迷  走  録


一旦自分の口から飛び出してしまったコトバには責任を持たなければならない。それは既に社会に向けて発信されてしまったのである。

ましてそれが確実な記録として残る「書く」ということにおいてはなおのことである。

自分に確たる思想があるわけではないし、生き方の方向が定まっているわけでもない。だからコトバを発することは恐いし、書くことはもっと恐い。

自身で振り返ってみても矛盾に満ち満ちているので・・・。

しかし、だからといって考えることを止めるわけにはいかない。瞑想することを放棄することは出来ない。

たとえ、迷走でも良い。口から発することによって、書くことによって、多少なりとも自らを律することが出来るのだとすれば。

自らを律する意味でも「毎日更新努力」を宣言して、本コンテンツを設置した。    

                                                                       2000年 12月 1日
レジメ 

2000/12  0101前半 0101後半 0102前半 0102後半 0103前半 0103後半 0104前半 0104後半 0105前半 0105後半 0106前半 0106後半 0107前半 0107後半
0108前半 0108後半 0109前半 0109後半 0110前半 0110後半 0111前半
0111後半
0112前半 0112後半 0201前半 0201後半 0202前半 0202後半 0203前半
0203後半 0204前半 0204後半

   過去のものは ↑ を訪問願います


020515  恥ずかしすぎるぞ

あまりにも不愉快なので書く心算はなかった。しかし焦眉の急の五人の身柄保護についてだけは、どうやら「政治的決着」がつくようだしこう連夜のように繰り返し繰り返し映像を見せつけられると書かざるを得ないではないか。

北朝鮮から米国への亡命を求める五人の男女が瀋陽の日本領事館に駆け込んだ。映像では明らかに領事館の門内、すなわち国際法上で認められた日本の領土である。それを追って来た中国の警官が、領事館の中に走りこんできた。映像は逃げ足の遅かった女と幼児に警官がしがみついて門の外に引きずり出そうとしている所である。

先に逃げ込んだ男達は領事館のオフィスまで走りこんだが、門の中遥かのオフィス内まで追って行った警官の姿はカメラの追えない位置である。しかし明らかに門の中、日本の領土で泣き叫ぶ女と幼児を取り押さえようとしている警官達の姿は、不気味なまでに鮮明に映し出されている。そしてしばらくするとその横に日本領事館員の姿が現れてこの様子を見物している。

或いはこの映像がなければ、新聞記事として紹介されただけならば、例えそこにある事実はひとつであるにしても、こんなに大きくは騒がれなかったかもしれないし、この度の「政治的決着」すらもなかっただろう。やはり映像は恐ろしい。ここまでありありと臨場感をもって見せつけられると、戦争や地震と違って亡命問題にはそれほど関心の無かったわれわれ一般大衆も、亡命という行為を身近な問題として感じざるを得ないし、ましてやマスコミが放っておくわけがない。かくして騒ぎはどんどん加速した。

殆どの論調が 「領事館員は拱手傍観しているだけで何もしなかった」 ということであるが、領事館員は本当に何もしていなかっただろうか? そんなことはない。映像は正直に鮮明に映し出しているではないか。彼らは極めて積極的にこの騒ぎに関与している。

警官達が、自分の領土に落とした帽子を拾って返してやっているではないか。柱の蔭に隠れて見えなかったが、ひょっとしたら自分のズボンで叩いて埃をはらってから返してやったのではないかとすら邪推する。いや、それだけではないかもだ。

もし小生に絵心があれば、母親を踏みつけながら帽子を受け取った警官がニッコリと笑って「有難う」といっている。幼児を足で押さえつけた領事館員が微笑み返しながら「どういたしまして」といっている。その位の風刺漫画を描いてやりたい。

国家として亡命を無制限に受け入れるわけにはいかないだろうし、その中継地点として自分の庭先を使用されるのは、迷惑であるには違いない。しかし亡命行為は国際法で認められていることであるし、国家権力が領事館内に許可なく立ち入ることは国際法で禁止されていることである。そんな理屈は後回しにするとしても、咄嗟の出来事のこの場面。自分の庭ではなく道路であったと仮定してもよい。あまりにも明らかに大きな隔たりのある強者と弱者。中に割り込んで事情を聞く位のことは、人間として当然の行為ではないだろうか。

彼らが帽子を拾ってやる行為の他に、何をしたか。携帯電話で旅行中の総領事に指示を仰ぐ連絡を入れたということである。電話代が勿体ないからオフィスに戻って回線電話を使わずに携帯電話を使用したという迅速な行動に敬意を表すべきなのだろうか。

海を隔てて遠く離れた日本で 「慎重に、冷静に、沈着に、対処する」 とおっしゃっている。
ここにきてやっと 「毅然として」 の言葉が加わったようだが、一歩前進と評価するならば、やはりあの映像の力なのだろう。

しかし 「まあまあ」 の政治的決着で済ませてはならない。
国際法上の、国家としての尊厳を守るための、それこそ 「毅然とした」 後処理が残っている。


020514  オバサン・パワー

先日ジムのプールで団子になってチンタラ歩いているオバサン禍について書いたところ、ネッ友からわがBBSに同感を表明する投稿を頂いた。彼女も小生同様、ジムのプール通いをしていられるようだが、小生と違うのは軽く五百メートルではなく軽々と七百五十メートル泳いでいられるようだ。

小生が柄にも無くこのような敬語を使用して文章を書くというのは、モニターを通じていつもコミュニケーションを取らせて頂いているネッ友ではあってもまだお目にかかったことがないからである。しかし彼女のHPの雰囲気からすると、これは小生の勝手な推測ではあるが彼女自身も十分にオバ様なのではないかと思っている。ただ彼女がプールのオバサン達と違うのは、これまた彼女のHPを通じての勝手な想像であるが、サッパリとした極めて男性的なオバ様なのだろうと思う。

話は飛ぶが先日の健康診断でのバリウム検査室。三つの部屋があり、それぞれの部屋に並ばされた。時間のかかる検査であり、多少の待ち時間は覚悟したが、残り二つの部屋はスムーズに流れて小生より後からきた連中が次々に検査室の中に消えて行くのに、小生の部屋の扉だけがなかなか開かないのだ。三十分近くも待った頃だと思う。やっと扉が半開きになったと思ったら中から女性の物凄いワメキ声が聞こえて来た。そして扉から涙をボロボロ流しながらオバサンが出てきた。若い技師がオロオロした様子で一緒に出てきた。

廊下中に響くような大声で涙を流しながらワメキチラシているので、殆ど意味不明、聞き取ることが出来なかったが、一言だけ 「アンタ自分でやったことあるのかよおっ!今度私がアンタをやってやるよおっ!」 と叫んだ声だけが聞き取れた。
そのオバサンは廊下をバダバタと走って消えてしまったが、若い技師がバツの悪そうな顔をしながら小生の方を向いて 「大変お待たせしました。どうぞ」 といって、やっと検査室に入ることが出来た。


「どうしたのですか?」 と聞いたら、「いやあ、参りました。私のやり方が下手クソだといってなかなか指示通りに動いてくれないのです。コッチは皆さんと全く同じ手順で決められた通りにやっているのですが・・・」 と緊張した顔で答えてくれた。

さて、台の上に立たされた。 「ハイ、まず前のコップの液体を一気に飲んで下さい!」 「ハイ、今度はバリウムを一口だけ飲んで下さい。そこで台を倒しますからうつぶせになって下さい!」 「今度はグルっと右側から回って下さい」 「ハイ、そこでゴクゴクッとバリウムを二口飲んで今度は逆回転」 「ハイ、今度は台を逆さにしますから横の鉄棒をしっかり掴んでいて下さい」。

そこで頭を下にして台が逆立ちするが冗談じゃない。実際には十五度位の傾斜なのだろうが、体感としては真逆様。手を離したらストンと落ちて首の骨が折れること必定である。


やっと終わった時 「バカヤロウ、手前やってやらあっ! 代わろうじゃねいかっ!」 と叫びたくなったが、実際には 「有難うございました」 といって検査室を出てきたのだ。

別に男女を差別する心算はないが、やっぱり男と女の区別はあると思う。男は優しすぎる。男は大人すぎる。相手の立場や状況を分かろうとして慎重にすぎる。これでは世の中良くならないかもだ。

もっと女剥き出しのオバサン達のように、今そこで感じたことを前後の見境もなく、ヒステリックに怒鳴り散らした方が世の中変わるのかもしれない。後であの時はこんなことを言ったが・・・などと考える必要はないのだ。
その時はその時で、またその時の感情で怒鳴り散らせばよいのかも知れない。現にどこかの国の国会議員だってそうだったじゃないか。


プールといいバリウムといい、今更ながらオバサンパワーを痛感している。


010513  病院を診察する

先日バリウムのことを書いたら早速メールを頂戴した。「三ヶ月おきに胃カメラ検査をしているのになぜバリウム検査の必要があるのか」と。チェックが厳しいというか、ここまで読んで頂いていることを感謝すべきか。

実はこれには浅〜いワケがあるのだ。それまで三ヶ月おきといってもサボリも多かったため、実際には四〜五ケ月に一回ずつ監視のために突っ込まれていた胃カメラ検査。最後に受けたのは確かオーストラリア行の前だったから昨年の秋である。

そもそもその病院に行ったのはかれこれ二十年前であり、突然起こった不整脈にビックリして友人の紹介で飛び込んだのが最初である。
今にして思えば単なる更年期障害であり、そんなに慌てふためくこともなかったかと思って後悔している。
「折角ご紹介頂いたのだから徹底的に検査して差し上げましょう」 の甘言に乗ったのがそもそもの間違いだった。


その後の二十年間にどんどんと病名を追加されたが、昨秋現在までに宣告して頂いた病名は「不整脈」「胃壁ポリープ」「十二指腸潰瘍」「高脂血症」「高コレステロール」「高尿酸値」といった半ダース。これに多分胃薬を合わせて、朝・昼・夜と七種類ずつの薬を投与されていた。

「先生、小生は三十年以上も病欠ゼロ。風邪も寝込むほどにはひいたことがない。お蔭様で不整脈も治ったようだし、その他もろもろについても自覚症状ゼロ」 と、何度か抗議をしたが 「薬で押さえてやっているのだ。ウソだと思ったら試しに薬を止めてみろ。コロッと逝くから」 と脅されては素人の悲しさ、どうしようもないではないか。


しかし昨秋ついに決心したのだ。 「どうせそう先行き長いワケではない。いつも薬で満腹感というのは情けない限りだ。ヨシ、勝負だ。コロッと逝くなら逝ってみろ」と。 ということで病院通いも殆ど主食のようになっていた薬もキッパリと止めたのである。

ただ今年に入って猛妻があまりにもワメクという副作用があったので、仕方がないから 「近所の病院に変える」 という条件で、再度通い出した。前の病院からは 「友人がすぐ近所で開業医を始めたので浮世の義理で付き合わざるを得ないから」 とお断りしてカルテを頂戴してきて、近所の病院へ持参した。

「一応うちの病院でも検査をしてみましょう」 ということで一通りの検査をしたが、結果は 「薬の飲みすぎです。高脂血症と高尿酸値については継続治療をした方が良さそうだから薬を出しますが、他についてはまたしばらくしてから検査をしましょう。それまでに何か変調があれば言って下さい」 とのことである。同じ日本の医者で、同じような検査をしてこの結果の違いというのは一体何なのだ。
しかも七種類の薬を二種類に減らしてから半年以上を経過するのに未だにコロッと逝く気配もない。


最近の医療過誤ニュースを見聞するにつけ、ますます医師というものが信用出来なくなった。今回変えた病院の医師は薬を大幅に減らしてくれて、どうやら善玉のようだがこれだって鵜呑みにすることは出来ない。ということで、掛かり付けの医師に観て貰っているからという理由で二十年間パスしてきた会社の集団検診を受けてきたのだ。

従って二十年振りにバリウムを食ったという話になったのだ。さて、事前提出の自己申告表には「病歴一切なし」「服用薬なし」「酒は飲まない/煙草は吸わない」と書いて出したのだが、果たして現代医学、どんな回答書を送ってくるだろうか。
診察してやろう。楽しみである。


でもさすがに検便だけは、当初はパルのヤツで誤魔化す心算だったが、止めておいた。


020512  球玉

野球のヤの字にも興味の無かった猛妻が、タイガースの勃起で突如として野球に目覚めた。どうせ使用前みたいなもので、間もなく使用後状態の最下位・定位置に落ち着くだろうが、いずれにしてもテレビのチャンネル争いが無くなったのは歓迎だ。
それどころか巨・神戦ともなると黙っていても野球中継がオンになっている。


先日も買物から帰って来るや否や「近所の野球場で草野球をやっている」といって、慌しくカメラを抱えて脱兎のごとく飛び出して行った。
なかなか面白いショットのものが何枚か写っていたがこれもそのうちの一枚。


たまたま、タマがバットの直前を横切った瞬間。この表情や良しである。
バットの部分を手のひらで優しく叩いて頂ければ大きくなる。


010511  これまた難しい問題だ

小生が毎週土曜・日曜にクロールで軽く五百メートル泳いでいるジムのプールでの話。今日も水中二キロの激歩の後クロールで軽く五百メートル、軽く五百メートル泳いできた。    

この水泳コース、全部で七コースあるが、一コースがゆっくりウォーキング、二コースが速足ウォーキング、後が泳ぎのコースで三コースが初心者コース、四コースがロングコース、五コースが一般コースと色分けされている。六と七は適宜変わるが、殆どの場合は水中エアロビやレッスン等の、プログラムで使用されている。

毎週行く時間が決まっている関係から、顔ぶれも殆ど固定されている。といっても小生の場合には顔を合わせれば目礼程度はするという相手が二・三人いる程度であるが、おば様共はスサマジイ。すぐに仲良くなって水中を歩きながらペチャクチャベラベラと姦しいことこの上ないのだ。明らかにスポーツというよりは水端会議が目的で来ているようにしか見えない。

ゆっくりウォーキングコースを使ってくれる場合には関係ないが、混んでくると速足ウォーキングコースに侵食して来て、しゃべりながらダンゴになって歩いているので、邪魔なことこの上ない。街中同様、このおば様達のマナーの悪さには全く辟易する。

ところが三ヶ月前位から、この時間に必ず一人の逞しい男性が現れるようになった。見事なボディをしたこの男、泳ぎがメチャクチャ上手いのだ。多分学生時代は水泳部、あるいはその中でも突出した存在だったのではないかと思うほどに見事な泳ぎっ振りなのだ。

当然ロングコースを使うが、クロールと平泳ぎ、背泳ぎにバタフライを交えて、たっぷり一時間位泳いで行くのだが、とにかくメチャクチャに早い。小生が軽く五百メートル泳いでいる間に、彼はぜいぜいしながらではあるが、二千は泳いでいるのではないだろうか。

初期の頃は知らなかったので、軽く五百メートル泳ぐ小生としてはロングコースを使っていたが、彼が同じコースに入って来た時はコッチが一往復する間に三回は抜かれた。しかし決してぶつかってきたりはせずに、例え背泳の時でも、あたかも後ろに目があるかのごとく綺麗に避けて横をかすめ過ぎて行くのだ。しかしその度にこちらはしこたま水を飲まされるハメになるので、最近は彼と同じコースは避けて泳ぐし、他の連中も彼が来ると逃げる。

すなわちロングコースは彼の独占コースと化し、後の二つのコースが混みあうということになるが、被害はそれだけには留まらない。彼が泳ぎだすと、特にバタフライでも始められようものなら、すさまじい水しぶきが両側二コースに襲い掛かるのだ。すなわち彼のコースを含めて五コースが、一定の時間を置いて嵐と津波に襲われるということになる。これははた迷惑この上ない。

今日もマナーの悪いおば様達が水飛沫を避けながら 「何てマナーの悪い人なんでしょう。人の迷惑なんていうことちっとも考えていないのね」 と言いながらダンゴになって歩いていたが、このマナーの悪いおば様達に「マナーが悪い」といわれたらオワリだなと思った。

しかしふと考え直したのだ。もし逆の立場だったら・・・、もし小生が軽く五百メートルをこの猛スピードで泳げるとしたら・・・。
やっぱり泳ぐだろうなあ。そのために、泳ぐために、より上手くなるために、高い会費を払って入会しているのだから。「泳ぎが上手い」と言う理由でこんなに非難を浴びるというのはちょっと分からないぞ。


う〜ん。これまた難しい。プールの問題じゃない。
だってこれって、こういう問題って、普段のわれわれの日常生活や社会生活の中で、いくらでも見かける現象なんだもの。

020510  古本流通恐るべし

ここのところ毎晩のようにスナックでガハクが嬉しそうにニコニコと話をしてくれる。開高健の「路上にて」というノンフィクションがいかに面白いかと・・・。「今日はこういうのを読んだ」 といってその一節を披露してくれるのだ。随筆であるから中身を語ってくれたとしてもこれはマナー違反ということにはならない。

小生も青年時代、雑誌「文学界」の確か新人賞受賞作品として掲載された「裸の王様」を読んで以来のファンであった。そしてこの作品は後に芥川賞を受賞している。しかしガハクは釣り繋がりということもあって、小生を遥かに凌ぐ大のファンであり「殆どの作品を読んでいる」と豪語している。その彼が「まだ読んでいないのがあった」といって喜んでいるので、どれどれと言ってチラッと見せて貰った。

一九七七年発刊(文芸春秋社)のボロボロの本である。「どうしたのだ」と聞いたら「友人宅の本箱に眠っていたのでカッサラッテ来た」という。「読み終わったら回してやるから待ってろ」ともいってくれたが、何しろ六百ページに近い大冊である。小さな活字で二段組でビッシリと思ったら、ところどころは蚤の金玉のように小さな活字で三段組というのがある。

いまでもこんな行儀の悪い編集本というのはあるだろうか。
これは貸してくれたとしてもとても持ち歩けない。
お得意のバラバラ紙体・ホチキス閉じをしようにも人の本の又借りとあってはそれも出来ない。

「いい、自分で買う」 と答えて、昨日、早速会員になっている「紀伊国屋書店」をネット訪店した。
出てくるには出て来たが「絶版」「入手不可能」の無情の文字。不思議なものでこうなったら燃える。手付かず・未読の大冊が後四〜五冊は本箱に眠っているのだから、今買ったって、いくら読みやすくばらしたからって、すぐには読めるわけがないのだ。

価格も二十五年前当時の値段で二千三百円ということは、例え見つかったとしても新刊では四〜五千円は覚悟する必要があるだろう。
そこで古本のネット検索をかけた。自分ではなかなか探り当てることが出来なかったが、そこはそれ、古本ネット界の著名人であるところの社ダチに頼んだら、たちどころに検索してくれた。京都は伏見区にある「辻井書店」。

う〜ん、京都伏見区か、いかにも開高健の古い著書が眠っているに相応しい場所ではないか。インパクトの強い、好きな地名であるが、修学旅行以来足を踏み入れたことがないぞ。う〜んこれはいい、と変なところに感心した。沢山並んだ在庫本リストの横に本の状態を記してあるのも、社ダチにいわせれば当たり前のことらしいが小生にとっては物珍しい。本の状態に関してAからDまでのランクがあり、この本はBランクである。そして添え書きが面白い。


「カバー・帯付き、横面若干の汚れ、上面日焼けあり。月報ナシ」。 なるほど、古本マニアというのはこういうことを基準にするのか。因みに月報とは本の間に挟みこんである、他の新刊本の紹介ペラのことだそうだが、小生は本を買うと真っ先に本の中の狭雑物と帯を捨てている。これらがあるとないとでは、古本としての価値に雲泥の差を呼ぶそうだ。

早速その場で「購入」をプチッとしたら、即メールが返信されてきた。 「在庫確認しました。すぐにお送りします」。
そして、古本とはいってもかなり程度の良い 「路上にて」 が、何と今日すぐに小生の手元に届いたのである。京都の伏見から!
古書店恐るべし、新流通恐るべし。

何ともはや便利な世の中になったものだ。 また 「新刊と古本」 の蒸し返しになるが、これは新刊が絶版だから古本で買ったのだ。
不可抗力の大威張りなのだ。


しかし弱った。入手の経緯にストーリー性のあるこの本、バラス気が起こらないぞ。



020509  平成警官捕物控

朝の通勤路。自宅から西武線の最寄駅までの二キロはレンタル自転車である。もちろんチャリンコを持っていないわけではないが、駅近辺には駐輪場がない。その点このレンタル自転車というヤツは便利で駅のすぐ側に立体駐輪場がある。カードと一緒にチャリンコを差し込めば自動的に吸い込んで持ち上げて行ってくれる。それでいて三ヶ月で六千五百円だからなかなか便利である。

今に自動車もこういう乗り捨て感覚に近い形態が定着するのではないだろうか。
自宅からチャリンコ置き場までは一直線の街道を走るのが一番近いが、車とバスで鬱陶しいので多少遠回りではあるが裏道を選んで走っている。

さて、そこで先日の往路の話である。いつものコースで裏道を走り、駅近くになって街道に出ようとした途端にけたたましいパトカーのサイレンが聞こえてきたのでとりあえず下車したところ、チャリンコの鼻先を掠めるようにしてパトカーが通過して行った。再度乗車して街道を駅に向うともう一台、パトカーがサイレンを鳴らしながら今度はチャリンコの横腹を掠めるようにしてスットンデ行った。

こっちが駅に着くと、二台のパトカーが回転灯を回しながら止まっていた。何事があったのかと思いながらホームに行くと、今度はホームにものものしい格好をしたオマワリが六人で円陣を組んで何事か話している。回りは黒山の野次馬である。

いつもなら間に合わない急行がドアを開けたまま、まだホームに止まっていて何度も何度も「ご迷惑をおかけしております」のアナウンスが流れるが、何があったのかという説明は一切ナシである。当然小生もその野次馬の一群に加わった。そして初めて見たのだ。

オマワリのうちの三人が何というのだろうか、犯人を壁に押し付けて逮捕する先っぽに半円形の金具がついた棒を持っている。テレビで紹介されたのは見たことがある。

実演つきだったがその金具で犯人の腹回りを挟み込むようにして、壁に押し付けて動けないようにする。しかも棒の部分がかなり長いためたとえ犯人が刃物等を持っていてもコッチには手が届かないという、極めて原始的かつ合理的な武器(?)である。


テレビを見た時は「本当にドタバタ逮捕騒ぎの時にこんなもので役に立つのだろうか」と疑問に思ったが、間近で実物を見てますます疑問が増幅した。犯人にケガをさせない配慮かどうか知らないが、金具の部分はかなり大きな半円形である。

仮に小生がこれで壁に押し付けられたとしても、そのワッカの中でかなりの自由が効きそうだ。
ヒョイッと身を沈めれば簡単に抜け出すことができそうな位にゆるゆるのワッカである。

円陣を組んでいたオマワリ達は「ウォッ」とかなんとか気合を入れて、三組に分かれてホームのそれぞれの方向にスットンデ行った。
アナウンスにせかされて野次馬達と一緒に混んだ車両に乗り込んで次の停車駅。また長々と停車していると思ったら、逮捕ワッカを担いだオマワリの一人がドアのすぐそばで立っている小生の所に来て車内に向って大声で叫んだ。


「この車両は大丈夫ですかあ?包丁を振り回している男がいるという連絡が入って巡回していまーす」。 こらっ、いくらスーツ姿で一杯の通勤電車の中で野球帽にザック、ハンカチで顔の汗を拭っている男がいるからと言って、そんなにジロジロ俺の顔見ながらいうな。

結局再度走り出した電車のアナウンスで判明したが、どうやらイタズラ電話だったらしい。朝っぱらから人騒がせな・・・。
それにしても近代装備を誇る警察。
   キリッとした制服にあの十手捕縄姿はどうみても滑稽だったぞ。


020508  病院から葬儀場へ
 
昨夜ここ二年ほど会っていない旧友から電話が入った。

「明日久し振りに新宿にでる。昼飯でも一緒にどうだ」と。

「残念、明日は朝から半日健康診断でバリウムを飲まされるからダメだ」 と答えたら、「丁度いいではないか、バリウムにはビールが最良の薬だ」 という。
「何か用があるのか」 と聞いたら 「なんにも用なんかない」 という。

年に一度の催事。コップ二・三杯のビールで多少赤い顔をして出社しても許されるだろうと決めて 「じゃあ」 ということで待ち合わせをすることにした。自分が悠々自適のサンデー毎日だからといって、相変わらず勝手な奴だ。

そして今日、半日病院の中をタライマワシにされて最後にバリウムを馳走になってから、新宿の待合せ場所に出向いた。すでに来ている彼が喪服着用である。

「何だ何だ」 と聞いたら 「何だもクソもない。昨夜遅く山田のおふくろさんの告別式の連絡が入った。お前は今日健康診断と聞いたので、深夜の電話は悪いと思い、メールを打ったのに返事が来ない。仕方がないからこの待合せ場所まで出向いて来た。急いで飯を食って今から行こう」と。

メールなどくれたことのない奴がいきなり当方の二年も前のメルアド宛に連絡をくれたって届くわけがない。
それをいうと 「バカヤロウ。お前が会社に行ってないことは分かっていたので、今朝から何度も携帯にも電話を入れたのだ」。


オレの携帯は待ち受けのためには電源が入っていた試しがないのだ。第一仮にそうでないとしても、病院の中では携帯の電源をオフにするのが常識だろがっ!

しかし山田のおふくろさんということでは、これは行かずばなるまい。その後はお会いしていないが、少年時代には山田の家に遊びに行く度に歓待して頂いたし、一度ならず二度か三度、バナナを振舞って下さったのだ。

社に欠勤連絡を入れた後、とにかく飯ということでレストランに入ったが、彼は車、こちらもこれから葬儀場ということではバリウムの良薬を飲むわけにはいかない。葬儀場は新宿から小生宅をかすめて少し奥に入った所。彼が車で送ってくれて我が家の前で着替えの間待っていて、そのまま葬儀場にということになった。買ったばかりのベンツの新車ということである。

食事を終えてコーヒーを飲んだが、彼が 「そろそろ出発だ」 という。 そんなこと言われたって・・・。
「待てよ、まだバリウムの処理が終っていないのだ」。

「じゃあ、早く処理してこい」 というが、そうお誂え向きには行かない。

「何しろ来れば待ったナシだ。仕方がないからお前の車の中で処理させて貰うか」 というと慌てて 「待つ、待つ、待つ」という。
何とか処理し終えたが時間がない。着替えの儀は省略させて頂くことにして、駅の売店で黒ネクタイと黒腕章を購入、そのまま直行した。

こういう偶然というかめぐり合わせという奴は有り得ないことではないだろう。しかし、病院から葬儀場へ直行なんていうのは極め付きのレアケースであるに違いないし、少なくとも小生の場合には生まれて初めての経験である。とにかく考えてみればあまり気持の良いものではない。

今日は病院から葬儀場まで、呼吸をしながら移動したが、次回小生がこういうケースに遭遇する時は、呼吸が停止している状態であることは、ほぼ間違いない。



020507  泥酔自殺

例の元看護婦が保険金搾取のために夫を泥酔させた上で、医療用チューブでボトル一本のウィスキーを流し込んで殺したという事件。当然ここの所のスナックの毎晩の話題であるが、たまに来る客には目新しい話題であっても、毎晩のように調子を合わせなければならない常連客にとっては、いささか辟易ものである。

この殺人方法、非常に疑問である。もちろん個人差はあるだろうが、本当にボトル一本のウィスキーで死ねるものなのだろうか?
可能なのだとすれば、自殺の方法としてこんなに素晴らしい方法はない。しかし、こんな素敵な方法は十年ほども前に発刊されて物議をかもした「自殺ノウハウ」本にも出ていなかった。

あの本の中で印象に残っているのは「意思が強ければ洗面器一杯の水で溺死可能」とか「意思が強ければ箪笥の鐶で横たわったまま首吊り自殺可能」とか、おおよそ実現不可能なものばかりだった。何がノウハウだ。バカバカしくなったから途中で読むのを止めたし、従って自殺することも止めた。


人間誰しも、もし自殺するとしたら・・・ということは必ず考えていると思うし、小生とて例外ではない。方法についてはいろいろ考えるし、今回のように酒の肴でスナックで議論することもある。まあ一番楽で簡単なのが電車への飛び込みだろう。しかしこれはメチャクチャ多くの人に迷惑をかけることになるし、残された遺族が一生補償に苦しまなければならない。

もし自殺をするとしても、そこには自殺の美学というか鉄則がある筈だ。誰にも迷惑をかけないというのは無理にしても「迷惑をかける人間を必要最小限に留める」ことが必要だ。その上に立って次に自分のこと。「苦痛を少なく、確実に」という方法を選択すべきである。

これも最近の話であるが「東京タワー」からの飛び降り自殺が報じられた。あんな高い所のどこにそんな素通しがあったのだろうという疑問は置いておいて、これなどは下にいる人間にぶつからないようになどというコントロールは絶対にできない筈である。いたいけな幼児の手をひいた母親の上に、なんてことは考えなかったのだろうか。こんなのは小生に言わせると自殺道の風上にもおけないと思うのだが。

もし飛び降りるとしてもせいぜいビルの上くらい。人通りの少ない時間帯に、絶対に人が下にいないことを確認してから・・・というのが飛び降り者の最低のマナーである。このマナーさえ守るならば、確実かつ楽な方法だと思う。何しろ死に行く過程でいろいろなことが脳裏をよぎるであろう首吊りとは違って、一瞬の決意と実行で済むことだから。

或いは自分ならこの方法を選ぶかも知れないと思っていた。しかし落下途中で気を失うというのは果たして本当なのだろうか。本当だとして誰が証言したのだろうか。しかもそれが一般論であるとすれば多勢の人間の証言が必要な筈なのだが。

もしかしたらシマッタと思いながら落下して、地面に叩きつけられた瞬間に「アイテテテッ」と叫んで、自分の頭蓋骨がグシャッと潰れる音を聞きながら死ぬかもしれないではないか。でもそうだったかどうかを人に教えてやることはできない。

そこで今回のウィスキー事件を見て「これは素晴らしい」と膝を叩いた。ジョッキに空けた最高級ウィスキーを駐車場の車の中で鼻をつまんで一気に流し込むだけ。幸せだろうなあ、と思ってから考えなおした。

いい気持ちに泥酔して、スッパダカになって表に飛び出し、手当たり次第に道を通るお姉さんに抱きつきに行って恥を天下に晒すことになるのかもしれない。小生のことだからやりかねない。 やっぱり止めた。

020506  ブックオフ

皆さんのご近所にもあるだろうか。雨後の筍のように排出しているようであるが、小生の自宅近辺にも二店存在する。

いま、小生が巡回しているBBSでこの「ブックオフ」と「古本屋」について、熱くて真摯な論戦が繰り広げられている。著名作家連中が出没するアカデミックなBBSであり、小生が介入して行く余地はないが、両者の言い分ともにわかる部分がある。

片や「同じ商品であれば、消費者としては安い方を選択するのが当然」。
片や「正規の新刊書店で本を買ってくれなければ作家の生活は成り立たず、出版業界そのものも崩壊する」。


ガハクもよく小生にいう。「オレの本を読んでくれるのなら書店で買ってくれ」と。ただし自分は図書館から無料で借りて来て本を読んでいる。

図書館は客集めのために、ベストセラーなどは何十冊も買い込むそうだ。
それが何百人・何千人の人間に回し読みされることになる。作家の手元に印税として残るのは最初に購入された何十冊の分だけである。   
            ちょっとシツコク書くので中に入って頂きたい。


020505  鄙には稀な・・・

ジムの帰途、いくつかローテーションしている食い物屋は軒並み休み。ふと思い立って方角違いではあるが、ここに足を延ばした。一年程前になるがネットで騒がれていたため探し当ててニ・三度利用させて貰ったことがあるイタリアン・レストラン「イル・ポンテ」である。

ご覧のように住宅街も住宅街、それも車一台がやっと通れる程度の裏道にポツンと一軒の小さな店であり、二十人も入れば満員。時間帯が悪いと並ばなければならない。

まさに「鄙には稀な」の言葉通り、なかなかの味であるし、小生には縁が無いがワインの品揃えにもこだわっているようだ。

それならなぜもっと通わないのかとお思いかも知れないが、重大な欠陥があるのだ。何をオーダーしてもボリュームが多すぎるということ。本日も非常に精神衛生に悪い思いをしながら、マスターに謝って三分の一ほどを残してきた。

奢ってあげるわけにはいかないが写真をプチッとしてくれたら見せて差上げる。


020504  世が世なら

質実剛健、赤貧の残りの三連休に入った。デジカメ持参、硬貨だけを持って例によって三宝寺。ケチな両親に連れられたガキ共で超満員である。三宝寺を通り抜けて石神井公園へ。今はガキの歓声で賑わうこの界隈も、数百年前には合戦場であり、死に逝く武者共の喚声と悲鳴が満ち溢れていたのだ。

ここに越して来て三十年強。一度この界隈の歴史を調べようと思っていまだ果たせずというか、果たさずにいる。

石神井城址の石碑の前にも何度も足を運んだし、この解説文の解読にも何度もチャレンジしたがダメだ。多くの観光地でも思うが、なぜ勿体ぶってこんな読み難くするのだろう。

我が家に家系図が残っていないのが非常に残念であるが、石神井城なんてマイナーじゃないメジャーな城に、絶対に我が祖先の名が刻まれている筈なのだ。に違いないと思う。

皆さん、気軽にここを覗きに来ていられるが、世が世なら「頭が高い!」。打ち首だぞ。


020503  馬神様

わが居室、馬だらけである。デッキチェアの後方には壁画と見まがうような特大キャンパスに描かれた馬に跨ったドン・キホーテ。ガハクの転居祝いのプレゼントである。そして左の本棚には社ダチのスペイン土産の馬に跨ったドン・キホーテの置物。机上のパソの横にはやはり社ダチのプレゼントの馬の筆立て。ここには競馬検討用専門の筆記具が収納されている。

そしてもうひとつがコレ。やはり社ダチの台北土産である。周囲には置き場所がないので、エアコンの上に接着剤で固定した。デッキチェアに寝そべって見上げると実に良い角度で、わが命名によるルドルフマッハ号の勇姿を拝むことができるのだ。


年に三〜四回は府中にでかけるが、これらのわが居室のお宝の馬達に静かに柏手を送ってから出発する。この連休を優雅に過ごすために、今朝は特に恭しく最敬礼までしたのに。

ご利益なしの惨敗。さて後三日、静かに、慎ましく過ごすことにした。

020502  コードの乱

続きである。苦心惨憺ラックを引っ張り出すことに成功、記念撮影を終えてから裏に回った。わがダブルデッキを裏から拝見するのは初めてである。四年前の設置の時には電気屋が来てくれて小生がジムから帰宅した時に丁度終わった所、後は操作を教わるだけだった。

何たることだ。コードとコンセントとその他諸々とで狭い面積に足の踏み場もないのだ。ラックの最下段がWOWWOWのチューナー、中段がダブルデッキ、上段がテレビという階層になっているが、そのそれぞれの穴という穴からコードを吐き出しているのだ。ざっとみて百本は下らないというとオーバーかも知れないが、視感としては悠に千本は下らない。ひと目見た途端にこれはどうすることもキャンノットだということが判明した。

もっとも予期していたことではあるので、場合によっては「労力+修理代」ということを考えたら新品の購入ということも視野に入れて問い合わせはしてみたのだ。ところが何と、ソニーはダブルデッキは勿論、8ミリデッキの製造そのものを中止したとのことである。散々ベーターを売っておいてあっさりとVHSに降伏、さっさと撤退したように、今度はDVDにいとも簡単に降伏して8ミリからは全面撤退なのだそうだ。一体全体二年前に清水の舞台から飛び降りる心算で購入した8ミリのデジビデを、8ミリデッキなしにどうやってTV画面で見ろというのだ!

カネ返せーーーーーっ!! なんて騒いでいる場合ではない。製造中止後何年間かは部品供給の義務があるという期間のうちに、何が何でも修理に出さなければ、千百本の映画ライブラリもデジビデで撮影したオーストラリアをはじめとする旅行の思い出等を収めた8ミリテープも鑑賞不能になってしまうのだ。千個位の穴ボコに音を上げるわけにはいかないのだ。


いよいよ各機器の穴ボコとの戦闘開始である。あの電気屋の野郎、どうすればコードをこんなにもつれさせることができるのだ。コードとコードが途中で花結びになっていたり、コマ結びになっていたりでデッキの穴から出ているコードがどの機械のどの穴に差し込まれているかの判定が全くできない状況である。しかしとにかく全ての穴からコードを取り外さないことにはデッキを修理に持ち出すことができないのだ。しかも取り外すだけではなく、修理を終えて戻って来たときにそれぞれのコードを元に戻してやらなければならないのだ。

仕方がない。根気のいる作業であるが、デッキからコードを吐き出している穴という穴に赤の油性ペンで1・2・3・・・と番号を振っていった。万一抜けてしまった場合の用心のためにテレビの穴にもWOWWOWの穴にも番号を振って行く。百番までというとオーバーかもだが、体感としては千番まで書いた。そして慎重に慎重に、そこに刺さっているコードを引っこ抜いて、もつれにもつれているコードをほぐして一直線にした上で、今度はその首に番号を記したポストイットを巻きつけ、輪ゴムで止めて行ったのである。

この気の遠くなるような作業を完成させて、ついにコードを一本もぶら下げていない裸のビデオデッキを取り出すことに成功したのだ。
シャワーを浴びて全身ゲトゲトの汗を流し、ほっとしているところであるが、やはりオレは偉い。


ただし、こわれたデッキの中をアンテナが素通りしてくれていたらしく、コードを抜く前まではテレビは見えていた。しかし今はテレビの電源を入れるとアンテナに接続されていないためにザーザーと雨が降ってどうしようもない状態。
アンテナのコードはどれだ。デッキを経由しないでテレビに直接つなぐ穴ボコはどれなのだ。


どうやらこのGW、ビデオだけでなくテレビともおさらばのようだ。

020501  GWの大掃除

超大型連休が年に二回ある。ひとつは年末・年始の休み。もうひとつがこのGWである。
この二つの大型連休の決定的な違い。年末・年始の方は形式ばったというか格式ばった連休であり、休みとはいっても何かと束縛が多い。一方このGW連休は約束ごとがほとんど無い、個々人の自由裁量に任されるところが多い連休ということである。

季節の良さということも手伝って、当然このGW連休の方が楽しい。
少なくとも小生の場合は比較にならないほどに好きである。そして最も大きな違いは年末・年始休みには大掃除ということが付きものであり、いかに横着な小生といえども折角の休みの二日間は掃除で潰れる。しかしGWにはその大掃除というヤツがないのだ。すなわち実質休暇ということでみると、GWの方がずっとずっと大型連休なのである。


先日の写真ネタで使ったがご自慢のダブルデッキ。これがブッコワレタということには後日談があり、あの位のスペースで書くことはとても出来ないので続きである。結局完全ダウンであり、自分ではどうしようもない、修理センターに持って行かなければならないというところまでは判明した。そのためにはダブルデッキをラックから取り出す必要があるということで、引っ張り出したのだ。

しかし引っ張り出すこと自体がそんな簡単なことではない。何しろ狭い自室である。引っ張り出すスペースを確保するためには、まず部屋の最後尾にあるデッキチェアを何とかしなければならない。まずコイツを折りたたんで廊下に出したが 「廊下を歩けないっ!」 と娘が叫ぶ。仕方がないからエッチラオッチラ抱えてベランダに避難させる。そしてチェアに引っ繰り返る時の足置き兼用の小机を自室の最後尾に移動し、デスクの前の椅子を後ろに移動させ、アチコチに出っ張って散乱している小物類を小机の上に積み重ねる。

さてスペースが出来た所でラックを引っ張り出そうと思ったがそうはいかない。絨毯が邪魔で引っ張り出せないのだ。絨毯を取り除くためには今避難させた部屋中の諸々のものを外に出さなければならないが、面倒臭くてとてもじゃない。後で見つかって猛妻にギャンスカ言われるのを覚悟の上で、引っ張り出すスペース分の絨毯を切り取ることにした。

が、鋏ではとても切れないということが判明、カッターナイフの刃も立たない。これまた猛妻から突き殺されることを覚悟で、台所から出刃包丁を持ち出して来て格闘。やっと引っ張り出すスペースを確保した所ですでに全身汗ダクである。切り取った絨毯の置き場もないし、下手なところに置くと猛妻にすぐバレルので、一旦ゴミ集積場に抱えて行く。


さて、戻ってきてやっと引っ張り出した。ところがこのラックの裏側の何たる惨状!!
山のような綿ぼこりがネバネバでベタベタ。手をつくと手の平が床にへばりついてハガスのに一苦労なのだ。掃除機をかけたがテンデ受け付けない。そういえばこんな所、年末は勿論、このダブルデッキを買って来て取り付けた四年前から一度も見たことがない。

乱れてからまっている線を抜くと分からなくなるので、全てをゆるくふん縛って持ち上げ、ガムテープで壁に固定。洗剤を撒いて線を頭で持ち上げながら床の拭き掃除である。雑巾三枚をダメにしてやっとどうにか床が見えて来た。こんがらがったままの配線をガムテープから外して、元通り静かに床に置き、デジカメ記念撮影の余裕。と言いたいところだが、拭いたばかりの床にボタボタと顔中の汗が落ちる。

でも良かった!このネタはまだまだ続くのだ。天皇誕生日を棒に振った代わりにゴッチャリとネタを確保したのだ。
天皇陛下バンザイ。