浴衣姿もしょっちゅう見ていたということもあり、ラジオはよく聞いていた。
確か千代の山とか東富士とか鏡里という力士がいたと思うし、メジャーではなかったが力道山もいたと思う。 


栃若時代はそれから四〜五年後位のことではなかっただろうか。
そんなことはネットで調べればすぐに分かるのだろうが、何しろこんなことでネット検索に走るほどには、相撲には興味がないのだ。


ここ二・三日、貴乃花がテレビに登場する度に猛妻がテレビの前で正座しうるうるしている。彼が優勝しようが引退しようが、小生には関係のないことだし別にどうでもよい。
しかし新聞報道などに接して、ましてやいつもの新聞のコラム欄を飾っている文章などを読んで、ある種の感慨を覚えないわけではない。

「一人の人間が自分で選択した道を真っ直ぐに一所懸命に生きてきた」。 「ひとつの終わり」。

時代にも区切りがあるし、人の生様にも区切りがある。まだ若い貴乃花。
一時代を画した人物としての尊厳を持って、第二の人生の土俵への第一歩を力強く踏み出して欲しい。


030121 壬生義士伝

それでも入り込める時は通路に座り込んだり、ダメなら人と人の肩の間からジャンプしたりしながら映画館で立ち見をしたのは、まだ映画産業華やかなりし高校を卒業した頃か、就職したての当時だった。
二時間を越える映画の立ち見なんてそれ以来四十数年振りのことになる。


封切り翌日の日曜日の歌舞伎町の昼下がりの映画館であったとはいえ、そのあまりにも凄まじい人気振りに驚いた「壬生義士伝」。
ああ、良かったあ。


確かに淺田次郎の原作も素晴らしかった。敢えて難をいえば時代(時間)があまりにも目まぐるしく前後するのが煩雑であり、理解を妨げるところがあった。しかしこの映画の脚本の方は、原作にほぼ忠実でありながらこの辺りの整理が実に見事なのである。脚本担当の「中島丈博」なる人物。或いは高名であり小生が知らなかっただけの話かもしれないが、今後のために銘記しておかなければならない。

原作のある映画を見るに際してよく「読むのが先か見るのが先か」という議論があるが、小生はそれほど拘らない。もちろん「どちらの方が良かった」ということは往々にしてあるが、原作が面白ければ必ず映画はチェックするし、映画が面白ければ原作をチェックしている。

さて、この映画であるが吉村貫一郎役の主演の中井貴一がスゴイ。
家族を・故郷を語る時の茫洋とした穏やかな目、失笑を誘う吝嗇の情けない目つき、そのくせひとたび剣を抜けば静謐で凛とした眼光、終章近く「覚悟」の二文字を宿した男の涼やかな双眸。 すぐれて見事としかいいようのない演技である。

昨年の「たそがれ清兵衛」で主演男優賞の真田広之、大いに頷けるが、その流れでいけば今年は絶対にこの映画の中井貴一だ。
本年早々に公開というハンデだけの問題だと思う。


原作では最後まで明かされない「謎の取材者」が狂言回しの役を果たしたが、映画の方は違っていて、狂言回し役は明治も二十年を過ぎてからの町医者と新撰組生き残りの斎藤一。 この町医者の飄々とした味が良いし、斎藤一の過去を沈めた苦渋の表情が良い。

そしてこの斎藤一を演ずる佐藤浩市は、本編の方でも大車輪の活躍であるがこれまた渋い。助演というよりは完全に共演である。斎藤が抱く吉村に対する愛憎の念。というよりは吉村を心の底から憎み、軽蔑していながら、その感情に徹しきれない自らに対する苛立たしさ。
その難しい役どころを見事に演じきっていた。

どちらかといえばコメディアンとしての印象が強く、冒頭では違和感のあった三宅裕司も、場面の進行とともに目を見張る好演だった。

いやあ、日本映画健在なり。まっこと見事な名作であった。二時間強の立ち見で文字通り足が棒のようになっていたにもかかわらず、映画館を出てから帰途につく足取りは踊るように軽かった。 有難う、深謝である。

とはいうものの一抹の不安がある。まだ今年になって一ヶ月も経過していない。
本の方ではつい先日、惜しくも直木賞を逸した「半落ち」(横山秀夫)を読んで、本年度ベストワン宣言をしてしまった。
そして本日の映画「壬生義士伝」、本年度ナンバーワン宣言をしてしまうのにやぶさかではない。 近年久しくない現象である。


大丈夫なのか。まだたっぷりと残っている今年、これから何を楽しみに生きていけばよいのだろうか。
ったって面白いものは面白いし、良いものは良いのだ。
 本日は久々の大満足、幸せアップである。

030120 果報は寝て待て

本日は大寒。すなわち冬のどん底である。特別に寒い今回の冬、本日までは寒くなる一方であったが寒さのどん底の今日が終わった。
明日からは日・一日と確実に暖かさに向っていくのである。日も長くなっていくのである。裸でデッキチェアに引っくり返り、ガンガンとクーラーをかけてフーフーいわなければならないシーズンがすぐ目の前までやってきている。

ま、それは少々気が早いといわれるかもしれないが、とにかく「春遠からじ」を実感できる毎日が明日から始まる筈である。

それにしても「自然」は良い。特にこの「季節」といわれるやつ。確実に巡ってくるのだ。その時になれば・・・規則的に。ただひたすらに耐えて待てばよい。寒さは確実に暖かさに向うし、暑さは必ず爽やかさに向ってくれる。何もしなくてよい。ただ耐えて待つだけ。

それにひきかえわれわれが生息する、人間が作っている「社会」はどうか。待てばよくなるのか、いまがどん底だからといって耐えて待っていれば、必ず好転してくれるのか。

絶対にそんなことはない。自然、例えば「季節」との比較でもっとも大きな違いは、その持つ歴史と経験値の差である。
「季節」には悠久の歴史がある。膨大な経験値がある。だから本日が冬のどん底であると断ずることができるし、明日からは暖かくなる一方と希望することができる。

この悠久の歴史と膨大な経験値に比較すれば、「社会」の歴史なんていうのは皆無に等しいし、経験値なんていうのは鴻毛よりも軽い。
換言すれば歴史も経験もないから、先のことなど分からないのだ。というよりは現状すらが分からないのである。

どん底どん底と騒いでいるが、ホントに今がどん底なのだろうか。どん底ってどんな形をしていてどんな色をしているのだろうか。
過去に誰か見た経験のある人間がいて 「ここがどん底である」 と教えてくれているのだろうか。

どん底と思っているのは、どん底と騒いでいるのは・・・  実は穴の途中に引っかかっている蓋かもしれないではないか。
その蓋を開けると更に底深い穴があり、更なるどん底への延々たる奈落が続いているかもしれないではないか。歴史がないのだから、経験がないのだから、そんなことは誰にもわからない。下りの後には必ず上りが巡ってくるという保証はどこにもない。

かくなる上は仕方がない。小生、大急ぎで人より早く下りていってその蓋を開けて待つ。後から下りてくる強そうなヤツを味方に引き入れた上で、更にその後から下りてくる弱者をガンガンと穴の底に突き落としてやるのだ。片端から突き落として行く。蓋のところまで人柱が埋まったところでギューギュー踏みつけて、ほんとのどん底までしっかりと埋まったことを確認してからビッタリと蓋を閉めてやるのだ。蓋に揮毫して 「ここがどん底」。 署名捺印して 「どん底を見極めた人物」 として歴史に名を残してやることにしよう。

とここまで考えたところで、居眠りから覚めた。横で仕事をしている女性からジロリと冷たい目で睨みつけられた。
急いで涎を拭いて、パソを叩く真似をした。

「正月明けだから仕方がない」 といい 「すぐに続く三連休が悪い」 といっていたが、一月も下旬に入ったというのに、依然として世の中静かであり、クライアントを回っても留守か鼻糞をほじっているか。  電話も凍りついたように鳴らない。
電話機に魔法瓶の湯でもぶっかけてやるか。

しかしまあこのご時世、あせっても仕方あるまい。「果報は寝て待て」 というではないか。
そうじゃなかった。もひとつ明るいニュースがあった。「花粉は寝て待て」 だった。
そろそろ舞い出すそうだ。しかも今年も昨年並みの大豊作ということだ。
 「季節」だけは確実に巡ってくる。楽しみなことではある。


030119  メーカー責任

わが居室の片側の壁の約半分を、この特製手作りビデオラックが占拠している。収まっているのは八ミリテープに録画して取り溜めた千三百本を越える名画の数々。古いところではもちろん「駅馬車」もあるし「カサブランカ」もある。

もっと古いところを含めてチャップリンはほぼ全作揃っているし、比較的新しいところでは「フィールド・オブ・ドリームス」「ニューシネマパラダイス」や「ショーシャンクの空に」。もちろんエクセルファイルに整理してあり、国別・年代別・監督別等に検索をかけてたちどころに引っ張り出すことができる。

ただし見た映画はこのうちの三百本あるかないか。残りの千本、約二千時間は自由人になってからの楽しみに大事に取ってあったのだ。然るに昨年のGWに多大の犠牲を払って修理した八ミリデッキが完膚なきまでにいかれてしまった。

メーカーに問い合わせても「製造中止です」「修理といっても部品があるかどうか、仮に応急処置が出来たとしても寿命の方は・・・」。 もはや永久に鑑賞不能。

VHSに対抗して鳴り物入りで売り出した八ミリ。この費用と労力をどうしてくれる。


030118  絶景なるかな!

別に寝込んだわけではないが、三連休を風邪に邪魔されて以降、体調はイマイチである。
会社でもふと気づくと居眠りなんてシーンが二・三度あった。 一番の自覚症状は食欲不振である。 


そもそも小生の食生活パターンはというと朝食はここ五十年来の習慣でナシ。そして夕食はオカズをつまみながら発泡酒三五〇缶で晩酌。飯は殆どパスか、食っても小さな茶碗に半分というパターンである。すなわち昼の外食で熱源を補給しているようなものだ。
しかしその昼飯も握り飯一個で済ませたり、立ち食いのもり蕎麦一枚で済ませたりなんてこともしばしばだが、それでも週に二・三日はちゃんとしたランチとか定食とかを食っている。


しかるに三連休明けの今週の昼食はというと、火曜日は昼食抜き、水曜はもり蕎麦を食いに行ったが半分残し、木曜は小さめの肉饅一個で腹一杯。そして昨金曜はもう大丈夫かと思いスパゲティ屋に入ったがやはり半分でダウン。顔馴染の店だから 「行儀悪くてゴメン」 で済むようなものの、フツーの店ならぶん殴られるかもしれない。

むかし体重が六十三キロあった頃はそんなに食っていたのだろうかというと、そんな記憶もない。時には大食をすることもあったが、それは今でも時々ある。しかし本人はそれで平気なのだ。晩酌の発泡酒と、夜中からスナックと自宅を梯子しての水割りの四・五杯、場合によってはそれが六・七杯になることもあるが、それで十分なのだ。勿論ツマミ類は一切といってよいほど口にしない。


本日は八割方体調が回復しての一週間振りのプール。とはいっても寝坊してしまったために珍しく夕方の時間に出かけた。
当然回りはいつものメンバーではなく、土曜の夕方とあってプールサイドには良い景色も散見された。いつものノルマをこなして体重計に乗ろうとしたが、本日の胃袋の中は行きがけに立ち寄ったドトールのコーヒー二杯だけ。 当然新記録を目指した。


そしたら先に体重計に乗ってしきりに首を傾げているオジサンがいる。このオジサンも本来は朝のメンバーでありプールの中を熱心に歩いている人である。といっても目礼程度はするが口を利いたことはない。年は小生と同年輩くらいだろうか。
でかい腹をゆすって首を傾げながら秤を降りたが小生に気づき 「あれお珍しいですね、こんな時間に」 と始めて話しかけてきた。 


「しかしダメですねえ。一所懸命運動している心算なのに増えることはあっても絶対に減らないんですよ。オカシイですねえ。でもお宅は以前と比べて随分スマートになられましたねえ。同じ位運動していると思うのに、効果抜群ですねえ」 と感心している。
コッチはここだけでなく通勤激歩もしているからなのだが、気の毒だから黙っていてやった。


そしておもむろに秤に乗ったらグエッ! 五十二、七〇。この二日にも報告したが、つい昨年末に五十三、四五キロの新記録を達成したばかりなのだ。それを大幅に破った。メモリを覗き込んだオジサンが首を傾げながら「ホントに素晴らしいですね」といって羨ましがった。

しかしこの所、わが猛妻様は極めてご機嫌が悪いのだ。プールから帰るたびに体重報告を求める。
本日は 「ついに夢の新記録! 五十三キロを切った♪」 と報告したら、蒼ざめて叫んだ。


「もう絶対に検査だからね。来週病院予約してくるからねっ!」。
胃のポリープの悪化を監視するために定期的に胃カメラを食っていたのだが、不味いので止めたと宣言して一年以上。


どうやら猛妻は胃癌を心配しているようだが、冗談じゃない。体重減は努力の成果なのだ。「確かに食は細いが心配するなら胃が軽くなったり溶けたりする新種の病気、胃軽廉か胃解溶の方ではなかろうか」といったら「冗談いってる場合じゃないでしょ」と怒鳴られた。

ジャッカマシイんだ。何度も自慢するが、直立不動の姿勢で麓まで一望できるこの絶景をミロッてんだ。

030117  何をいまごろ・・・

昨日の日経コラム「春秋」を読んで愕然とした。天下の日経ともあろうものが今ごろ何をいっているのかと。
いくつかの文節を抜粋引用すると・・・。

〔武道館の「都はるみコンサート」へ行ってみた。冬空の下、開演一時間以上前から長い列ができており、1万人入る客席は満席だった。4・50代中心で前列にはペンライトの花が咲く〕

〔一方では若手演歌歌手「氷川きよし」に中高年女性の追っかけが全国をついて回る〕

〔地位や富は何の価値もない、と藤沢周平の世界を映画化した「たそがれ清兵衛」にもまた中高年層が行列を作っている〕

すなわち 〔若者重視の文化の中で、団塊世代より上の時間もお金もある年代層は自分の好みを追いかける〕 ということをいっているわけであるが、結びの一文が

〔景気浮揚のヒントは案外この辺りにあるのではないだろうか〕 だと。

そうじゃないっていうのだ。「ヒント」なんかじゃないし、全然「案外」なんかじゃないし、「あるのではないだろうか?」なんて疑問形はとんでもない話だ。 「景気浮揚の決めてはこの層にこそあるのだ」 ということを小生は三年も四年も前からいっているし、随分前にもここにも何度も書いたではないか。

もっとも小生がいくらブツブツこんなことをいってみても、毫の影響力もない。いくら「いまごろ」とはいっても天下の日経がいってくれるのは大いに結構。コラムではなく一面トップならもっと結構だし、一日だけでなく一ケ月シリーズならもっと結構だ。

確かに十年以上も前から「シルバーマーケット」なるジャンルはあるし、「注目されている」とはいっているが、その商品群はとみると、「紙おむつ」だったり「介護用品」だったり「墓」だったり。 何をトチクルッテいるのかと思う。

仮に小生が力のある通信機メーカーで力のある製品開発者だったとしたら「携帯電話」を製造販売する。デザインは多少不恰好だし、それほど極端に小型ではないが、ごついボタンが十個並んでいる。一を押せば自宅に、二を押せば息子宅、三を押せば娘宅、四を押せば碁敵の友人、五を押せば茶飲みガールフレンド。六から九まで、まあそんなには要らんだろうが使うなら使ってもよい。
そしてどうしてもそれ以外の所に電話の必要がある時は、〇を押してから正規の電話番号を押す。商品名は「携帯電話」。


すなわち持ち歩くことによってどこからでも、どこへでも電話をかけることができる。買う時に必要な番号リストを持っていけば、販売店の方で全てサービスでそれらのセットをしてくれる。商品を受け取ると同時に一番のボタンを押して猛妻に 「オイ、いま買ったぞ」 と報告する。 「お前のも一緒に買っておこうか?」。 電話だけ。
手品みたいないろいろなものはついていない。したがって種も仕掛けも覚える必要は一切ナシ。ボタンを一回押して電話するだけ。


パソコン、カメラ、ハイキング用品、ファッション、自転車、食品、レジャー、等々、それぞれの分野でいくらでも考えられる筈だ。
しかしながらメーカーの方に、中高年の本当のニーズを理解できる中高年の開発者がいなくなってしまったのだ。
みんなリストラされてしまったし、僅かに残っている人たちも「物言えば・・・」の世界で、企業にしがみついているだけが精一杯。


もっとマーケットをしっかり見ようじゃないか。随分以前から「中高年の山の遭難激増」などと騒がれているが、山に登ったら中高年しかいないじゃないか。どうしてヤングが遭難できるのだ。その辺のことをキチンと見極めてから書いているのだろうか。

いやあ、折角 「わが意を得たり」 を書いて下さった「春秋」氏には大変申し訳ないが。

030116 やっぱりフセインが悪い

例によってベロベロになりながらガハクと激論。 小生いつも書いているが神も仏も信じていない。人間死んだらタダのゴミ(これに関してはガハクも同意見)。だから仮に小生が近々ポックリ逝ったとしてもホントは死んでまで退屈な坊主の読経など聞きたくない。燃えるゴミか粗大ゴミか知らないがバラバラにしてポイして欲しい。葬式などは残された家族の体面と意思を尊重するだけのイミ。こっちはゴミ。

だからといってキリストを信仰する人間をイスラムを信仰する人間を仏教に帰依する人間を否定する心算は毛頭ない。というよりはそういう人達の大多数は少なくとも悪人ではない人達だろうと思って、その人物を信頼し、人によっては尊敬すらしている。羨ましいとも思う。

が、しつこいようだが神も仏も信じない小生、小泉が靖国を散歩しようが参拝しようが全く無関心である。先日「支持する」(マスコミで騒いでいる「支持率という名の人気投票」ではなく「支持」という重々しい言語だ)と表明した以上、己が信じることを信じるように行動すればよいと思う。しかしガハクは首相の公人であると私人であるとに関わらず靖国参拝そのものに反対である。戦犯を奉ってあるから。

百歩譲歩して「奉ってある」というコトバを認めるとしよう。奉ってあるのは明治維新以降の数千体か数万体か知らないがその中の戦犯。一体どれだけの数なのだ。パーセンテージにすればコンマ以下にゼロがいくつ並ぶのだろうか。もしかしたら小泉は 「ここに奉られている維新以降の戦犯を除く英霊達に」 と心の中でつぶやいてから参拝しているかもしれないではないか。そんなことは誰にもワカラン。


そしたらガハクは 「百歩譲歩するにしてもタイミングが悪すぎるではないか」 と吠えた。 う〜ん、ナルホド。分からぬでもない。
遠い国にイチャモンをつけられるイワレはないと思うが、一方において首相たるもの外交も長。 なぜわざわざ刺激的な行動を取るのか。


川口外相の直前になっての金大中への表敬訪問の中止。「日程の都合」などというのは「北線問題は共闘で」という配慮というか妥協。
靖国参拝への不快感のデモンストレーションに過ぎない。首相たるもの外交に対しても少しこ狡くあってもいいのではないだろうか。参拝するのは貴方の自由。しかし外相の表敬訪問の終了を待って出掛ければ良かったじゃないか。ほんの数時間のことだ。なぜ抵抗を分かっていながら「世界平和を祈願して」といいながら、敢えて刺激的な行動に出るのか。それでなくてもいま世界はますますキナクサイのだ。


世界に三人のヒトラーが存在して覇を競っている。いうまでもなく筆頭はブッシュ。そして金正日とフセイン。そして金正日は「合衆国をデリートする」と息巻いている。しかしホントに技術力は大丈夫だろうか。とてもアメリカ大陸まで飛んで行かせる技術があるとは、イメージ的に思えない。

飛び出した途端に力尽きて我が家に落ちるかもだ。小生の命はもとよりわがパソなど一溜りもなく迷走が終る。その北鮮に攻撃目標にされているアメリカのヒトラーはどうか。「断じて許せない」と叫んでイラク攻撃の準備を着々と進めている。ところが肝心のイラクのヒトラーが智恵がないのだ。「防諜活動だ」といってアメリカと国連を非難している。矛先が違うだろう。ちょっと頭の良い所を見せて欲しい。


「あくまでも防諜活動を強行するなら、ミサイルの照準を平壌に向ける」と。 そうすれば世界情勢はまさに三スクミ状態。
どのヒトラーも何もできないで世界平和が実現できるではないか。 小泉も安心して大手を振って靖国参拝ができるではないか。


一体一ヶ月後、遅くとも二ヶ月後の世界はどうなっているのだろうか。 小生、迷走などしていられる環境なのだろうか。