迷  走  録


一旦自分の口から飛び出してしまったコトバには責任を持たなければならない。それは既に社会に向けて発信されてしまったのである。

ましてそれが確実な記録として残る「書く」ということにおいてはなおのことである。

自分に確たる思想があるわけではないし、生き方の方向が定まっているわけでもない。だからコトバを発することは恐いし、書くことはもっと恐い。

自身で振り返ってみても矛盾に満ち満ちているので・・・。

しかし、だからといって考えることを止めるわけにはいかない。瞑想することを放棄することは出来ない。

たとえ、迷走でも良い。口から発することによって、書くことによって、多少なりとも自らを律することが出来るのだとすれば。

自らを律する意味でも「毎日更新努力」を宣言して、本コンテンツを設置した。

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   過去のものは ↑ を訪問願います

010215 うな重

京橋・築地・銀座・新橋・赤坂・・・。うなぎ自慢の店は数々あるし、過去にずっと遡ってということであれば有名店といわれる所はかなり潰している。しかし小生に言わせればうなぎは新宿御苑の「うな幸」が一番だ。会社から徒歩三十秒、小さな店である。

うなぎが良いし、蒸し加減が良いし、焼き具合が良い。何よりタレが絶品である。ついでに米も良い。ここが有名店の仲間入りをしないのが不思議であるが、それでも店主に聞くとこの店が目的で、遠路遥々電車に乗ってやってくる常連客もかなり居るそうだ。
さもありなん。

並が千百円、上が千六百円というのは昼飯代としてはチト贅沢だが、上を頼むと飯が別盛というのも嬉しい。その上のランクもまだ沢山あるが、そっちの方は食ったことがないので分からない。そうそう行くわけではないが、今日久しぶりに行ったので書くことにした。

滅多に行かないというのは別にというより、絶対に経済的理由からではない。うなぎは医師に渡されている食事療法の「食ってはいけない」の横綱クラスに挙げられているからだ。

さて、今日の主題の迷走はうな重に限らず、かつ重でも天重でも同じであるが、重箱飯についてである。
皆さん、これには困っていないのだろうか?

飯粒の最後の十粒ほどが、汁気をたっぷり吸ったまま隅っこにへばりついているのだ。そのまま残すのも汚らしいので何とか食ってしまおうと思うが、割り箸では文字通り、いかに重箱の隅をつついても如何ともなしがたいのだ。

万やむを得ず最後は左手で重箱を持ち上げて、多分ものすごく絵にならないポーズで十粒の米粒を掻きこむ。そしてこれが少しでもだらしない店だと大変。重箱の底についたタレが左手にべったりとくっついてしまうのだ。清潔で潔癖な小生には到底耐えられない。

思わず反射的にネクタイで手を拭いてしまう。
時々怒鳴られる。「なによ〜、このネクタイ。また食べこぼしをしたわね。染み取りに出さないと取れないじゃないの!」。

ばかやろう。ガキじゃないんだ。食べこぼしなんかしない。ネクタイで手を拭いただけだ。


010214 五十四年前

WEBダチが、このほど航空会社が始めた新サービス「超割」をサービス開始と同時に申し込んで「鹿児島往復2万円」をGETしたと、一緒に遊んでいるBBSで騒いでいる。何でも日本全国どこへでも一万円という航空券だそうで、航空会社もやっと暴利商売への反省の兆しが見え始めたようだ。「なぜ鹿児島か、親類でもいるのか」と問うたら、答えは「そこが一番遠い、すなわち一番得だから」。

金銭感覚が鋭いというのか、或いは全く欠如しているというのか、不思議な人だ。が、しかし、この一件が小生にとっては極めて有難いことに結びついたので彼に感謝である。

若い頃、出張生活の連続だったということもあり、短時間滞在も含めて都道府県単位でいえば、ほぼ全ての県を潰している。しかし鹿児島については潰したと言えるか否かかなり微妙である。

今から五十四年前、すなわち終戦の翌年で十歳のときである。上海からの引揚船の上陸地が鹿児島だった。上海で引揚船に乗船前、何千人かの日本人が広大な荒野に一列横隊に並ばされた。小生も父と母の間に挟まって手を繋がれ小さなリュックサックの中身を全部目の前の地べたに曝け出して、検閲を待った。やがて中国兵の銃床に体中をこずかれながら身体検査を受けたが、あの時、歯がガチガチと音を立てて震えていたのは恐怖のためもあったが、物凄く寒かったのだ。終戦の翌年ということだけは覚えているが、多分冬だったということだけで時期は特定できない。

引揚船の時速が7ノットであると聞いたのは記憶にある。しかし機雷を避けながら、掃海艇を待ちながらの停泊の連続の航海であったため、鹿児島までは一週間を越える旅だった。そして鹿児島上陸。やはり広い荒野に一列横隊に並ばされ、進駐軍によって頭からDDTをぶっかけられた。完全に荷物扱いである。背後にはもうもうと真っ白な噴煙をあげる桜島。全ての日本人がDDTと火山灰とで雪だるまのように真っ白だった。

やがて配給された一袋づつの乾パン。その中に三粒か四粒入っているコンペイ糖を、父母が自分の分を選りだして全部食べさせてくれたことも忘れ得ぬ思い出である。

そこから父の実家のある会津磐梯村までの汽車旅。何度も何度も乗り換えて貨車同様のギュウギュウ詰の列車で、駅に止まったら一時間・二時間の停車はザラという旅。乾パンと僅かな缶詰だけの生活で会津に着くまでにやはり五〜六日かかったように記憶している。
やっと父の実家に辿り着いた翌日か翌々日、爺さんが新聞を読みながら「危ないところだった、桜島が大噴火だ」と言ったのだ。

今回のWEB達の鹿児島騒ぎを見て、突然思い出した。「そうだ桜島の大噴火だ!」。
こういう時にネットは便利だ。早速検索網にひっかかった。「昭和21年3月9日大噴火、有村埋没、農作物全滅」とある。

WEBダチのお陰で、小生の引揚の日時をある程度特定することが出来た。今から丁度五十四年前、上海での銃床身体検査が2月末、鹿児島白だるまが3月早々、ということが判明した。もはや誰も知る人のいない小生だけの歴史である。もう一度桜島を見てみたい。

願わくばWEBダチが突然の交通事故とか、急病で動けなくなって「超々割」で鹿児島往復を一万円で譲ってくれればよい。
それでこそ友達甲斐というヤツである。


010213 眼鏡

パソに向かう時間が長くなった。その分、老眼がどんどん進んでいく。一年半ほど前に作った眼鏡がもう合わなくなり、目が痛い。それをいうと「ずっとパソを睨みつけているからだ。止めなさい」といわれる。目が大事かパソが大切か悩む所であるが、所詮目なんて消耗品である。

いや、目に限らない。体の器官なんていうのは全て消耗品なのだから、死ぬ時に全ての体器官の機能がゼロになって、すなわち全てを消耗し尽くして死ぬのが理想である。死んだ後で“目はまだビンビンに使えるのに”とか“胃袋はこんな丈夫に機能しているのに”なんてことがあったら勿体ないではないか。


ま、ほんとはそんな死に方はイヤだが、理論的にはそういうことになる。従って理論的には目よりはパソを楽しむ方が優先である。

目の検査を受けて眼鏡を買うことにしたが、ここ二十年ほどは新宿南口の安売り店に通っていた。会社が御苑に転居する前は代々木にあり、そこの近くだったからである。少々遠いが二〜三年に一・二回のことだからということもあり、そこまで足を運んでいた。

しかし、昨年そこに行った時に爺さんの店長が止めてしまったということで、若い店長に代わっており、しかもエラク感じが悪かった。安い眼鏡が欲しいのに一所懸命高いフレームを勧めるのだ。

この際、現在の会社から近い所にしようと思い、つい最近検査をして眼鏡を新調した社ダチに聞いたら近くに良い眼鏡屋があるという。「その眼鏡いくらだったんだ」と聞いたらこともなげに「五万円」という。横で女性社員が「安いわねえ。私なんかデパートで九万も取られちゃった」という。冗談じゃない、眼鏡にそんな金かけるな!その眼鏡かけたからって突然美男・美女になったワケじゃないだろ。

わが社にだってまともなヤツはいる。「そこにメガネドラッグがあるじゃないですか」と教えてくれた。ちょいちょい前を通っているが、普段意識していないので「そういえばあそこに眼鏡屋があったな」程度にしか記憶にないが、早速行って来た。

気に入った。実に丁寧に検査してくれて、店員の態度が実に良いのだ。それでもって九千八百円!

よほど五個か九個買って来て「ほらっ、こんなに買えたぞ」って見せびらかしてやろうかとも思ったが、一個だけにしておいた。


010212 著作権

先日の肖像権に引続いて、広義では知的所有権というやつ。これまた極めて難解である。

小生のHPにも親切な友人からアドバイスがあった。どこかに「禁無断転載」と入れておけと。なるほど、多くのHPにどこかにこのフレーズが入っている。
しかし小生のこのHP、それほどの代物か? 転載したからってどうなる。 じゃあガンガン転載・引用して構わないか? 構わない、光栄である。

でも、無断でなくて一言、事後でもよいから断りを入れてくれれば気持がよい。転載・引用は結構だが、一応細心の注意を払って書いている心算。「てにをは」を勝手に改竄されれば腹が立つ。 でも生意気に腹を立てるほどの代物か?

特に引用の場合には「中略」を多用した後、「後略」で結ばれてしまうと本来の論旨と百八十度異なった論旨にしてしまうことも可能である。引用者に悪意がなくて、意識してやったことなら構わない。しかし引用の仕方が下手糞なためにそうなってしまったやつは面白くない。  

でもこのHP、ガタガタとそんなにゴタクを並べるほどの代物か?

基本的には、ここに発表してしまった以上、煮て食われようが焼いて食われようが、文句をいえる筋合いはないのではなかろうか。本コンテンツの冒頭にも記したように、大げさにいえばそれは既に社会に向けて発信されてしまったものであって、社会の共有財産である。それがイヤなら転載されないようにすれば良いのだ。簡単なことである。発表しなければ良いのだ。

勿論、文学にしても音楽にしても、写真・絵画にしても、プログラミングにしても、商目的に絡むものの場合は別問題である。あくまでもこのHPという、自由空間での話を前提としてのものである。

腹が立つこともあるし、悔しい思いをすることもあるだろう。でも、ここに書いて発表してしまう以上は、そのリスクは覚悟すべきである。神経質になることはない。

ただ自分が、人のものを引用する時はこの点だけは気をつけたい。
賛論であれ反論であれ、その文章に誠意をもって対応すること、良く読んで咀嚼すること。事前であれ事後であれ、可能であればその人に断りを入れること。少なくとも引用であることを出来るだけ具体的な形で記すこと(無論HPであるため、相手の許可がない限り本名は出さないこと)。

もっと基本的なこと。悪意を持った引用をしないこと(これには例外もあるかも知れないが)、引用相手に被害を与えないこと、マナーを守ること。

いずれは知的所有権ということがもっともっと問題になってくるだろう。それまでの間は暫定的でも良いし、例え広い幅のレールでも良い。こちら側のレールがマナー、向こう側のレールが法律という、取りあえずのボーダーラインが示されればベターだが、それが難しい今、小生なりにはHP上の「著作権」については上記のような考え方を持っている。


010211 ストック

「良く次から次へとくだらないネタを思いつくな」と軽蔑とも賞賛ともつかないお言葉を頂戴する。くだろうがくだるまいがネタはネタなのだ。

毎度書いていることだが本コンテンツはノンコンセプト・ノンテーマ。多少は楽なのだ。何が楽かってストックが効くのだ。ネタさえ思いついて興が乗れば、二本・三本は立て続けに書ける。これは明日の分・これは明後日の分とストックして行けば良い。


その点、リンク先としても紹介しているが日記形式で、しかもテーマを決めてほぼ毎日更新しているダチのHPには舌を巻くし、信じられないことでもあった。毎日毎日、その日が終わった最後にUPしなければならないという労力とプレッシャーはいかばかりであろうと。

しかし、よく考えてみれば驚くことはないし、尊敬する必要もないということに思い至った。彼らだって多分ストックしているのだ。「これは明日の日記」「これは明後日の日記」。

後は明日と明後日、日記に書いた通りの生活をすればいいだけの話じゃないか。
でもそれはそれで少しは大変なことなのだろうか?



010210 贋円札

昨年「景気浮揚」を宣言して鳴り物入りで登場した二千円札であるが、一向に流通しないではないか。勿論小生とて三〜四枚は持っている筈だ。正確には引き出しの奥を見れば分かるが面倒臭い。使えばいいのだろうが一応ピン札だし、もしかしてこのまま流通しなければお宝になるかもしれないというスケベ心も働くのだ。多分皆さんだって何枚か隠してあるだろう。

このままだと見慣れない札ということになって、二千円札転じて贋円札と間違いかねられない。

流通しないのだから、使わないのだから、景気浮揚もハチノ頭もない。カケ声つきで発行されてから随分経つというのに景気は相変わらず低迷のままである。

いかにも日本のオカミのやりそうなというか、やらなそうなことである。「景気浮揚のために二千円札を発行してやった。国民共よ、お祭り気分で大いに浮かれてジャンジャン使え」。

フォローというヤツが全くないのだ。これが一般企業だったらそうはいかない。新製品を出す。何としてでもその新製品の売上を伸ばさなければならない。期間限定特別セールを始めとして、がんがんキャンペーンを打つのだ。広告の露出量だってハンパじゃない。

政府広報と称してお堅いつまらないCMを流すのなら「♪二千円札を使おう♪」のCMソングでも公募して、ガンガン機運を盛り上げる演出でもしたらどうなのだろう。

イヤ、もっと手っ取り早い手がある。意気消沈の商店街援助も兼ねて「期間中に限り二千五百円の商品、二千円札一枚で販売します」。大流通疑いなしだ。

何?五百円の差額の財源をどうするかって?

そんなもの外務省だか内閣官房だかに頼んで機密費から補填して貰えばいいじゃないか。
どうせもとはといえば我々の金なんだから。

010209 温故知新

ここにもリンクを張らせて頂いているウェブだち「呑めばのむほど日記」のオーナーさんが悩んでいる。何しろ毎日酒を呑んでいるわけであるが、曰く・・・

随分沢山の銘柄の酒を呑んできた。でもまだまだ呑んでいない銘柄のものが山ほどある。自分の好みも分かって来たところでそろそろ定番を作って落ち着くべきか、例え不味い酒にぶち当たるリスクは覚悟してでも末経験の新しい銘柄に挑戦すべきか・・・。

という主旨のことである。ホントは引用させて頂いた方が分かりやすいのだろうが怖いのだ。
読めば分かるがコダワリの文体である。一字でも間違えて引用しようものなら、多分わがホームページをズタズタにぶっ壊されるだろう。だから、・・・という主旨・・・にしておいたのだ。

しかしこの悩み、物凄くよく分かる。小生も大分前の年賀状に同じような悩みを記している。対象は違うが映画と本。

毎年々々新しいものに挑戦するが殆どがダメ。時間の無駄遣いになる。それなら残り少ない時間・・・昔観て・読んで、笑い転げた、涙した、感動した作品を再見した方が・・・という内容である。そしてこの悩みは今でも続いている。
たまに昔のものの再見ということもあるが「何で昔はこんなものに感動したのだろう」と思うことも多いし、その時の失望感とショックは大きい。自分の感性は明らかに昔とは違って来ているのだ。というか退化して鈍感になっているのだ。

だから現在の作品を観ても、読んでも、心を動かされないのだ・・・ということを思い知らされるのであるが、多分、その作品がダメなのではなくて自分の感性がダメになっているのだ。

でもそうは思いたくないのが人情である。まだまだ今の優れた作品についていける感性は残っている筈だ。良い作品にめぐり合える筈だ。下手な鉄砲も数打ちゃ当たる筈だ、と思って、まだまだ未知なるものに挑戦するだけの気概を持ち続けたいと踏ん張ってはみている。

しかし、小生には、故きを温めながら新しきを知るなんていう時間は残されていないのだ。故きを懐かしむか、新しきにチャレンジするかの二者択一という哀しい現実に直面しているのである。

オーナーさん。あなたに残された時間は小生より沢山ある。
どうやらご自分でもそういう結論を出されたようだが、頑張って新しい酒にチャレンジしてください、とエールを贈りたい。

でもその調子で呑み続けると、もしかして残された時間は急遽、小生より少なくなるということも考えられるかも。


010208 誕生日

この世に生を受けてから本日で丁度六十四年。百二十八歳までは生きないだろうから、人生も半ばを過ぎたという表現は当たらないだろう。

今年の初め、新世紀を迎える時は大騒ぎをした猛妻であるが、自分の亭主の誕生日を娘に言われるまでは忘れていた様子である。娘だけがいちはやくプレゼントを持って来たが、これは下心がミエミエである。十日後に迫った自分の誕生日の三倍返し、あわよくば五倍返しを狙ってのことである。後、スナックのママもプレゼントを持参してくれたが、こっちの方は錯覚でも良いから小生に少しは気があるのかと思い、ちょっと嬉しい。でも多分、先月の自分の誕生日のプレゼントのお返し位にしか考えていないのかも知れない。

人間六十四年も使えば、ガタが来るのも当然だろう。止むを得ないことである。ヨーロッパのような気候風土、石の文化ならいざ知らず、日本の気候風土と建築様式では、築六十四年なんて建物はまず見かけないし、じゃんじゃん解体されてしまうのだ。その意味では自分もいつ解体されても仕方がない位の覚悟が必要な年なのだろう。

が痛い、膝が痛い、足が吊る、特に自覚症状はないが医者がガタガタわめいて大量の薬物を投与し続ける、程度のことはガマンしなければならないのかも知れない。

六年前にサンフランシスコを訪れた時、ゴールデンゲイトブリッジが1937年の建造だということを知り、奇妙な親近感を抱きながら渡った時のことを思い出す。あの橋がブッコワレタという話はまだ聞かないから、少しは安心して良いだろう。

問題は体力よりも精神力と知力の方である。自分でいうのも何だが、若い時は確かに駿馬であったという程度の自負がある。しかし、老いた今、やはり駄馬になりさがったかの不安は否めないのだ。

まだ遅くない。精神力と知力に日夜磨きをかけるだけの、強い意志力を養成する必要がある。そのためにはヤッパリまず体力だ。さあ、今度の三連休、プールの中を歩いて歩いて歩き回るのだ。  ああ膝がイテエ。
でもこんなバカではあるが、皆様よろしくなのだってことを自分のホームページで騒ぐって、ヤッパ根っからのバカなのだろうか。

誕生日位は迷走を止めて瞑想しようと思っていたのだが・・・結局・・・。


010207 インストール

パソがやっと安定して快適になると新しいものに目が行く。ついつい新ソフトを購入してきてインストールする。その度に再度パソが絶不調になるということを繰り返している。

今回の悩みは深刻であった。ちょっとでも他の作業をして、例えばメールをチェックしてからHPビルダを立ち上げても、受け付けないのだ。「リソース不足!」。仕方がないから再起動をかけて真っ先にビルダを立ち上げた時だけいうことを聞いてくれる。でもいざ制作にかかって他の場所、例えばデスクトップなどを見に行くと、もう戻れないのだ。「リソース不足!」または「不正使用!」。

お角違いということは重々承知しつつも、その新ソフトを紹介してくれた社ダチに剣のある声で言ってしまう。「高い金を出したが、パソが目茶調子悪くなってしまった。アンインストールしてあのソフト捨てるより手がないのか!?」。キョトンとした顔で社ダチがいう。「そのソフトを使わない時も常駐させているからダメなんですよ、常駐させないことです」。

そんなこと言ったってインストール終了と同時に新しいアイコンが出来て、バーに飛び込んで常駐してしまうのだ。そのためのインストールじゃないのか?

色々専門用語を使ってワザと難解な言葉を使って教えてくれる。こんな場合に備えて、社のオレのパソは自宅と同じ機種、同じ環境のものを置いてある。「とにかくやって見てくれよ」。

何のことはない。スイッチを入れてウィンドウズの旗が消えて、画面が暗くなった所でシフトキーを押しながら完全に立ち上がるまで待つだけ。不要不急のソフトはバーから見事に消えている。呼び出したい時はいつでも呼び出せる。
早速家に帰ってからもやってみたが、完全にもとの快適環境に復帰した。

それにしてもアノヤロウ! オレはこのために二年以上も苦労に苦労を重ねていたのだ。何でこんな簡単な操作をもっと早く教えないのだ。
ロンゲを引っつかんで振り回して、鼻の頭に噛み付いてやろうかと思った。でもこれをやるといま世間ではやりの“逆恨み”とか“逆ギレ”現象になってしまうのだろう。   仕方なしにつぶやいた。「アリガトウ」。

でも本当は腸が煮えくり返っているのだ。チクショーー!

010206 肖像権

写真撮影に狂っている猛妻がかなり頭を抱え込んでいるのが肖像権の問題である。例えば昨年オランダで撮ってきた人物写真。近影の場合には本人に断って了解を得ての撮影であることはいうまでもない。美女のアップの写真がある。了解済みであるということは彼女がカメラ目線でにっこり微笑んでいるということからも明快である。しかしこれを正式の写真展などに出品するとなると大変なのだ。

「確かに良い写真ですが、ご本人の了解を取ってありますか」。『はい、お断りして撮らせて頂きました』。「そうじゃなくて写真展で展示して良いということについて、ご本人の了解を頂いてあるのでしょうか」。
もう一度オランダに行って、もう一度あの場所に立って、何ケ月か何年か張り込んで、偶然彼女が通りかかるのを待たなければならないのだ。

多少大目には見てくれるようだが、足だけを切り取った写真でも「これは私のスカートで間違いなく私の足で私の靴だ」と主張されれば、肖像権にひっかかるということである。

風景や花に狙いを絞る時は良いが、人間が人間社会を撮る時はどうなるのだろう。街の写真を撮れば、そこにはまず人がいるのだ。

野球中継でホームランボールを追って群がる人の顔がハッキリ写っているのは肖像権の侵害ではないのか。新聞の“地下鉄新線今日開通”の見出しのもとに改札口に急ぐ乗客達の顔がハッキリ写っているのは、数十人全員を追いかけて了解を取っているのだろうか。

確かに難しい問題であり、軽々には論じられない問題であることは分かる。
しかしそのうち山の遠景写真を撮っても「あの山麓に見える家はおらの家だ、肖像権の侵害だ」ということにもなりかねない。

しつこいようだが、難しい問題であることは十分に承知の上で敢えていう。

悪意が無ければ、被害がなければ、マナーが守られていれば・・・それほど神経質になる必要のない問題なのではなかろうか。

権利の主張は大いに結構だし、権利は大いに主張すべきだが、本当に必要な時の権利をハッキリと主張するためにも、なんでもかんでも権利・権利と居丈高になるのは、少なくとも小生の場合は止めたい。

多分、異論があるだろうな。



010205 浮世絵

またまた三十数年振りの人に会った。とはいっても小生の「賀状アンテナ」の視野には入っていた人である。小生の四つ目の就職先のマーケティング会社で共に倒産の憂き目をみた人でもある。もっとも小生は市場調査室、彼は制作室であるからして、個人的に恨みがあるわけではないが不倶戴天の敵。したがって彼というよりは彼の社内結婚の相手、奥様の方と仲が良かったわけである。

彼が日本有数の浮世絵、特に広重研究家であり広重浮世絵の最大のコレクターであり現在地方の村に建設された「浮世絵美術館」の館長であるということは年賀状を通じて知ってはいた。

その彼から奥様を通じて突然の電話である。
「実は来館客からのアンケートが1000票以上集まった。集計をしたいが外注する予算がないので自分達の手で集計せざるを得ないが、方法についてお知恵拝借」と。
じゃ、ま、三十数年振りの再会だから呑みながらということになった次第である。しかし肝心の「お知恵拝借」の方は30分で終わった。残りは浮世絵の話。

小生とて大化改新が645年で平安遷都が794年で鎌倉幕府の成立が1192年で大政奉還が1867年でという知識はすらすら言える。中学の時に詰め込まれた丸暗記というのは忘れようにも忘れようがないのだ。しかし今知識と書いたがこれは絶対に知識などではない。単なるツメコミである。

645年の・・・1192年の・・・我々の先祖が何を考え、どんな行動を取って来たのか、その精神は・・・ということを探るのが本当の意味での知識である。

ガハクともよく話す内容であるが、われわれは日本の歴史について何も知らない。知っているのは日本のオカミの、日本の為政者の歴史である。

多分今から50年後、100年後の歴史の教科書にも、現代の天皇や歴代首相や政変やバブル崩壊は記載されるだろう。でも小生を始めとする、バカならバカでもいい、一般庶民の蠢きや怒りやエネルギーに関する事実はどの程度語り継がれるのだろうか。

本当の意味での祖先のエネルギーを、日本の歴史を、われわれは知らなすぎるし、知る手がかりも少なすぎる。

浮世絵の中に「貴重な江戸庶民の息吹を、江戸の歴史を発見する旅人たらんと」している彼の熱弁に大いなる共感と感動を貰って来た。



010204 アマリリス

昨年暮れのことである。社ダチの妙齢の女性から宅急便が届いた。妙齢とはいっても小生の年齢との相対的な観点からである。開けてみると鉢植えのアマリリスの種子だった。「彼女早くもボケタか、オレに鉢植えとはどういうことだ」と思ったが、念のために花言葉も調べてみた。「秘めた愛」とか「届かぬ恋」とか・・・。ナイ。

もう一度よくみたら、何と猛妻宛であった。一週間ほどで芽を出し、その後順調に育ち続けた。その成長過程をデジカメに収めて彼女に見せたのだがだんだん機嫌が悪くなる。

なんでも全く同じものを二つ購入し、ひとつは彼女が育てているのだが、一ケ月たった今も芽が出る気配もなく、植木鉢のまんまなのだそうだ。我が家の方はというとごらんのように今朝起きたらとうとう大輪の花を咲かせていた。しかも二つも・・・。

明日この写真を彼女に見せるか否かで迷っている。見せたら怒るだろう。でも買ったのはあんたなんだし、猛妻にプレゼントしてくれる方のひとつを選んだのもあんたなんだ。


010203 パンチミス

近所に行きつけのスナックがある。よほどのことがない限り、週6営業日中の4晩は通っている。よほどのことがあれば6晩通う。客層は良くない。否、ハッキリ言って悪い。

従ってその店で「唯一の紳士」とか「掃き溜めに鶴」等と言われているが、それほどには嬉しくない。

そのスナックでは月例で川柳大会を実施している。現在36回目ということは3年間続いているということだ。ひとくちに川柳と言っても物凄く奥が深いが、所詮呑屋川柳であってみれば、滑稽川柳の真似事である。しかしこれが結構面白くて、このスナックの目玉になっているのだ。

毎月初に「お題」が出る。そのお題に従って中旬頃までに客が投句する。組織票や買収票が入らないように(笑うなかれ。油断もスキもないのだ)投句者名を伏せた投票用紙が用意され、呑みに来た客が酔っ払いながらいい加減な投票をする。月末に発表・配布されるが、ひとひねり加えて面白くしようということから、寸評代わりの下の句をつけている。

五・七・五の後に七・七を続けようということであるが、その係に「唯一の知識人」である小生が任命されている。

昨年末のお題は『大変』。丁度小生がこのコラムを始めた時であるが、例の大統領選騒ぎがありここの初回原稿としても取上げた。
タイムリーな時事川柳ということもあってトップ得票は   『大変だ パンチの穴が ずれていた』。 

お陰で戦々恐々とではあったがブッシュが当選したわけであるから、小生がつけた下の句は 「パンチの穴から ブッシュこわゴア」だった。

以降、どうも、特に女性客の小生に対する様子がおかしいのだ。小生を見る時の今までのウットリした眼差しが軽蔑の視線に変わってしまったのだ。中には露骨に「もっと紳士だと思っていたのに」と失望の言葉を発する女性すらいる。オカシイと思って原因を調べてとんでもないことに気づいた。

『大変だ パンチの穴が ずれていた    パンツの穴から ブッシュごわゴア』  になっていたのだ。

そんなこといわれたって小生はカナ入力。「チ」と「ツ」のキーは並んでいるのだ。濁点の間違いなんて仕方がないのだ。
ちょっとしたパンチミスのためにとんでもない被害をこうむってしまった。

今夜はご酩酊も手伝って、珍しく品性を欠いて、下のクならぬ下のケの話で失礼。ケケケッ。



010202 煙が目にしみる

 自分のHPのエッセイに大胆にも「次回作のタイトル」を予告するWEBダチがいる。ただし威勢良く予告はするのだが、本編はなかなか登場しない。待ちきれなくなったのでタイトルを横取りさせて貰った。読んでるとしてもそんなに怒るな。ぐずぐずしてるアンタが悪いんだ。

 小生がショートピースを吸い始めてから三十年以上が経過した。それまでは新生だった。でもこの新生というヤツ、吸う前にテーブルでトントンするとアッという間にスイスイーと半分位の葉っぱが沈んで行くのである。火をつけると巻紙がペラペラッと燃えて、すでに口元近くに集中している葉っぱのところまで燃えてから、急ブレーキがかかってストップするのだ。ワイシャツのポケットに入れて持ち歩こうものなら、頼りないパッケージの中でもみくしゃになった葉っぱが溢れ出して、ポケットの中が悲惨な状態になるのだ。

 長の字がついて自分ではステータスが出来たと思った時から、客に会う機会も多くなった時から、値段が2倍近くするのは痛かったがショートピースに切り替えて以後一本槍である。一日に50〜60本というペースも三十年来、減りもしなければ増えもしない。

人からはお前の肺の中は真っ黒だといわれるし、解剖した肺の中の写真を見せられたこともある。たしかに自室は壁は勿論、高い天井まで琥珀色に染まってはいる。しかし今現在の自分の肺の中は見たことがないので、真っ黒だと言われても俄かには信じがたい。

トントンしても葉っぱは微動だにせず巻紙の中にビッシリと収まっている。第一香りが良いのだ。タール24ミリグラム、ニコチン2.4ミリグラム。おそらく世界一だろう。因みにキャスターマイルドはタール6ミリグラム、ニコチン0.5ミリグラムである。

特に缶ピーの缶を開けた時のプシュッと空気の抜ける音と、先を争って飛び出してくる香り、何ともいえないものがある。しかし前回の値上げ時からケシカランことに缶代を取るようになったのだ。本来なら50本(五箱)650円であるべき所が缶ピーは50本入りで700円なのだ。したがって今では年2回の大連休時だけ、わがテーブル上を飾る馳走となっている。

ショートピースのもうひとつの欠点は、扱っていない店(特にコンビニ)が多く、自販機ではまず絶望的ということである。レストランを始めとする外食店では、これはもう確実に絶望のどん底である。確かにショートピース人口は少ない。いっそのこと製造を中止してくれれば小生の禁煙への最短距離なのだが・・・。他の煙草は絶対にごめんだから。

以上、キーボードに灰を撒き散らしながら咥え煙草で打ち上げた。『煙が目にしみる』。



010201 極力毎日更新

 極力毎日更新を宣言して本コンテンツを開設してから2ケ月を経過した。今の所一日もブランクはない。こんな心算ではなかったのだ。極力・・・なるべく・・・毎日更新の心算だったのだ。でも途中で気が付いて辞書をひいてみた。『できるだけ努力』。「できるだけ」であって「なるべく」ではないのだ。「できるだけ」ということは「力の限り」と同義である。

 友人でHPを開設している人間は多い。そのうちの多くが「毎日更新」と力んではいないが大体「毎日更新」している。しかもワガハイのコンテンツのように「ノンコンセプト 気ままに」ではなくて、コンセプトが通っているしテーマを限定しているのだ。

 これは苦しいと思う。大変なことだろうと思うと尊敬もするし気の毒だとも思う。

 たまにその友人に会うと例外なく目つきが悪くなっている。良くいえば目つきが鋭くなっている。ともすれば人の話も上の空で聞き流してキョロキョロしている。

 同病相憐れむでピンとくる。「ははあ、お主も今日のネタを探しているな。じゃあそいつを今日のネタにイタダキ」というのが本文である。

 多分その時のワガハイの目つきも険悪そのものなのだろう。

まあ、もちろんHPのために生きているわけではないが、オーバーに書けばこうなる。

ということで、気合を入れる意味でも「極力毎日更新」を改めて声高に宣言しておこう。

ただし更新さえすれば良いのであって、突然明日のタイトルが「空白の瞑想」となって真っ白なページが出てきても驚かないで欲しい、などという逃げは打つまいぞ!