迷  走  録


一旦自分の口から飛び出してしまったコトバには責任を持たなければならない。それは既に社会に向けて発信されてしまったのである。

ましてそれが確実な記録として残る「書く」ということにおいてはなおのことである。

自分に確たる思想があるわけではないし、生き方の方向が定まっているわけでもない。だからコトバを発することは恐いし、書くことはもっと恐い。

自身で振り返ってみても矛盾に満ち満ちているので・・・。

しかし、だからといって考えることを止めるわけにはいかない。瞑想することを放棄することは出来ない。

たとえ、迷走でも良い。口から発することによって、書くことによって、多少なりとも自らを律することが出来るのだとすれば。

自らを律する意味でも「毎日更新努力」を宣言して、本コンテンツを設置した。    

                                                                       2000年 12月 1日
レジメ 

2000/12  0101前半 0101後半 0102前半 0102後半 0103前半 0103後半 0104前半 0104後半 0105前半 0105後半 0106前半 0106後半 0107前半 0107後半
0108前半 0108後半 0109前半 0109後半 0110前半 0110後半 0111前半
0111後半
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020415  日記は楽だけど・・・

「迷走録」。開設以来昨日で丁度五百篇。よくもまあこのバカと思う今日この頃であるが、非常に苦しんでいるのだ。
このコンテンツにUPの内容はコラムとも随想ともつかない中途半端なものである。日々の、それこそ 「心に移りゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば」 の世界であるが、限りなく 「怪しうこそ物狂ほしけれ」 の迷走の道へと突入して行くのである。

つい先日の「失恋記念日」が顕著な例であるが、書き進むうちに ? と思うことが頻繁に出来しだした。
「あれえ〜、これは前に書いたんじゃなかったっけ?」。 「待てよ、同じ主旨のことをUPした記憶があるぞ?」。


その時はレジメを調べに走るが、レジメのタイトルからだけでは内容を知ることは不可能な場合もあるし、いちいち中を開いて確かめるのも面倒である。第一、五百篇ともなるとレジメに目を走らせるだけだって容易なことではない。

かくして、折角本日の原稿を書き上げてほっとするのも束の間 「ダメだ、こりゃあ。前にもあったじゃないか」 ということで全て没ということが、ここのところ特に多い。

まあ、こういう書き方をすれば 「大変ですなあ」 と同情を強要するような口調かもしれないが、簡単に言えば管理不能というか、完全に管理能力が無くなっているということである。

しかしながらここにリンクを張らして頂いている方々を始め、世の中には小生よりもっともっと長く日々の更新を続けている方がゴマンといるのだ。ということで漫然とネットサーフィンをしていて、いまさらながら当たり前のことに気がついた。
延々と毎日更新が続いているHPというのは九十%方が日記形式なのである。これは楽だ。

だって今日という日は二度とないのだから、今日書いたことと全く同じことを書いてしまうなどという心配は一切しなくて良いのだ。
これは楽だし、これはズルイ。
 そんなものでよいならオレでも出来るぞと思って、実はいま試してみたのだ。

「いつもの時間に飛び起きて玄関で靴を履きながらパルを呼んで、お手とお代わりを三回繰り返させてから出勤。一日を会社でボンヤリと過ごして帰宅。晩飯はまたメザシ三匹。食後にパソに向ってメールの返信を叩いてからHPのアップ。十一時過ぎスナックに飲みに出かけて二時帰宅。もう一度パソの中身をチェックして就寝」。

と、ここまで打ったのだが、考えてみたらこれは明日も同じだろうし、明後日もたいして変わり映えしないのだ。
う〜ん、弱ったと思いながらもう一度リンク先のHPの日記に目を通し、再度当たり前のことに気づいた。


日記の更新で毎日を維持している彼らの場合には、自分の「生き方」にテーマを持っているのだ。それが「仕事」であるのか「酒」であるのか「本」であるのか「燻製」であるのか「花鳥風月」であるのか、はたまた「哲学」であるのかは別にして、とにかく自分の毎日をテーマを持って生きていて、そのことを記録として留めているだけの話なのだ。

さーて、弱った。小生の場合にはそもそも生き方そのものに対してテーマを持っていないのだ。
その日その日をボンヤリと漫然と、ひたすら一所懸命に惰性で生きているだけである。

ネタが転がり込んで来てくれればそれでよし、無いときは無理やり捻り出して 「あれ?これ前に書かなかったっけ?」と思ってチェックする毎日である。 いやあ、コンテンツ維持のためにはまず自分の生き方を変えなければダメということだろうか。

弱った・・・。 といいつつ、上記の「本日の日誌」をデリートしてネタにしている自分。


020414  純粋のバカ犬

先日「匠の里」に出かけた時。三人で玄関に出ると引っ繰り返ってギャンギャンとわめく。「連れてけーーっギャン・ワンッ!」。どうしようもない暴れまくりよう。「何とかごまかせ」と言って娘と先に出て車の中で待っていたら、しばらくして猛妻が抱いて出てきた。「暴れてどうしようもない。可哀想だから・・・」。仕方がないから連れて行ってやった。

恩知らずのこのバカ犬。現地に着いて車から降ろしてやったら嬉しそうに舗装道路だけはトコトコと歩いた。ところが舗装が切れた砂利道に入るや否や、ガチッと固まって一歩も動こうとしないのだ。
呼んでも引っ張ってもウーーーッと唸るだけで片足を踏み出そうともしない。


猛妻は撮影が目的なのでカメラを抱えている。仕方がないからオレが抱いてあちこちに移動した。重くて鬱陶しかった。
然るに帰宅してからぐったりしているパルに向かって猛妻のセリフ。 「パルちゃん、今日は一杯お散歩したねえ。草臥れたでチョ。いい子だったねえ」。


歩き回ったのはコッチだ。草臥れたのはコッチなのだあっ。


020413  ハードボイルド

昨夕帰途の歌舞伎町。二十メートルほど先でティッシュ配りのお姉ちゃんと中年のサラリーマンがなにやら口論している。それを見ながらすれ違った時、男が 「このバカヤロが」 と言って歩き出した。その時である。お姉ちゃんがオレを突き飛ばすようにして横をすり抜け男に追いついて振り向きざまに 「なんだよお、何で私がバカなんだよお」 と叫んだ。

また口論が始まったのでオレが歩を緩めると、いきなり男が手に持っていたバッグでお姉ちゃんの頭を叩いた。バッグはお姉ちゃんの頭で派手な音を立てた。口論を聞いていたわけではないから、どちらが良くてどちらが悪いのかは分からない。
しかし殴るのは良くない。まして相手は女ではないか。オレは思わずそのすぐ横で立ち止まった。


気の強いお姉ちゃんである。いきなりそのバッグに武者ぶりついた。その勢いでバッグが地面に落ち、中に入っていた書類が散乱した。
男がキレタ。
今度はいきなりお姉ちゃんに平手打ちを食わした。まさかそこまでとは思っていなかったのだろう。平手はもろにお姉ちゃんの左頬に炸裂した。「イターイッ!」 と叫びながらもんどりとお姉ちゃんが転んだ。涙をボロボロと流している。

しかしあくまでも気の強いお姉ちゃんだ。
転んだままの姿勢からジーパン一閃、男の向う脛を思い切り蹴飛ばしたのだ。ところがあろうことか、完全に逆上した男は転んだお姉ちゃんのわき腹めがけて今まさにケリを入れようとしている。オレとは一メートルの距離である。

咄嗟に静かな声で、「止めなさい」 と言ってお姉ちゃんとの間に割り込んだ。顔面蒼白の男は 「何だテメエはっ!」 と叫んで、オレを睨みつけた。この間に野次馬が二十名ほど取り囲んだが、いずれも遠巻きに見ているだけである。

「何があったか知らないけど暴力はいけません」 と静かに諭したオレに、男は拳を固めて殴りかかって来た。
拳の握りが甘いのだ。もしオレが顔面筋肉に力を入れて、向って行くような形でそのパンチを受ければ、男の指は間違いなく三〜四本は折れる。オレの頬も腫れ上がって一週間ほどは青タンに苦しむだろうが、男の方は二〜三ケ月はギブス生活である。その後のリハビリを少しでもさぼろうものなら一生ものかも知れない。


しかし男が苦しむ様を毎日観察できるわけではないし、第一たかが一週間とはいっても行きずりのチョッカイのために痛い思いをするのもバカバカしい。という前に一瞬の判断である。男の拳の握りが甘いのを見届けた位だから、男の動きは緩慢である。

何なく身を低くしてこれを避けた。パンチが空を切った男のボディはオレの目の前でがら空きである。利き腕でケガをさせても困るので、左手で軽く、しかし拳だけはしっかりと固めて、確実に鳩尾目掛けて突きを繰り出した。何十年振りかのことであるが腕は衰えていない。

ウッと呻いてしゃがみこんだが、もとより悶絶するほどには力を入れていない。
男はそこに落ちていた鞄と書類を拾い上げ、こういう時のお決まりのセリフ 「覚えていろよ」 を残して、よたよたと走り去った。

アレッ、ノルマにまだ数行足りない。数行上へ「もとえ」である。


倒れたお姉ちゃんと男の間に割り込んだオレは、咄嗟にドスの効いた震える声で 「止めなさい」 と叫んだ。その時である。
二人連れの恰幅のいい若者が表われ、一人が男を後ろから羽交い絞めにし、も一人が小生と男の間に割り込んできた。

スカートでないのが残念だったがお姉ちゃんはまだ仰向けのまま足をバタバタさせて泣き叫んでいたが、ほっとして急いでその場を後にしたので、その後どうなったのかは分からない。
それにしてもあの男、それほど強そうではなかったが、間違いなくオレよりは強そうだった。ああ、恐かった。


020412  新治村、匠の里

昨年十一月のオーストラリア行以来、実に久々の有給休暇を取った。といっても一昨水曜日の一日だけのことだが、群馬県は新治村の「匠の里」へのドライブ。助手席には猛妻と狂犬パル。後部座席にはグズラ娘というあまり有難くない同行者である。

少し寝坊をして十時三十分に出発。ガラガラの関越を飛ばして十二時過ぎには、関越ドライブの際には必ずといってもよい位に途中下車して立ち寄る赤城の「わく玉」へ。一応手打ちの日本蕎麦屋であるがここは鯰の天ぷらが絶品である。黙って出されれば白身魚だと思うが、全くクセがなくさっぱりした、上品な味わいである。

最初に訪れた時はいやがって一切れだけ恐る恐る手を出した猛妻だが、今では席につくや否や 「まず鯰の天ぷらを一人前」 とオーダーするようになった。そう、三人で一人前で丁度良いのだ。かなり大ぶりの天ぷらが五〜六切れ出てくるのだから、後の蕎麦のことを考えると一人ではとても無理な分量である。それでいて値段は五〜六百円と極めてリーズナブルである。


いろいろ変わった蕎麦メニューが充実しているが、ここでの小生の定番は鴨せいろの相盛。火を入れたグラグラ煮立った鴨鍋に、冷たい蕎麦とうどんがざるに入って来る。ここは蕎麦だけでなくうどんも美味いが、何よりも最後までつけ汁がグラグラと熱いままなのが嬉しい。

娘がオーダーしたのが「豚角そば」。何と三枚肉の豚の角煮がもりそばの上に乗っかって来るヤツ。中華ならともかく、生蕎麦に乗ってくるのだからオドロキである。娘に 「気持の悪いもの頼むな!」 と言ったのだが、出て来たヤツを一箸お相伴して再度ビックリ。次回は定番の鴨せいろじゃなくて、これをオーダーしようと思った。

そしてそこから十五分で月夜野インターを降りてさらに二十分。三国街道沿いの新治村は「匠の里」に到着である。

この三国街道というのは由緒ある歴史街道であり、ネットで検索をかけるとワンサカと出て来る。群馬から新潟に続く、関越道が出来る前の大昔からの幹線道路であるが、勿論メインは生活道路、産業道路、佐度送りの囚人道路であった。
しかし検索結果によると、ここを通った著名人として古い順に坂上田村麿・弘法大師・上杉謙信・伊能忠敬・良寛・西園寺公望・与謝野鉄幹・与謝野晶子・北原白秋・川端康成等々の顔ぶれを見ることが出来る。


関越道の完成によりすっかり寂れてしまった新治村という寒村。十数年前に村興しのために企画して作り上げたのが「匠の里」である。
「石細工の家」「紙細工の家」「竹細工の家」「木の家」、豆腐、蕎麦、蒟蒻、等々々々、広大な面積の中に一体何軒が点在しているのだろうか。 駐車場にはレンタサイクルが数百台も並べられている。


七・八年前に行った時は三畳分ほどしかなかった「石細工の家」。あまりの立派さに猛妻が目を剥いて同じ所かどうか尋ねたそうだ。
「お蔭さまで観光バスまで入るようになって・・・」 ということで、ここに限らず全ての家が拡張・整備されていた。
「道の駅」を模した「匠の駅」なる立派な会館まで出来ていて、土・日や特にGWなどは大変な賑わいになるそうだ。


こんにゃく作りや蕎麦打ち、陶芸体験が出来るといった工夫もされているし、皆が一所懸命。従ってどこを見ても楽しいし、何を食っても美味い。

「わく玉」といい「匠の里」といい、「やる気を出して工夫をして力を合わせる!」。
不況なんか吹っ飛ばせるではないかという好例を見た。言うは易く行うは難しであるにはせよ。


これだけ堪能して帰宅が十八時。同行者のことさえガマンすれば実にいいドライブ休暇だった。


020411  テンテルダイジン

もう七〜八年前の話になるが、群馬は六合村くにむらの尻焼温泉で有休の日帰り入浴を楽しんだ時。なかなかいい温泉でありその後も数度車を飛ばしているが、今日は楽しい話でなくその時の話だ。
いい気持ちで温泉につかっている横の川原で、くりからもんもんのお父さんが小学生低学年の姉弟を率いてキャンプをしていた。


オヤジが焚き火を起こし、その火でお姉さんが飯盒で飯を焚き、弟がオヤジが釣り上げた岩魚を串に刺して焼いていた。
腰にタオルを巻いて見ていると 「旦那、ひとついかがだ?」 と言って岩魚と紙コップに入れたビールを差し出してくれたので有難くゴチになった。二泊三日でキャンプとのこと。

「あれっ、でも学校は?」 と聞いたら、くりからもんもんが可々大笑して答えた。
「あんなもんいいんだ。学校では生きて行く術を教えてくれない。オレの教育の方が教育なんだ」。


非常に感心したし、なるほどと思ったし、大分前にここに書いた(010906 「教育」ということ)高校で生物を教えていた従兄の話を思い出した。天気が良いと生徒を裏山に連れ出し 「これが食える草、この野草は毒」という授業を繰り返し 「そんなものは入試に出ない」と言って父兄の総スカンを食った。再三の校長の勧告を受け入れず 「これがオレの教育」 と頑張ったために、とうとう教職の座を追われるハメになったが、小生としては痛く憤慨したという話だ。

さて、学校教育の新制度がスタートした。完全五日制。国語・算数・理科等の基本科目の授業が大幅に削減され、代わって「総合学習」なる科目が登場。この時間数がやたらに多い。

教科書なし。教師のマニュアルなしの時間であり、極言すれば教師がその時間は自分がやりたいような教育を生徒に対してやればよい。
そしてある学校のこの授業の内容が先日のテレビで放映されていた。何と多摩川で生徒達が投網を投げて魚を捕まえるという授業である。

確かに子供達は楽しそうだったし指導する教師の顔も生き生きとしていた。その映像を見ながら思わず膝を叩いた。これこそがまさしく尻焼温泉であり、従兄の裏山授業であると。もし従兄が生きて教鞭を取っていたら、まさに「我が事なれり」の心境だったのではないかと。

しかしテレビはその後、画面が切り替わって父兄達の困惑がクローズアップされた。怒り狂っている母親もいた。「学力低下をどう考えるのか」と。そして、その後「日経コラム・春秋」でこのような記事を読んだのである。

昨今の教科書を手にとってみるとパンフレットのような薄さにまずびっくりする。量を減らした上、中身もやさしくなっているから軽さが際立つ。完全週休2日制の下で新学期が始まり、教科内容の3割削減で学力不安が高まっている。
中学校の国語の教科書から夏目漱石と森鴎外の作品が消え、代わって登場したのが乙武洋匡、俵万智、中島みゆきといったタレントたち。子供に難しい名作が消えて看板は話題ものだ。「やさしい国語教科書が日本語をほろぼす」という特集を組んだ雑誌『文学界』は「教科書のバラエティーショー化」と呼ぶ。

三十年近くも前だっただろうか。どこかの大学か企業の入試で「天照大神」をテンテルダイジンと読んだ回答があったと紹介されたことがあった。 今から十年後・十五年後には、漱石や鴎外を知らない青年達が大量に出現するのだろうか?

ぞっとするではないか。う〜む、これは難しい。ちょっとオレには分からない。


020410  いやあっ、ブッタマゲタ

ホントにブッタマゲタのだ。こんなことってあるもんだ。
時々しょっちゅうここにウソ八百を並べるけど、これは天地神明に誓ってホントの話。第一エイプリルフールは終ったのだ。

昨夜、食事を終えて自室でぼんやりと野球中継をみていた。といっても面白い試合ではない。
わがジャイアンツがヤクルトとやらいうチームを相手にフリーバッティングの練習をしている様子の中継である。

受話器を持って猛妻が入ってきた。「今ごろ何かしら。JALの人から電話よ」。
全くもってハテナである。もはやお世話になったJALとは全ての用件が終った筈なのである。

とにかく出てみた。 「夜分すみません。JALのWINDS編集の田中と申します。この度は掲載させて頂き有難うございました」。
有難うはコッチのいうセリフだが、今までコンタクトがあった方とは違う新しい名前の登場である。 「ハイ、何でしょうか?」。

「実は本日、あの掲載誌を読まれたという高橋○子様という方からこちらに電話を頂きました。もしかして上海の国民学校時代の同級生ではないかと思う、ということでそちらの電話番号を教えて頂きたいということなのですが、お教えして差し支えありませんでしょうか」。

マサカである。五十五年以上も前の話ではないか。第一あの原稿には国民学校のことは一行も書いていないし、小生は高校時代に父母が離婚して姓が変わっている。あの原稿の作者名は現在の姓であり、国民学校時代は父方の、「田部」姓だったのだ。

もしかしたら新手のセールスかマルチ商法かと疑った。しかしまあそれならそれで対処すればよいのだからと思い「教えて差し上げて結構です。大変お手数をかけますが、よろしくお願いします」と答えた。


昨夜はそれきり連絡がなかったので「やはり・・・」と思っていた。ところがつい先刻、その○子様から電話を頂戴したのだ。
延々三十分の長話をして、ついいましがた受話器を戻したところなのだ。大急ぎで本日のUP準備原稿をデリートしてこれを叩いている。

彼女とは確かに同学年だということが判明。その上、どうやら住んでいた混山花園の学区からみて同級生らしいのだ。お互いいくつかの先生や友人の名前が飛び出したが、何しろ六歳から八歳時にかけての記憶。合致するものは無かった。しかしどうも同クラスではないが同じ学校の同学年であった可能性が高い。

しかもそれ以上に驚いたのが、当時上海から引き上げて来た「上海会」というのがあり、全国で千六百名の会員がいるそうだ。もとはといえば我々の親の世代が結成したものだが、当然のことながら現在は我々世代が中心であり、彼女はその会の幹事役とのこと。毎年総会があるが、昨年は上海で開催だったそうで、今秋は福岡で開催するそうだ。

とにかく、も少し話を擂り合わせないことにはまだるっこしい。当時の上海には日本人国民学校が第一から第十まであった。会員名簿には全ての学校の殆どの学年が名を連ねているそうだ。もしかしてもしかしたら・・・その会員名簿を見れば・・・直接の友人や先生をゲットということがあるかも知れない。

早速名簿を送って頂くことにしたが、さてこの顛末、どういう形でどう発展していくものやら。怖いような楽しみなような・・・。
しかしそれにしても還暦を機に思い切って訪れた上海。
その感激を記して「ポカラ」に応募した「目線」。そして焼きなおした「視線」が今回の「WINDS」に。


文字通り風に乗って、どこまで翔んで行くのだろうか。


020409  拾いネタ

むかし、雷電ならぬ馬鹿電という関取がいたと思って貰おう。彼は重い病の母親をかかえていたが、何分にも貧乏暮らし。その母親を医者に診せることも出来ない。しかしその彼に絶好のチャンスが訪れたのだ。

彼の明日の取組が、一日一番に限って許されていた賭け相撲の対象取組となったのだ。もしこの相撲に勝つことが出来れば、多額の賞金を手にすることができる。母親を医者に診せることは勿論、良薬を腐るほど購うことの出来る金である。
容易ならざる強い相手ではあるが、何が何でも明日の大一番には勝たなければならない。

彼はゲンを担いでいた。大一番の前日、誰かを捉まえて碁を打つのだ。そしてその碁に勝てば翌日の相撲に勝つことが出来るし、その碁に負ければ相撲もまた負けるのである。

したがって大一番の前日には必ず碁の相手を探して一番を所望したが、残念ながら彼の碁の腕前は大したものではない。勝つこともあったし、したがってその翌日の相撲も白星を手にすることはあったが、どちらかといえば負けることの方が多かった。

しかし今回という今回、明日だけはどうしても勝たなければならない相撲。今日の碁の相手には絶対に勝つ必要がある。そのためには自分より弱い相手を選ばなければならないが、この貧乏長屋、それほど囲碁人口が多いわけではないし、生憎勝てそうな相手は出払っており、在宅の熊さん八っあんはいずれも手ごわすぎる相手である。さて弱った。しかしゲンは担がなければならない。

ところで皆さん 「ゲンを担ぐ」 って語源はご存知だろうか。ゲンって何だ?
実はこれは縁起を担ぐのエンギを逆さ読みして 「ギエンを担ぐ」、 縮めて 「ゲンを担ぐ」 となったそうだ。寿司タネのことをネタと言ったり、コレのことをレコと言ったりするように。

碁盤と碁石を抱えてうろうろしている馬鹿電に、同じ長屋の長兵衛さんから声がかかった。
「オイ、碁の相手探しか、俺が相手になろう」と。
馬鹿電シメタッと思った。長兵衛とは手合わせをしたことはないが、多分確実に負けるだろう在宅の熊さん八っあんよりはマシだろう。

早速長兵衛の家に上がりこんだ馬鹿電だが、程なくうんうんと唸りだした。どうしてどうして長兵衛さん、なかなかの手練れなのである。蒼白な顔をしている馬鹿電に 「どうしたい、具合でも悪いのか」 と長兵衛が聞いた。
「実はかくかくしかじかでゲンを担いで・・・」 と告白した馬鹿電が「参りました」と言って投了しようとした瞬間に長兵衛が叫んだ。「おっと待ちねえ、終盤になって何が起こるかわからねえのが碁の醍醐味。投了はちと早すぎるんじゃねえかい」。


一旦は諦めた局面だが、この言葉に鼓舞されて馬鹿電は碁を続けた。何とほどなく今度は長兵衛の方が唸りだしたのだ。
そしてここぞという時に脂汗を浮かべながら置いた石がとんでもない凡手。
大逆転で馬鹿電がこの勝負をものにし、目出度く翌日の相撲にも勝利を収めたとさ。 


実は長兵衛、囲碁に関してはそんじょそこらには並ぶものなき達人。苦しんでいる振りをしながらワザと負けることぐらいは朝飯前だったのだ。彼の生業は八百屋。 八百屋の長兵衛。
相撲でわざと負けることを八百長というようになり、この言葉が他にも広がったそうだ。

以上の殆どは馬鹿電の創作であるが、「ゲンを担ぐ」 と 「八百屋長兵衛転じて八百長」 はホントの話。
今話題の本 「常識として知って、おきたい日本語」(柴田武 幻冬社) からの拾いネタという次第。 お粗末の一席でした。


020408  付和雷同

阪神タイガース開幕七連勝。タイガースファンが狂喜するのは分かるし、大阪では何がしかの経済効果もあるようだ。
まあ根っからのタイガースファンの皆さん。瞬間的な現象ではあるだろうが、オメデトウございますと言っておこう。

開幕七連勝は六十四年振りとのこと、ということは前回は小生が満一歳の時のことである。一所懸命記憶を探ってみたが、どうしても思い出せない。まさか耄碌したわけでもないだろうが・・・。

小生は巨人ファンである。だからといって別にタイガースが嫌いということではない。
「アンチ巨人」などといって威張る鵺的存在のプロ野球ファンとはワケが違うというだけだ。

「弾丸ライナー」 の代名詞にまでなった川上が復員してきて間もなくシーズン二十五本塁打の新記録を作った時、ネット裏を含めてスタンドは全て木のベンチ、土ぼこり舞う後楽園球場に父親に連れられて何度か足を運んだし、シーズン中はいつもラジオに齧りついていた。

その頃の巨人のオーダーは一番サード山川、二番ショート田中、三番セカンド千葉、四番ファースト川上、五番レフト平山だった。
塀際の魔術師平山菊次は二・三年前の新聞紙上で十行位の死亡記事が出ているのを読んで「まだ存命だったのだ」と驚いた記憶がある。

この後間もなく巨人入りした青田や別所やスタルヒンは、この当時はまだ憎っくき敵チームの存在だった。そしてこの頃の阪神タイガースはピッチャーに監督兼務の七色の魔球・若林忠志、キャッチャーが土井垣武、サードには川上哲治の赤バット、大下弘の青バットに対抗して物干し竿といわれたバットを担いだ藤村富美男がいた。セカンドに本堂、レフトは金田、センターには呉という錚々たるメンバーでわが愛する巨人をいじめにきたのを覚えている。ただし何分にも古い話、記憶違いがあればご勘弁を。

川上を除けば殆どが故人だろうと思うが、川上を始め彼らの多くのサインがぼろぼろのサイン帖に消えかかった鉛筆の字で記されて、家宝としてわが机の引出しの奥に眠っている。

もちろん当時から純粋のタイガースファンは存在したわけであるし、彼らの血をひいた子供や孫がタイガース七連勝に踊り狂うのは良い。不愉快ではあるが気持ちは分かる。

しかしどうにもこうにも解せないのが、野球のヤの字にも興味のなかったわが猛妻までもが、タイガースの中継があるときはテレビに齧りつき、中継がない時は 「今日はどうした」 と尋ねてくる付和雷同現象である。周囲がわあっとなったら、わけもなく意味も分からず、何も知らないくせに一緒になって騒ぎ立てる。一体全体どういう了見なのだろうか。

勿論このままタイガースを応援し続けるというなら、同居人の風上にも置けないとは思うが、一応筋は通っているのでガマンしないではない。しかし夏頃までには、タイガースは間違いなく定位置である六位の座に落ち着いているだろう。一旦支持したチームをその時にも応援し続けているかどうかが問題なのだ。しかし猛妻はその頃には間違いなく野球のヤの字にも興味を示さなくなっていると思う。

先日「産経抄」の筆者が非常に淋しがっておられた。従来「産経抄」で真紀子を叩くと、抗議の電話とファックスが怒涛の如く殺到したそうだ。然るにここ数日、いくら真紀子叩きをしてもこの現象が殆ど見られなくなったそうだ。どうも張り合いがないらしい。

どなたか 「真紀子の悪口をいうなっ!」 という抗議のファックスかメールをして差し上げたらいかがなものだろうか。
小生は勿論ご免蒙るが・・・。


020407  嬉しい悲鳴

「ケチJALが掲載誌を一冊しか送ってこない」 といってお騒がせした自分が悪いのだが、ここ半月ほど、連日のように宅急便と郵便物が届く。出版社や機長やスチュアデスの方々へのコネを利用してドサッと確保して下さったものとか、機内を走り回って(中にはご家族ぐるみで)かき集めて下さったものとか。

誠に有難うございますだが、この写真で約半分。「欲しい」とおっしゃって下さった僅かばかりの方に差し上げた後でも、まだ全部併せると小型ジャンボ一機分位の冊数がある。 


もしかしたら読者は限りなくゼロに近く、冊子は機内を素通りしてわが家に舞い戻って来ただけなのかもしれない。悪筆で悪名高い小生、もし 「サインして」 などと言われたら大恥だと思い、徹夜でサインの練習をしたが、サインをネダッテ下さった方は皆無。

今後我が家に来る方には新聞の勧誘だろうが、洗濯屋だろうが、出前持ちだろうが、強制的に配布するのだ。もちろん首ネッコをヒッツカンデでもサインのオネダリをさせてやる。

020406  どうせ俺には・・・

先日アタマに来ていると言ってネタにさせて貰った社ダチ。大分以前にもここに書いたと思うが内藤陳会長率いるところの日本冒険小説協会の幹部会員である。

その第二十回総会が先月末の土・日に熱海で開催された。毎年この日と秋の映画祭のメダマの日だけは、例え会社が危急存亡の折でも彼は絶対に休む。休むといったら休んでしまうのだ。

今年の総会は百六十名の参加とやらで、いつもに増しての盛会だったそうだが、その顔ぶれが羨ましい。内藤陳会長は勿論だが大沢在昌、逢坂剛、北方謙三、船戸与一、馳星周、宮部みゆき等々々十指でも足りない錚々たる日本を代表する冒険・ミステリ作家連中が集まって、大いに盛り上がったそうである。一度でいいから連れて行って貰いたいものだ。

勿論彼は第一回からの出席者であり、奥様との出会いもここだそうだ。そして今では二人のガキ連れで出席しているのだから、小生のことをオヤジだとかオジキだとか誤魔化して同行させる手はある筈なのだが・・・。四の五の言って断るのは単純にイヤだからなのだろう。

まあいい。閑話休題だ。問題はここから先。

会は殆ど徹夜状態で色々な催しがあるそうだが、いうまでもなくメインイベントは全会員の投票による昨年度の「大賞」の決定と表彰式。そして今年の大賞は最後まで大沢在昌と宮部みゆきが競り合い一票差、二年連続で大沢在昌が受賞したそうだ。

その瞬間に彼は雄叫びをあげて壇上に駆け上がったということだから、そんじょそこらのお飾り賞と違って、この会での受賞が彼らにとってどれほど嬉しいものであるかということを伺い知ることができる。


日本の部では大沢在昌の「闇先案内人」。海外の部ではボストン・テランの「神は銃弾」だったということを社ダチのHPで読み、早速彼に聞いてみた。

「大沢在昌の〔闇先案内人〕はまだ読んでいないが面白いのか?」。 ちょっと考えてから答えた。
小生が大沢ファンということを知っているせいもあるだろうが 「まあ大沢在昌ですからね。シャチョーにも面白いんじゃないですか」。

「ボストン・テランって知らないが〔神の銃弾〕の方は?」。言下に答えた。「アッ、あれはダメです。シャチョーには向きません」。
こうなると「どして?」と聞きたくなるのが人情ではないか。
答えは 「複雑なんです。ボクは面白かったけど内容が入り組んでいるのです」。


あのなあ、それってなああっ! 「ボクは頭が良くて理解力・読解力があるから面白いけど、シャチョーのような単純でアタマの悪い人間には向かない」 ってことなのかあっ!

今度はコッチがアタマに来た。早速紀伊国屋に出かけてこの二冊を購入してきた。しかし正直の話「神の銃弾」の方はあまり自信がない。それでなくても購入して未読の本、借りた本、ぜひ読めと言って強制貸付された本が本棚に崩れそうに積まれているのだ。

とりあえずガハクに先に回してやることにしよう。彼の反応を見ればある程度のリトマス試験紙になる。「面白い」と言えば「面白いかつまらないかのどちらか」だけど、「ツマラナイ」といえば確実にツマラナイので、少なくとも確率四分の一には絞り込むことが出来る。

それにしても紀伊国屋。新入社員のラッシュはいい。しかし探すのが面倒なので「大沢在昌の〔闇先案内人〕は?」と聞いたら、「オオサワアリマサ?どんな字でしょう」と言ってパソの前に吹っ飛んで行った。一体全体紀伊国屋はどんな入社試験をやっているのだろうか。

いまどき大沢在昌を知らないヤングが存在するとは・・・。紫式部の「源氏物語」とか兼好法師の「徒然草」だとかを聞いたら、パッと出て来るんだろうか?


020405  ペイオフ解禁

少し古い所まで遡って整理すると 
東京+三菱=東京三菱 さくら+住友=三井住友 三和+東海=UFJ そして今回の第一勧銀+富士+日本興行=みずほ。
あるいは欠落があるかも知れないがややこしくて分からない。そこへ持ってきてペイオフ解禁。

別に政治家ではないんだから、我が家の財産を公表する必要はないのだが、ペイオフ解禁を睨んで日本興行を除く八行に一千万ずつ分散させて定期預金をしていた。然るにそれが何とたった四行になってしまったのだ。我が家の定期預金も一行につき二千万ということで、これは大変である。休暇を取って一行一千万を超えないように分散させたり、向こう二年間のとりあえず策ではあるが普通預金に切り替えたりと、走り回っている。

皆さん考えることは同じ、どこの銀行も超満員であり、一日の休暇で三行も回ればくたくたで精一杯である。

「いよいよ利用者が銀行の峻別の時代に入った」 ということであるが、一体全体どうやって峻別すれば良いのだ。
どこの銀行だって 「当行は持ってもせいぜい後一年です」 なんていうことは教えてくれない。ある日突然ドカンと潰れるではないか。峻別のしようがないから一千万の現金を持って街中を走り、上記以外の銀行の看板をみかけたら例えそれが「ワハハ銀行」なんて怪しげな名前のところだったとしても、飛び込んで新規契約をしてしまうのだ。

それにつけても驚いたのが今回の「みずほ銀行」の新看板。数週間前から「第一勧銀」も「富士銀行」も白地に黒字の何の変哲もない表札みたいな看板になっているので、いよいよ塗り替え準備だな、とは思っていたし、少しは楽しみにしていた。

何と何の変哲もない、濃紺の看板でお目見えである。当然名のあるデザイナーの手によるものだとは思うが、少なくとも自分という利用者の目から見るといささか拍子抜けの観を否めない。特に朝の通勤路にある第一勧銀じゃなかった、みずほ銀行は伊勢丹の隣。

林立する伊勢丹カラーのフラッグと全くの同色であり、少し遠くから歩きながら見るとまるで伊勢丹の中に間借りをしているような感じである。しかも靖国通り、ガシャガシャと張り出している交通標識や横断歩道橋にぶら下がる道路標識と全く同じ色であり、まるで濃紺の中をさ迷う感じで歩を進めている。この季節、明るく爽やかな紺碧の空の色の中に暗く沈んで完全に負けているし、夜ともなって赤やピンクのネオンの中では、みずほのネオンはあたかも高級ナイトクラブのような違和感を漂わせている。

思えば十年一昔前のCI全盛の頃、といっても 「品質管理を厳重にやろう」 とか 「贋表示で消費者を偽るのは止めよう」 というような本質のCIでなく、「看板を変えよう」 「ロゴマークを変えよう」 「ユニフォームを変えよう」 と浮かれていた頃、デザイン調査で市場調査会社は随分潤ったし、当社とて例外ではなかった。

銀行の看板に 「鳥を一羽飛ばすか三羽が良いか、或いは十羽飛ばしてしまうか」 なんて 「そんなの自分で決めろよーっ」 というようなつまらない調査に多額のお金を落としてくれた。

下らない調査にお金を使ってはいけないという教訓を得たのか、調査に使う金があれば一枚でも多くの看板をという不況のトバッチリか、ここの所の合併騒ぎはわれわれ市場調査会社にとっても、かつてのような恩恵はなかった。例え小規模のものだったとしてもみずほ銀行の看板は市場調査の洗礼を受けて登場したものなのだろうか?

まあネーミングとか看板とかは、慣れればそれまでという部分も大いにあるが・・・。


020404  また失恋記念日が・・・

四月四日、また失恋記念日が巡ってきた。このことは是非書いておかねばなるまいと思ってバタバタとキーボードを叩き始めたのだ。
ところが何か違和感というか、記憶の残渣のようなものがある。そしてハッと思い出して昨年の四月四日の「迷走録」を開いてみた。

何のことはない。「失恋記念日」のタイトルで既にアップしているではないか。「本日が四十四回目の失恋記念日である」と・・・。
すなわち今日は小生の四十五回目の失恋記念日なのである。

仕方がないから、打ち終わった十行ほどを削除したが、まあいずれにしても色恋のことを書こうと思ったついでである。本日はわが猛妻を仕留めたいきさつを書こう。

すでに結婚退職してしまった真木嬢の次の次の人への失恋の物語である。やはり同じ職場の藤田嬢との話であるが、一年間ほど、今でいういわゆるデートの期間を過ごした。今と違うのは手を握ったことすらないということである。事実団体で行動した後など、別れ際に他の女性とは平気で握手をしたりしていたのに、彼女とは握手するのすらが恐くて避けていた。
現在の自分と同様、ものすごく純情だったのである。


手を握る勇気もなかったくせに一九六二(S三七)年夏、無某にも彼女にプロポーズしたのだ。ところが実に意外なことに、言下にノーではなかったのである。

「あまり突然で・・・でも嬉しい。嬉しいけどまだ結婚は早いと思っているので考えさせて欲しい。半年だけ返事を待って欲しい」 という、本来であれば喜ぶべき返事を貰ったのだ。それが土曜日の夜のことであり、その翌日の日曜の夜行で大阪への長期出張だった。
そしてこの出張期間中の休日を利用して、母に頼まれたことずかりものを持参して徳島に住む祖母を訪れたのだ。


この祖母が仲人キチガイ、記念すべき五十組目はぜひとも我が孫で・・・ということで、勝手に見合い話を進めていたのだ。「決まった人がいるから」という言葉に耳も貸さずに「私の面子がある、イヤなら後で断ればいいのだから」と言って、強引に相手の家に連行された。

座敷に通されて待つことしばし。 「ようこそいらっしゃいました」 と言って、目鼻立ちのハッキリした可愛らしいお嬢さんが普段着で茶を運んで来た。 「これは断るのは勿体無い」 と思うほどの美人だったが、野次馬として見物に現われた猛妻の妹であるということが判明した。程なく盛装して現われたのが現在の猛妻である。

一見して 「アッ、安心して断れる」 と思って胸をなでおろしたのだった。そしてこれは小生にとっては願ってもないチャンスだった。
藤田嬢に対する格好の脅迫材料が出来たのだ。

東京に戻ってすぐ、「徳島で見合いをさせられたのだがすぐに返事をしなければならない。でも貴女が好きなんだ。半年先などといわずに返事だけでいいのだから今してくれ」と。
彼女は泣いて叫んだ。 「そんなに早く結婚したいなら勝手にすればいいじゃないの。もう貴男とは絶対にお付き合いしたくない」。


「お別れだ」 と言っていやがる彼女の手を引き寄せて、無理やり握手をした。後にも先にもたった一回握った手。あの時の彼女の心は冷え切っていたのだろうが、あの掌の温もりは四十年を経過した今も、我が右手にはっきりと残っている。
ああ、何たる短気、何たる浅慮、何たる若気の至り。何たる思いやりの欠如。何て勿体無いことをしたのだ。

帰宅してヤケノヤンパチ、すぐに徳島の祖母に電話した。
「先方がOKならこっちはOK、電話と文通だけになるだろうが、しばらくお付き合いしてみる」。


人に 「恋愛ですか、見合いですか?」 と聞かれるたびにこう答えている。  ヤケクソ結婚!
もっとも結婚後二〜三年して猛妻にこの話をした時に彼女は笑って答えた。
「あの時は私なんかアンタの百倍位ヤケクソだった」と・・・。


020403  アタマが痛いことも・・・

リンク先の古本オタク(ごめん)の社ダチが相当アタマに来ている。彼が「古本漁り」と「香港映画」をメインコンセプトとするHPを立ち上げたのは小生より一ヶ月遅れてのことであるが、間もなく十万ヒット達成かというメジャーHPになっているし、その彼がリンクを張っている先のHPも、いずれも超メジャーである。

それもその筈、今をときめく有名作家等とダチ付き合いをしているし、その方達が彼のBBSに登板するとあっては、当然このくらいのヒット数はあるだろう。

その彼が例の「2チャンネル」でかなりしつこく追跡されているようだ。彼のHPにそれほど詳しく書いてあるわけではないし、「2チャンネル」を探りにいってもややこしくて分からない。

まあ要約すれば2チャンネルに 「古本マニアが集まって、古本ばかりを買っている。そういう連中のお蔭で新刊本が売れないから日本の出版業界はダメになるのだ」 の意味のカキコミがあり 「彼等のHPを見るのは不愉快」 という意味のことが書いてあるようだ。

これに対して社ダチが言っているのは二つだけ。 「反論をしたいのですがどうすれば良いでしょう。匿名でなく、メルアドくらいは教えて頂けませんでしょうか」。「私のHPでご不快をかけて申し訳ございません。どうぞ見ないで下さい」。
相当アタマに来ているようだが、語調は穏やかである。

因みに小生の推測によると、確かに彼は年間で二千冊くらいの古本を買っているようだ。しかし彼が買っている新刊本も年間百冊に達するのではないだろうか。前述の2チャンネル氏は年間どの位の新刊本を買って日本の出版業界に貢献しているのだろうか。

さて、上記の 「不愉快なら見ないでください」 の一文。 実は全く同感なのであるが、ここがHP運営の難しさなのだ。

小生がこのHPを立ち上げたのは一昨年の六月。といっても立上げ当初は右も左も分からなかった。しかも立ち上げたからには人に見て貰いたい。会う人会う人、特にそれが自分のHPを立ち上げている人であったりしたら、よく相手を見定めもせずにPRし、URLの交換をしていた。こちらのも見て頂きたいが、当然相手のHPを巡回するのも勉強になる。

そしてある日、ある人のHPを覗いて愕然とした。実はその人とはURLの交換後にちょっとしたトラブルがあり、ほぼ絶縁状態といういきさつはあったのだ。それにしてもだ。
彼の更新日記の中に壮絶な小生HPに対する悪口雑言が並んでいるのだ。一度ならず数度に渉って。 


いわく 「最悪のセンス」 「タイトル同様バカ丸出しの記述」 「毎日読んで毎日吐き気を催している」 等々々。
さて、どう対処すれば良いだろうか? これがメールで来るとか、関係のない他の方に不愉快な思いをさせることを承知の上で共通のBBSに、匿名でなく掲載してくれれば、反論や弁解の余地もある。 「そんなに毎日吐き気がしたら窒息死するかも知れません。殺人に強制関与させられるのは困ります。どうかオレのHP読むなっ!この大馬鹿野郎っ!!」と。


しかしそういうこちらが、彼のHPを覗いて 「大馬鹿野郎」 とののしるのは、「じゃあ人のHPを見なきゃいい」 という自分との著しい自己矛盾ではないか。辛うじて自制したことがある。
まあ不愉快な思いをしたのは一ヶ月位で、彼のHPは消滅してくれたし、その後彼に会う用事もなくなった。

確かに彼が言う通り、センスの悪さは自覚しているし、内容についても九十%がたはバカばかり書いている。
非常に不本意ではあるが、年に一〜二度はついついHなことも書いてしまっているHPである。 
しかし、最低でも三〜四回の推敲をしてからUPする位には気を使っているのだということを、この際に喧伝しておこう。


020402  食堂風景

共有の、公共の場の高級レストランというべきか、大衆食堂というべきか。両方が同居しているのだからどう呼んでよいか分からない。
左側では少数のブランド物の背広に身を包んだグループが、昼間からワインを飲みながら豪華なステーキをナイフとフォークを振りかざしながら食っている。フルコースで二万は下らない値段である。

右側に目を転じると菜っ葉服に身を包んだ大集団が、四百五十円の昼定食を丼に顔を突っ込みながらガツガツと食っている。
この公共の場を維持するためには当然金がかかる。この金はこの場所を利用する利用者から徴収しなければ仕方がないし、当然のことであろう。ということで管理人が集金に来た。まず右側の大集団を回って集金を始めた。

「後ポケットにいくら残っていますか」  
『四百円です』
「ハイ、では半分の二百円を頂きます・・・ところで貴方は?」
『六十円です』
「少ないですね。仕方ない、三十円だしなさい」

という要領で右側の大集団の集金を終えた。ひとり一人からの徴収額は少なくても何しろ大集団である。
トータルではそれなりの額にはなる。

とはいっても、左側のグループから徴収する金額とは比べ物になる筈も無いと思って、管理人は左側のグループの集金に回った。

「ポケットにいくらありますか?」
『イヤあ、一銭もないのです』
「だって結構な服を着て、結構なものを召し上がっていらっしゃるではないですか」
『でもこの財源は全て借金なのです』

アタマに来た管理人は 「そりゃオカシイじゃないか」 ということで裁判所に訴え出た。そして長い裁判の結果の判決が下りた。
「従来通りポケットに儲けを持っている人間からその半分を徴収しなさい。借金をしている人間から徴収するのは違法です」

そう。難しいことは分からないが税法という解釈からはそういうことになるのかも知れない。

ここの所の一連の政界の動きに対して、感情でモノ申すのはオカシイと力説している小生としては大いに矛盾するが、やはり国民感情から言ってこれは納得できない。

慎太郎もそこの所を力説して、感想を問われた時に 「変わった裁判官だということは聞いていたが・・・」 とコメントした。
案の定 「裁判官個人を誹謗する感情的な発言で・・・」 と報道で叩かれていた。


しかし今回は感情的になってもよろしい。だってオレや、大多数を占める零細企業の労働者達と同じ感情なんだもの。

もしかしたら「外形税」というネーミングがいけなかったのかも知れない。 馬鹿な裁判官にも分かりやすいように・・・。
「贅沢税」とか「富裕税」とかいう呼び方に改めれば、控訴で逆転判決なんてことがあるかも知れない。


020401  ああ、幸せ

「立てばぶつかる 座れば狭い 歩く姿は蟹のよう」 という貧乏オフィスではどうしようもないということで、半年ほど前から移転計画を進めていたが、やっと手頃な物件がみつかった。

交通至便のOAビルであるが、この際一挙にということで、部屋は全て個室、デスクや収納庫は勿論、OA機器の類も全て新規契約をすることにした。ただしバラバラに契約するのは面倒なので、設計施工会社の企画・設計・見積競合を依頼した。
予算はたかだか一億弱、こんな零細企業は相手にしてくれないかと心配したが、一応十社に依頼したところ何と七社からの参加があった。不況の深刻さが伺える。

そして先月中旬、最終的にA社とB社に絞られたため、後はOA機器関係に詳しい社のR君を責任者にして一任した。

その彼がB社にしたいということを言って来たのが先週半ばであり、その旨を両社に連絡した。

ところが昨日曜日昼過ぎ、A社の専務から突然我が家に電話が入り、緊急にお話を・・・ということでまあ仕方がないと思って、指定された夕方の時間、都心の超高級・高層ホテルのロビーに出向いた。

「そんな心算ではなかった」 と断ったのだが 「用意してしまってあるので、そう固いことはおっしゃらずに」 と言って、地下のフランスレストランへ。目の玉がデングリ返るような美人秘書を同行している。

三人でフルコースの食事をしながら 「何とかなりませんか」 と言われたので、 「申し訳ないが担当のRに任せた。今週中にでもB社との契約作業に入る予定だ」 と言ったところ、それほどシツコイことは言われずに、世間話をしながら食事を終えた。専務は小生よりいくつか年下のようだがなかなか話がうまくて如才がないし、それ以上に三十歳過ぎ位かと思われる絶世の秘書嬢の話が楽しい。


食事を終えてしばらくの雑談を終えたところで専務が 「部屋をとってあり設計図を持ち込んである。廃棄処分をする前にもう一目だけでも見て欲しい」 という。そこまで言われては仕方がない。そして最上階のスイートルームに案内されたのだ。ところが専務は一旦部屋に入ったが、すぐに 「では何分にもよろしくお願いします」 と言って部屋を出て行ってしまった。

急いで 「どこへ行かれたのですか?」 と言って秘書嬢の方を振り向いたら、なんとすでに上着を脱いでいて 「社長さん、あまり固いことはおっしゃらずに・・・」 と嫣然と微笑みながらブラウスのボタンに手をかけて外し始めたのだ。

非常に残念だが、ここから先の詳しいことは書けない。書きたいけど書かない。

今朝ホテルのコーヒーショップの遅い朝食で彼女と別れを惜しんだ後、「専務からのことずかりものです」という分厚い封筒を受け取ってフラフラ状態で昼前に出社した。なーに、人様の税金を使っているわけではないのだ。自社の事業で正当に挙げた利益を使おうとしているだけの話である。疾しいことは豪も無い。

午後から、「承服しかねる」 というR君を、「そこはそれ、とにかくいろいろあるのだから・・・」 と言って強引にねじ伏せた。
秘書嬢から受け取った封筒の中には、万札の束が入っていた。


まあフランス料理のフルコースは勿体無いとしても、その中の七〜八枚を抜いて、焼き鳥屋で一杯の後、綺麗なお姉ちゃんのいるクラブ位には連れて行ってやらねばなるまい。

ああ、それにしても幸せだ。今日という日が年に一日でなく、せめて月に一日でもあってくれればこんなに楽なことはない。
ネタに不自由することなんて金輪際ないのだ。
    だって無尽蔵に作れるのだから・・・。愛すべきかな、四月一日。