迷  走  録


一旦自分の口から飛び出してしまったコトバには責任を持たなければならない。それは既に社会に向けて発信されてしまったのである。

ましてそれが確実な記録として残る「書く」ということにおいてはなおのことである。

自分に確たる思想があるわけではないし、生き方の方向が定まっているわけでもない。だからコトバを発することは恐いし、書くことはもっと恐い。

自身で振り返ってみても矛盾に満ち満ちているので・・・。

しかし、だからといって考えることを止めるわけにはいかない。瞑想することを放棄することは出来ない。

たとえ、迷走でも良い。口から発することによって、書くことによって、多少なりとも自らを律することが出来るのだとすれば。

自らを律する意味でも「毎日更新努力」を宣言して、本コンテンツを設置した。    

                                                                       2000年 12月 1日
レジメ 

2000/12  0101前半 0101後半 0102前半 0102後半 0103前半 0103後半 0104前半 0104後半 0105前半 0105後半 0106前半 0106後半 0107前半 0107後半
0108前半 0108後半 0109前半 0109後半 0110前半 0110後半 0111前半
0111後半
0112前半 0112後半 0201前半 0201後半 0202前半 0202後半 0203前半
0203後半 0204前半 0204後半 0205前半 0205後半 0206前半

   過去のものは ↑ を訪問願います


020630  ゴーストタウン

三十年前にここに越して来た時は活気のある団地商店街だった。店主は皆小生と同年代の働き盛りの三十代だった。今は皆六十代、子供達が後を継がない。
閉店した店も多い。

まして最近は最寄の二駅周辺の大開発で、大手のメジャー店が進出して来た。家の猛妻もそうだが、殆どの住民がチャリンコでそっちに流れていく。
文字通りのゴーストタウン。


一軒、二年前に出来た場違いのラーメン屋だけが、連日この盛況である。ホントはもっと長い列だったのだが、売り切れということで行列の尻尾が解散させられた後なのだ。

主人が高校の卓球部の指導教官、合宿の時に奥さんが学生達にラーメンを作ってやったのが始まり。要するに素人である。その素人が始めたラーメン屋恐るべし。
テレビに取材され、ネットでも騒がれている。団地の飯屋は「新参のあすこに客を奪われた」といってボヤイテいるが、客を奪われたわけではない。

素人の営業努力が、とてつもない遠方から客を呼んで来ているのだ。


020629  零細企業の哀しい社長達

友人・知人の経営する零細企業が三社、昨年末から立て続けに倒産した。

A社のA社長
昨年末に倒産した。広い意味では同業者である。パーティ等で年に二・三回は顔を合わせたし、同程度の規模ということもあり話が合い、会合のあとでは大抵飲みに行った。最初は五・六人でも、帰宅方向が同じということもあり、最後は二人きりでということもしばしばだった。気前の良い男であり、たまにはこちらで・・・のことばを振り切って、いつも奢ってくれていた。少なくとも当社よりは景気が良さそうだったので、ついつい甘えてしまった。

今年の始め、蒸発の噂を聞いた。結局残された社員で倒産手続きをせざるを得ず、大騒ぎだったらしい。そして三月頃、新宿西口でホームレスになっているという噂を聞いた。人違いではないかと尋ねたが、額中央の大きなホクロと右頬の火傷跡は見まがいようがないということである。ダンボールの家の中は読書好きの彼を裏付けるように本の山だったという。

積極的にという気持ちはないが、もし見つかれば留守を見計らってダンボールの家の中に放り込んで置こうと思って、封筒に三万円を入れてついでのときに四・五回歩いて探してみた。一軒・一軒、覗き込んで歩くということもできなかったせいもあるかも知れないが、見つけることはできなかった。その後、噂は聞かない。

B社のB社長
小生が二度目に勤めた小さな会社の同僚だった。五年ほど前に、銀座で二十数年振りにバッタリ顔を合わせた。デザイン会社を経営しているということで、銀座の彼のオフィスに連れて行かれた。小さくはあるが小綺麗なオフィスで、業績は順調なようだった。

丁度A社の社長を探していた頃であるから、今年の三月の話である。「金を貸してくれ」と電話があった。断った。それから一ヶ月ほどして、明るい顔で訪ねて来た。奥さんと手続き上の離婚をして、財産を保全した上で自己破産手続きをしたそうだ。意外に簡単だったといって、サバサバした顔をしていた。
「社員はどうしたのだ?」と聞いたら「以来音信不通、知らない」という返事が返ってきた。

C社のC社長
中学で同級生の女性社長。年に一度のクラス会はここ十年ほどお互い皆勤に近かった。同じ新宿ということもあり、クラス会以外でも年に五・六度は飲みに行ったり昼飯を食いに行ったりしていた。 

食品流通の会社だったがGWの谷間、一緒に昼飯を食った時「資金繰りが二進も三進もなの。何としても従業員のお給料分は都合をつけなければ」とぼやいていたが「だから貸してくれ」といわれたわけではないし、もとより小生が力になれる額ではない。
別れ際に「がんばるっきゃない」といって微笑んでいたが五月の末に、自ら命を絶ったの報が届いた。 


今週開かれた「偲ぶ会」の席上で彼女の片腕だった人間と話をしたが、会社受取の生命保険が入り残された社員達で何とか社の存続が可能ということだ。従ってこれは倒産とはいえない。

その「偲ぶ会」の帰途「無責任だ」とか「安易で卑怯な方法を選んだ」とかのツブヤキをいくつか耳にした。
「なぜ事前に相談してくれなかったのか」の声も。

もし昼飯を食ったあの時に、小生に事前に相談されていたら・・・何て答えればいいんだ。「止めろ」というしかないではないか。

小生は彼女のことを、無責任だとも卑怯だとも思わない。
冷たいいい方だとすればごめんなさいだが、彼女にとっては考え抜いた末の、究極の選択だったのだろう。


020628  もうひとつの・・・

一ヶ月間にわたって列島中を沸かせたワールドカップもいよいよ大詰めを迎えた。疲れもしたが楽しかった。
鬱陶しい梅雨空と暗いばかりのニュースを吹き飛ばしてくれた。

日本に残っているのは二ヶ国の選手達だけ。多くの国の選手達はすでに自国に帰国し、それぞれの国で歓待を受けているようだ。
しかし先日の天声人語に「もうひとつの帰国」のことが記されていた。引用は長くなるので要点だけを記すと次のようなことだ。

ドイツでこの三月にバドミントンの世界ジュニア大会が開催された。そして日本選手団は女子ダブルスで強敵の中国ペアをも破って決勝進出を決めたそうだ。しかしまさかここまで勝ち進むとは考えてもいなかった。従って選手団は往復の格安航空券で現地に向かい、決勝の日まで待つと別の航空券を手配しなければならない。協議の結果、監督と選手二人の三人だけを残して、他のメンバーは団長が引率して帰国ということも考えはしたが、その三人を残す滞在費も帰国の航空運賃も怪しい。結局残念そうな顔はしたが特に反論もしなかった選手達とともに、決勝を棄権して帰国したそうだ。

この話をガハクにしたら顔が蒼ざめるほどに怒った。
「どういう団長なのだ。大使館に駆け込むなり、現地の日本企業を回るなり、借金する位の才覚はないのかっ!」と。

珍しく小生と意見が対立した。借金したとしても、それは団長個人の借金になってしまうのだろう。協会 (あるとすれば) はよほど貧乏なのだろう。 「でも、もしかしたら団長も監督も貧乏なのかもしれない。借金をしても返すアテが無かったのかもしれないじゃないか。返せない借金をするわけにはいかないだろう」。


この簡単な報道からだけではなんともいえないにせよ、今回のワールドカップがなければこういう事実があったということを知らないで過ごすところだった。コントラストがあまりにも鮮やかだから、天声人語でも取上げたのだろう。
今回のワールドカップは本当に色々なことを考えさせてもくれた。

そういえば明後日の優勝決定戦。これも新聞ネタだが、もうひとつの熱い決戦が繰り広げられるそうだ。
先日 FIFA の悪口を書いたが、なかなか味なこともやってくれる。


場所はヒマラヤ山脈東部のブータンの首都、ティンプー。ドイツとブラジルが覇権を争う同じ日に。対戦するのはブータンとカリブ海に浮かぶ英領モントセラト。 FIFA公認のサッカー試合である。ランキング202位のブータンと最下位203位モントセラトで争われる「世界最弱決定戦」。 果たして勝つのはどっちか、否、負けるのはどっちかというべきだろうか。

それよりも最弱決定戦であるからには、勝つことよりは負けることが目的なのだろうか。
当然最弱カップの授与なんていうセレモニーもあるのだろうから。


いっそのこと今回のワールドカップで放送枠をお裾分け程度しか貰えなかった最弱チャンネルはこっちの方を放映したらどうだろう。
まさか優勝決定戦の視聴率を上回ることはないにしても。


とにかく世界は広い。そこでそれぞれの悲喜こもごものドラマが展開している。サッカーに熱くなるのは大いに結構。
しかしその陰にあるいろいろな出来事、いろいろな人達、いろいろな考え方に、われわれはもっともっと敏感になる必要がある。
片側、一面だけから物事をみつめていると、たちまちドリブルで突破されるということも今回のサッカーは教えてくれた。


さて、しばし考えるのは休止して、明夜からまたテレビに齧りつくのだ。



020627  「試運転掲示板」閉鎖

二月にひょんなキッカケからBBSを立ち上げた。立ち上げた時にはこんなマイナーな掲示板に遊びに来てくださる方はそうは居まいと思っていた。

ところがどうして、結構な盛況であり(といっても小生の方から遊びに行かせて貰っているBBSの賑やかさとはスケールが違うが) 書き込みのカウントが五百五十、ROMカウントで八千五百というのだからビックリである。

これは感謝しなければならない。しかし立上げ時の姿勢が良い加減だった。「試運転掲示板」の命名にもその良い加減さが反映しているが自分ではプロバイダの選定能力がないため、社ダチに 「無料で、cgi機能があって、広告がなければどこでもいいから」 という良い加減な頼み方をした。そして事実、その通りの所を選んでくれて、最初はなかなか快適だった。

しかし間もなく、このプロバイダが猛烈に混み出したのだ。小生と同じような基準で選んだ人達が殺到したせいだろうか。特にテレホタイムに入る夜の十一時を回ると、絶望的に繋がらなくなってしまった。
プロバイダでも気がついたとみえて、最近盛にお詫びメールが到着するようになったし、サーバダウン情報や改善中のメッセージも到着している。アクセスすると「システムエラー」の表示も出るようになった。初期の頃の「黙って無反応」に比較すれば長足の進歩である。


とはいうものの一向に改善の兆しはみえずに、依然として繋がりにくい。やっと繋がって書き込みをして「送信」をクリックするとまた繋がらなくなっているのみならず、折角の書き込みが全て消えてしまうというテイタラクである。

たまに繋がって大急ぎで送信をクリックして、反応がないので二度・三度とクリックすると突如として繋がって、同じ書き込みが三つも四つも連続出現ということもしょっちゅうである。
「キャー助けてえっ。四つ出てきちゃったから三つ削除してください」 のメールも多勢の方から何度も頂戴した。

確かに無料である。タダでサービスを受けているのだからそうそう声高に文句をいえる筋合いのものでないということぐらいは分かる。
しかし先日も「ルノアールの緑茶サービス」でUPしたばかりであるが、「タダだから」という姿勢は困る。
このプロバイダがこういう姿勢なのかどうかということはともかくとして、一般的にいって「タダだから」ということで「サービス」ということをおろそかにして貰いたくないのだ。「サービス」ならば心地よさということが最優先の筈である。

勿論閉鎖の理由はそれだけではない。いずれはこのBBSを、映画・演劇や読書、旅や美味いもの屋、小生のジャンルからは外れても良いから音楽や釣や料理、等々についての情報交換の場にしたいと考えていた。そうするためには開設人である小生が頻繁に書き込みをしてリーダーシップをとっていかなければならないが、前述の状況ではそれもままならない。
何のことはない。小生が遊びに行かせて頂いているいくつかのBBSの方が、日常会話をする分には余程賑やかであり、この「試運転掲示板」はそれらのBBSに挟まってお邪魔虫でしかないことに気づいた。 


ということで、勝手に開設、勝手に閉鎖というのは大変心苦しくもあるが、この勝手さというかワガママさは小生らしくて良いか、などとも思っている。

ここの皆さんとは他のBBSでいつでもお話することが出来るのだから、お別れではない。
短い期間でしたが、ご愛顧、本当に有難うございました。「試運転」を終了致します。

020626  へえ〜、そうだったんですか

今回大揉めに揉めたチケット問題であるが、見に行く心算はない自分には無関係とはいうものの、開幕直前の連日の報道に接してイライラしていた。「なぜあんなチッポケな会社に印刷を頼んだのだ」 「前日になってもチケットが届かない、しかも先方の責任者が捕まらないとはどういうことなのだ」 「こういうことは最初から日本に任せれば正確・確実に運営するのだ」 と悲憤慷慨していた。
しかしどうやらこちらの思い違いだったらしい。先日の朝日新聞報道。

【W杯の一連のチケット問題について、国際サッカー連盟(FIFA)は24日「どの座席が販売可能なのか日韓両組織委員会からの情報提供が約5カ月間遅れたことに原因がある」との見解を発表した。同日、横浜市で記者会見したFIFAチケット小委員会のデビッド・ウィル委員長は、FIFAの代理店の英バイロム社について「本来、6カ月間かかる仕事を6週間で終え、危機を救った」と評価した】
ということである。

小生がいっても仕方のないことであるが、なんだか日本を代表して平身低頭して謝りたくなった。
誠にマッコト、申し訳ないコッテス。土下座して謝らせていただきやす。

FIFA―― Federation Internationale de Football Association

今まで全く関心がなかったこともあるが、そもそも今回初めて FIFA なるものの存在を知った。
しかし上記を始めとする今回の一連の暴言・暴挙・失態をみて (あくまでも日本のマスコミ報道を通じての話であるが) イメージとしてはイタリアのシシリー島あたりに本部を置く、一握りのボス組織だと思っていた。


FIFA と省略される前の正式名称は MAFIFA だったのではないかとすら思っていた。
でもネットで調べたところによるとフランスだかスイスだかに本部を置く、なかなかしっかりした大きな組織のようである。
その FIFA の滅茶苦茶な開き直りとしか映らない上記の発言、どう解釈すればよいのだ。
いくら日本のマスコミに対して不信感を持っている小生といえども、今回のチケット報道がまるっきりのデッチアゲとはとても思えない。

それにつけても今回のワールドカップ。ピッチの上でよりは場外での騒がしさが目につく。やれ蹴飛ばしただの引っ叩いただの、審判の買収だの、挙句の果てはビーム光線説までが飛び出して・・・。一部の報道ではこれは予想された当然のことであって、日本人が大人しすぎる、紳士的すぎるの論調も見受けられるし、日本人がホッペタにブラジル国旗をペインティングしてブラジルを応援している様など、ブラジル人にはとても信じがたい異様な光景に映っているということだ。

そもそもわれわれがサッカーをスポーツであると考えている認識が間違えているのかも知れない。あれは文字通り代理戦争という捉え方が正しいのかもだ。そうすれば韓国のサポーターが相手国の国歌に対するブーイングシーンで「何と節度のない・・・」などと、眉をひそめなくても済むのかも知れない。 (かと思うと、昨夜の終了後の韓国サポーター、気持が良かった)

さて、昨夜と今夜、またこの代理戦争でテレビに齧りつきへとへとである。
当然、今夜の対戦では声を嗄らしてトルコを応援した。五人の福沢諭吉が目の前にチラツイタのだ。

トルコが勝てば、五万円強を総取りしない可能性に大きく近づいたのだが、残念無念だった。


020625  驚異の新ジャンル

本コンテンツ「迷走録」についてよく聞かれる。「毎日更新ということは日記なのか」と。お読み頂ければ分かるように日記ではない。
もちろん何か事件に出くわしたり、面白いことがあったりした場合には突然日記に変身することもあるが、そうそう毎日面白いことに出くわすわけもない。従ってたまには日記だが、殆どは日記ではない。
まあ最近感じたことや知ったこと、心が動いたことを書いているわけであるから広い意味では日記といえないこともないだろう。 


しかし今日何時に起きたとか、どこへ行ったとか、何を食ったとか、水割りを何杯飲んだとかという、客観的事実を記したものではない。そういう日記は自分の記録用として別に書いている。

じゃあ「随筆・エッセイ」の類かというと、それこそ一読すればお分かりのように、そんな高尚にして上等なものではない。
「じゃあ雑文か」といわれれば、ちょっとばかり抵抗がある。まあ人様からみれば「雑文」が最も近いのかもしれないが、自分としては絶対に「雑」に書いている心算はない。これもいつも声高にいっているが「一字の誤字・誤植もないように」注意しているし、余程時間に追われている時以外は少なくとも三回は推敲を重ねている。それでもUPしてしまってから瑕疵を見つけた場合、ないしはお読み頂いた方から指摘を受けた場合には、例え一週間前のものであっても訂正に走っている。

困るのが、例えばすでにここでも使っているが「言う」と「いう」。「見る」と「みる」等である。
変換が気まぐれなのでどうしても混ざってしまう。でもそういうものにも気を配って、今日の一文の中では両者の混入がないように直している心算だ。ただしこれについてはあまり自信がない。

そしてもうひとつ、これは聞かれることではなくて文句をいわれること。  ここではよく友人・知人ネタを取り上げている。
小生が超常識人間だからといって、小生の友人・知人もまた常識人であるということはない。というよりはどういうわけか奇人・変人揃いなのだ。彼らは豊富に面白いネタを提供してくれる。一時間話していれば二つや三つネタが拾える。

しかしその彼らから文句をいわれることが多いのだ。「このヤロウ。あることないこと書きやがって・・・」。
小生の名誉のためにこの場を借りて、イヤ訂正、借りなくても自分の場所だ。
 ハッキリと宣言しておく。
「あることないことなどは絶対に書いていない」。

そう、必ずしも友人知人ネタだけに限らず全てにおいてそうであるが、あること、あったこと・・・すなわち見聞した事実を材料にして、ないこと・なかったことをつけ加えて膨らませているのだ。
勿論凡人の力では及ばざるところである。想像力が天空を馳せ巡る小生の非凡の才をもってして初めてなし得る偉業なのである。

「じゃあフィクションか」 と問うなかれ。あること・あったことを核としている以上、フィクションではない。
底辺には厳然たる事実が流れているのだ。


これぞまさしく驚異の新ジャンルといえよう。 そう、名づけて 「ノンフィクション・フィクション」。  え〜い、ハックショーン。信州から高笑いが聞こえてくる。 「ぎゃはは〜、とうとうネタが切れたな」。

さにあらず。ネタがナイという事実をネタにして、わが豊かな想像力と文才が、とにかく千六百字に膨らませたのである。



020624  赤いドーナツ

先日の韓国戦、凄まじかった。かなりの異論もあるようだが、小生にとっては素晴らしい試合だった。あのイレブン、勿論トップレベルの技術を持っているには違いないが、技術というよりは力というか体力勝負という印象が強かった。

それにつけても思い出すのが一九八八年、オリンピックの開催準備で沸き立つ韓国に三泊四日の出張旅行をした時のことである。
詳細は別コンテンツ〔零細企業の哀しい社長〕「46 割り込み韓国旅行」に書いた通りであるから重複は避けるが、何と言っても印象的だったのは「料理の不味さ」と「彼らのエネルギッシュさ」と「われわれ一向に対する熱烈歓迎」ぶりであり、極めつけが「歓迎パーティ」と称して行われた先方の会社の社員二百人と行をともにした登山であった。

特にあの登山の日、早朝出発で街に帰ったのが日もトップリ暮れてから。解散と思いきやさにあらずで、先方の社長を始めとする幹部社員五名が、われわれ三人をサウナに連れて行ってくれた。そこで韓国名物の垢すりを経験し、登山の疲労を取る意味でここまでは良かった。

ここを出た所で開放してくれるのかと思ったら、待たせていた社の車で今度は焼肉パーティ。まあ韓国で唯一美味かった料理が焼肉だが、この日は山頂で焼肉バーベキューをしたばかりで、焼肉は喉元までせり上がって来ていたのだ。流石にわれわれ三人はそっと手を伸ばす程度だったが、先方の五人は食うは食うはで・・・たちまちお代りの皿が山と積まれていった。

やっと表へ出てさあホテルだと思ったらとんでもない。車で連行された先は今度はカラオケスナックである。そこでまた飲みまくって食いまくって、歌いまくって。せっかくキレイなお姉ちゃんがズラリと侍ってくれているというのに、連れの二人はとうとう長椅子でグッタリと死んでしまった。

われわれの歓迎会の筈が彼らとお姉ちゃんとだけでメチャクチャ盛り上がっている。これではならじと日本代表として小生だけは何とか持ちこたえたが、彼らの誰かが一曲歌うたびに唯一の生き残りの小生にマイクが回ってくるからたまらない。
そして開放してくれたのが翌朝十時からの会議を約しての、午前三時過ぎであった。

すさまじいエネルギーというかバイタリティである。その時小生はオリンピックでのぼろ負けを予感したが、事実その通りだった。
いつもいうように小生は日本人だからとか、韓国人だからとか、イタリア人だからとか、という民族一括り論は嫌いだし、それぞれの国にも色んな人がいて色々な方向があると思っている。この考え方はいまでも変わらない。
しかしこれは考え方や思想には当てはまるが、こと体格や体力に関してはそれぞれの国民性というか、特徴を認めざるを得ないようだ。


何と言ってもこのような歓待を受けた韓国の人達に、小生としては一宿一飯の恩義があるし、帰国後もしばらくは彼らとの交流が続いていた時期もあった。日本が敗退した今となっては力を入れて韓国を応援している。しかしあの韓国が準決勝も突破して、決勝戦を戦うために日本に来たらどうしよう。 応援していながらこういうのも何だが、あり得ないことではない。

選手もさることながら、あのサポーターの真っ赤なドーナツは何なのだ。横浜スタジアムが真っ赤なドーナツになる。
エネルギッシュでパワフルで獰猛なあの真っ赤なドーナツ。

勝っても負けても無事では終るまい。あのドーナツが砕けて割れて散乱して、ドエライ騒ぎになること必定である。
彼らもろとも日本沈没なんてことにならなければ良いが・・・。

応援するから、お願いだから、自国での三位決定戦に臨んで欲しい。


020623  ルノアール

都内に何十店もあるチェーン店であるが、スペースがゆったりとしていて落ち着いて座れる椅子がある。ホテル並に高いのをガマンすれば長時間を潰すのにはもってこいであり、事実どの店に行っても眠りこけているサラリーマンを見ることが出来る。

ウェイトレスが最敬礼するのがバカらしくて照れ臭いが、出先で時間を潰さなければならない時に、読書タイムとしてちょいちょい利用する。昔はコーヒーを飲み終わってしばらくすると「サービスです」と言って緑茶を持って来てくれるのがなかなかだった。しかし最近はどこのルノアールも違う。

先日も水と紙お絞りを持ってきたウェイトレスにレモンティを頼んだら(コーヒーは不味いのだ)、レモンティとほとんど同時に「サービスです」と言って緑茶が運ばれてきた。

レモンティと水と緑茶。どうやって飲めばいいのだ。何っ「サービスだから文句言うな」って。 こんなサービスなら、いらんわい。


020622  ワールドカップトト

日本の敗退により社員は全員虚脱状態。その代わり勤務はほぼ常態に戻り、社長としては悔しい反面、胸をなでおろすところもあった。
しかし若手社員を中心に 「落ち込んでばかりいるのは止めよう、ワールドカップはまだ終わっていない」 の声が沸きあがり、如何にして優勝決定戦まで盛り上がりを維持するかという陰謀が始まったのだ。


おいおい、折角盛り下がったのだ。盛り上げてくれる必要なんてさらさらないのだ。しかしやがて回ってきた回覧文書をみて感心した。要するに優勝と準優勝を当てるサッカークジであるが、これは三十二通りある。少ない社員であるから全員が非的中というケースが十分考えられるが、その場合のフォローが実にきめ細かく組まれているのだ。

優勝、準優勝に的中者ナシの場合にはその裏目。それでもいない場合は優勝〜三位、そしてその裏目、さらに優勝〜四位という具合に延々と続き、余程のことが起こらない限りは誰かしらが的中するように仕組まれている。これを考えて整理するまでに、一体どれだけの時間を使ったのだ。

小生のような富裕層が三万二千円を投じて全ての組み合わせを買うのを防止するために、一人三口までという制限も設けられている。一口につき千円であるが、もちろんこのような賭博行為は国法によって禁じられているところであり、すべからくの法を遵守している当社の社長が許可できる筈もない。したがって一口千円ではない。

そして何と、昨日午前中までと決められた締切時点で総投票口数が五十口を越えたのだ。五万円を越える金が集まらなかったのだ。同時に誰がどう投票したのかということも、社内サーバーにUPされ、各自が机上のパソで閲覧出来るように公開された。

思った通りである。準々決勝の組み合わせは
日本で イングランド対ブラジル スペイン対トルコ
韓国で ドイツ対アメリカ    スペイン対韓国     となっている。
日本での勝ち上がりと韓国での勝ち上がりが優勝をかけて争うわけであるから、当然投票は日本組から一国、韓国組から一国という選び方をしている。例えば「ブラジル〜ドイツ」の投票。こんなものがきたって配当金じゃなかった配当口を六人で分けなければならないのだ。

いくら零細企業でも流石社長、頭の出来が違うのだ。小生は「ブラジル〜トルコ」に一口、「ドイツ〜韓国」に一口ということで、二千円を投資しなかった。

誰かがモニターを見て叫んだ。「あれえっ、社長は理解してないみたい。この組み合わせで一位〜二位ってことはあり得ないのにいっ」。
そうじゃないのだ。小生は的中者ナシと睨んだのだ。一位〜二位、またはその裏目の的中者がいない場合には、的中が一位〜三位に降りてくるのだ。 

もちろん小生のような頭の良い買わない方をした人間は皆無であり、上記のような事態が発生すれば小生一人で総取りなのだ。
それを説明したら 「アッタマいいっ。サスガ社長」 の賛辞が飛び交った。そしてベスト4が決定した今夜現在、小生が投じた「ブラジル〜トルコ」「ドイツ〜韓国」は、二口とも「一位〜三位」の的中の、大いなる可能性を残して生き残っている。 


来月初には総取りで五万数千円が入ってこないのだ。そうなっても絶対に誰にも何も奢らないのだ。
良い子のみなさん。真似をするのは止めましょうね。

020621  桜桃忌

ここ十年も続いているだろうか? 気象庁の入梅宣言とともに翌日から気違いのような好天が続くというのがパターンであった。それが今年はどういうことだ。先週入梅宣言があって以来、一日・二日を例外として鬱陶しい天気が続いている。どうやらホントに梅雨らしい。
それでもまあ、ワールドカップの熱気が梅雨空に谺している分、救いといえば救いである。


この十九日は「桜桃忌」。一九〇九(M四二)年六月十九日に生まれた太宰治は、一九四八(S二三)年六月十三日に山崎富栄を伴って、玉川上水に入水自殺をした。遺体が発見されたのが六月十九日、奇しくも三十九歳の誕生日の日だったそうだ。

今から五十四年前ということは小生は小学校の六年、父も母も文学かぶれであったし、小生自身も代表的な日本の作家名は一通り知っていた筈だ。当然新聞等でも騒がれた筈と思うが、全く記憶にない。

小生がへなちょこ大学の夜間の文学部・国文学科を卒業したのは一九五九(S三四)年であるが、卒論は「芥川龍之介」だった。当時卒論テーマの双璧だったのが、芥川と太宰である。

どちらの作家も同系列イメージとして捉えられているようだし、事実太宰が芥川に憧れていて 「なぜオレに芥川賞をくれないのだ」 といって悔しがったという逸話は有名である。しかし小生にとってのこの両者は全く別物であった。芥川論の中でも随所に太宰を対比させて書いたことを覚えているが、小生にとっては芥川の陽に対して、太宰は陰、芥川の創造に対して太宰は破滅、の文学であった。共に自らの命を絶ったという事実だけから両者を同系列に並べるのは大きな間違いだ、というようなことを偉そうに書いた。

早い話が芥川が好きで太宰が嫌いだったというだけのことだ。太宰の中で評価した数少ない文学は、そこに挑戦の姿勢が認められるというだけの理由から「トカトントン」と「走れメロス」だった。「斜陽」を引用してボロクソに書いたことも記憶に鮮明である。

しかし一・二年前、カセット文庫というヤツでカーラジオで太宰の「佐渡」という短編を聞いた。新潟から佐渡に向う連絡船の船の中の主人公の心の動きを淡々と描写しただけのものであるが、あれは森繁だっただろうか。朗読の良さと相俟って、目頭が熱くなった。

若気の至りで生意気をいったことの陳謝も兼ねて、再度いくつかの太宰文学に挑戦せんものと何冊かの文庫本を購入までの行動はしたが、読むまでには至っていない。

玉川上水は我が家からそれほど遠くないし、車で通りかかることはよくある。昔は飛び込んだが最後、遺体が一週間近くも上がらない激流だったとはとても信じられない。いまなら間違いなくタンコブ止まりだが、この雨で少しは水量が増えたのだろうか。飛び込んでも大丈夫だろうか。

ここにもたびたび登場して頂いている例のモーターショーの時のクライアント兼美女ダチも玉川上水のほとりにお住まいである。
「井の頭でひとあし早い暑気払いを」 のお誘いを頂いたが玉川上水は目と鼻である。 「一緒に飛び込みましょう」 の話になっても困るので、あの時のメンバーの若い社ダチ二名も交えて、芥川的に陽気に、大騒ぎしながら呑んできた。

「桜桃忌」とは関係ない。彼女にとってはアルゼンチン、われわれにとってはニッポンの敗戦のヤケ酒である。
といっても日本人の彼女がなぜアルゼンチンなのかということは知らない。

彼女が玉川上水に飛び込みたかったホントのお相手がアルゼンチン人だったのだろうか? 

ところで、来月二十四日は「河童忌」である。


020620  困った時の紙頼み

東京に住んでいる以上、都心に勤務していて勤務時間中も外を出歩くことが多い関係上、目玉を見開いてネタネタネタと念仏を唱えながら歩けば、何かしらのネタを拾えることは多い。

その点、長野のドイナカ在住、勤務も一日内勤という環境で「毎日更新」を続けているS氏に較べればずっと恵まれている筈である。
しかし、明らかにネタ拾いについては小生より劣悪な環境にある筈の彼が、あたかも平然とであるかの如く、毎日更新を継続しているというのはやはり才能のなせる業なのだろうか。敵ながら天晴れという他ない。


ネタ拾いには恵まれている筈の小生の方が青息吐息、歯軋りの毎日なのだ。したがってここの所のワールドカップには大分救われているがそうそう毎日サッカーというわけにはいくまい。ベストエイトが決まったこれからはテレビ放映もインターバルが開く。

ということで「困った時の紙頼み」。新聞を広げるのだ。といってもあんなでかい紙面を広げて細かい字を読むスペースも能力もない。
このネットというヤツ、本当に便利であり、引用したい部分をコピー&ペーストすれば、キーボードを叩く手間も省けるのだ。


さて、サッカーネタをお休みしてと思ったが、そうすると当然この鬱陶しい、あまりネタにしたくない話題しかない。
タイトルは 【「民間の根性もあかん」鈴木議員逮捕で財務相】

おいおい、ちょっと待ってくれよ。まず自分達じゃないか、いきなり民間に振るなよ、と思いながら本文の一部。
【塩川氏は「政治家は政策とひっつかないとあかんけど、カネとまつわりついているのが不思議でならん。政治家は十分過ぎるほど歳費をもらってまっせ」と政治家側の責任を指摘。その一方で、「政治家だけ悪いんでのうて民間の人も安くあげて(政治家を)使おうとする」と問題は両方にあるとの認識を示した。】

ま、そりゃそうだ。おっしゃる通りだとは思うが、こういう「その通り」といういうヤツは小生のネタとしてはインパクトに欠けるのだ、と思いつつ検索を続けたら、ギャッと叫びたくなるような記事にぶつかった。

先日の韓国対イタリア戦。日本が敗れた後だけに燃えに燃えて観戦したし、モノスゴク良い試合だった。
その試合に関する記事にぶつかったのだがタイトルは 
【ガウチ会長、イタリア破るゴール決めた所属の安選手非難】  
? あの瞬間に何かアンフェアなことがあっただろうか? 
本文を読んで目玉をひん剥いた。

【「あの男には2度とペルージャの土は踏ませない」――。イタリアのサッカーリーグ・セリエAのペルージャのガウチ会長は19日、同クラブ所属の韓国の安貞桓(アン・ジョンファン)選手がW杯決勝トーナメントでゴールデンゴールを決めてイタリアを下したことで、地元の複数の新聞に解雇の意向を表明したという。AP通信などによると、地元紙は「イタリアサッカーを破滅させた男に年俸を支払う気はない」「私はナショナリストだ。彼の行為はイタリアのプライドを傷つけただけでなく、2年前に彼を受け入れた国に対する攻撃だと見なす」というガウチ会長の言葉を伝えた。】

スポーツ紙や夕刊紙ではなく、レッキとした朝日新聞の報道である。これって、そ・そんなあ。フーリガンよりひどいじゃないかあ。
善戦した日本選手達のクビは大丈夫なのだろうか。 


いやあ本日は、サッカーネタを止めようと思ったが、新聞もサッカーネタしかないというか、サッカーネタの方が面白いのだ。


020619 エスケープ

昨日の対トルコ戦。小生は先日も書いたように慎太郎派でも山形県知事派でもない。

ところでちょっと話は脱線するが、山形県知事の名前は知らない。
でも中津江村の坂本村長の名前を知っているのだからやはりマスコミ病だ。 勿論すぐに忘れてしまうだろうが。


話を戻すが、午後の会社。若手社員二人は土砂降りの雨の中、早退届けを出して日の丸持参で社を後にした。多分神宮かアルタの前に行ったのだろう。他の社員の在社率は百パーセントだったが当然である。こんな日に人を集められる筈もないので、グループインタビューの実施はぶつけていないし、クライアントとの打合せ等も当然入っていない。

従って時間になるとテレビのスイッチが入り、全員があらかじめ観戦用にレイアウトしなおした椅子に、手に手にペットボトルを持って集まった。小生は自席にいたが、全員が背中を向けているのだからチャンスである。試合が始まったところでそっと社を抜け出した。誰も気がつかない。

昨日は大荷物があり車出勤だったため、雨の青梅街道をカーラジオを聞きながらブットバシテ帰宅したが、日本中がテレビに齧りついていたとみえ、ガランガランである。帰宅してからビール片手に後半戦をゆっくりと楽しむことが出来た。

もし会社で終了まで観戦していようものなら、帰途の歌舞伎町近辺、車は二進も三進もいかないだろうと思ったのもエスケープの理由だったが、案の丈、敗れたにもかかわらず土砂降りの歌舞伎町周辺のサポーターの騒ぎはすさまじかったようだ。エスケープで正解だった。

それで思い出したが、先週末の予選突破決定の時の帰途の歌舞伎町、あの日は会社での観戦を終えてからの帰宅だったので、歌舞伎町界隈はスサマジかった。「ニッポンチャチャチャ」を叫ぶ若者の大群衆が一人帰宅の途を急ぐ小生を突き飛ばしながら走り抜けて行く。向こうからも日本のユニフォームに身を固めた若者の大集団が走ってくる。すれ違い様にまるでゴールを決めた瞬間の選手のように知らない若者同士がヒシと抱き合っている。とてもフツーの通勤者がフツーに歩ける状態ではなかったのだ。

その若者達の多くが鼻ピアス、臍ピアスをしている。勿論殆どの若者が茶髪であることはいうまでもない。
その若者達が「ニッポンニッポン」を連呼する様は異様であった。


しかし考えてみれば、今回の日本の選手の多くも髪の毛はマッ茶じゃないか。一体どこの国の選手かと思ってしまう。小生個人の好みでいえば茶髪は嫌いだ。若い女性の臍を見るのは好きだが、ピアスは嫌いだ。そして小生と同じ感想を抱く大人達が沢山いるようだし、この風潮に疑問を呈しているマスコミの論調も見受けられる。

しかしその若者達の大群衆をみて、こうも考えてみた。いうまでもなく茶髪や臍ピアスは彼らの自己主張である。それは分かる。髭を生やした大人もゴマンといる。もし彼らが、主張すべきものとして茶髪やピアス以外に何も持っていないとしたら、それはそれで哀しいかもしれない。でも、もし彼らの一人をとっ捉まえて話をしてみれば、将来の「ニッポン」を背負って立つような立派な主張や中身を持ち合わせているかもしれないではないか。いやそういう若者達も沢山いるに違いない。

髪の毛やピアスといった外面からだけ判断する小生のような大人達の方が取り残されているのかもしれない。やはり茶髪もピアスも嫌いだが、ムリヤリ自分にそう言い聞かせてみた。

本日出社してやはり自分が取り残されているのだということを痛感した。

昨日の小生のエスケープ、誰一人として気づいた人間はいなかったようだ。


020618 目玉も脳味噌も忙しい

「産経抄」の部分引用。【決勝トーナメント一回戦で当たる日本とトルコとの間にも浅からぬ縁がある。ひとつは十九世紀、ロシアの南下に苦しんでいたトルコにとって、東洋で日本がロシアを破ったことは大きな助けだった。明治二十三年には和歌山県沖を航行中のトルコ船が遭難し、多数が犠牲になった。このとき日本人は献身的に救助や船の引き揚げなどに当たった。トルコの人々はこれらのできごとを今でも忘れず、行きたい国のトップは日本という有数の親日国になっている。ありがたい話である。むろんそのことと試合は別だが、どこか胸をあつくしながら、観戦できそうな気がする。】 だそうだが、確かにこういう見方をするのも一興であるし、折角のチャンスなのだからこの際世界のことや日本とそれぞれの国の関係を勉強してみるのもよいだろう。

まあ、これはあくまでもスポーツの世界。国家間の背景などということを持ち込むから、やれ因縁対決だ、やれ遺恨試合だなどという血なまぐさい話になってしまうのだ、という反論もあるだろうが・・・。

折しもネッ友から、「日本とトルコの関係」について詳述したサイトを紹介された。上記「産経抄」で紹介されたことだけでなく、いろいろと浅からぬ因縁があるようだ。特に湾岸戦争の折に避難し遅れた多勢の邦人を搭載すべく、トルコ航空が迎えに来て成田まで運んでくれたなどという話は感動的である。百年も前に日本人から受けた恩義について、トルコ人は子供でも知っているということだし、今になってその恩義を返そうという民族の気概にも頭が下がるではないか。

今朝トルコ特派の日本人ジャーナリストがトルコ人に本日の試合の予想を聞いたそうだ。その結果、決勝リーグに引分けはないということを知りながらも、多くのトルコ人が 「引き分けが良い」 と答えたということである。 何と心優しき民族なのだろうか。

日本とトルコに限らず、歴史を紐解けば日本とどこかの国、どこかの国とどこかの国の間には必ずこういう良好で印象深く、感動的な話が沢山あるに違いない。問題はその国が、それを歴史の一こまとして確実に残すか否か、その歴史の一こまを自らの国の糧とする能力があるかどうかということにかかっているのだと思う。

開催国としての日本の株も大いに上がっているようで、別のサイトで紹介されているが、アメリカもフランスもロシアも中国も・・・。
それぞれの国のジャーナリズムが日本でのワールドカップを絶賛している。読んでいると照れ臭くなるほどの褒められ方である。
フランスの新聞などは一面にデカデカと 「最良の開催国」 の見出しが躍っている。


鬱陶しい梅雨空のもと、暗い暗い世界情勢のもと、明日にも国会議員が逮捕されるかというニュースがガンガン流れるもと、今日のこの話の見聞はまさに一服の清涼剤であった。

スポーツを通じて、文化を通じて、世界はもっともっと仲良くできる筈だ。この盛り上がりが一ヶ月ではなく一年も続けば、世界の関係は大きく変わるのではないだろうか。戦争を一年続けられるのにスポーツを一年続けられないということはないだろう。

この期間中、テレビ観戦で右に走ったり左に走ったりの目玉の動きも忙しいが、脳味噌の動きも極めて多忙なのである。
でもひとことだけ言わせて欲しい。

「こらあぁぁぁっ!! トルコオォォォォッ!! 何で勝ったあっ!! この恩知らず!!」。



020617  自己責任

「どん」に行ったらいきなりガハクに難問を吹っかけられた。以下自分で確認したことではなく、ガハクが入手した情報の受売りだから間違えていたらゴメンだけど・・・。

「先日の日本戦、慎太郎は都庁職員に対して『業務の一環として全員サッカー観戦すべし』の指令を出した。一方岩手の県知事は『公僕たるもの、勤務に精励すべし。サッカー観戦一切まかりならぬ』と指令を出した。オマエはどっちが正しいと思う?」。

来る客、来る客にこの難問をブツケタらしいが甲論乙駁、グシャグシャ状態だったそうだ。
多分二チャンネル辺りが中心なのだろうが、ネット上でもケンカ腰の議論が展開されているということだ。

確かに今回のサッカー、ウイークデーの昼の時間帯の日本戦、各企業とも経営者や管理職にとってはアタマの痛い問題に違いない。マスコミでも大いに騒がれている。どこかの自動車メーカーの社長は昼休み返上勤務を条件に早退を認めたとか、トミーの社長は「玩具メーカーたるもの、このサッカーを見ずして何で柔軟なアイデアが生まれるか」といって社員全員のテレビ観戦を義務づけたとか、どこかの企業では「ただいまから社員食堂でサッカーを放映しますからお集まりください」とアナウンスを流したとか・・・。

マスコミの論調は概していえば「見ろ派」に好意的なようだが、マスコミの場合には報道が仕事。テレビ・ラジオ局は勿論のこととして、新聞社・雑誌社の社員も全員がテレビに齧りついていたに違いない。

さて、ガハクの質問をそのまま皆さんに投げかけよう。あなたの場合、慎太郎派だろうか岩手県知事派だろうか? 小生はすぐにガハクに切り返した。「アンタはどっちだ?」。ガハクが答えた。「まあまあまあ、オレの意見は最後だ。まずオマエの考えを聞きたい」。
慎太郎対岩手県知事の話は知らなかったが、そんなことは考えるまでもない。答えた。

「どっちも正しくない。そんなことは上から指示すべきことではない。単純に指示した人間がサッカーを好きか嫌いかだけのことかもしれないじゃないか。興味のないヤツは見なければいい。どうしても見たいヤツは有給を取ってでもサボッテでも、場合によっては首を覚悟でも見ればいいだけの話だ。そんなものは自己責任の次元の話だ」。

来る客くる客に散々意見を聞いて、ガハクはやっと「わが意を得たり」の回答にぶち当たったようで「おうっ!」と叫んで握手を求めてきた。どうもこの理屈っぽくて人相が悪くておまけにスタイルまで悪いときているガハク、こういう究極の所で意見が一致するからヤバイ。

しかし本当にそう思う。サッカー観戦は絶対に業務とはいえない。「見たい・見たくない」は個々人の趣味・嗜好の問題である。上が指示すべき問題ではない。サッカーを見ると胃痙攣を起こすという人間がいたらどうするのだ。彼はサッカーを見るために都庁職員になったわけではないのだ。だからといって「見るな」というのも、いうからには覚悟が必要だ。全員が労基法で認められた休暇を取って、ないしは急病で、県庁がカラッポになったらどうするのだ。それぞれがそれぞれに立派な大人なのだ。見るか見ないかは自分で判断する。

でも、ひとたび自分のこととして零細企業の社長の場合はどうか。先日は少々オーバーに書いたが・・・。


自分でテレビをつけるのはちょっとばかり忸怩たるものがある。でも時間がくれば誰かがテレビをつける。
テレビがついたら暇な人間はテレビに集まるし、仕事をしている人間は 「ボリューム上げてくれ」 と怒鳴る。
「しようがない奴らだなあ」 という顔をしながら、社長は一番最後にのこのことテレビの前に行き、一番良い席をブンドル。




写真を撫でると芳醇な香りが飛び出します

020616  二週続けて面白食

先週のなまこの卵巣に続いて昨日はフォアグラ。酒のツマミかメインディッシュかの違いはあるが、いずれもそう簡単には入手できない食材である。

昨日の夕食にレストランやホテルではなく、家庭内でフォアグラを食ったなどという世帯は、日本中の食卓を調査しても絶対に二十世帯を超えるということはなかっただろうと思う。美味かった。唸るほど美味かった。

しかし考えてみれば美味いものは世の中、他にもいくらでもある。この柔肌のフォアグラに対する賛辞は、美味いというよりは「面白い」ということばだと思う。

世界中の飢えている人達には申し訳ないと思うし、こういういい方は或いは顰蹙をかうかもしれない。しかし、敢えていまの小生の食環境でものをいわせて貰う。

「面白い」 ということも、「食」を評価する上での重要なファクターだ。