迷  走  録


一旦自分の口から飛び出してしまったコトバには責任を持たなければならない。それは既に社会に向けて発信されてしまったのである。

ましてそれが確実な記録として残る「書く」ということにおいてはなおのことである。

自分に確たる思想があるわけではないし、生き方の方向が定まっているわけでもない。だからコトバを発することは恐いし、書くことはもっと恐い。

自身で振り返ってみても矛盾に満ち満ちているので・・・。

しかし、だからといって考えることを止めるわけにはいかない。瞑想することを放棄することは出来ない。

たとえ、迷走でも良い。口から発することによって、書くことによって、多少なりとも自らを律することが出来るのだとすれば。

自らを律する意味でも「毎日更新努力」を宣言して、本コンテンツを設置した。

2000/12 0101前半 0101後半 0102前半 0102後半 0103前半 0103後半 2001/07 2001/08 2001/09 2001/10 2001/11 2001/12

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010415 人体実験

待ちに待った桜が散った。ここ三十年来の経験からみて、多分私の花粉症は治まった筈である。もちろん今は毎日平気である。何しろ薬のお世話になっているのだから。

そのために一日中頭がボワーーーーっとしている。一日中眠くて眠くて仕方がない。そのくせ薬が切れる深夜になると眠気はバッチリとすっ飛んで行って、花粉に悩まされることもないから目がランランとしてしまうのだ。

さて、薬を止めるか止めないか、大いに迷うところである。もしまだ花粉が居残っているとすれば、止めた途端にクシャン、ジュルーが始まってそれから慌てて服んでもすぐには効かないのである。

このシーズン社に出ると殆どの連中が人の顔色を伺いながら「薬やめた?」と情報収集に余念がない。「ううん、服んでる。貴方止めてみて」と、薬中止実験のなすりあいをしている。

これぞまさしく正真正銘、疑うことなき人体実験である。


010414 「金玉」は使ってしまったが

本コンテンツもやがて百五十本に手が届くが、こう見えても自分でレジメを作って、タイトルが重複しないように気を使っている。しかしわが愛読作家の浅田次郎、あまりにも面白すぎる。たまには卑怯な手に出てそっくりそのまま引用というのも許されて良いだろう(と自分で勝手に決めた)。 

                   「金玉について」

いきなり節操のないタイトルで恐縮である。
カタカナで書けばほぼ確実にボツであろうが、漢字ならばぎりぎりOKと信じ、あえてこう書く。

私の主観によれば、言語表現は婉曲であればあるほど猥褻であり(例・イチモツ・陽物・ふぐり等)、法的医学的用語はさらに猥褻であり(例・陰部・陰のう・睾丸等)、伏せ字に至っては誠に救いがたい(例・キン○マ)ので、ここに堂々と「金玉」と称する。

改めて字面を眺めて欲しい。すばらしい言葉である。考案者が和漢いずれであるかは知らぬが、漢字史上の傑作と言えよう。すわりが良く、雅味と含蓄に溢れ、男子の尊厳を良く表わし、おまけに音韻がかわゆい。おそらくこれほど実物の形状と本質を的確に表現した言葉は、他に類を見ないであろう。(以下略)

     *「勇気凛凛ルリの色」浅田次郎 1999年7月15日第1刷発行 講談社文庫

 

いささかオーバー、誉めすぎ、感動しすぎの観無しとはしないが、これは全50篇からなる短い随筆のほんの一節である。全篇通じて爆笑もの、まさに本コンテンツ「迷走録」の極々々上版である。ぜひオススメだ。

これをそっくり丸写しすれば、五十日分のネタが出来て、カウント百倍アップ間違い無しなのだが、そうも行くまいな。
第一講談社とケンカになったら勝てるワケがない。

010413 あっ、ボクのHPがっ

HPを立ち上げるからにはその内容もさることながら、デザインのセンスも大切である。そんなことは百も合点二百も承知である。

でも、とりあえず立ち上げられるようになったら、例え不完全であっても例え未完成であっても、とりあえずは陽の目をみせてやりたいというのは人情であろう。いや、なかにはコツコツと準備に時間を費やし、吟味に吟味を重ねて、熟慮断行一挙公開という人もいるのだから、これは人情というよりはボクのオッチョコチョイのなせる業、哀しい性なのかも知れない。

ここの所頻繁にトップページを始めとする各コンテンツの見出しページが変わっているが、とうとう「いい加減に落ち着けい〜」というお叱りのメールが来てしまった。

好んで落ち着かないわけではないのだ。どうもデカイ字を書いてカラーをつけたりなんかするよりはロゴを使った方がカッコいい。そこでHPビルダーを使って各コンテンツの文字をロゴに代える作業をしているのだ。

フム、これで良い、と自分で感心して悦に入って、ポンとサーバーに送った途端にドカドカドカッと一斉にあっちのロゴもこっちのロゴも一辺に変わってしまうのだ。

こりゃ大変と思って汗を拭き拭き、形相を変えて直して、これで大丈夫と思ってポンとサーバーに送ると、あっちもこっちもドカドカドカッと音を立ててぶっ壊れてしまうのだ。

ちゃんと「上書きするけどイイノカ、こんにゃろ!」という警告は出て来るのだが、難しくて良くワカランし、素直な性格なものだからつい「ハイ」とポチしてしまうのだ。

また「ほんとに全部上書きするのか、こんにゃろ」と警告をしてくるので、シツコイヤツと思いながらつい「ハイ全部」とポチっとしてしまうのだ。ドカドカドカドカ!

どうやらロゴにもひとつひとついちいち名前をつけてやらなければ、とんでもないお呼びでない所に上書きしてしまうということは分かったが、あんな細かいものにいちいち名前をつけていたらどんな名前をつけたかなどということなど覚えていられないのだ。

多分わがサーバーのHDには、コンテンツのどこにも使われていないロゴがゴロゴロゴロゴロと山のように犇いている筈だ。

慌てふためいてあちこちをバタバタ叩いているため、どうかすると壁紙の色を変えてしまったりする。色彩とかレイアウトのセンスは皆無であるため、試行錯誤しか手がないが、どうかすると大昔に作って保存しておいた壁紙やロゴが出てきてドカドカドカドカ。

な〜に、どうせごく限られた仲間うちがお情けでクリックしてくれているHPだ。構うこと無い。今しばらくの間、あちこちをいじくり回して「落ち着きが無い」とお叱りを受けよう。

ということで、わがHPのデザインとレイアウトは当分の間目まぐるしく変わる。変わるだけなら良いが、もしかしたら突然ぶっ壊れるかもです。

そんな嬉しそうな顔するな!

010412 火達磨

ヒョンなきっかけから中学時代の同級生に十数年ぶりに会って一緒に昼食をとった。食事の後でお茶をと思ったが 「どうしても一軒だけ訪問しなければならない所がある。すぐ終わるから付き合ってくれ」 ということなのでついて行った。

彼は四年前まで日本のトップ企業の営業部長職だったが停年退職。その後悠々自適の生活をと思っていたが、そのキャリアと業界への顔の広さを買われて、やはり新進の大会社に請われて嘱託営業としての第二の人生を踏み出したそうだ。

彼が行く先までは2キロ位の所であるががタクシーを捕まえようとしているので 「今日は安全週間で道が混んでいるぞ、歩いた方が早いのではないか」 というと、「いつもは歩く距離なのだがお前は大丈夫か?」 という。 冗談じゃない、歩くことにかけてはベテランなのだ。

しかし歩き出して間もなく後悔した。「いつもは歩く距離」というのは彼の見栄だったようで、目立たない程度ではあるが左足を引きずっているような歩き方で、十五分ほども歩いた所で心なしか苦しげな表情をしだした。 「オイ、大丈夫か」 と声をかけると、ウソかホントかは知らないが 「大丈夫。昨日まで履いていた新調の靴で靴擦れが出来て」 という返事だった。

彼の用事というのは直ぐに終わり、喫茶店に入って一時間近く四方山話をした。

多分半端じゃない退職金を手にして、悠悠自適の生活ができる背景を持ちつつも、業界への顔の広さという財産を買われて、現役として活躍している彼を羨ましいと思った。

そのことをいうと、彼からみれば小さいとはいえ自分の会社を興して、自分の好きな道を邁進している小生の生き様が羨ましいし、まぶしいと言う。
ま、人それぞれである。人それぞれではあるが・・・。

しかし、実はそのまぶしさの正体が、わが背中で火達磨となって燃え上がっている借金地獄のきらめきであるということには気づかなかった様子であった。

010411 軍歌

先日のスナックでの出来事である。一見客ひとりを例外として、いつも通りのロートル常連客ばかりであるが少々過激な組み合わせになって、しかも全員が等しくメートルが上がってしまった。

カラオケで一人が軍歌を歌いだすと、次から次へと軍歌ばかりが流れ始めた。小生にもマイクが回って来たが、小生は軍歌そのものは嫌いではないので、一曲歌った。

次はガハクの所へマイクが回り 「歌え」 という。ガハクが 「俺は軍歌は嫌いだから歌わん」 と言ったものだからそこから先はマイクを置いての議論になった。

かなり酔った一見客の年寄りが 「軍歌を歌わんヤツは日本人の心が分からんヤツだ。大体愛国心がない」 などと言い出したものだから、とうとう 「愛国心っていうのは一体何なのだ」 と言ってガハクがキレテしまった。もちろんキレタとは言ってもガハクである。いつもは最終まで残っているのに 「今夜は用があるのでお先に」 と言って帰ってしまっただけの話だから、キレタということが分かったのは小生とママさんだけだったと思う。

年寄り連中とは言ってもせいぜいが小生と同年輩か、五つ六つ若い連中ばかりである。その連中が、終戦時には小学低学年か赤ん坊であったにもかかわらず、酔うと忽然としてあたかも軍隊経験者であるかの如くに変身する言動は理解に苦しむし、あまつさえ軍歌の心が分からない奴は日本人ではないと言い出すなど・・・。
ま、酔っぱらってのセリフ。許せることと許せんことがあるが、これは許せる方の部類だろうけど・・・。


繰り返すが、小生軍歌そのものは嫌いではない。「軍艦マーチ」の曲などはいまでも世界のマーチの名曲のひとつに数えられていると思う。「同期の桜」なんていうのは、どうしてどこかの高校が文言を変えて、パクッて校歌にしてしまわないのかと思う。あの勇壮なメロディが甲子園に流れようものなら、当たるところ敵無しで優勝夢疑うべからずだ。

ここはお国の何百里・・・、で始まる「戦友」。小生の記憶が正しければ十七番まであった筈だし、かなりの部分を今でも諳んじている。
親友の戦死を延々と、哀切のことばとメロディで綴ったものである。


あの日の一見さんの年寄りが口からツバを飛ばしながら、勇ましくガナッテいたけれど、彼はこの詩が反戦歌の烙印を押されて、検閲でズタズタにされて、ほんの数小節だけが軍歌として残ったものであるということを知っていたのだろうか。

010410 リンゴの唄と赤線

本日のコラムは「日経」「産経」ともに申し合わせたように並木路子さん(79歳)の死と「リンゴの唄」がテーマである。
1946(S21)年2月、上海から会津に引き揚げて来た時は小学校の三年生だったが「リンゴの気持は良くわかる」のキモチがどうしても発音出来ずに「リンゴノ チモチハ ヨクワカル」と歌って大人たちに面白がられて「もう一度、もう一度」と言って歌わされたのを覚えている。もちろん、本物のリンゴを見ることは出来なかった。

因みに作詞はサトウハチローであり、その父親は少年時代胸ときめかせて読んだ「ああ玉杯に花受けて」の児童文学の第一人者佐藤紅緑である、とまで書くと少々脱線気味かな。

「産経抄」はここから更に「慰安婦」の問題に、更には当然のことながら「教科書問題」へと論旨を続けているが、これは少々難しいので置いておくとして、驚いたのは教科書問題に至る前段の赤線・青線の話である。

当然1959(S33)年3月31日に赤線・青線の灯が消えた日は記憶に古くないし、丁度今のわが社の所在地が昔の花園町。青線地帯の外れぐらいに位置していて、今でもほど遠からぬ所に違和感たっぷりの古びたソープが一軒残っている。

さて赤線・青線の名を知っている人は多いだろうが、その言葉の由来はご存知だろうか?
別に赤線の彼女等が赤線入りのユニフォームを着ていたわけではないし、青線の彼女等が青線入りの帽子を被っていたわけでもない。


「産経抄」によれば当時全国で赤線には六万人、青線には五十万人の女性が営業していたそうだ。そしてこれら特殊飲食街は警察の地図の上で赤い線で囲まれたために「赤線」と呼ばれ、もぐり営業(私娼)は青い線で囲まれたために「青線」と呼ばれていたのだそうだ。当時の社の悪い先輩にくっついて、何度かヒヤカシの徘徊をしていたくせに今日まで知らなかった。

天地神明に誓って言うが、徘徊をしたのだ。 上がりこんだことがあるかどうかは、ここには書くわけにいかないではないか。


010409 たまにはこんな日曜も

ウィークデーの就寝時間は三時前で目覚ましに叩き起こされての起床が八時。睡眠時間五時間はチトきつい。きついが三時前では目が冴えていて眠れない。幸い寝溜めが効くタチなので土曜・日曜は目覚ましをかけない。

それでも休日は嬉しいタチなので目覚ましが鳴らなくても朝の九時、良くても九時半には目が醒めてしまう。

先週は決まりそうな仕事がなかなか決まらず、やっと決まったと思ったら変更変更の連続というグダグダの展開で、心身ともにいささか疲れた。そこへもってきて土曜も月一回の出社日とあっては、一週間ず〜っと眠かった。

そこで土曜の夜、というか三時前、いつもの通り水割り四〜五杯を飲んだ後、医者をちょろまかして貰ってある良く効く睡眠薬を呷って、目覚ましをかけないでベッドに潜り込んだ。
何と昨日曜朝の起床が正午。九時間の爆眠である。猛烈に気分壮快である。

いっそのこといつものパターンでない休日を過ごそうと思って、休日の日課であるジムでの水中激歩もさぼって、デジカメ片手にふらりと近所の三宝寺散歩と決め込んだ。

盛りを過ぎたとはいえ、好天の下であちこちに花見の宴が張られていて、わが団地の商店街有志のグループもいた。
カメラを向けると 「まあまあダンナ、一杯どうぞ」 ということで、カンビールと野菜の煮付けを馳走になって石神井公園の方に足を運ぶ。


そこにはスナックの常連が友人とおぼしきグループと宴を張っている。カメラを向けると 「やぁやぁやぁやぁ」 ということで、缶ビールと唐揚を馳走になって、池を一周して三宝寺へと引き返す。

そこの茶屋で缶ビールとおでん。満腹の腹を抱えて二時間強の散歩を終えて帰宅。テレビを見たり本を読んだり。少しばかり物足りなさを感じないでもないが、なんともはやのんびりとした、穏やかな一日であった。たまにはこんな日曜も良いものだ。

でももしかしたらこれって、ごくまともな人間のごくまともな、正しい日曜日の過ごし方なのかもしれない。


010408 春爛漫

櫻花 一枝ごとに 競い合い

さんざめく 池の面にあり 櫻花

わけ知らず 子等も浮かれて 花の宴

一升が 二升になって 桜色

ワガハイは 花より酒肴 高鼾

桜散れ 鼻水止まれ ハクションも

010407 安川のチンぼくろ

スゴイ奇遇ってあるものだ。小生最初の勤務先の広告代理店、18歳から20歳までの二年間はお使いの坊やだった。お使い先は新聞社や放送局、持っていくものは紙型やテープ。従って所属は送稿課という部署で、課長は安川という、声がでかくてふんぞり返って威張っていて、人使いの荒いスゴクいやな奴だった。多分当時で小生より七つ位年上だった筈だ。

この期間、小生は本名で呼ばれたことはない。新聞社に行っても放送局に行っても業界の慣例で「坊や、坊や」と呼ばれていた。

今日のジムでの話である。第一土曜は出社のため、ジムは休みにしているのだが、今日は気が向いたので珍しく夕方の時間に行ってみたのだ。水中激歩を終えてからジャグジーに入ったところ、隣に並んで入っている爺さんにどうも安川課長の面影が残っている。

とはいっても何分三十五年も会っていない人なので声をかけるほどの自信はない。しかし向こうもチラチラと時々横目でこちらの顔を睨んでいるのだ。

「そうに違いない、イヤこんな所でまさか。少なくともあの頃の彼の住居は横浜だった」。

「別に懐かしい奴でもないから仮にそうだったとしても知らん顔をしているか」。

十分あまり自問自答しながらジャグジーを回った。爺さんはチラッともう一度小生の顔に流し目をくれて先に出て行った。
ところがサウナに入るとまた隣に座っているのだ。鬱陶しいと思う反面、疑問はますます深まる。 「? ? ?」。

その時突然思い出したのだ。有名な「安川のチンぼくろ」を。左側の丁度ドマンナカ当たりに、平常時で(非常時は知らん)直径一センチはあるかと思われる真っ黒なホクロがあるのだ。社員旅行の熱海の露天風呂で自慢気に目の前に立ち上がって見せてくれた。直属の課長であるから「見たくない」などとは言えないし、誰にでも自慢気にみせるため社内でも評判で女性社員ですらが、噂では(当然のことであるが)知っていた位である。

そうだ! と思って一所懸命横目で探したが、何分にもタオルで前を隠している。しかし先に入っていた彼が出ようと思って立ち上がった瞬間に見えたのだ。 アッタ!!
かなり色あせてはいるが、まぎれもなくドマンナカのほくろである。

爺さんが洗い場で体を洗い出したので、隣に座ってつい声をかけてしまった。
「失礼ですが、さっきから気になっていたのですがもしかして安川課長では・・・」。

キッとコッチを向いて昔そのままの大声で叫んだ。 「ヤッパリそうだ! 坊やだな!」。

あのねえ。64歳の坊やがいるか!!  回りの視線が一斉にこちらに集まり恥ずかしかった。

でもどんなにイヤな奴でも三十五年振りともなると一応懐かしいし話も弾む。一緒にラウンジでビールを飲んだ。こっちが二杯飲む間に爺さんは四杯。散々つまみを取り寄せて。

別れる段になっても一向に伝票を取ろうとしないので仕方がない。払った。「坊や、悪いな、ご馳走様」。 
坊やじゃない! って言ってんだろ!!


そういえばあの時代、小生にコーヒーもあんみつも一度として奢ってくれたことのない数少ない上司のうちの一人だった。


010406 猛妻写真館

別コンテンツに「猛妻写真館」なるものがあることはご存知の方はご存知だし、見て下さっている方は見て下さっている。

しかしこれはそもそも下心があって開設したコンテンツである。「フィルムスキャナーが欲しい」「プリンタが欲しい」「デジカメが欲しい」。しかしながら自らの財力ではどうしようもないので、何とか写真狂いの猛妻のご機嫌を取って、財布の紐を緩めさせようとしたものである。このHPにもそのことを何度か題材にしたので、ご存知の方はご存知のはずである。

しかし結論をいえば悪戦苦闘半年間、結局下心は達成されぬままに、上記の三種の神器は自分の懐を痛めて揃えてしまった。というか、中には分割で購入したものもあるため、未だに自分の懐が痛んでいる。

猛妻は折角開設してやったコンテンツに対しても「やっぱり色が悪い」とか、「こんなところにへばりつけても誰が見てくれるの」とかいって、あまり興味を示さなかった。

しかし最近になって、メールや掲示板での反応がボチボチ現れはじめ、突然小生の知らない方からメールが着いたと思って開くと、猛妻の写真教室仲間からだったりする。
小生の掲示板仲間からは「動物や風景だけでなく、何でこんなに空気の色まで写しこんでしまうのだ」という、良くいえば優れて文学的な絶賛の賛辞、悪く言えばよくもまあしゃあしゃあとこんな嘘がと思える世辞のことばが書かれていたりする。


哀夫の性としてはこのような反応を頂くとやはり嬉しく、よせばよいのに「オイ、ちょっと見てみろ」などと言って、猛妻をパソの前に座らせてマウスを握らせてやったりしてしまうのだ。以前はあれほど面倒臭がっていたマウスを、どうかすると嬉々として動かしている。

もちろん猛妻とてそれほどバカではないから、有難き社交辞令ということは充分に承知している筈ではあるが、かくも激しいお褒めを頂くということはやはり余程嬉しいらしい。

今日も社から帰ると机の上に五十枚近くのポジフィルムが並んでいる。「何だこれは」と尋ねると「来週、写真工舎に焼きを頼みに持って行く分だから、それまでにスキャナに取り込んで、そのうちホームページにUPして」なんてことを簡単にのたまうのだ。

うぬーーー。それにしても皆さん、かくも沢山のお褒めの言葉を頂戴するのが少しばかり遅かった。もう欲しいものは何も無いのだ。

「猛妻写真館」のためにプロバイダに増量を頼んだ料金なんてのはたかが知れてるし・・・。

010405  流通革命は続く

昨日は大宮3店、今日は横浜2店、明日は千葉3店と文字通り東奔西走で取材調査である。対象は量販店の店長かマネージャークラス。通常の市場調査と異なりメーカー、それも大メーカーの営業部員が同行のため、ある意味では楽である。事前にアポを取ってくれてあるために協力を拒否されることも無いし、約束の時間に待っていてくれて無駄足を踏まされることも無い。しかし量販店というのは凄い。

昨日の最初の大宮の店長室は十階。一階の受付ででっかい入館証を渡されそれを胸につけたが最後、客ではなくなるのだ。エレベータは使えないで十階までの狭い裏階段を昇るのだ。営業部員は小生にしきりに恐縮してくれるが、コッチは鍛えてあるのでどうということはないこともないが、まあ大丈夫だ。逆に小生より多少若いとはいえ停年間近の営業部員の方が心配だが、敵もさるもの、慣れていることもあり健脚である。

息を切らして十階に着くと更に粗末な受付があるが、そこで何と、店長への訪問ということで形式的にではあるが、ガードマンにボディチェックをされるのだ。その上持参した荷物は全部外来用ロッカーに預けなければならない。渡されたビニールの手提げ袋の中にインタビューのために必要な最小限の書類・筆記具のみを入れて、雑然とした事務室に入って行く。

そこにいる全員に向かってメーカーの営業部員は大声で「おはようございます。お邪魔します」と叫ぶ。不慣れなことなので気恥ずかしくはあるが、小生も唱和する。

奥まった所に申し訳ばかりの店長室。数日前に打ち合わせのために訪問した大メーカーの営業部長室に比べるといかにもお粗末である。
店長は四十台に入ったばかり位の年頃であり、営業部員よりは遥かに若い。しかし小一時間にわたる取材インタビュー中、決して威張っているとか無礼とかいうことではないが、かなり威圧的であり、終始大メーカーの営業部員は低姿勢であった。

この1店は特に凄かったにしても、今日までに訪問した5店についてはいずれも大同小異であったし、明日からの訪店についても同じような状況だそうだ。

メーカーの営業、量販店の責任者。どちらの側にしても小生には勤まりそうに無い業界だと思ったが、それにしても理屈の上では充分に知っていた流通主導型の日本経済、特に大型量販店の流通業界での君臨の様というヤツを目の前で体感していささかショックであった。

後、十年先、いや五年先だろうか。とてつもなく巨大化して行くであろうインターネット流通というヤツはどういう地位を占めて行くのだろうか。  量販店vsネット。熾烈な流通戦争が展開されることは必定である。

流通革命はまだまだ続く。


010404  失恋記念日

1957(S32)年4月4日。小生20歳の時である。

今私の机の左手に虫食いだらけでセピア色の、劇団民芸公演「セールスマンの死」のパンフが置いてある。表紙に色褪せた下手糞な万年筆の字で「with眞木」と記されている。

作 アーサー・ミラー/訳・演出 菅原卓/キャスト 滝沢修、小夜福子、垂水悟郎、佐野浅夫、佐々木すみ江、清水将夫、松下達夫/於;サンケイホール。

前売券三百五十円が二枚で七百円。当時の小生にとってはモノスゴイ大金であった。清水の舞台から飛び降りる心算で眞木嬢を誘った。券を見せる手がガタガタと震えた。

『アラ、どしたの?』 「イヤ、い・いま重い に・荷物を は・運ばされたので・・・」
『それでこの券いくら?』 「一緒に行く心算だった友達がダメになったので行くならあげる」
『お友達に振られたから私ってこと』 「い・いやそういうわけじゃ。ま・まあね」

何と、彼女はOKだったのだ。

小生の7〜8回の片想いの経験の中でも、特に強烈だったのが眞木嬢である。素晴らしい芝居だったように思う。何しろ今は亡き方も多いが錚々たるスタッフとキャストである。

しかし、当日の小生の全神経は体の左半身に、バリバリになるまで集中していたので、芝居そのものは殆ど覚えていない。

その後何度か彼女とデート(と小生が思い込んでいたもの)をした。そして翌年の4月4日、今度は前進座の「勧進帳」をこけら落しの読売ホール(昨年暮、閉館してしまった)に観劇した後、喫茶店に誘い

「初デートから丁度一年が過ぎた。モノスゴク好きだ」とプロポーズした。 スゲエびっくりした表情で
『突然モノスゴクなんてそんな抽象的なこと言われても』というので
「じゃあ具体的に。地球をグルッと一周してそこまで」と言って彼女を指差した。


『あなたとは面白くて良いお友達でいたかったのに』という最悪のセリフを残して身を翻して逃げて行った。

当時の日記を見ると「愛」とか「絶望」とか「死にたい」とか、センチメンタルな辞がページをギッシリと埋めている。

でも今でも小生はセンチメンタリストである。そして人格高潔でもなければ優しくもない。

だから 「どこかで彼女が幸せに生活してくれていたら・・・」 などとは全然思っていない。結婚に失敗して不幸のどん底にいて欲しい。そして忽然と現れて 『いまでも愛してくれているなら結婚して』 と言って欲しい。

もとより猛妻は諸手を挙げて賛成の筈だ。明日区役所に行って離婚届を出し、明後日区役所に行って婚姻届を出すのだが・・・。

ああ、毎年4月4日を迎える度に、今年で丁度44回思い出している。


010403 プロでも苦しんでいる

おなじみご贔屓のコラム「産経抄」。昨日から産経新聞も活字が大きくなったが昨日の分、いやあ、笑ってしまった。そのまま引用する。

〔ご覧のように、本日から活字が大きくなった。で、小欄も字数が減るかと思いきや、欄のワクが広がり、二十数字ほど増えてしまった。時代に逆行する暴挙ではないか。〕

以前にも書いたが、いくらニュースソースのど真中にいるとはいえ、毎日毎日穴を開けることの出来ない原稿、大変だとは思っていた。流石ブンヤと思って尊敬していた。

でもこれが彼の仕事。大変ではあるがアイデアは次から次へと泉の如くに湧いて来て、それを片端から書きなぐって、取捨選択に迷っているのだろうと思っていた。

あの時没にしてしまったがあの原稿は良かったなあ、何とか焼きなおしてもう一度等と・・・。

それがこの情けない原稿は何だ。たかが二十字増えた位で 〔時代に逆行する暴挙〕 だと。

腹を抱えて笑ってしまった。小生などとはスケールが違うとはいえ彼も苦労しているのだ。プレッシャーを感じているのだ。

何か雲の上の人と思っていた彼の存在が、この一文によって突然身近な人としての親近感が沸いてきた。読者に対して失礼ではないか、などとは思わない。彼も上記の一文に続けて

〔おしかりの読者もおられるかと首をすくめつつ、新しい活字を眺めている。〕

と遠慮しているが、いやいや、構うこと、ありませんよ。お気持ちは、よーく、分かります。

大変とは、思いますが、小生も、ガンバリますから、これからも、大いに、正論を吐いて、われわれに、考えさせたり、楽しませたり、して、下さい。期待して、います。

な〜に、二十字位の、ことなら、句・読点を、めったやたらに、入れていけば、すぐに、稼げますよ。

010402 いい加減

極力毎日更新を宣言して始めた本コンテンツも4ケ月。どうやら一日も欠かすことなく続けてきた。しかしながらその中身はというと、かなりいい加減になっているのだ。

コラムというのは評論であって、随筆であってはならないのだ。然るに内容としてはお世辞にも評論と呼べるものは数えるほどであり、ほとんどが短い随筆である。

すなわち、ネタをみつけてキーボードに打ち込んでいく。この辺でイイヤと思えば「迷走録」に、興が乗って長くなれば「零細企業」に収録というのが実態である。

原稿用紙換算で「零細企業」の方は8枚、「迷走録」の方は4枚見当といったところである。しかし「迷走録」だけでも本日で原稿用紙換算で480枚くらいになっている計算になる。

有名作家のもので文芸春秋にでも掲載されようものなら、表紙に「堂々の書下ろし中篇480枚!」と大書してくれるだろう。

どういい加減かということは例えば「懐道を行く」。本来は「迷走録」ネタの心算だったが、シリーズ1については興が乗ったためにどうしても長くなってしまい「零細企業」の方に収録してしまった。そしてシリーズ2以降は「迷走録」に収容と、アッチャコッチャなのだ。いうなれば第一話が週刊文春で第二話が週刊大衆にというスタイルである。

しかも最近はデジカメを買ったために、どうしても写真ネタも収容したくなった。当初は別コンテンツということも考えたが、これ以上コンテンツを増やすと管理不能である。窮余の一策として日曜は写真ネタと勝手に決め、ごく最近では祝日も写真ネタに振った。こりゃGWにはエライコトになりそうで、また気が変わるかもしれない。

まあ誰がなんと言ってもホームページというのは自分自身のもの、どっちみち元原稿はワープロで管理しているので、いずれ整理整頓すればよいと考えている。

読んで下さっている方がいる以上、その方達に対する礼儀をわきまえる必要があることは重々承知だが、わが能力から考えると、わが道を行かざるを得ない。

代わりといっては恐縮だが、いずれ編集・整理・自家製本して、これを小生の香典返しと決めたのだ。
千円の香典でも一万円の香典でも、自費コピー本一冊。

お読み頂いている方達にはこの場を借りて、改めて深甚の謝意を表させて頂くと同時に、自己中心的・勝手気侭的に続けて行くことをお詫び申し上げて、迷走を続けるのだ。

10401  ハッキリしてくれ

わが社は「新宿」一丁目のドマンナカである。半径500メートル以内はず〜〜〜っと新宿一丁目である。確かに昔は、といっても大昔、30〜40年前は「花園町」だった。

でもその大昔に「新宿一丁目」になったのだ。それでいてどういうわけか警察の管轄は新宿署ではなく四谷署なのだ。それで新宿一丁目にあるのに四谷交番なのだ。


社の隣の茶屋はどういうわけか「四谷」の名前を冠しているし、そこら中に「四谷○○」という会社やレストランがあるのだ。社のまん前の食堂はどういうわけか「花園」の名を冠しているし、そこら中に「花園」の名を冠している病院や商店があるのだ。

そういえばすぐ近くの小学校も「花園小学校」だ。今度入学の一年坊主に「花園」をどういって説明するのだろうか?

じゃんじゃん地名を変えるのは結構だが、ハッキリ徹底させてくれないと混乱するぞ。