迷  走  録


一旦自分の口から飛び出してしまったコトバには責任を持たなければならない。それは既に社会に向けて発信されてしまったのである。

ましてそれが確実な記録として残る「書く」ということにおいてはなおのことである。

自分に確たる思想があるわけではないし、生き方の方向が定まっているわけでもない。だからコトバを発することは恐いし、書くことはもっと恐い。

自身で振り返ってみても矛盾に満ち満ちているので・・・。

しかし、だからといって考えることを止めるわけにはいかない。瞑想することを放棄することは出来ない。

たとえ、迷走でも良い。口から発することによって、書くことによって、多少なりとも自らを律することが出来るのだとすれば。

自らを律する意味でも「毎日更新努力」を宣言して、本コンテンツを設置した。    

                                                                       2000年 12月 1日

2000/12 0101前半 0101後半 0102前半 0102後半 0103前半 0103後半 0104前半 0104後半 0105前半 0104後半 2001/10 2001/11 2001/12
レジメ

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010531  一人一筆

人によっては駄文と思われているかもしれないし、或いは冗文だと思われているかもしれない。しかし、こう毎日毎日文章を書いている以上は自分なりに心がけていることはある。

「今日のこの文章は誰に読んで貰いたい」 というターゲットを特定するということである。
これは文章に限らず、我が生業としているマーケティングの基本でもある。

これが作家ともなると、ターゲットを「これこれこういう層に」と広く設定することが出来るのだろうし、またそうしなければ作家稼業はやっていけない。

しかし所詮素人であり、もともとが 「HPは所詮自己満足のため」 と割り切っている自分の場合には極力ターゲットを一人に限定するように心がけている。

もちろん常に同一の一人ということではなく、今日はあの彼、明日はあの彼女であって一向に差し支えないし、現にそうしている。
要は今日この文章を書くにあたって 「これはあの人に読んで貰いたい」 という特定個人をイメージしながらキーボードに対峙するということである。


なかなかうまくいかない。途中から話しかける相手が変わってしまったり、場合によっては五人にも六人にもなったり、下手をするといつの間にか不特定多数になったりしている。

そういう時の文章は、後から読み返してみるとあたかもバラバラ死体であるかのごとき惨状を呈している。
ゆっくりと、力強くイメージした特定個人に語りかけることが出来た文章は、文字通り力強いし文章が生きている。


「特定個人をイメージしてキーボードを叩く」 という姿勢は、趣味で個人で文章を書き連ねたい者にとっては不可欠の心構えと言ってよいだろう。

それならメールにすれば良さそうなものだが、メールでは返信をしなければならないので相手にとって迷惑だろうし、もうひとついえばいくら特定個人にとはいっても「あわよくばあの彼女も目を通してくれるかも・・」、「意外なあの彼が読んでくれているかも・・」、「特定個人ではなくて“あのグループの仲間達”くらいには広げてもよいかも・・」 という矛盾した色気があることは否めない。

そこがまたHPに文章を書くことの楽しさであるともいえよう。


いや、もっと重要なファクターがある。いくら特定の個人とはいっても、その相手はあくまでも自分の中でイメージされた彼等・彼女等なのであって、彼・彼女の実態そのものではない。

「文章を書く時は誰でもよいから、誰に読んで貰いたいのか、自分の中で明確にイメージして書け」。
これは仕事の上でのレポート書きでも同じである。
うまくいっているかどうかわからない、というよりは自信はない。

しかし何のかのといっても半年間、今のところ一日も欠かすことなく続いたこのコンテンツ。
これからも、いま、この文章を読んで下さっている貴兄・貴姉をイメージして書きつづけて行きたいと思っている。

小生のイメージを助成する意味でも、貴姉の写真をメールの添付ででもお送り願えれば幸甚である。 貴兄のはイラナイ。


010530 守れないルール

社団法人「日本マーケティング・リサーチ協会」(JMRA)の年に一度の総会。全国に市場調査会社なるものが、怪しい会社も含めて何社あるのかは知らないが、本日現在加盟社は全国78社で国際的な横の繋がりもしっかりと持っている。

理事が十三名。小生も最近まで四期八年に渉って理事の一員としての任を果たしていたが、二年前からオカミの通達により、理事の構成が制約されたのを期に退いた。

「公益法人の理事は、半数以上は業界外部の者で構成されなければならない」ということになったのである。我々の協会の場合には極めて小規模の団体であるが、とてつもない巨大公益法人が星の数ほどあることはご存知の通りである。そしてその業界の理事が、いわゆる癒着の状態となって、種々の怪しからぬ現象がおきて物議をかもしたということもご存知の通りである。

その意味では「業界以外からの監視の目を導入」という主旨の納得の出来る改正であるし、広義に解釈すれば小泉政権以前に実施された機構改革といえなくもない。

しかし我々の業種のようなごく特殊で、零細規模業者の多い協会にまで一律一括に適用されてしまったというのはどんなものだろうか?

極めて特殊な技術的な問題で論議しなければならないような問題について、業界に関係のない理事が半数を超えるという現状は、かなり大きな問題だと思う。

誤解しないで頂きたい。もちろん現在の当協会の理事、大学教授や著名なマスコミ関係の方が、手弁当のボランティアで参画して下さっているということには、当然感謝している。が、それとこれとは別問題として考えている。

業界の現場から遠いところで物事が決定されていくということは、業界の中でも大手にとってはともかく、わが社のような零細企業にとっては極めて現実的でない決定というものが間々ある。先日も会長の所に出向き
「この決定事項は当社の場合は守れないので退会も視野に入れている」 と申し入れて、暫時の慰留をされてきたところである。


本日の総会後のパーティは百人を越える規模で行われたが、当然零細企業の方々も多数出席していた。数人の人たちと話をしたが大勢は「当社の場合も決定事項は守れないが、別に罰則規定があるわけではないし、それほど神経質にならなくても」 という反応だった。

ソクラテスではないが悪法であっても法は法。その組織に所属している以上は守らなければならないし、守れないならばその組織に所属すべきではない。

然るべき方に後日の再見を約束して、憤然として酔っぱらって来た。


010529  また一人・・・

五月病とはよく言ったものだ。小生自身、毎年五月には心臓に若干の異常を感じていたのだが、多分薬のせいではなく運動のせいで、今年は何事もなく乗り切った。

しかし昨夜が、今月だけで四回目の通夜であった。昨夜の通夜は随分付き合いの途絶えている先輩とはいえ、夫婦とも知り合いの奥様の方だった。

最初の就職先で小生が二十三・四歳の頃、三〜四人いたターゲットの中の女性の一人。不謹慎な言い方かも知れないが、カッコよく言えば独立したかった、いま風に言えば結婚したい病だった小生の場合、ターゲットの中の誰かで向こうからアプローチしてきてくれれば誰でも良かったのだ。今の小生を知る方は卒倒しそうに驚かれるかもしれないが、当時の小生はそれほど女性にはもてなかったのだ。

その女性J子さんは、いつも三十分前には出社し、義務でもないのに課員全員の机を拭き掃除していた。いつも明るい声で「北帰行」を口ずさみながら・・・。

ある日、J子さんから「折り入って話がある」と言われ、胸をときめかせて喫茶店に入った。当時の会社では数少ない尊敬できてかつ仲も良かったM先輩。なんと 「彼が好きだが冷たい。仲の良い貴男から真意を聞いて欲しい」 という泣きながらの話だった。
ヤッパリそんなことだったのだ。

「止めとけ、俺の方がいいぞ」と言いたかったが、人の良い小生。その後誘って三人でお茶を飲みに行ったりして先に席を外し、外に出てから一人悔し涙を流したりしたものだ。

それから先何があったかは知らないが、彼女がニコニコしだしてお茶をオゴッテくれたりして、二人は目出度くゴールインした。

小生が三つ目の、今よりもっと小さい零細企業に勤めていた時、職探しをしていた彼女を紹介して妊娠している彼女と半年くらい一緒に働いたこともある。

その後小生が大手の広告代理店に転職した時は、またM先輩と一緒に数年間を過ごした。その後また小生は転職したため、彼とは疎遠になったが最後に会ったのは十四・五年前だったろうか。現在わが社の社外取締役をお願いしている八王子のB氏宅で三人だけの新年会を開催した。

そして帰途、八王子の反対側のホームで彼と手を振り合ったのが最後でその後は賀状の付き合いさえないし、従って住所も不明だった。

回りまわって、奥様のJ子さんが亡くなったとの連絡が届き、昨夜の通夜である。
言葉こそ交わさなかったが、ものすごく久しぶりのM先輩とはキッチリと目と目を合わせて来た。


J子さん、さようなら。安らかにお眠りください。
そして、いろいろな意味で、いろいろな角度から、優れて苦しかった。そして優れて楽しかった。あの遠い
青春の日々に乾杯。


010528 日本ダービー

日本ダービーが終わった。今年が第六十八回ということは、第二十二回目位からの付き合いになるのだろう。そして今年もダメだった。どうも大レースには特別弱いようであるし、それがダービーともなるととんとダメなのだ。

要するにご贔屓の、当然あまり人気のない馬がいて、平場のレースの時は買うのをガマンするか買い控えをするのだが、それが大レースに出て来ると、ついつい突っ込んでしまうのだ。勿論小生の財布の絶対量の中から相対的に見て、ということではあるが。

とはいっても四十回以上の付き合いということであれば、何回かは配当金を手にしている筈であるが、あまり覚えていないのだ。

唯一強烈な印象として残っているのが、1984年のシンボリルドルフとスズマッハの来たダービーである。ルドルフは本命だったが、マッハの方が穴馬で二千円強の配当だったが、一万円を一本買いで取って、トータルで二十万強の配当を手にした。

一本買いをするなどということは無いのだが、時間厳守の日曜出勤の途次、新宿場外がメチャクチャに混んでいて、大至急買わなければならなかった関係上、何点かにバラス心算だった馬券を一本にまとめて買って、それが当ったのだ。

当時は会社を始めて間もない頃。車の免許はまだ持っていなかったため、あちこち走り回るための足としてスクーターの免許を取り、中古のスクーターで新宿までの十五キロの通勤の足としても使っていた。そしてこのダービーの配当で十五万円也の新車を買ったのだ。

嬉しかった。名づけて「ルドルフマッハ号」。ボディに大きくシールを貼り付け、颯爽と走りまわった。あのダービーが五月末。

そして八月末の仕事先からの帰途、ルドルフマッハ号は甲州街道で大転倒。騎手は左肩複雑骨折の重症で十日間の入院と、長期の通院・リハビリを余儀なくされたのだった。

骨折の翌日がある市の市長に呼ばれての市政調査打ち合わせの日。「とんでもない」という医師を拝み倒して、ガチガチにテーピングして貰い社ダチに車で市役所まで届けて貰った。勿論洋服はムリ。その時仲介・同席してくれた市議にしばらくの間「市長室にジンベエ姿で下駄履きの来訪者は前例がない、と言って市長が笑っている」といわれた。

これもいずれ書かねばなるまいが、左手首骨折が三年前の東京の記録的大雪の日。したがって外見上は何でもないので傍目には分からないし、普通の生活には差し支えないというものの、小生の左手はガタガタであって、使い物にならないに近いし、重いものを持つなどということはとんでもないのだ。

昨日はまたダービーを負けた。毎年のことであるが、いつもこの日は左手の古傷がキリキリと痛むのである。


     010527 共生

先日上野の森に行った時の話。森の中に高所作業車が入り込んで作業をしている。
クレーンが伸びてそこに鋸を手にした作業員が。
烏の巣の撤去である。周りは黒山の野次馬。


襲って来る親烏と闘いながら巣を叩き落としたところで周囲から拍手。
しかし落ちた巣の中で烏の雛が無残に潰れている姿を見て、
いま拍手をした連中から「うわ〜っ。可哀想!」と非難の声があがった。
責任者らしき男がキッと振り向いて叫んだ。

「ボク達だってやりたくないのです。でも、上野の森を守るためには仕方がないのです。
鳩だって食べられてしまって、そこら中に残骸だらけになってしまうのです」。

われわれ不用意に、一種の流行語として「共生」ということばを度々口走る。

「共生」というのは大変なことなのだ。重々しいことばなのだ。

「共生」って、すごく難しいことなのだ。


010526  余禄

例によって水中激歩。二キロ(70分)歩いて、仕上げに百メートルのクロールがノルマだが、先月の始めからクロールの目標を百五十メートルの続泳に切り替えた。やはり苦しくてなかなか出来なかったが、今月に入ってから出来るようになったのだ。

本日で五回目。どうやら途中で立ち上がらずにターンして連続で百五十メートル泳げるようになったのだ。「継続は力なり」だが、こんなこと自慢しても仕方がない。

そんな自慢話じゃなくて、イヤア、今日はホントにビックリしたのだ。歩き始めて五十分目位、それほど若くはないが美人でグラマーの見慣れない顔がプールサイドに入って来て備えつけのシャワーを浴び始めた。多分新しい会員なのだろうと思って・・・目をこらした。

何とも大胆な水着を着ているのだ。ここのスポーツジムではビキニは禁止なのだがもっともっと大胆な水着なのだ。一応白のワンピースなのだが股下の所だけが黒という極めて大胆なツートンカラーなのだ。丁度水中をそちら方向に歩いていたので十メートル位の所から、クァッと目を見開いた。

イヤ、違う。ツートンカラーではない。股下でホックかチャックになっている水着ってあるのだろうか?だとしたら留め忘れだ!それともそこだけ何かの拍子で破損したとか・・・。

でもまさか・・・。確かめるべく急いで歩いたが何しろ水中、思うにまかせない。急ぎすぎてたらふく水を飲んでしまった。

でもその「まさか」だったのだ。錯覚でないことが分かった。女性のインストラクタが走り寄って行ったのだ。そして件の女性はパッと下を向いて、前を押さえて飛び出して行ったのだ。

お蔭で間違いなく裸のお尻にも拝謁した。黒の水着ならどうということもなかっただろうが、真っ白な水着だったから・・・。でも空いていたから小生とインストラクタ以外は気がつかなかったようだ。

通いだして十年を越えるが、やはり「継続は力なり」。この間僅か4〜5秒だったとは思うが、続けていると思わぬ僥倖にめぐり合うこともある。

明日も行くぞお。


010525 期待してみよう

ハンセン病といえば真っ先に連想するのは松本清張の「砂の器」(1961年刊行)であろう。1974年には野村芳太郎の手によって同名の名作映画となった。

この機会に近々テレビでリバイバル上映されるのではないだろうか。未見の方がいらっしゃるとすれば、ぜひお勧めである。

「いわれなき差別」に涙したあの日から四半世紀以上を経た今、このようなドラスティックな形で、現実の問題として突きつけられるなどということは夢想だにしなかった。「あれはあの問題」「丁度藤村が“夜明け前”の発表で当時の世間に波紋を巻き起こしたように」という程度の認識でしかなかった。

まさかいまになって新聞の一面にデカデカと載って、テレビのニュースで連日騒がれて、などとは。

いかにも突然だったのだ。勿論、あの周辺にいた方々にとっては何十年の長きにわたる大変な問題だったのだろうが、われわれ日常生活の些事に埋没している人間にとっては、マスコミの突然の大騒ぎ劇でピックリしたのだ。多分こんなことがまだまだ沢山埋もれていて、そのうちまたマスコミに驚かされるに違いない。

それにしても・・・いま日本の政治は確実に大きく方向転換を始めたようだ。つい先日までの自民党政権の継承政権であるとはとても信じられないような大きな波動である。

もしかして、ひょっとして、危険と裏腹なのかもしれない。しかし、少なくとも今の小生にとっては危機感よりは期待感の方が遥かに大きい。

石原都知事との対談で「衆院解散」をリコメンドされ、マスコミはまだそれがあり得るかの論調である。しかし今朝の報道で再度の「衆参同時選挙はあり得ない」と明言した小泉首相の言を信じたい。

「確実な勝利」が約束されている今、とりあえず勝っておくということは確かに戦法としてはあり得るだろうし、別に悪いことでも卑怯なことでもない。しかし、自分が勝利することに優先して片付けて行かなければならない問題が山積している現在、自分の勝利よりは政治の空白を作らないことを優先するという姿勢を貫いて欲しい。

首相がその姿勢を貫いたとして、もしかして、ひょっとして、ますますの「支持率上昇」という危険も増大するかも知れない。残念ながら所詮それが、もちろん自身を含めてのわれわれ一般大衆のレベルなのだ。

しかし、やっぱり期待の方が大きい。当面は、いまは、素直にエールを送ることにしよう。


010524  罰が当った

先週の金曜日夕方のことである。クライアントに出掛けていた社の人間がマッサオな顔をして這うようにして帰って来た。「どうしたのだ?」聞いたら、今にも泣き出しそうな声で「左足ふくらはぎの肉離れらしい」という。よくよく事情を聞いたらこういうことだった。

クライアントからの帰途地下鉄への階段を下りようとしたところで、広い交差点の向こう側においしそうな古本屋があるのを見つけた。青信号はすでにまたたきしている。

猛然とダッシュしたそうだ。そしたら横断歩道の真中で左足ふくらはぎがガキッと鳴って道の真中でゴロゴロと転がってしまったそうだ。それでも信号は赤に変わっているので何がなんでもなんとか渡りきったそうだ。

フツーならそこで少し休んでタクシーで帰ってくる。しかし彼はフツーじゃないのでしばらく休んだ後、片足だけでその古本屋の中を巡回したそうだ。そして 「あんなにおいしそうな店構えだったのにおいしい古本は一冊もなかった」 と言って憤慨しているのだ。

前にお読み頂いた方にはわかるだろうが、仕事よりは古本に命をかけている社ダチである。社長である小生に百円のプレゼントを惜しんで古本屋に走らせたヤツである。

大笑いしてやりたかった。がしかし、あまりにもマッサオな顔をしているのだ。仕方がないので精一杯心配そうな顔をして、いかにも痛みを共有しているような顔をして「すぐ医者に行け」といって、医者に行かせた。

しかし冷静に考えてみれば、大笑いしてもいけないし、心配そうな顔をしてもいけないのだ。

正しい対処は 「勤務時間中に何をしているのだ!」 と、怒鳴りつけてやらなければならないのだ。それも一度や二度のことではない。千度や二千度のことでもない。彼は仕事で出掛けると必ず古本屋に寄ってくるのだ。

彼のパソを覗くと古本屋のデータベースがあって、彼が立ち回るクライアントや協力機関のある場所には、ビッチリと古本屋が固まっているのだ。屋号と住所、特徴が丹念に書き込まれている。彼が勤務時間中に古本屋をあさっている時間は年間トータルで一体どのくらいになるのだろうか。この二十年近くの間のトータルで一体何ヶ月分になるのだろうか。

しかし、しかしである。あれから一週間になるというのに依然として痛そうである。本人は「だんだん快方に向かっている」とは言っているが、朝はラッシュを避けて早めに家をでて来るそうだし、夕方もラッシュを避けて社で仕事をしている。

オレなら確実に休むところだが今抱えている仕事に追われていて休めないそうなのだ。「社内では座っているよりは立っている方が楽」だということで、机の上に手で支えながら一日片足で突っ立ったまま仕事をこなしている。

片足でピョコタンピョコタンと社内を飛び回って仕事をこなしている彼を見ると「古本屋回り位仕方ないか」とも思う。
相変わらず腹は立ちっぱなしだが、百円の恨みもそろそろ忘れてやろうかとも思う。


010523  商法

法律は嫌いである。ややこしいし難しい。特に精通していなくても、別にごく一般的な社会的ルールを守っていれば、重大な法律違反を犯すこともない。

しかし先日も本コンテンツの「契約書」の項で書いたが、いくらややこしくても、いくら難しくても、「商法」とはお付き合いせざるを得ないこともある。

現在改正の動きがある商法であるが、おなじみ「産経新聞」とはいってもコラムではなく、先日付けの「社説」からの引用である。

【商法の第六章(商業使用人)の四三条に「番頭、手代其ノ他営業ニ関スル或種類又ハ特定ノ事項ノ委任ヲ受ケタル使用人・・・」という用語が出てくる。「番頭、手代」という江戸時代にでもタイムスリップしたような言葉が商法の中では立派な“現役”なのだ。商法は企業活動の基本ルールなのに、明治三十二年に制定されて以来、ほとんど改正されていない。経済のグローバル化がいわれる時代に、チョンマゲを付けたような商法では、日本は国際社会から取り残されてしまう。】

全くその通りである。日本国民たるもの、憲法の基本位は通読する必要があるし、経営者たるもの、商法の基本位は通読しておく必要があるのだろう。

でも厚すぎるし難しすぎるのだ。法律書かマニュアルかどうしても二者択一だといわれれば分厚いコンピュータマニュアルの方を選ぶ。

ちょっと話は飛ぶが某官庁の外郭団体の市場調査の仕事を受け、見積書明細を出した時にその中の一項「交通費」に注文がついた。
「当協会の費目名は交通費でなくて車馬賃となっておりますのでお改め願います」。
一体全体オカミは何時まで明治を引きずって行く心算なのだろうか。

そういえばもう随分昔の話になるが「刑法」も明治時代のままで、それを「猥褻罪」に適用されたという例があったな。
定かではないが「チャタレイ裁判」だったっけ。それよりずっと新しい「コリーダ裁判」だったかもしれない。


010522  東京美術館

つい先月仕事で上野に行った。長年東京に住んでいながら上野の駅から外に出たなどということは恐らく十年振り位のことであった。しかしこういう偶然って続くものである。

やはり十年位前のことであるが、長年の間、行きたい行きたいと思いながら果たせなかった沖縄へ念願叶って社員旅行。ところが帰って来た途端に、クライアントから急遽の沖縄出張の話が持ち上がって、殆どトンボ返り状態で沖縄へということがあった。

今回もつい先月十年振り位に行ったばかりの上野をまた歩いて来た。猛妻が入選を果たした「JPS写真展」が上野の東京美術館で始まったためである。猛妻自身は今週土曜日の表彰式兼パーティの時に行くということだが、ダービー前日である。
研究と検討で忙しくてそれどころではないし、猛妻の方も「あんたと一緒には行きたくない。折角ママさんが行ってくれると言っているのだから一緒に行ってきてよ」というのだ。


別に猛妻の入選作品はもう見たし、いずれは手元に戻って来るので特に見る必要はないし、他に展示されている写真展そのものにそれほど興味があるわけでもない。

パスする心算だったが折角スナックのママさんが行ってくれると言うのだし、公然とデートが出来るのだ。あわよくば下心達成の絶好のチャンスでもある。出来れば休暇を取りたい所だが先日取ってしまったばかりなのでそうそうはサボれない。
従って昼休みを利用してプラスアルファの私用外出ということで今日、デートをしてきた。じゃない、写真展を観に行ってきた。

ムード作りのための第一段階は当然「西郷さんの銅像前」での待ち合わせである。店でのいつものジーパンスタイルとは違って、先日新調したというミニスカート姿のママさんが、楚々とした姿で西郷さんの下に立っていた。
そして第二段階が新緑の上野公園の中をぶらりぶらりと歩いて「先に昼食でもいかがですか?」と誘って「上野精養軒」へ。
ただしグリルの方へ入るとめちゃ高いので軽食コーナーの方へ入ってランチと、勇気付けのための昼間からのビール。


昼食を終えてから「東京美術館」に行って「JPS写真展」だが、これはどうでもよろしい。

さて、観終って出てからが正念場である。またふらりふらりと上野公園を散歩。よほどこの辺りで腕でも組もうかと思ったが、この歳で真昼間に腕を組んで歩くというのはどうも照れ臭いし抵抗がある。第一ここで大声で叫ばれても困る。

ぐっとガマンして最後の仕上げはテラスのあるセルフサービスの立ち飲みコーヒー店で、むし暑いそよ風を浴びながらコーヒー。
さて、いよいよである。


「あの写真が良かった」「この写真が良かった」と話ながらぶらぶらと歩いているうちに、もたもたと口ごもっているうちに、ラヴホテルの前を素通りして駅に出てしまった。

すなわち結論を言えば、下心は次回まで保留である。


010521  握り飯

五月病と月曜病のダブルパンチというのはもう最悪である。何をする気も起こらない。昼飯を食いに行くのも面倒である。土台最近は昼飯を食いに出掛けるのが面倒で仕方がないのだ。

数十店はある周囲の店の中からまあまあのところ五〜六店をローテーションして使っているのだが、最近の選び方は半ば機械的で無気力ローテーションである。
朝飯を食わない習慣であるから、義務的にでも昼飯は食わずばなるまい。ということで毎日苦労しているのだ。

近所に最近「手作りおむすびの店」なるものがオープンして派手な幟が立っているのを目にした。握り飯は面倒がないので、美味いものがあれば利用しようと思って何度かチャレンジしたことがあるが、コンビニはいうに及ばず、近所のどこの弁当屋の握り飯もコメがダメなのだ。米は握り飯の命である。

そこで最悪の気分の今日「手作りおむすびの店」に行っておむすび二個、二百四十円と漬物ワンパック百円也を購入してきて自席で食ってみた。

おむすびはいかにも手作り風で形が悪く、ボリューム感もあって見た目は及第である。しかしひとくち齧ってう〜ん。そこらのに比べてマシではあるかも知れないが、やはり米がダメだ。米がダメな握り飯はメシとはいえない。

しかしこれはまだよい。漬物パックなるものを開いて、松本清張流にいえば「眼を剥いた」。
何と、白菜の漬物が一繋がり、野沢菜の漬物が二摘みほど、それに沢庵が三切れなのだ。いくらなんでもこれはないぞ。
極悪非道、百鬼夜行、魑魅魍魎、奇奇怪怪、悲鳴号泣の世界なのだ。百円ナンダゾ。

対費用効果という観点からの日本中で一番高いものコンクールがあったとしたら、まず優勝候補の筆頭だろう。
イヤ、俺はシャチョーなんだ。「日本中で一番贅沢な食い物」と言い直すべきだろうか。

いずれにしてもシャチョーが一応は腹を満たしてくれたトータル三百四十円の昼飯のことで社内でワメキチラスわけにはいかない。
社員諸君の前では黙然としてガマンなのだ。

でもガマン出来ない。夜中にここでこうして、一人で静かにワメキチラシテいる。 


010520 エスカレーター

地下鉄の新線が開通したお蔭で確かにどこへ出かけるのにも便利になった。

ただここでも何回か取上げたが、新線の駅は限りなく深い。

「百聞は一見に如かず」で写真を貼り付けてみた。

本当はもう少し近くから、景色の良い瞬間に鋭角に撮った方が分かりやすいのだが、どこかの

タレントと違って紳士たるべき小生にはその勇気がない。

第一
逮捕されても困るので、景色が悪い時の少し遠くからの、不本意なアングルである。

010519 六十歳の受難

山手線大塚駅を跨ぐ陸橋。違法ではあるが通勤の自転車置き場と化していて立錐の余地もない。通勤の帰途、自分の自転車を探すのも大変だが見つかっても引っ張り出すのが大変だ。後から後から重ねるようにして自転車が置かれているためである。

一昨日の夕方、六十歳前後の男がやっと自分の自転車を見つけたが、のしかかるようにして50ccのバイクが置いてある。バイクには無縁の彼はそのキーのかかったバイクをどうやって位置をずらせば良いのか分からない。ガタガタとゆすっているうちにバランスが崩れてバイクがドスンと横倒しになってしまい、横に置いてあった自転車が4〜5台将棋倒しになった。  
折悪しくバイクの持ち主の若いアンちゃんが現れた。

「オイッ!おっさん。なんていうことをするんだ!まだ新品のバイクなんだぞ!」。

おっさんも負けていない。「なぜ人の自転車が出せないところにバイクを置くのだ!」。

アンちゃんは問答無用である。おっさんの自転車をひっつかんで頭上に振りかざしてエイヤッとばかりに陸橋から投げ捨てたのだ。自転車は大音響とともに山手線の線路の上に落ち、木っ端微塵となってしまった。
幸い電車は走って来なかったので大事故は避けられた。しかしながら山手線は内回り・外回りともに完全ストップ。片付けて現場検証・点検・復旧までに一時間かかった。

やっと復旧した山手線は当然のことながらラッシュとぶつかったこともあり、ギュウギュウすし詰めの殺人的状態であった。池袋から今週で六十歳停年を迎える男がやっとの思いで電車に乗り込んだ。後一日、明日金曜が最期の出社日で盛大な送別会。感無量である。

すし詰めの中、ミニスカートの可愛い女性とピッタリと体があってしまい、お互い身動きも出来ない。思えば生真面目なだけの四十年間の通勤生活だった。最期だけ許して貰おう。


男は満員の中、どうにかズボンのチャックを下ろして女性のミニスカートを少しだけ捲って尻に擦り付けた。うん、大丈夫。女性は男のものに視線を当てているが騒がない。図に乗って腰をゆすり出した所で電車はようやく騒ぎの収まり始めた大塚駅に着きドアが開いた。その時である。女性が男のものをムンズと掴んでドアの方へ歩き出したのだ。

「ギョエーーッ」と男は叫んだが、掴まれたものはホームに下りて行く。体も付いていかざるを得ない。「はは離せ、汚いよ〜っ」と叫ぶ男に女は見向きもしない。男のものを腰ダメのピストルよろしく構えてホームをスタスタと歩き、下腹を突き出した格好で男がワメキながらついて行く図はさぞかし壮観であっただろう。

通勤帰途の女性機動隊員に鉄道公安官に突き出された彼は、だらしなく伸びきって脹れ上がって変形してしまったものの上に涙を落としながら逮捕された。

以上二つの事件は一昨日の実際の社会面記事をアレンジしたものである。橋の上の二人はまだ掴まらないようであるが、六十歳の痴漢は実名で報道された。

しかし、婦人機動隊員なるものが存在するということはこの新聞記事で始めて知った。


010518 契約書

新規のクライアントから初めて仕事を受注した場合、よくあるケースである。担当者の方が「申し訳ありません。うちの会社は手続きが面倒でして・・・」といって「契約書」なるものをくれるのだ。

「以下、オレ鰍甲としオマエ鰍乙として云々」という長たらしくて難しいことを書いてあって、正・副二通があって双方の会社の責任者が署名・捺印して一通ずつ保管するというあの面倒なヤツ。

たまにはこっちを「甲」にして貰いたいとも思うが、常にこっちが「乙」だということが不満といえば不満である。しかし「申し訳ありません」と言われるのが分からない。

わが国の場合、それだけ契約社会ということが未成熟であり、契約習慣が浸透していないということの証左なのであろう。

もちろんどの仕事もということではなく95%以上の仕事は信用取引というか、なあなあ仕事である。ひどいケースになるとメールで受注、仕事終了後は報告書を添付ファイルで納入、請求書を郵送して銀行振込。先方の担当者とはせいぜいが電話で話をする程度で一度も顔を合わせないということすらある。そしてこのようなケースは今後ますます増えていきそうである。

先方に契約書の用意が無ければこちらで「受注確認書」を二通作って双方で署名・保管しろ、「契約書」にすると収入印紙が必要なので「覚書」でよいのだから、とうるさく言ってはいるのだが、ついついなあなあになってしまって、しかもそれで事故が起こったというケースもないのだ。否、多少の事故は起こることもあるが、それでもなあなあ、まあまあで済んでしまう程度のものである。

それだけクライアントとの信頼関係が厚いといえばそれまでだし、逆にこれで通ることを自慢にしている企業も多いようだ。だから「契約書」の手交が「申し訳ありません」の言葉になってしまうのだ。

クライアント担当者との信頼関係が厚ければ厚いほど、ましてやそれが個人的な友人としても大切な人であればあるほど、契約行為は絶対に必要不可欠である。

万一事故があったとしても、それは契約上の事故であり、契約内容に沿って解決すればよい。
そのことによって、友情が壊されることはない。

契約書なしの友人としての信頼関係だけの仕事上の事故は、友情そのものすらが破壊される。


010517 難しい、分からない

少々長いが、十四日付「日経コラム〜春秋」からの引用である。

【戦争の精神的な傷跡は、何十年たっても消えない。米国でボブ・ケリー前上院議員が、三十二年前に自ら率いた部隊がベトナムで非武装の村民たちを殺したと告白、大きなニュースとなった。「ベトナムの英雄」として知られるケリー氏は「我々の行為を正当化できると思ったことはない」と語っている。  ・・・中略・・・  フランスでは、一九五〇年代に仏軍情報機関を指揮したポール・オサレス将軍が、当時アルジェリアで独立運動を進めていた民族解放戦線の幹部を拷問、殺害したことを告白し、衝撃を広げている。将軍は一連の行為を「任務だった」と正当化しているが、人権の理念を掲げてきた国の暗部の露呈は、国の責任をめぐる論争にも火を付けた。
・・・中略・・・  過去の戦争をめぐる葛藤(かっとう)は、欧米でも生々しい。】 

直接には触れていないが、いうまでもなく「教科書問題」に言及したものである。
「産経抄」でのスパッとした激しい主張とは違って「うーん、難しい」ということを象徴的に記述している。少なくともこの中には黒白を論評する姿勢は認められない。


実は小生もこの教科書問題について何度かここに収録すべき原稿は書いたが、結局没にした。ひとつには教科書そのものについて浅薄な知識しか持ち合わせていない自分が、マスコミを通じて得るだけの少ない情報で、責任ある考え方を書くべきではないという自戒もあるが、それ以上に「う〜ん、難しい」というのが偽らざる所である。

もちろん、ここの所毎晩のようにこの問題はガハクとは論じている。とことん突き詰めていくと彼とは意見が対立しそうである。

酒を飲みながら意見を戦わす分には何とか収まりのつく部分もあるが、ここに「明快に書いて」しまうと、仲の良い彼とケンカになりそうだし、場合によっては殴りあいということにもなりかねない。

殴りあいになったらとても勝ち目がないし、殴られると痛いからここには書かないのがホントの理由だ。
取りあえずそういうことにしておこう。


010516 軽井沢

嫌いである。第一に混んでいる。第二にチャラチャラしている。第三にファッショナブルである。第四に金持ちか金持ち振ったヤツばかりである。第五に日常の生活臭が全くない。

しかし猛妻とわが娘の場合はそうはいかない。「佐久とは目と鼻の距離でしょ」「今ならシーズンオフで空いているでしょ」といって譲らないのだ。

ま、小生は家族だから致し方ない面もあるし、現にここ数年、何度かは足を運んでもいる。問題は同行するガハクである。軽井沢などという名前を聞いただけで泡を飛ばして卒倒するかも知れない。まさか「帰りは一人で電車で帰れ」とも言えないので、場合によっては勿体ないが最初から別の車でとも考え、出発前夜におそるおそる切り出してみた。

なんと「オッ、それは丁度いいわ。行く行く」と二つ返事だったのだ。彼は絵本作家であるが、なんでも今の作品に「森の中の可愛いお家」の資料が必要なのだそうだ。そのためにどこに資料としての写真を撮りにいくか思案中だったとのこと。彼の辞書にない「軽井沢」なんてのは全く思いつかなかったらしい。

それにしてもあの三白眼であの険相。それであの酔っ払い。何よりの証拠であるが大概の本には購入者に向けて精一杯のサービスの笑顔を振り撒いた「著者近影」なる写真が載っている。しかし随分所持している彼の絵本であるが、著者近影なるものが写っているものは一冊もない。何冊かは写真も入っているが、いずれもが顔の仔細は判別できない遠影であり、このあたりは流石出版社である。

その彼がなぜあんなに素敵で優しくて、可愛らしい幼児向けの絵本を書くのかがどうしても解せなかった。シリーズとして所有している「なまけものぼん」「あるまじろぼん」「あらいぐまぼん」などは、この歳をした小生が見ても充分に楽しめる絵本なのだ。

絵本に限らない。彼が暇な折に描いてプレゼントしてくれた動物や少女のスケッチは、我が家の至るところにかかっている。「顔に似合わない」という言葉は彼のためにあるのではないかとすら思う。

今日軽井沢に行って・・・。カメラ片手に走り回る彼をみた。釣り竿を振り回している時の彼とは、ましてスナックで酔っ払ってオダをあげている時の彼とは、明らかに異相であった。

第一あの三白眼が、細くほそーくなって、みたこともないような優しい笑顔と完全にマッチしているのだ。生き生きとした光った目で対象を探し、優しい目線でカメラを構える。

随分長い付き合いになるがあのいつもの酔っ払いではない、職業人としての、作家としてのガハクに初めてお目にかかることができた。