迷  走  録


一旦自分の口から飛び出してしまったコトバには責任を持たなければならない。それは既に社会に向けて発信されてしまったのである。

ましてそれが確実な記録として残る「書く」ということにおいてはなおのことである。

自分に確たる思想があるわけではないし、生き方の方向が定まっているわけでもない。だからコトバを発することは恐いし、書くことはもっと恐い。

自身で振り返ってみても矛盾に満ち満ちているので・・・。

しかし、だからといって考えることを止めるわけにはいかない。瞑想することを放棄することは出来ない。

たとえ、迷走でも良い。口から発することによって、書くことによって、多少なりとも自らを律することが出来るのだとすれば。

自らを律する意味でも「毎日更新努力」を宣言して、本コンテンツを設置した。    

                                                                       2000年 12月 1日
レジメ 

2000/12  0101前半 0101後半 0102前半 0102後半 0103前半 0103後半 0104前半 0104後半 0105前半 0105後半 0106前半 0106後半 0107前半 0107後半
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011215 千葉県

別に千葉県が嫌いなわけではない。ただ十年前に免許を取って、特に取得直後はドライブで走りまくったが、なぜか千葉県だけは縁がなかった。実際の距離の上では東京のお隣である。しかしイメージ距離としては大渋滞の東京を横断して行かなければならない分、物凄く遠く感じるのだ。

実際の距離や時間ということで考えれば、明らかに千葉よりは難儀な筈なのだが、イメージ距離として神奈川や茨城・栃木・群馬・山梨に車が向いてしまうし、場合によっては長野や新潟の方がよほど近いように錯覚してしまうのである。

これらの県には随分通ったが、千葉県だけは縁がなかった。正確に言えば免許取得後三年目位の時に、千葉にだけは車の片輪も踏み入れたことがないのは不条理だといって、館山に民宿を予約したことはある。当日の朝、娘が高熱を発してキャンセルを入れた。

要するに千葉にはよくよく縁がないものと決め込んでいたのである。自慢じゃないが、千葉県にあるからというだけの理由で、ディズニーランドにすら一度も行ったことがない。

その千葉県にやっと我が愛車が足を踏み入れたのは、免許取得後の八年目、一昨年のことであり、猛妻のたってのリクエストで鴨川シーワールドの撮影旅行に付き合った。しかしやっぱり千葉は遠かった。従ってそれ以後は南は和歌山、北は青森までと車を伸ばしているが、再度わが地図から千葉県は消えてしまったのである。

ところが、今年の十一月末から十二月初旬にかけて、本コンテンツでも大騒ぎしたので記憶に新しい所であるが、一週間以上にわたって「東京モーターショー」のために幕張まで通ったのである。幕張というのはレッキとした、正真正銘の千葉県なのである。

そしてあの時、多勢のバイト諸君の管理でバタバタとしている時に、社から携帯に電話が入り 「銀座の広告代理店クライアントに至急電話をしてくれ」 という。電話をした。

「かくかくしかじかという仕事なのだけど、やって貰えるか」 という。貰えるも貰えないもない。この際である。
「とんでもない、どんな仕事でも喜んで」と答えた。

その時はそういう状況であったので、詳しい話は出来なかったが、それっきりナシノツブテになってしまった。流れたものと思って諦めていた。

銀座の広告代理店から再度突然電話がかかってきたのが先週である。 「例の仕事が具体的に進展しそうだ。ついては最終クライアントに同行して欲しい」 という。その最終クライアントの場所を聞いたら、なんと幕張なのである。勿論「東京モーターショー」とは全く関係がない。

そして昨日、広告代理店の担当者の方と一緒に幕張のクライアントに同行して、仕事を受注した。考えてみれば生れて始めて行った幕張で作業の最中に、幕張のクライアントからの仕事を受注したということになる。何とも不思議なめぐり合わせである。

当分の間、幕張を中心とした千葉県を這いずり回らなければならないが、有難いことである。全く縁がなかった千葉県にべったりと付き合った、そしてこれからも付き合う年末ということになったが、幕張ならば目をつぶってでも案内して差し上げられる。

本当に不思議な偶然であるが、千葉県は嫌いじゃないが・・・などとは言っていられない。大好きにならなければ罰が当る。


011214  そそっかしい人

そそっかしい人もいるものだ。七十歳にしてパソを始めた。勿論大変結構で尊敬すべきことであり、そのことをそそっかしいと言っているわけではない。

今は引退して悠々自適、特にカメラとスケッチに関してはプロ級の腕であり、カメラはいくつものデッカイ入賞を繰り返しているし、スケッチについては朝日新聞を始め、何度かマスコミに紹介されている。

彼が現役時代には小生、大変お世話になった方であり、ということはマーケティング関係の大家でもあり、何冊かの著書も出版されている。

その彼がパソの手始めとしてメールを始め、その実験相手の一人として小生も選んで頂けるという栄に浴した。パソについては小生の方が二〜三年は先輩であり、彼が小生がメールを始めた時に困惑したようなことについては、その解決法をアドバイスすることが出来た。

彼がそそっかしいというのは、それだけのことで小生をパソのベテランと思い込んでしまったことである。無論悪い気持ちはしない。知らぬ顔の半兵衛で、わざと自分でもわからない複雑なパソ用語を使ったりして、ベテラン面をしていた。

先日電話がかかって来た。「Cドライブがマンタンで二進も三進もいかない」。何分にも急造ベテランであるため電話でアドバイスというわけにも行かず、家がそれほど遠くないということもあってタクシーで彼の家まで飛ばした。
Cドライブのプロパティをみてビックリ、全円ブルーで使用可能領域が限りなくゼロに近い。

原因を調べて更にビックリ、さすがセミプロの写真家だけあって、全国からのメールが三百通位入っているが、殆ど全てがテンプつきでそれが全部写真。一通のメールに五枚・六枚の写真がテンプされているものもある。

Dドライブの方はスカスカの空家である。メールの写真をDドライブに転居させる方法をとくとくとして説明、五十枚ほどの写真を移し終った時点で再度プロパティをみると、毛筋ほどのピンク色が見えた。

得意満面で「根気がいるけどこの要領で作業して下さい」と言って、そのあと一緒に街に出て、ものすごく贅沢で美味い中華料理をご馳走になって帰ってきた。

二日後再度の電話。「言われた通りに作業しているがパソが全く言うことを効かなくなった」。そんなバカなと思って再度タクシーを飛ばした。悪戦苦闘したが、何しろすぐにフリーズしてしまうのだ。社のベテランに電話して症状を説明した所「作業領域がないのにそんなに重い作業をしてもパソがいうことをきくわけがない」。

そんなこといわれたって、小生にはどうしようもないのだ。ものすごく贅沢で美味い寿司をご馳走になってスゴスゴと帰ってきた。 

ノートパソであるのを幸い、本日彼にパソ持参で社まで来て頂いた。社のベテランが三十分ほどいじっていたが、Cドライブがスカスカに空いて快適に動作するようになった。

何をどうしたのかサッパリわからなかったが、彼の手前、小生はパソのベテランである。
「ああ、なるほど、そこに気づけばよかったのだ」と何食わぬ顔で言った。

そもそも小生にパソのことを聞くなどということ自体、彼はそそっかしいという以前に無謀なのだ。
てなことを書いて彼に読まれると「寿司吐きねえ」と言われそうだが、よもやここまでは辿り付くまい。


011213  グェッ! サ・三百万円

「突然失礼致します。『零細企業の哀しい社長』を拝読してお願いのメールを出させて頂きます」 という丁寧で長文のメールが飛び込んで来た。民放テレビ局の番組企画部からである。

はて心当たりがない。マスコミ関係の友人も何人かはいるので、彼らの紹介かなとも思ったが、どうやらそんな様子もないので、検索で引っかかったのだろう。まあ、そんなことはどうでもよい。まるごとコピーするわけにもいかないので、要旨のみ箇条書きにすると

1.来年から零細企業の社長を三人、スタジオに招いての週一の番組を始める。

2.この不況下であえいでいる社長が「もし三百万円あったら・・・」会社復興のために「どう使うか」を、経営哲学を交えながら熱く語り合って欲しい。

3.審査員が、そのうちもっとも優れた復興策と経営哲学を語った社長を選び、局がその該当者の会社に三百万円を進呈するから、語った復興策通りに使って欲しい。

4.選に漏れたとしても出演料として三十万円を進呈する。

5.ただし私生活も重要なファクター、カメラが家庭内に入り込んで密着取材をする。

というものである。

長文メールを最後まで読んだところ、どうやら「貧乏脱出作戦」とやらいう番組の向こうを張っての企業版といったニュアンスである。

しかしなんておいしい話なんだ。なんて素晴らしい話なんだ。あわよくば三百万円、あわ悪くても三十万円イタダキなのだ。
プリントアウトした紙を振りかざして「大変だあ、三百万円だあ」と叫んで猛妻の所へスットンデ行った。

読み終わった猛妻がスッと顔色を変えた。
「あんたがショボクレタことばかり、今にも会社が潰れそうだということばかり、書いているからでしょ」。

それはそうだが、だからこその三百万円ではないか。猛妻はさらに言う。

「あなたは三百万円で家族を売る心算なのか」  『???』

「そんなものがテレビで紹介されて、私が写真教室やダンス教室に行けると思ってるのか。それどころかここの商店街も歩けなくなるのよ」 
『そんなオーバーな!』

「こんな狭い所にカメラが入り込んで、隅から隅まで私生活を写されて。パルだって黙っていないわよ。吠えまくって噛み付きまくるわよ」 
『パルは関係ないだろ』

「じゃあ、勝手にしなさいよ。とにかく私は離婚だからね」

おう、離婚は望むところだ。三百万円一人じめなのだ。
しかしここで娘から決定的な一言。 
「私はベランダから飛び降りるからね」。 それは困る。ここは七階なのだ。

仕方がないのでスナックのママと交渉した。 『密着取材に来た時だけ俄か夫婦を頼む』。

〔しょぼくれているのは会社だけじゃない。とうとう子供は出来なかったし飼い猫も老いさらばえて死にそうだ。女房に経営させているスナックは閑古鳥が鳴いている〕。
番組企画にピッタリの絶好のシチュエーションではないか。 「よし決めた!」と思った。

三百万円獲得の暁には、ポンと三万位ママに小遣いをやろうと思った。しかし、何とゴーツクバリのママなんだ。
「百五十万円くれるんだったらやってあげる」。
 冗談じゃない。涙を飲んで、丁重に辞退のメールを返信した。

嗚呼! 三百万円!!


011212  オーストラリア小土産 8 

旅の終わりに・・・

数少ないチャンスの海外旅行に行くたびに思う。「これが最後の海外旅行かもしれない」。だとすれば、徹底的に歩こう。
徹底的に見て、徹底的に写して、徹底的に目と心に焼き付けよう。徹底的に遊ぼう。


今回のオーストラリア旅行についても例外ではない。というよりは、我が人生の整理の段階に近づいている分だけ、この思いは一入だった。
実に良い旅だった。実に有意義な旅だった。本当に楽しい旅だった。

今夜まで「オーストラリア小土産」にお付き合い頂いた皆さん。有難うございました。

まだまだ写真ネタは無尽蔵にあるので今後もたまには思い出してアップすることがあるかも知れない。
しかし本来の「迷走録」の原稿がたまりにたまって溢れかえってしまった。一旦ここで区切りをつけさせて頂くことにする。


お付き合い頂いた感謝の念を込めて、旅の終わりに、とっておきの素晴らしい映像をアップさせて頂く。
くれぐれも、悶絶して救急車のお世話になることがないようにお願いしたい。


011211  オーストラリア小土産 7

ワーナームービーワールドで。写真に撮ると何の変哲もない壁に書かれた絵だが、ダマシ絵というヤツだろうか。肉眼でみると見事な奥行きなのだ。向こうの小屋まで行こうと思って、壁に頭をぶつけてしまった。

ランドルフ・スコットかジョン・ウェインか、はたまたゲーリー・クーパーか。我ながら惚れ惚れとするような勇姿である。どうして三十年前、ハリウッドからスカウトが来なかったのか、偉大なる疑問である。

このカウボーイハットは「カサブランカ」という酒場兼土産物屋でトリさんが買ったものであるが、あの名作「カサブランカ」がワーナー作品とは知らなかった。そう、そして場内には常に「風と共に去りぬ」のテーマ曲も流れていた。

ところでこのカッコいい西部の男がいるからには当然、敵役も必要だ。


011210  オーストラリア小土産 6

ゴールドコーストの昼の砂浜は底抜けに開放的だった。これは大人しい方だが、この手の写真を二十枚位撮って、思う存分目の保養をしてきた。

そして夜の歩行者天国は底抜けに明るかった。まるで深夜の歌舞伎町の混雑であるが、違うのは恐さが微塵もないということ。すれ違う人皆があたかも友人同士のようであったということか。

路上ステージで歌っている右のおばさんにビデオを向けたら手招きをされた。そばに行ったらホッペに熱烈なチュッをされた。

当然このチャンスを狙ってシャッターを切るべきトリさんはと見ると、臍丸出しルックのお姉さん
三人に囲まれて踊り狂っていた。


011209  オーストラリア小土産 5

劇場のモギリのお姉さんである。小生は全く興味がないので「止そう」といったのだが、相棒が「一人でも入る」と息巻く。

責任上、野放しにするわけにはいかないので、万やむを得ず一緒に入った。
万やむを得ずだ。

われわれがここの右側のドアから入ったら、このお姉さんは左側のカーテンを開けて一緒に入ってきた。お姉さんが入って来たところはスポットライトが当ったステージ。

音楽に合わせて腰をくねらせて踊りだした。そしてだんだん・・・それはスゴかったが、スゴイ スゴイ・・・これ以上はここに書くことができない。書くことができないくらいだから、もちろん映像をUPすることは出来ない。


011208  オーストラリア小土産 4

空はあくまでも蒼く、雲は徹底的に白い。

一大リゾート地のゴールドコースト。

聳え立つ高層ビルは全てがホテルであり、ここにはビジネスの片鱗もない。

渋滞は東京と変わらない。

違うのは全てがレジャーに向かって躍動する車の列だということだ。

海岸に出て目を転じるとこの砂浜。


011207 オーストラリア小土産 3

シドニーからバスで一時間。海抜千メートルのブルーマウンテン。妖岩奇岩が聳え立っている。「猪の頭岩」とか、前にも紹介したがこの「三人姉妹の岩」とか。

しかしこのような所はどこに行っても、勿論日本各地でも見ることが出来る。自分的にはやはり前に紹介した、ここから見下ろすユーカリ樹海の方に感動した。

この三人姉妹の岩。運転手兼ガイドのシェーン氏の解説によれば、むかし三人姉妹の父親が姉妹の身の安全を守るために、岩に変身させたという伝説があるとやらだが、バスの中では半分眠っていたため正確でないかもしれない。

ここの入り口に解説文があったが、日本語ではなく英語で書かれていたので分からない。解説文の上に三人姉妹の彫像があったが、自分的にはこちらの方がイワッポかった。


011206  マスコミは踊る

別に目出度くないとは思わない。目出度いことには違いない。しかし先日のあの騒ぎは一体何なのだろうか。テレビ局は一斉に特別番組を組み、どのチャンネルを回しても金太郎飴の映像。識者を引っ張り出しての大騒ぎと、お祭り騒ぎの街の映像とインタビュー。
インタビューに答える人々も恵比寿顔で「お目出度とうございます」「嬉しい」の連呼。

あのインタビューに答えた人の中にもきっとこう言った人達だっていたに違いないと思う。
「お目出度うございます。でも今日この同じ日に、アフガンでも飢えるために産まれて来た赤ちゃんたちが沢山いるのでしょうね」。
しかしこんなことを言ったら当然編集カットである。
これはもはや取材というよりは、マスコミによる情報操作以外の何物でもないと感じたのは、一人小生だけではないと思う。

辛うじて「自分の孫が産まれたように嬉しい」と相合を崩して興奮していた爺さんのインタビューが笑えたし、カットされなかったのが不思議である。昔なら不敬罪ものである。勿論いろいろな考え方の人がいるのだから、それはそれで構わないし目出度いことであるという客観的事実は殆どの人々が認めるだろう。それぞれの人が静かに、それぞれの立場で目出度いと思えばよいことであって、マスコミが大音頭をとって 「こういう風に目出度いのだ」 「こういう風に騒ごう」 と大騒ぎするのはどんなものだろうか。

まあ 「毎度のことであるからいまさら目クジラを立てるな」 といわれればそれはそうかも知れないけれど、小生に関していえば、今回の騒ぎを見て、改めて天皇制ということについて考えてみたというか、多いに認識を変えた。

天皇は人間でなくてよいし、まして象徴などである必要はない。現人神として、確固たる実権を持つべきではなかろうか。
あの奉加帳の記帳の列をみても如実に証明される所であるが、マスコミが躍り上がって片棒かつげば、もはや天下無敵、情報操作などは思うがままである。
小泉がいくら構造改革を叫んでも、政府がいくら景気対策を講じても、事態は一向に好転しないし、気の長い先の話でもある。

現人神の天皇 「おおみずからが出でまして」 テレビで玉音放送をやればいいのだ。

「忠実なる朕の僕たちよ。今すぐ株を買え。物を買え。買って買って買いまくれ」と。
日本経済は明日から火を吹いて過熱して、ブレーキをかけなければならないほどに復興すること疑いなしである。

暫定特別立法でもよいし、期限付き典範でもよい。国会で全ての審議に優先して取り上げて欲しいし、マスコミも大々的にお先棒をかついで、たまには真に大衆のためになる方向で踊ってほしいものだ。


011205  オーストラリア小土産 2

今回のオーストラリアで食って、唯一美味いと思ったのがこの牡蠣である。美味いとは言っても「日本で食う牡蠣と同じ味だった」というレベルでの話である。オーストラリアは海の幸が美味いし、オージービーフが美味いし、中華料理も絶品であると聞いていたので、食い物も楽しみにしていたのだ。

材料が良くないのか、料理の腕のせいなのかは分からないが、全てにおいて大味で美味くなかったというより、ハッキリ言って不味かった。
「アメリカよりもひどかった」と言えば想像して頂けるかと思う。


もっともたかが五日。ホテルや観光客がうじゃうじゃしている場所ばかりでの食事である。地元の人間が使うレストランに、地元の人間に案内して貰えば話は違うかもしれないので、一概には断じ難いが、とうとう最後まで「これはウマイッ」と感動するものにはお目にかかれなかった。食い物に限らず、ビールにおいてもまた然りであった。


011204  オーストラリア小土産 1

到着日に訪れたシドニー中心部の繁華街。横殴りの雨に打たれて寒かった。この日の気温は八度とかで、東京よりはよほど寒かったが、三日前までは三十度を超える毎日だったという話だ。
一体シドニーの気象はどういう性格をしているのだろうか。


意外だったのはタバコ。本に書かれているほどにはウルサクないし、アメリカに比較すれば遥かにマシだった。

歩きながらというのはあまり見かけなかったが、あちこちで立ち止まって喫煙。一応は水溜りで消したり、キチンともみ消した後に、至るところに置いてあるくず籠に捨てるのがマナーらしいが、結構道路にも吸殻が散らかっていた。

買い物には興味がないし、寒いし、疲れてもいたので、一旦ホテルに戻るべく、地下鉄に乗ってみた。


011203  歳末特別企画

先日「迷走録」自祝一周年を寿いだところ、早速信州のS氏よりヤジが飛んできた。
「迷走録、とうとう一年、ううむ。。。立派というか、偏執狂というか、懲りないというか。。。
早くぶっ倒れて更新がストップする日を心より祈っています」。

このヤジの後ですぐにというのは抵抗があるが、「歳末特別企画」についてはこのヤジが飛んでくる前から考えていたことなのだ。

実はこの「迷走録」。前に紹介したこともあるし、お気づきの方もいらっしゃるかと思う。日曜と祝日は、ちょっとした息抜きと目先の変化を考慮して写真ネタを展開しているのだ。

写真ネタというのは視覚での応援を仰ぐことが出来るために、文章を千六百字書くよりは遥かに楽である。
それが証拠にS氏の「ぶつぶつ雑記帳」だって、ネタがふんづまりで苦しくなると碌でもない画像のアップで逃げている。


小生の場合は「ネタが苦しくなる」ということはない。あふれる感性が一歩あるく度に新しいものを発見し、流れるような文体となって脳みそを駆け巡るのだ。

唯一の例外が、非常事態を宣言した先月末からの「東京モーターショー」の時であり、流石の小生も写真ネタで体を交わさざるを得なかった。

しかし今回の「歳末特別企画」はそれとは全く意味合いが違うのだ。決して一年たったから一休みということでも、少しダラケタということでもない。待機しているアイデアは文字通り枚挙に暇がないほど並んでいるのだ。

ただ如何せん、今回のオーストラリア旅行のデジカメ写真、ハンパな数じゃないし、デジビデの静止画像取り込みなどということを考えたら無尽蔵に写真ネタがあるのだ。

オクラ入りさせるのは如何にも勿体無いし、かと言って日・祝しか使わないという方針を貫くと、全てを放出するのに来年一杯かかってしまう。鮮度が勝負のネタが腐ってしまう。

当初は多少気合を入れた旅行記として「零細企業の哀しい社長」への収録も考えたが、あちらの方は二十五年前のヨーロッパ旅行がまだ完結していない。オーストラリアが割り込むというのもどうかと思う。

そこでだ。繰り返すが苦し紛れではない。冷静・計画的な「歳末特別企画」である。

緊急の飛び入りネタがあった場合は別だが、明日からしばらくの間は、厳選した写真ネタをアップしていくことにする。
もちろん謹厳実直な小生のことゆえ、変な写真や下品と感じられるような原稿はアップしない。
しばらくの間、皆様に美しいオーストラリアを堪能して頂きたいと思う。


011202  オーストラリア土産

左の写真はゴールドコーストの土産店でみつけた「カンガルーの袋」である。英語に堪能な方なら SCROTUM の表記ですぐにお解りになるのだろうがコチトラそうはいかない。

「カンガルーの袋ってこんなに小さいのか? それとも乾燥して縮んだのかな?」とトリさんと話している所へ、若くて可愛い女性店員が来て、カタコトの日本語でこう宣まわった。

「カンガルーシタノフクロヨ」。視線がヤバイ方向に向いてきたので急いで前を押さえた。

右の写真がその正体であるが、何の実用にも供さない袋である。もしかしてオーストラリアの男性は万一破れたり綻びたりした時の応急手当用として、ポケットに潜ませているのだろうか? 

お持ちでない女性をターゲットに、いくつか購入して来た。

011201  パトカーに乗って・・・

今日は先日のシドニーでの奇遇の相手、境をネタにする。
高校卒業後、年一のクラス会は一度も欠かすことがなかったそうだ。しかし先日も書いたように小生は高校を卒業してすぐに就職。クラス会どころではなかったし、その後転職と転居の繰り返しで行方不明者の一人となった。

そのクラス会の三十周年記念、初めての一泊クラス会が箱根で開催された。小生四十八歳の時のことである。幹事たちによって、三十周年を機に「行方不明者を探せ!」の大キャンペーンがはられ、その網に引っかかったのが小生と境であったのだ。

級友たちにとっては年に一度の会見であるが、小生と境の場合には高校卒業以来三十年振りの級友たちとの邂逅である。二人ともあの時は興奮して浮かれに浮かれたものだ。あれから十六年を経過した今も、昨日のことのように鮮明な記憶である。

当時数少ないワープロという文明の機器を使いこなせる人間であったこと、長年の行方不明の罰ということから、あの場で小生は事務局長に任命され、爾来現在に至るまで名簿の管理と招集事務を司っている。四十周年を迎えた時には定年退職組もチラホラと表れたこともあって、年一のクラス会は一泊旅行が多くなったし、四年後の五十周年には海外旅行をの声も上がっている。

しかし小生が名簿管理を始めた翌年から、境はまた忽然として消息不明となってしまったのだ。風の便りでオーストラリアに移住の話を聞き、もれ伝わってくるいくつかの住所に航空便も発送したのだが、いずれも宛先に該当者ナシで返送されてきた。

十六年前の箱根での朝のことである。興奮さめやらぬ境は、前夜の深酒にもかかわらず朝からビールを飲みまくっていた。そして帰途、彼は車で駆けつけてきていたのだが、そのまま一人で帰るのはイヤだということで、同じ方面の同乗者を募り、被害にあったのが小生とカッパゲ、それに女性二人であった。

車の中は酒の匂いが充満していたが「大丈夫か」と問い掛ける我々に境は「慣れているから大丈夫」と答えた。しかし間が悪いことってあるもので、箱根の坂を降りて渋滞を避け、裏道をしばらく走った所で道に迷った。二・三台後にパトカーがいた。制止したにもかかわらず、彼は車を降りて二人連れのパトカーのお巡りに道を聞きに行ったのである。飛んで火に入る夏の虫、というヤツである。

道が空いた所で彼は道路わきにひいてある白線の上を三十メートルほど歩かされた。われわれの目から見ても明らかにフラフラしているのが分かる。

切符を切られた後、お巡りに「運転手を代われ」と言われたが、当時の小生は免許を持っていなかったし、女性二人も持っていない。
肝心なときにカッパゲは免許証を持って来ていない。 


結局境の車には彼とともにもう一人のお巡りが運転手で乗り込み、残りの四人はパトカーに詰め込まれた。
行った先は「スカイラーク」。「二時間たったら様子を見にくるからそれまではここで酔いを覚ませ」との厳命である。


二時間半を過ぎても様子を見に戻って来なかったのでそのまま帰って来たが、彼の所には再呼び出し通知と免停処分が来たというのが、彼の最後の消息となった。

先日の奇遇の別れの言葉として 「天下広しといえどもパトカーでスカイラークに行ったのはわれわれくらいのものだろう」 と感謝の言葉を用意していたのだが、あまりの興奮にこの言葉を言い忘れて来てしまった。