迷  走  録


一旦自分の口から飛び出してしまったコトバには責任を持たなければならない。それは既に社会に向けて発信されてしまったのである。

ましてそれが確実な記録として残る「書く」ということにおいてはなおのことである。

自分に確たる思想があるわけではないし、生き方の方向が定まっているわけでもない。だからコトバを発することは恐いし、書くことはもっと恐い。

自身で振り返ってみても矛盾に満ち満ちているので・・・。

しかし、だからといって考えることを止めるわけにはいかない。瞑想することを放棄することは出来ない。

たとえ、迷走でも良い。口から発することによって、書くことによって、多少なりとも自らを律することが出来るのだとすれば。

自らを律する意味でも「毎日更新努力」を宣言して、本コンテンツを設置した。    

                                                                       2000年 12月 1日
レジメ 

2000/12  0101前半 0101後半 0102前半 0102後半 0103前半 0103後半 0104前半 0104後半 0105前半 0105後半 0106前半 0106後半 0107前半 0107後半
0108前半 0108後半 0109前半 0109後半 0110前半 0110後半 0111前半

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011130  やったあっ!

ついにやった「迷走録」!
本稿をもって一年間一日も欠かすことなく完走である。物凄く凄まじい偉業の達成なのである。原稿用紙換算にしてざっと千五百枚弱の大長編なのである。字数にするとざっと五十八万字なのである。
スゴイッ!スゴイッ!! 誰も褒めてくれないから自分で褒めちぎるのである。自粛、自粛、自粛じゃなかった自祝なのだ。

やってる本人は大変なのだからそんなに覚めた目で見ないで欲しい。内容については所期の思惑の「瞑想からのちょっとした脱線」のコンセプトは大幅に逸脱し晦冥の闇の中への暴走となった観があるが、とにかく第一段階の目標であった「一年間」は青息吐息ながら、とにかく走り続けたのだ。ぜい ぜい ぜい。バカがバカたるの本領を発揮し、如何に自分がバカであるかということを証明できたのだ。

この一年間、このバカにお付き合い頂いた、したがって決して純粋の利口とは思えない諸兄姉に、感謝、感謝、感謝なのだ。
もう思い残すことはないのだ。

へたっとぶっ倒れて、当分の間、ネタ探しとパソから開放されて、思う存分、何もしないでいたいのだ。

これが実現できるか否かは一重に信州のネッ友S氏にかかっている。「オマエなんかとハリアッテいない」と言いながらハリアッテいるSさん。早く「ぶつぶつ雑記帳」止めてくれい。 
こっちだって別にあんたとハリアッテいる心算はないが、あんたが止めてくれさえしたら、即刻本コンテンツは折りたたんで、ぶっ叩いて廃棄処分にするのだ。  とまあ、興奮するのはこの辺で収めておいて・・・。

これと並行して十五年来就寝前につけている日誌も依然として一日も欠かすことなく継続している。「それは大変だ」とお思いかも知れないが、実はそんなことはない。以前にもここに書いたが日誌の方は曜日と天気に関する正確な記録がある他は、殆どが「特になし」の記述に終始していて、ここには書けない余程のことがあった時に、字数が膨らむという程度のものである。

すなわち殆どは「特になし」の毎日が続いているわけであるが、そんな毎日を漫然と過ごしていて良いのだろうか・・・。
無理にでも脳みそを運動させる必要があるのではないだろうか、と考えたのがそもそもの「迷走録」開設の動機であった。


「無理にでも毎日」ということは確かに負担になることもある。
しかしどんな小ネタでもよいし、人にとっては興味のないことでも・・・ひとりよがりでも・・・止むを得ない。
とにかく「探すこと、考えること、書くこと」を止めることは止めよう、ということで頑張ってきたし、楽しんでもきた。
一年間続けた今は、生活のリズムになってきている。


勿論、無理をしない範囲で何も毎日でなくても・・・という考え方の方が正しいのだろうが、何度もいうがそれは意志薄弱な人間には無理だ。どこかで、何かで自身を強制しないことには続くわけがないのだ。

また一巡した新しい年を明日から始める。
信州のSさん、本コンテンツに接して頂いている数少ない読者の皆さん。今後ともよろしく、お願い致します。



011129  ラーメン

まず麺であるが、細くなければいけない。我慢の限界も中太まで。うどんと見まがうばかりに太い麺は許せない。そしてこの麺はグラグラと煮え立った釜の湯の中で悠々と泳いでいなければならない。それを金網でサッサッと一人前ずつ掬い上げて放り上げながら丸く整形していく過程を見せるカウンターのラーメン屋でなければいけない。最初から一人前ずつ丸まった麺が、細長い金笊に縮こまって、釜の渕に引っ掛けられて並んでいるヤツはダメだ。

スープは醤油色の醤油味、白濁した豚骨スープなんてとんでもないし、例え醤油味であってもかつおだしや魚ベースのものはインチキである。

どんぶりの上に脂がギタッとではなく、キラッと光っているヤツが偉い。まるっきり脂の浮いていないスープなんていうのは匂わない屁みたいなものだ。

ナルトは食わなければ良いのだから浮かんでいても許す。しかしチャーシューはよく煮込んで味の染み込んだヤツ。唇で切れるヤツでなければダメだ。歯で噛み切って食うようなチャーシューは使うな。枚数も三枚まで。サービスの心算でやたらにぶち込むな。

メンマも同様、味が染みていて柔らかく、かつ歯ごたえのあるものがタップリと入っていることが肝要である。茹で玉子は柔らかすぎないヤツを一個、縦に半分に切ったものが浮かんでいるのが正しい。

海のものであるか野のものであるかを問わず、ワカメとかネギといった草類をやたらに入れるな。客の希望を聞いて、欲しがるヤツだけに与えてやればよいのだ。
ニンニクなんてとんでもない。あれはニンニク大魔王、悪魔のラーメンなのだ。奢ってやるといってもホームレスも食わない。

ラーメン屋のオヤジは威勢が良くなければいかん。釜の中で泳ぐ麺と楽しそう戯れていなければいかん。できれば夫婦で経営のコジンマリとしたラーメン屋が望ましい。もちろんオカミさんは美人でなければいけない。

当然のことではあるが、ラーメンなのだからラーメンの値段でなければならない。たかがラーメンにバカ高い値段をつけたラーメンはそれはもはやラーメンではない。

以上がラーメン学の権威であるところの我がラーメン観である。この小生が言うことであるから、何人たりといえども反論することは許さない。かしこまって、平伏して耳を傾けるべきである。

まさにこの条件に適合するラーメン屋が、社から徒歩十分の場所に存在するのである。しかし往復だけで二十分、せっかく行っても少し並ばされようものなら、帰りにドトールでコーヒーを飲む時間が無くなってしまうのだ。そもそもラーメンなんていうのは並んでまで食うものではないと思っているが、十分もかけて歩いて行くのだから、多少の行列ならば並ばなければかえって時間の無駄になってしまうのだ。

社から三分以内のところに五〜六軒のラーメン屋があるが、全ての条件をと贅沢は言わないまでも、殆どの条件に適合しないために不便をしのいで十分歩いていたのだ。

ところがこの留守中に嬉しいことに、徒歩一分の場所に新しいラーメン屋がオープンしているではないか。皆さん渇望と見えて長蛇の列である。

ラーメンなんて並んで食うものではないが、本日列の後について十五分も並んだのだ。
そして食った。ああ無情、やっぱり往復ニ十分を使わなければダメだ。


011128  遊び疲れ

十一月も終わり、師走を迎えようとしている。「もういくつ寝るとお正月♪」の世界に入ろうとしている。仕事ということでいえば書入れ時のシーズンである。
どうも気合が入らないのだ。シドニーが異常気象であったように、小生にとっては異常期間だったせいなのだろう。

先月末から今月初にかけて、東京モーターショーに振り回されて、小生にとっては久しぶりの異常な過酷労働だった。そして第一週の週末が「彦根囲碁大会」、第二週の週末が「伊那オフ」、第三週の週末から「オーストラリア旅行」。明らかに働き過ぎの遊び過ぎの異常月間であったのだ。

本来は「遊び」というのは次なる仕事に備えてのエネルギーの蓄積でなければならない。若い頃は「遊び疲れなどということばは認めない、遊んだ後は這ってでも会社に来い」ということを人にも言っていたし自分でも実践していた。

今週に入ってからの自身を振り返ってみると、明らかに遊び疲れというか、遊び呆け状態が続いている。まあいろいろ遊びの後始末もあることだから、昨日・一昨日くらいまでなら大目に見られなくもない。しかし本日も依然としてその状態が続いているし、この調子では明日も明後日も続くこと必定である。下手をすると来週からの師走に入っても立ち直れないという事態が予測される。

やれデジカメ写真の整理だ、やれデジビデの編集・ダビングだで、最近の遊びが昔と違って終わってからも二度楽しめる、二倍楽しめるようになったということにも起因するのだろう。

これが昔なら、同じ写真でもフィルムを写真屋に出して、出来上がりを待って、パラパラパラと見るだけだった。今は「折角のこの写真もう少し明るくしてみよう」とか「このビデオのこの部分をこう編集すると面白そう」とか、遊びのネタが無数に見つかるのだ。

今日も今日とて、ちょっとだけと思い、会社で土産物の仕分けや包装作業をやっていた。そこに社員が「ちょっとご相談です」と言って書類を持って来た。折悪しく土産物発送の宛名ラベルの貼り付け作業中であったが、ちょっと目を彼の方に向けたためにマッサカ様に貼ってしまった。「アッいけない。間違えたじゃないか!」と言ったら、彼は「済みません、ゴメンナサイッ」と言って謝ったのだ。

これは明らかにおかしい。彼は謝る必要なんてないのだ。「シャチョーともあろうものが勤務時間中に何をやってるんですか!」と怒鳴り返して良いのだ。

そしてその相談事とやらに指示をしたが、手の方はさかさまに貼った宛名ラベルをはがす作業に夢中である。やっと修復を終えて?である。何やらとんでもなくトンチンカンな指示をしてしまったような気がする。
彼の席に行き「いまどういう指示をしたっけ?」と聞き直して、指示のやりなおしという始末である。たるんでいるのもここに尽きる。

いけないいけない。もう師走なのだ。遊び疲れている場合ではないのだ。折角これだけまとめて遊んだのだから、仕事に備えての大いなるエネルギーの蓄積にしなければならないのだ。

ぐっと気を引き締めて、明日からは無理かも知れないが、明後日から・・・も無理かも知れないけれど、来週からは・・・
なるべく・・・頭を仕事モードに切り替えなくては・・・。


ああそれにしても今月はよく遊んだ。楽しかった。


011127  トップページ

先日のシドニーでの劇的な出会いを写真付で級友に報告しなければならない。写真をEメールにテンプして一斉送信すればそれでOKというのは甘いのだ。相手がパソを持っていてネットに繋いでいて、Eメールアドレスを持っていなければ仕方がないのだ。

五十人を超える級友名簿の宛名ラベルを印刷して、封筒に切手とともに貼って、フロッピーを写真屋に持参して印画紙に五十枚焼き付けして・・・などということをしていたら金と時間がかかって仕方がない。

子供や孫ならいざ知らず、自身でパソをいじっている人間など五十人の中で五人いるかいないかだろうし、Eメールアドレスが分かっているのはカッパゲだけである。頭頂が河童の皿状にマンマルに禿げているので通称カッパハゲ、縮めてカッパゲである。

全員に知らせるのは急ぐことではないし、彼は幹事の中でも親分であると同時に境とは仲が良かった。年一の同窓会以外でもちょくちょく色んなヤツと会っているようなので、取り合えず彼に小生のHPアドレスを書いたEメールを送った。

カッパゲはCFやアニメ制作の会社の社長であり、デザインセンスは商売柄なかなかいいのだと思う。ただパソはそれほどいじっていないようで、以前にも小生のURLを教えたことがあるのだが「そんなメンドクサイことできるか」と言って全然開いていないらしい。

「いい歳かっこいてHPなんかにうつつを抜かすな」とも忠告された。しかし今回はことがことだけに慌てて当該個所を開いて読んだ上で電話がかかってきた。ひとしきり境の話題が済んだところで電話を切ろうとしたら『ちょっと待てよ』という。「何だ」と尋ねたら

『メマイがして頭が痛くなった』
「何だ、どうしたのだ」

『あのトップページのセンスは何だ。じっと見つめていたら気分が悪くなった』
「ウン、そういえば以前にも開いたけどアレを見て大急ぎで閉じたというヤツがいた」

『当たり前じゃないか、ウチは専門家集団だから誰かに頼んでタダで作り直してやる』
「バカヤロー、人に頼むんだったらわが社にだって一杯いる。自分で作っているんだ」

『あの満艦飾の色だけでも何とかしてくれ』
「色は沢山選べて、どの色を使っても追加料金はないんだ。イッパイ使った方が得だ」

『じゃあ勝手にしろ。もう見てやらない』

おうっ!見てくれなくて結構だ。悔しかったら自分で作ってみろっ と思った後で改めてジックリと見てみた。
確かに目が回って頭が痛くなってきた。

毎日ここを見て下さっている皆さんの健康状態は大丈夫だろうか。

でも、絶対に直さないのだ。だって下手にいじくると色々なリンクに影響が出て、HP全体が砂上の楼閣のように音もなく崩れていくのだ。 この一年半、そのためにどれだけ泣かされたことか。


011126  偉大なる借金塔

或いは恥ずかしい話なのかも知れないが、十五年ほど前の左腕骨折入院を除けば、病欠は勿論、実質四日間の連続休暇を取ったのは二十三年前の創業以来初めてのことである。否、四十五年間を越えるサラリーマン生活でも初めての経験であるし、純粋の遊び休暇なのである。骨折入院の時だって会社の近くの病院に陣取り、右手は仕事をしていたのだ。

すなわちサラリーマン時代も会社を始めてからも、小生は会社の重鎮であり、いなくてはならない存在だったのだ。その小生が四日も休暇を取ったら、会社は音を立てて潰れてしまったのだ。だから長期休暇届なんて一切受理されなかったのだ。

今回の旅行中も楽しむかたわら、会社のことが心配で仕方がなかった。実質四日の休暇といっても土・日・祝日をまたいでいるため、今日は十日振りの出社。正月休みだってこんなに長くはない。気を引き締めて、大荷物を抱えてのドライブ出社である。

僅か十日ほどのことではあるが、青梅街道の風景が一変している。まだら模様だった欅並木がまっ黄色に色づき、風に舞う落ち葉が車のフロントグラスに降り注ぐ。

社に着くとすぐに凛とした背広に着替え 「オハヨウ」 と元気に自席に足を踏み入れる。
『どうでした?』 の社員の声に、すげなく 「私的な話はあとあと」 というような態度で 「イヤア良かったよ」 とだけ答えて、机上に溜まっている決済書類に快刀乱麻で印を押していく。 

この間約五分。おもむろに幹部社員の方に振り向き 「まず、緊急連絡は?」 『ありません』。
「その他連絡事項は?」 『ありません』。 「では報告事項を」 『特にありません』。

一体何なのだあっ!と思った所へ 『山野さんから電話です』 の声。心当たりはないがやっと出番と思って勢いよく受話器を取る。
「ハイッ!」。(社長さんですね)。「ハイッ、お世話になっております」。(あの、三ヶ月前にお電話した片山商事の山野ですけど覚えて下さっているでしょうか?)。バカヤロー、セールスだ。 「今忙しいのだからダメダメダメ」 と言ってガチャンと電話を切る。

でも全然忙しくないのだ。社員諸君はとみると、全員がごく普通にばたばたテキパキと仕事をこなしている。要するにオレはいらないということなのだ。会社にとっては無用の長物なのだということだ。

ヨーシ、それならそれでコッチにも考えがある。どなたか「懸賞随筆」を募集している所を知らないだろうか。
仕事をしている振りをしてせっせと随筆を書いて応募、今度はもっと長〜い休暇を取ってやるのだ。


もはや会社にとってのオレの存在価値は「借金塔」でしかないようだ。しかしオレという「偉大なる借金塔」がなければ、会社は一ヶ月と持たないのだぞ。ウッシッシである。

あ〜あ、それにしてもだ。もはや会社にとってのオレの存在は影が薄いなんていうレベルではなさそうだ。
そろそろ真剣に引退を考えずばなるまい。


011125  告白

いやあ、やっと日常生活を取り戻した。明日からはまた仕事である。旅を終えたところで、一応告白しておいた方が良いだろう。同行者はトリさんには違いないが、実は彼女なのである。

それはそうだろう。折角の海外旅行折角のダブルベッド。誰がムサイ男なんかと一緒に行くものか。動かぬ証拠ホテルのカードをお目にかけよう。

旅行期間中レシート類を始めとしていろいろな紙切れがたまる。何がどうなるかわからないので、全ての紙切れを封筒に突っ込んで来て、今日整理をして不要なものを処分した。

その中からこんな紙切れが出て来て、冷汗ものである。猛妻に見つからなくてよかった。

それにしても旅行中は横文字というだけで拒否反応を起こすせいか、全く気づかなかった。


011124  追いついた

毎日更新、固唾を飲んで見守っていて下さった諸兄姉。申し訳ない。ドラスティックな裏技アップはなかった。やはり旅行先からとなると無理である。

しかしネッ友(推敲時点で追加する。“美女のネッ友” と書かないとまたメールでクレームが到着する所だった)から破格の物々交換でお譲り頂いたB5ノートがオーストラリアで大活躍したのだ。
これがなければこんなに早く追いつくことは不可能のインフィニティだった。


ホテルで毎晩々々カチャカチャとパソを叩き「好きだなあ」とトリさんにあざ笑われたが何をいうか。そもそもパソの面白さを教えて、強引に買わせたのは彼なのだし、HP立ち上げの初期教授も彼じゃないか。

トリさんはハードからソフトに至るまで、特に数理統計の分野に関しては超ベテラン、超高名な方なのだ。今回のいくつかの彼の写真のUPからは到底想像も及ばないと思うので、彼の名誉のために顔の良さと脳味噌の分量は、相関係数を求めても全く無関係だということが立証されるだけだということを断っておこう。

とにかくトリさん色々悪口も書いたが感謝である。もっとも悪口とはいっても真実を記しただけなのだから悪しからずなのだ。小生の英語力皆無ということでもお世話になったが、特にステーキハウスでの奇跡の感動はトリさん無しには絶対に実現しなかったことなのだ。

出発前にはトリさんをパートナーに選んだことを心から後悔したが、帰宅したいまは後悔したことを後悔しているということを、ここに力強く公開する。

しかし「追いついた」のは、決して美女ダチのB5ノートだけのためではなく、自助努力があったということも認めて欲しい。昨日はホテル発から自宅着まで実質十三時間の、しかも禁煙の長旅だったのだ。帰宅早々「どん」に土産を持参がてら呑みに行き二時間。そして帰宅してからとうとう完徹をしたのだ。

「今日は休み。昼間寝れば良い」と思ったのも大間違いだった。気は心の友人達への土産物の整理で狭い居室は足の踏み場もないし、ビデオの編集とデジカメの整理。まだまだ片付かないが一日追われてしまったのだ。しかしどうやら一段落のメドはついたので、コンテンツのUPに励んだ。ここ四十五年、未だかつて経験のないことであるが、本日の競馬すら上の空、ナガラTV観戦だったのだ。「追いついた」のはまさに自助努力も大きなファクターだったということをお認め頂いて、「毎日更新」が途絶えなかったことにして頂きたい。

何をそんなにコダワルのだとおっしゃるかも知れないが、小生何度も書いているように自分一人でやっていることに関しては「始めたら止めない、止めるなら始めない」をコンセプトにしている関係上、コダワルのである。

後一週間で一周年記念。再三再四のことであるが改めて声高に宣言する。今回のような例外措置はあるかも知れないが、指が動く限り、本コンテンツの「毎日更新」は続ける。

何? ダレだ。「そんなこと簡単だろう。そう長くはない命」と思っている不逞の輩は。

イケナイ。今夜こそ十分な睡眠をと思ったのに二時半を回ってしまった。今からオラシオンをタップリのウィスキーで流し込んで、明日は爆睡するのだ。

011123  超望遠

今回の旅行で撮ったデジカメ百枚弱。回したデジビデが二時間弱。特にデジビデの超望遠が大活躍だった。左の写真はゴールドコーストANAホテルの十三階の部屋のテラスから撮った俯瞰図。

目一杯にズームするとここまで来るのだ。小生はこういう映像には興味がないが、BBS仲間のハンドルネームEPさんやESさんがこのテラスから下を覗いたら、涎の雨を降らすに違いない。

右の写真は深夜のホコテンパフォーマンス。小生はこういう映像にはあまり興味がないのでズームはしなかった。
右の写真をクリックしても無駄だ。


しかし親愛なる本コンテンツの読者の方々、ご意見を聞かせて頂きたい。小生の視力が狂っているのだろうか。どう見ても見えているように見えるのだが・・・。


011122  凄い

今回の旅行の小生にとってはメダマだったワーナームービーワールドへ。ロスのユニバーサルスタジオに比較すると(大阪のは知らないが)遥かに規模が小さく、タクシー代・入場料の値打ちは無かった。
それでもザクッと言えばゴールドコーストは◎だったが、シドニーは△だったし、オーストラリア料理は×だった。

話はブットブが小生、高校卒業後七回も職場を転々としたし、転居の数もハンパじゃない。従って十七年前に変なキッカケから三十年振りの高校時代の級友に発見され、それから間もなく開催された箱根での同窓会に参加した折には、名簿に「故人?」と記載されていた。そしてもう一人「故人?」と記載されている仲の良かった「境」の名があったが、彼も別ルートの変なキッカケから発見されて…簡単に書くと箱根の同窓会で小生と彼とは昔の仲間たちに三十年振りの再会を果たしたのである。「生きていた!」ということで小生と彼とは特別表彰をされたのだ。

そして彼は偶然にも当時の我が社の近くでステーキハウスを開いているということが判明。二度ほど足を運んだが再度突然消え失せた。風の便りでオーストラリアに移住してステーキハウスを開いたということであるが、あの時以降、高校同窓会の幹事として小生がメンテナンスを引き受けている名簿には「境〜オーストラリア〜故人?」と記載している。

今夜シドニーに戻り、トリさんに「折角のオーストラリア、ひとつ位は美味いものを食いたい」と言ったら、彼が調べてくれて「日本人が経営している『大和』というステーキハウスがある」。

高級ホテルの一階を占拠し、百席はありそうな高級レストランであるが、オーストラリア最後の夜、奮発することにして上等のステーキをオーダーした。

鉄板でステーキを焼いてくれている日本人コックに 「行方不明の友人がオーストラリアでステーキ店を経営しているのだが、どこの都市なのかは分からない。日本人の経営者同士の横の繋がりとか名簿はあるのだろうか」 と聞いたら 「日本人経営のステーキ屋はオーストラリア中に無数にある。せめてどこの都市とか、も少し範囲を絞れないと・・・」 と答えられたが当然だろう。

「そうか、日本では新宿で店を持っていたんだけどなあ」 と言ったら 「えっ、うちのオーナーも新宿で店を開いていたそうだから、或いは知っているかもしれません。オーナーに聞いてみましょうか、あそこに居ますから」 と言ってレジを指差した。
ひょっと顔をあげてそちらを見た小生、箸を放り出してレジに吹っ飛んで行ったのだ。


「オイッ!境じゃないか!!」。キョトンとした顔のオーナーが小生を見て叫んだ。「何だ何だ、ウエハラーッ!何だどうしたんだ!」。

いやあ、凄い話である。全くもって凄まじい話である。肉どころではなかった。夜も遅いし明朝は早朝の出発である。あわただしい時間ではあったが旧交を、それも物凄く旧い旧交を、瞬間湯沸器にぶちこんで、機関銃のようにしゃべって来た。

小生が管理する同窓会名簿から 「故人を消して、この住所を記載して郵送する」 ということ、「帰宅次第、主だった連中に生存と会見を伝える」 ということ。彼の方からは 「今度日本に行くことがあれば(余程のことがないと帰日しないそうだが)必ず連絡する」 という約束を取り付けて席に戻った。小生の肉は、冷えてしまわないうちにというお心遣いから、トリさんが平らげてくれていた。

ホントに凄いことってあるものだ。かなり激しいウソつきの小生のことゆえ、俄かには信じて頂けないかもしれないし、また「オーバーな」とお思いかも知れない。でもこの凄い話。ホントに本当だし、トリさんが証人である。

帰途のタクシーの中で小生が無口になったこと、トリさんは 「肉を食ってしまったから機嫌を悪くした」 と誤解したらしいが、そうじゃない。口を開くと涙腺も開きそうになるのを懸命に堪えていたのだ。



011121  暑い

快晴のシドニーから土砂降りのゴールドコーストへ。と書いたら読者諸兄姉は手を打って喜ばれるに違いないがウソである。横殴りの嵐をついて早朝チェックアウト。カンタスでゴールドコーストまでは一っ飛びの一時間強。飛行場に着くとヤッケも長袖もかなぐり捨てたがそれでも暑い。抜けるような青空の下、体感温度四十度である。

ホテル着が十時、まだチェックイン出来ないので荷物を預けて周辺散歩である。飲む、食う、寝るの三拍子のトリさんが腹が減ったとワメク。さっき空港でヘビーな朝食を済ませたばかりではないか。まあ旅は道連れ、仕方がない。ステーキハウスに入りバカ安まずまずのステーキを食う間に彼はビールを三本。従ってやっとチェックインしたホテルで途端にベッドに大の字になって大鼾をかき始める。

勿体無いことだ。仕方がないから一人でデジビデとデジカメを抱えて再度街に飛び出す。何て開放的な所なんだ。別に臍出しルックなんて珍しくはないが、若い女性の五人に四人までは臍丸出しで歩いている。別に見たくて見るわけではないが、すれ違う度に丁度小生の目線の位置なので、イヤでも目に入って来てしまうのだ。しかも臍出しルックとは言ってもハンパではない。穿いているパンツやミニスカの上限まで十五センチは開いていて、つるつるの大平原が広がっているのだ。どうやらこちらの女性は皆さん無毛のようだと、感心しながら歩く。

海岸に出て驚いた。街中より更に賑やかである。南太平洋の大海原が陽光のもとに白波を蹴立てている。見渡す限りの海岸線の突き当たりで、海と空が僅かばかりの青の境界線で隔てられている。何とも物凄い風景である。女性は全て美しい。

ビキニがこれまたまたハンパじゃない。胸をときめかせながらビデオを回したが、男だと思って撮った映像が女性ではないか。急いでカメラから目を離して確認したら、何とトップレスなのだ。気をつけて見るとアチコチにトップレスの女性が…。沢山の映像は自分で楽しむことにして、一枚だけご覧に進ぜよう。

目を皿のようにして歩いていたら遠くから超ビキニのトップレスの女性がこちらに走って来たので、ご自慢の超望遠で追いかけたらギャーーッだ。ビキニではない。オールヌードなのだ。 

失礼しました。有毛の証明なのだ。震える手で大急ぎでビデオの電源を入れたが間にあわなかった。後ろ向きに寝そべってしまった。

部屋に帰るとトリさんが起きていて、水割りを傾けながら「腹が減った」という。オイオイなのだ。少しだけ待っていただき、早めの夕食に出かけた。中華料理、物凄く立派な店構え。 

高くて不味かったが、しかしである。帰途のメインストリート、歩行者天国になっていて、陽気な若者達でゴッタがえしているのだ。唄ったり踊ったり、スポーツに興じたり、物凄い騒ぎなのである。夜だからと思ってビデオを持参しなかったが、夜中にはストリートパフォーマンスがもっと盛り上がっているに違いないと思って、また大鼾のトリさんを叩き起こしてビデオ持参で引き返した。
う〜ん、う〜んである。物凄かったのである。残念無念、画像のアップは勿論だが、これ以上は書くことも出来ないのである。  


ウソはつかない。もしオーストラリアに行くことがあったら、ゴールドコーストは絶対のお勧めである。
いやあ、今日は暑かったが楽しかった。



011120  寒い

二日続きとあっては白状せざるを得ないが昨日は悔しかったから書かなかったのだ。「あいにくの雨模様」とぼかしたが実は嵐だったのだ。しかも最高気温は八度。霙まじりでもおかしくない横殴りの強風で歯の根が合わないほど寒かったのだ。猛妻に強制着用を命じられた成田までの長袖のシャツと東京モーターショーで貰った黄色い不幸せのヤッケが幸いした。

ランニング+Tシャツ+長袖シャツ+ヤッケという年に数回あるかないかの四枚重ねの厚着で辛うじて寒をしのいだ。ホテルのバーでお門違いとは知りつつも「何でこんなに寒いんだ」といって当たったら 「とんでもない。三日前までは三十度を超える猛暑だった」 と言って可愛いお姉さんに叱られた。雨季ということは知っていたが、晴男の神通力も海外にまでは通用しなかったし、ましてこんなに寒いとは…。不覚であった。

実は昨夜のシーフードレストランもアウトドアのテントスペースで、屋根こそあるが横殴りの風雨で、すぐそばでガンガン炊いているストーブの暖房も全然効果なし。それが或いは味覚にも影響したということも考えられなくはない。

そこで今朝の話だが、昨夜のうちに「ブルーマウンテン」の半日ツァーを予約しておいたのだ。シドニーから西に百キロ、風光絶佳の場所ということだ。しかしモーニングコールで起こされて窓を開けたトリさんが「ギャーッ」と叫んだ。ビックリして外を見ると昨日にましてひどい吹き降りである。吹き込む風は体感零下である。「どうする?」と聞かれたってどうしようもないではないか。予約してしまってあるのだ。でも海抜千メートルを超える山の中なのだ。

約束の七時半にツァーの迎えが来た。「昨日の強風でユーカリの木が倒れて道が一時通行不能の情報が入った。でも多分復旧していると思うので予定通り出発するがダメだったら代替コースを考えるからゴメン」 との心細いコメントである。

日本人主体のツァーとあってマイクロバスはこちらの二人を含めて日本人ばかりが十二人。バスはワイパーを最速にして高速道路を突っ走る。運転手兼ガイドのシェーン氏はなかなかの好青年であり、日本語も流暢である。留学で名古屋に住んでいたことがあるそうだ。

道は復旧していて豪雨と霧の中を「三人娘の岩」目指して登って行く。
同行の日本人たちが 「これでは何も見えない」 というので 「大丈夫、晴男がここにいる」 と言って励ましてやった。

シドニーから一時間半、目的地に到着。シェーン氏が 「折角着いたが今日はダメ」 とアナウンスをした後に小生がバスのステップから足を踏み降ろした直後だ。一陣の強風と共に雨が上がり霧が晴れて、眼下に見事な景色が広がったのだ。まるでモーゼの伝説である。ウソだと思ったらココをクリックして欲しい。

見学を終えてバスに乗り込んだ途端に景色は再度、雨と霧のベールに包まれた。そして次の目的地の「いのしし岩とユーカリ樹海」へ。シェーン氏が 「ひとつだけは奇跡的に目的を達成したから…」 と慰めのコトバを吐いたが、またしてもバスのステップを降りた途端の小生の奇跡である。ウソだと思ったらココをクリックすると良い。

ということで、本日は素晴らしい一日だった。シドニーに戻ったのが十四時過ぎ。何とまたドシャ降りである。トリさんと街を歩いて一旦ホテルに戻る。今夜はトリさんはこちらに在住の知人に会うという。一緒にと誘われたが遠慮して一人で映画館に足を運ぶ。これで一海外旅行、映画一本のノルマもクリアした。

ニコール・キッドマン主演の「OTHER‘S」。
全然分からなかったが少し分かって、結構面白かった。日本での封切りが楽しみである。



011119  眠い

成田発二十一時、シドニー着が午前六時二十分。九時間半弱の飛行である。時差が二時間で現地時間八時二十分。通関は思ったほどのことなく、ショートピースのワンカートンをしつこく「シガレットか?」と尋ねられただけで済んだ。そのシガレットを吸いたいのだがダメ。何しろ十時間以上も一本も吸っていないのだ。とりあえずホテルに向かうことにしてタクシー乗り場へ。広くて気持ちの良い道をスットバシテ、ホテル着が九時。かなりの走りだったため料金を心配したが三十ドル弱、日本円にして二千円程度はやはり安い。

飛行機の中ではほとんど一睡も出来なかった。何しろ狭いし後ろの席がうすらでかい外人なのだ。小生の椅子の背中に足が窮屈そうにつっかえている。文句を言おうかと思ったがあれでは背中から椅子をつつかないでくれと頼む方が無理だ。少しウツラウツラしかけたなと思ったら背中をドスンと揺さぶられて飛び上がって目が覚めてしまうという状態の繰り返しだった。

あいにくの雨模様でもあるのでトリさんととにかく一眠りしようということで、フロントに交渉に行った。「チェックインは二時だが逆延長で金を払ってもよいから部屋に入れて欲しい」「部屋はスモーキングルーム」「ダブルベッドの方でなくツィンベッドの部屋を」。

手まね英語で時間はかかったが、全て通じてその通りにしてくれたし逆延長料金はサービスということにもしてくれた。とりあえずは部屋に飛び込み、二人でキチガイのように煙草をむさぼりふかす。外見といい室内といい料金から覚悟していたよりはかなり立派なホテルである。 

窓から外を見ると目の前に洒落たテラス風のスナックがあり、朝から近所のサラリーマンやOLで賑わっている。どうやらここはオフィス街のドマンナカのようだ。

「あそこでビールをあおってから一眠りしようではないか」ということで早速出かける。コーヒーで朝食の周りの人間に気兼ねしながら「オーストラリアビール」をオーダー。なんとトリさんは朝っぱらから三本もお代わりである。

酔いが覚めやらぬうちにと思い、急いでホテルに戻ってベッドに潜り込む。ああ、やはり寝られないのだ。三分もたたないうちに隣のベッドから台風のような鼾の音が…。

努力したがダメだ。仕方がないから起き出してパソに向かう。そしてこれを叩き終わろうとしている今、すでに午後一時半を回ったというのに、モノスゴイ鼾が部屋を揺さぶる。もったいない。貴重な時間なのだ。この一文をセーブしたら叩き起こしてやるのだ。

そして叩き起こした。「お前さんのお陰で貴重な時間をロスしてしまったではないか。弁償しろ」と文句を言ってやったら、「夕食をオゴル」という。当然である。

予約してシーフードの「ウォーターフロント」までタクシーを飛ばす。湾岸レストランでなかなかの景色である。生ガキのオードブルから入って物凄い量のロブスター料理。生ガキはなかなか美味かったというか、東京で食う生ガキの味だったが、ロブスターはうーむだった。奢って貰った手前、読まれるとまずいが、硬くて大味。量だけがハンパじゃないという感じで食いきれなかった。ついつい太地訪問の際にネッ友の鯨屋さんにゴチになった伊勢海老と比較してしまい、改めてあの時はさぞかし散財だったのだろうなと、感謝する。

一人前約七千円は、アルコールと風景料込みでまずまずと言えよう、などと贅沢を言ってはいけない。トリさんにとっては高すぎる昼寝の代償だったといえよう。

ホテルに戻って、ヤクを成田の免税店で買って来たシーバスリーガルで流し込んで、トリさんが寝る前に大急ぎでベッドに潜り込む。


011118  旅支度   

このザックの中にデジビデとデジカメとノートパソおよび充電器・コンセント類。眼鏡と本とショートピース、パスポート、ビザ、航空券が入っている。後の財布やエクスプレスの切符やライターやメモ・ボールペンはポケットの中。ヨイショっと背負って出かけるだけである。

半袖のポロシャツ姿であるが、成田までの往復の寒さはガマンすればよいだけの話。パンツと靴下とポロシャツは毎日裏返しながら着れば五日間位は凌げるし、イザとなれば伝家のノウハウ、着たままでシャワーを浴びて、灼熱の太陽の砂浜に飛び出して乾かせばよい。

の筈だった。しかし、烈火のごとく怒った猛妻が、スーツケース一杯に五日分の着替えとご丁寧に替ズボンまで詰め込んでしまった。

まあ「自分で洗濯するか、荷物を持つか」の二者択一と言われれば後者を選ばざるを得ない。
では、いざ迷走の旅へ。 行って参ります。


011117  長〜い視線

「毎日更新」を宣言して本コンテンツを立ち上げたのが昨年の十二月一日、歯を食いしばりながら、罵声と嘲笑を浴びながら何とか今日までは約束を果たして来た。明日十一月十八日もマシントラブル等、余程の事がなければ大丈夫なように準備が済んでいる。

すなわち当面の目標であった一周年記念まで、後たったの十二日間を残すだけである。残りの三百五十三日間はガンバッテ来たのだ。ああ、然るに、然るにである。ついに連続更新記録の終焉を迎えなければならない。
京都や信州のネッ友がバンザイを叫ぶ声が聞こえてくる。

幼少時を過ごした念願の上海に旅行して、終戦まで住んでいた我がアパートを見つけたのが九十七年の一月。その感動を「目線」と題して「山と渓谷」の別冊誌「百万円懸賞小説」に応募(選者・椎名誠他)、ノミネート通過が発表されたのが九十九年の三月。そして痛哭涙を飲んだのが同年五月。往生際の悪い小生のこと、せめてもと思いわがHPに「誰も読んでくれない記念」に磔の刑に処したのが本年の一月。

二月にメル友から情報が入った。
「JAL機内誌WINDS」で随筆を募集していると・・・。往生際の悪い小生、原稿用紙五十枚の「目線」をカンテツして五枚の随筆風「視線」に焼き直して応募したのが本年六月(選者・浅田次郎他)。

コケの一年が実って入選が通知されたのが七月だった。正賞は「WINDS一月号」への掲載。そして副賞が「世界お好きな都市へのペアでJAL航空券」。

やっと執念の原稿に木漏れ日が当ったのだ。当初は本コンテンツの一周年だけは完走すべく、十二月を過ぎてからの出立を予定していたのだが、諸般の事情から十一月の出発を余儀なくされた。
執ならんと欲すれば幸ならず、幸ならんと欲すれば執ならず、まさに楠正行か大石良雄、ソクラテスかヒポポタマスの心境である。

暫時のお別れである。明夜から社ダチのトリさんとオーストラリアへ出発する。帰宅の暁には、多分写真ネタのラッシュになるだろうが文字通り上に並ぶ空白の日付の「埋め合わせ」をすることをお約束する。誠に遺憾ではあるが、「迷走録」は一旦明日で途切れる。

しかし、考えてみればまた一年後に同じ悩みを抱えることになりそうだ。なぜなら現在JALでは本年分(第三回)の募集をしている。帰って来たら今度はトリさんの名を借りて 「オーストラリアでキレタ」 という随筆を応募する心算だからだ。

もっとも副賞のペア航空券申込み時に、今度は同行者欄に小生の名前があったらバレるだろうな。入選取り消しになるだろうな。


011116  ペアの片割れ

いよいよ明後日出立である。用意というほどのものはないが、諸電子機器類の充電や航空券やホテルチケットの確認等で結構あわただしくなってきた。それにつけてもケシカランのは今回のパートナーの社ダチのトリさんである。

そもそも「ペアでご招待」は良いが、パートナーの選定に迷ったのだ。娘を一人で留守番させるわけにはいかない関係上、猛妻はまず候補から外れた。

そのうち情報を聞きつけた何人かのうら若き美女達が立候補してきた。彼女らであれば、たとえば抽選でそのうちの誰になったとしても大歓迎である。しかしいかに謹厳実直・品行方正の小生とはいっても、彼女らの中の誰かと一週間近くも海外旅行をしたら、何事もなく帰ってくるという自信がない。第一こっちがいくら頑張っても、彼女等の方で許すまい。

結局、今回の入選作のキッカケとなった上海旅行をともにしたトリさんに声をかけたのである。海外旅行の経験が多いし、七年間も台北駐留生活をしていたから、何かと頼りになるだろうというのも大きな理由であった。

先月末から今月始めにかけて小生は幕張にへばりついていた。この間に現地での移動の航空券やホテルの手配をしなければならないため「任せておけ」という彼に任せていたのだ。 

ところが幕張から帰ってみると、何と、な〜んにもやっていないではないか。まあ彼も今丁度忙しい時期、仕方あるまいということで、大慌てでバタバタと二人分の手配を済ませた。

彼は週の前半は佐久別荘で仕事をしているが、後半は東京のオフィスでわが社との距離は五十メートル。一日二・三回は顔出しをしている。ところが今週になって全然顔を見せないし、明日からは休みだ。
仕方がないので彼の携帯に電話して 「ビザと航空券を渡しておいた方がよいし、ちょっと打ち合わせもした方がよいから、コッチに来てくれ」 といったら 「そんなこといったって無理だ。いま佐久にいる」 とのこと。エーーーッだ。


「明後日だぞ、どうするのだ」 と言ったら 「夜の飛行機だから明後日昼過ぎに自宅にもどり用意をして折り返し成田に行く」 という。「何時にどこで?」 と尋ねたら 「そこまでの約束は出来ない。どちらかが成田に着いたところで携帯で連絡を取ろう」 だと。流石見込んだだけあって頼りになるというか、いくらなんでもアバウトすぎると言うか。

ただそれ以上に困っているのが現地のホテルである。彼の鼾禍から逃れるべく、シングル二部屋を抑えようとしたのだが、何とシングルルームというのはないそうなのだ。最も小さな部屋でツィンかダブル。そこにシングルで泊まっても室料金は変わらないとのことだ。
いくらホテル代が安いとはいってもそれはあまりにも勿体ないし、結構いいホテルなのに一部屋を二人で割れば相当に安い。因みに四泊で一人二万五千円であがる。


鼾禍はガマンすることにしてツインを頼んだが、旅行社曰く「それは現地で交渉してください。ツィンの部屋は少ないのでダブルということになるかもしれません」。
グェグェである。小生床に寝ることを考え、寝袋持参とも思ったが、これは大荷物になる。

こんなことなら例えわが身は無事じゃなくても良いから、やはりうら若き美女をパートナーに選ぶべきだったと思って後悔している。