迷  走  録


一旦自分の口から飛び出してしまったコトバには責任を持たなければならない。それは既に社会に向けて発信されてしまったのである。

ましてそれが確実な記録として残る「書く」ということにおいてはなおのことである。

自分に確たる思想があるわけではないし、生き方の方向が定まっているわけでもない。だからコトバを発することは恐いし、書くことはもっと恐い。

自身で振り返ってみても矛盾に満ち満ちているので・・・。

しかし、だからといって考えることを止めるわけにはいかない。瞑想することを放棄することは出来ない。

たとえ、迷走でも良い。口から発することによって、書くことによって、多少なりとも自らを律することが出来るのだとすれば。

自らを律する意味でも「毎日更新努力」を宣言して、本コンテンツを設置した。    

                                                                       2000年 12月 1日
レジメ 

2000/12  0101前半 0101後半 0102前半 0102後半 0103前半 0103後半 0104前半 0104後半 0105前半 0105後半 0106前半 0106後半 0107前半 0107後半
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020831  残り物

「残り物で失礼ですが、あまりおいしいのでお持ちしました」。 ったってその戴きものがホントにそんなに美味かったためしはない。
だって本当にそんなにおいしいものなら、いくら残り物だって呉れる筈がないし、それは小生が逆の立場だとしたって同じことだ。

しかしひとつだけいえる事実、残り物は残り物であって、大もとはどっさりあったのだがそれは殆どを平らげてしまって、ほんの少々残ったものということである。

しかし今週に入っての残暑。一体全体どういうことなのだ、と改めて腹が立つ。残暑というのは夏の暑さの残り物をさしていうことばである。すなわち夏の暑さが少々残ったから、ほんの少し、ほんの短期間ですが暑いですよ、ということの筈である。本来であれば・・・。
ところがこの一週間、何でこれが残暑なのだ。この暑さはどうみても猛暑、盛暑、激暑、烈暑、狂暑、と呼ぶに相応しい暑さだった。

本日も休日の日課である水中激歩に出かけたが、文字通り夏休みの終わり。その上少しでもと涼を求めるおば様族が押しかけて、芋を洗うような混雑。プールのお湯なんて煮え繰り返っていた。その中を歩くのだから暑いなんてものじゃない。

しかもおば様たちの流す汗でプールの水嵩がみるみる増えていくので、普通なら顎止まりの水位が鼻の下までせり上がってきて歩きにくいことこの上なしだった。どうにかこうにかノルマを果たして80℃のサウナに飛び込み、やっと涼にありつくことができた。


サウナから上がって水シャワーを浴びて、可愛い女の子の受付でチェックアウトを済ませて外に出た途端にドヒャーーッと熱射。
自転車の鍵をガチャガチャやっていたらさっきの女の子が 「お客さ〜ん、忘れ物で〜す」。

カウンタにパンツ一式の入った袋をそのまま置いてきてしまった。パンツはそのままプレゼントしても良いのだが、肌身離さず持ち歩いている大切なデジカメも入っているのだ。 これは残り物ではなく、忘れ物。


チャリンコを漕いで自宅近くのラーメン屋でオヤジとヨタを飛ばしながらいつものビールとつけ麺。やっと人心地がついて外に出たらドヒャーーッ。そしてチャリンコを漕ぎ出したら後からオヤジの声で 「おーーい、帽子忘れてるぞおっ」。 これも残り物ではなく忘れ物。

エレベータに乗ってやっとつべたい我が家に入れると思って袋の中を見たら、カ・カ・カギがない。猛妻も娘も出かけるというので鍵を持って出たのだ。デジカメも水泳パンツもパンツも取り出して袋を逆さに振ってみたが、鍵がないのだ。

家の鍵と会社の鍵と車の鍵が一緒のキーホルダがないのだ。ラーメン屋では袋は立てて横に置いてあったので落とす筈がない。
さっきのあの可愛い女の子に盗まれたに違いない。あんな可愛い顔をして鍵泥棒とは・・・。


うーー。仕方がない。エレベータに乗ってチャリンコを漕いで、大急ぎでジムに引き返した。
とりあえずドロボーッと叫ぶのはやめて、受付へ駆け込むとさっきの可愛い女の子が 「ゴメンナサイ、鍵ですね。さっき袋を持って追いかけたときにここに落としてしまったようなのです。お電話したのですがお留守のようだったので、お預かりしていました」。


もう汗でゲトゲト。またしても熱射を浴びながら、途中の自販機でつべたいビールをぐびぐびぐび。
やっと我が家に辿り付いてつべたいシャワーを浴びて、つべたい部屋に入って、冷蔵庫からつべたいビールをぐびぐびぐび。


とにかくこう狂ったように暑いと、頭おかしくなるよね。残り物じゃなかった、忘れ物くらい仕方がないよね。
皆さんもそう思うよね。  そうザンショ。


020830  企業内イジメ

ここのところ鬱陶しい相談ごとというかグチの聞き役ばかりでいささかウンザリしている。このノーテンキなコンテンツにUPするのは相応しくないことは重々承知の上だが、自分の頭で考えたことについては一応記録に留めておこう。

相手は上場企業の部長である。後輩ということばはあまり好きではないが、世間一般で通用することばでいえば、高校時代の後輩である。五・六年前まではしつこく「仕事くれえっ」と叫んで通っていた。しかし市場調査には全く縁のない業種なので最近は連呼は諦めた。
ただし付き合って面白い人間ではあるので、個人的な関係は続いている。

「この会社に四十年近く忠誠を尽くしてきたがこの情勢下で役員昇格は無理。来年早々に六十歳定年を迎えるがそれまではせめて平穏に」と願っていたそうだ。ところが先日専務に呼ばれて企業内イジメというか、彼の部内でのイジメを何とか収拾しろ、といわれたそうだ。

五年前に新卒として彼のセクションに配置されたA君。専務の縁戚のコネ入社とあって、入社早々から周囲から煙たがられていたそうだ。しかし煙たがられる程度ならともかく、入社後間もなく、周囲から猛烈に嫌われだしたそうだ。それもその筈、仕事に関しては全くといってよいほど無能であるのに、露骨に専務の縁戚であることをひけらかすそうだ。

部長である彼自身も、よくよくの必要が無い限りA君とは口をききたくないが、周囲はそれどころではなく、三年ほど前からごく一部のものを除いてA君とはひとことたりといえども口をきかないのみならず、比較的活発にオハヨウ、お先に、の挨拶が交わされる職場であるにもかかわらず、A君との間には一切の挨拶のことばもないそうだ。

そしてA君は仕事も殆どないまま出社から帰宅まで、新聞を読むかネットサーベイで知識の研鑚に励んでいるだけで、離席する時は行先板に専務室と書いて、喫茶店にしけこんでいるということだ。周囲には不愉快を撒き散らしているが本人は一見ノホホンとしていたそうだ。 
しかしとうとう周囲が爆発して「外部にはいえない」事件があり、流石の彼も辞表を書いたそうだが、部長を飛び越えて専務に直接提出したということである。理由を聞いた専務に対して 「誰も口をきいてくれない。企業内イジメに責めさいなまれている」。

専務曰く 「銃殺・撲殺・絞殺と殺し方にも色々あるが黙殺ほど残酷な刑はない」。なるほど、小生としても全く同感である。
さらに曰く 「部長たるもの学校でいえば校長も同様。何とかしろ」。 
まあ人の会社のことだし事情を分かっているわけでもないから、グチを聞いただけで別に小生の意見はいわずに別れてきた。
だから上記のことが事実だという前提でここに意見を書く。


なぜ部長といえば校長も同然なのだ。校長は教育者。しかし部長は企業の利益追求者なのだ。悪いことばでいえば、いかに部下をこき使って搾取するかの番人なのだ。企業は教育の現場ではない。したがって、イジメ防止の監視の場などでは絶対にない。

学校のイジメ防止は分かる。時にはイジメというよりも明らかな犯罪行為すらある。でもイジメられた子は逃げ場がない。
その学校にいなければ仕方がないのだ。しかし企業は違う。職場の選択は自由なのだから、いやしくも社会人たるもの、そんな会社は辞めてどこへでも転職すればいいのだ。それがイヤならガマンしろ。ガキのイジメと違って周囲は常識ある社会人。 


黙殺という名の残虐行為止まりであり、撲られたり殺されたりするわけではない。
ただしA君がホントに上記のような人物だとすればどこへ転職したとしてもまた新たなイジメに遭遇するだけだろう。
それにしても「企業内イジメ」。 またマスコミが作った変な新語である。


はて? よく考えてみれば、小生も随分職場を転々としているぞ ???



020829  ネッ川苦戦

本コンテンツで始めた「ネッ川」の投句や投票に参加して頂いている方は勿論、不参加ではあっても過去に何度かここでネタにしたので、「ご存知の方はご存知だと思う」。 という変な日本語が何の違和感もなく受け入れられているのはやはり変だと思う。
講演などでもよくある。 「え〜、ご存知の方はすでにご存知と思いますが・・・」。 ただしこれは行稼ぎの脱線である。

繰り返しになるが昨年末まで「どん」の仲間達で川柳大会を開催していた。月一回店に用意したボックスに参加者が投句。
整理したものに今度は来店客が投票してその得票数を競うというもので三年間続いた。そこで小生は常に高得票数を獲得していた。

小生が幹事役をしていた関係から 「幹事のお手盛り票だろう」 のヤッカミの声が上がったために頭に来て、昨年末で中止した。
というのは冗談で、どこかで止めないと際限が無くなるし、多少飽きたということもあって閉鎖したのである。

しかし店の仲間達の中でも 「ぜひ続けたい」という人が何人かいたし、ここのネット仲間達は参入してからまだ日が浅かった。
そこで幹事役の「どん」のママとガハクとも相談の上、とりあえずは今年一年間、ネット上に移動して続けてみようという話になったのがここのネッ川である。

旧メンバーにはネット族はあまりいない。従って旧メンバーでここに残っている方は四〜五人を数える程度である。
その代わり昨年までは三〜四人だったネットメンバーが七〜八人に増えたために、メンバーの構成は大きく変わったが、定連総数としては十二〜三名と「どん」時代の勢力を維持している。そして今回で八回目を終了したが、当初の予想を上回る盛況である。

「どん」時代と違うのは一人で二句までの投句を認めたため、二句を投句して下さる方も多く、毎回二十句近くの川柳が集まる。そして投票の方は、こちらは純粋の頭数で、毎回二十人前後の方が協力して下さっている。

ということで旧時代と同様、恙無く進行中であるが、ドラスティックに変わったのが小生の句に対する投票数なのだ。成績表をご覧いただければお分かりのように目下どん尻近くを低迷している。昨年までは常にトップの座を快進撃していた小生の句がである。

小生の作句力が年号の変わりと共に突然衰えるということは当然ありえない。考えられる原因はひとつには投句者のレベルが上がったために、小生が凋落したということなのか。すなわち昨年までは二軍で優勝していたが、今年は一軍に仲間入りしたからということなのか。

しかしどんなに甘く読んでみても、小生の句以上にセンスのよい、ひねりの効いた川柳が投句されているとは到底思えないのだ。
従って残された原因はただひとつ。投票者のセンスの問題だ。

と恨み事を並べても仕方がない。いよいよ後半戦に突入、ここらで何が何でも大量票を取っておかないと後がない。
そこで恥も外聞もなく票稼ぎのための一計を案じた。


今回のお題が 「笑」。  小生の投句が  「信濃オフ 星も眠れぬ 呵々大笑」。

あの楽しかった信濃オフへの参加者が二十名弱。少なくともそのうちの半数以上が投票に協力して下さっている方々である。
そしてこの句を読めば、絶対に小生の句だと見当がつく筈だ。

幹事に対して深甚の敬意を表すべく一票。  当然十票以上は固く、一挙に挽回の読みがあった。
結果は何とトータルでたったの一票。 ドンケツに拍車をかけた。

ここの投票者はセンスが悪いだけではない。 恥も外聞もなく、礼儀も血も涙もない連中だ。



020828  CI と CS

例え話のA

『いえ、それは出来ません。当店でそんな流行遅れの服を作るなんてことは』
『こちらで正しいのです。そこのところは絶対に譲れません』
『できるだけご要望は入れますが、そこまでおっしゃるなら他所でお願いします』
『ハイ、出来ました。これが当店の自信作ですが、奥様いかがでしょうか』

「あら、いいじゃない。まあまあだわ、有難う」
自分の主張を押し通して、主張に合ったものを作る。これは立派なプロの仕事。

例え話のB

「これのもっと薄い色が欲しいの」 『いや奥さん、今年は濃い目の色が流行です』
「私は薄い色が好きなの、取り寄せてちょうだい」 『はいはい、かしこまりました』
「それから裾は短かめに、そして広めにお願い」 『いやあ、それは流行遅れですよ』
「私がお金を払うオーダーメードでしょっ!」 『ハイハイ、かしこまりました』

その他にもあれこれ・かれこれと細かいオーダ 『ハイハイハイハイ』
いわれたことをいわれた通りに。寸分の狂いもなく仕上げる。これも立派なプロの仕事。

さて、前者たるべきか、後者たるべきか。極めて悩ましい問題である。
時と場合によって、相手によって使い分けるというような器用なことは出来ないし、したくない。

前者の場合には 「CI(企業理念)」 は貫けるが、 「CS(顧客満足度)」 のことはあまり考えていない。
一方後者の場合には CS(Consumer Satisfaction) は申し分ないだろうが、 CI(Corporate Identity) は犠牲にしている。

今日久し振りに会って話をしたクライアント氏。
十数年程前のビジネスマンの流行語にもなったCIブームの時には一緒に組んでCIの仕事ばかりをした。
そして五年程前からCIの延長線上、ないしは発展型としてCSがブームになった時は一緒にCSの仕事に追いまくられた。

当時から疑問に思っていたが、そんな疑問を口に出して仕事を流してしまっても困るので黙って消化していた。
いまはこの不景気のせいもあるが 「CIブーム」 も 「CSブーム」 も、去ったわけではないだろうが一頃に較べれば一段落したというか沈静化した。
少なくとも猫も杓子ものビジネスマンの流行語ではなくなった。今日のクライアント氏との昔話で久し振りに口にしたことばである。

いまだからいえるし、いまだからいいたい。 「CI」を包括の上位概念として、その中のひとつに「CS」を位置付けるのなら分かる。
しかし一頃のブームは明らかに「CI」の延長線としてないしは発展型として、「CI」の次なる時代を築くものとして「CS」なることばが位置付けられていた。例えばこちらが「CI」を口にすると 「それはもう古いですよ、いまの潮流はCSですよ」 という具合に。

上記のAとBの例えは、或いは極例であるかもしれない。しかし、しつこいようだがいまだからいえるし、いまだからいいたい。
もしCIをCSの上位の包括概念として捉えるのではなく、あくまでも並列のことばとして捉えるのならば、CIとCSはことほど左様に大きく異なるものなのではないか。 否、場合によっては対極の方法論ですらあるのではないかと。

久々のクライアント氏も 「いまになってみればそうなのかも」 と同意してくれた。



020827  暑っいのだあ!

折角先日「秋が来た」と褒めてやったのにそれはないだろう。一体全体今週に入ってからの暑さは何ということだ。あの涼しい秋は見せかけの秋だったのか。まるで詐欺ではないか。

女はいい。まるでカメレオンのようにその日その日で勝手気侭な服装に着替えている。今週に入ってからはまたギョッとするような服装が闊歩している。しかし男社会は厳しいのだ。不文律という名の強烈に厳しい掟に束縛されているのだ。

すなわち八月に入ってからの営業活動は上着無しの開襟シャツ姿でも大抵のところでは許して貰える。ワイシャツでノンネクタイというのもまずOKだ。そして盆休を挟んだ前後十日間位は、殆どのところでカジュアルウェアでもOKだ。すなわちジーパンにあまり派手でないポロシャツか場合によってはTシャツでもOKなのだ。
そもそもこの期間に営業に出歩くということ自体があまり無いが、仮にこの姿で営業に出歩いたとしても大目に見て貰えるのだ。

しかし盆休が明けたら、すなわち今年でいえば昨日の月曜から、昼のビジネス街はスーツ姿一色に変貌するのである。これが男社会の不文律なのである。それでもまだカジュアルスーツなど着ていたら絶対に仕事なんか貰えないし開襟シャツですら許してもらえない、ひたすらに哀しい社会、これが男社会の真髄なのである。

ビジネス街に活気が戻った昨日から、そういつまでもうだうだしているわけにはいかないので本格的営業活動に入った。歩いたからって仕事があるわけではないが、机の前でじっと座っていてももっと仕事がない。
仕方がないから犬も歩けば棒に当るを始めたが、ネクタイでギュッと首を締め付けて、おまけに上着を着て歩かなければならないのだ。

クライアントに行って 「暑いですねえ」 というと、クライアント氏も舌をダラッとたらして 「凄い残暑ですね」 とぜいぜい言いながら出てくる。ったってすぐに仕事の話があるわけではない。
「お時間ありますか、お茶でも飲みに行きませんか?」「ああ、いいですね。じゃあちょっと待って下さい。上着を持ってきますから」。ここで心優しい小生はつい口走りたくなる。 「いやあ、結構ですよ、そのままで。何しろこの暑さですから」。

しかし小生は理性的な人間である。そう口走りたくなる衝動をグッとこらえて 「ハイわかりました。ここで待たせていただきます」 と返事をするのだ。だってこの季節に入ったら、男はスーツに身を包まなければいけないのだ。それが男社会の不文律なのだ。
それより何より、いくら相手がクライアントだからといって、何で俺だけが暑い思いをしなければならないのだ。

「俺が暑いのだから相手にも暑い思いをして貰おうじゃねえか」と、営業に歩いているのに初っ端から喧嘩腰の気分になってしまうのだ。イヤア全く、それほど暑っいのだ。

外に出て喫茶店に入ったが別に具体的な話があるわけでもない。お互いに暑さ逃れと時間潰しである。「何とか仕事出してくださいよ」。「出してあげたいのは山々だけどこう暑くってはね」。 「いやあ、暑さは別に仕事を出す出さないとは関係ないでしょ」。
「そういわれればそうですね」。 そういわれたっていわれなくたって、仕事の有無と暑さなんてまるっきり関係ないじゃないか。 


とにかく実に下らない話で喫茶店で三十分ほど涼を取ってから出口の所で右と左に分かれた。
大急ぎで上着を脱いで振り向いたら、かのクライアント氏も背中にへばりついた上着を脱ぎ捨てるべく格闘中であった。

そこまで来ていた秋、本気になってしっかり腰を据えろ。 暑っいじゃないかあっ!!

いやあ、男社会の不文律は厳しい。 それにひきかえ女社会のずるさよ。 そんなに暑かったら素っ裸で歩け。それなら許してやらぬでもない。



020826  大工さんの話

先夜、少し早めの時間に「どん」に行った時。見慣れない顔の新客がいた。もっとも後でママに聞いたところによると、早い時間の来店客のため小生と顔が合わないだけで、最近時々来店する客とのことである。

まだ常連のかしましい連中が出勤する前とあって彼と二人だけ、静かである。ママを仲介しながらポツリポツリと話を始めた。五十台半ば位だろうか、ここには珍しくおだやかな感じの客である。最近時々居つくようになる新しい客は、いずれもすさまじくギャアギャアとわめく客ばかりで 「うるせえんだ、ちったあ静かに酒飲ませてくれよ」 と怒鳴りたくなるヤツばかりで困っている。もっともその彼らと夜中の一時・二時まで一緒に飲んでいる小生も、或いは静かではないのかもしれない。

その彼の職業は大工だそうだ。今は引退しているがママの親父さんはそのむかし大工の棟梁だったし、いま別棟に住んでいるママの弟さんも建築設計の仕事をしている。ということで、他に客がいない時でもママとは話が合う客だそうだ。どうせ小生とは話が合わないのだ。

小生四十五年以上も情報産業サービスの仕事にドップリと浸かっているが、いうなれば「所詮は虚業」と卑下したくなることがある。
ときどき道路工事の現場や建築現場を何分間も立ち止まって茫然と見ながら、羨ましく思うことがある。
工事をしている彼らは、いま自分がやった仕事の成果を、その場で見て、確認していくことが出来るのだ。まさしく「実業」の世界だ。 


苦労した自分の仕事がどういう形になったのか、どう利用されたのかということが全く見えない、仮に見えたとしてもずっと先になってから 「これがあの時の仕事だったのだ」 と分かるという、考えようによっては空しい仕事とは大きな違いがある。

もっぱら聞き手に回ったが、そのうちアルコールの勢いも手伝ってボヤキ始めた彼の話はなかなか面白かった。
ご多分にもれず 「最近はさっぱり仕事がなくてあぶれ続けている」 という話はどこででも聞くことであるが、彼の最大の悩みは 「僕はいい仕事がしたい」 ということだ。具体的にどういうことなのか聞いてみたら 「僕の建てた家に住む人が、建てて良かったと思ってくれるような、住んで快適な家を建てたいのだ」 とおっしゃる。 そんなこと当たり前じゃないかと思ったが、さにあらずだそうだ。


やっと仕事にありついたと思っても 「予算があって工期がある」。 「その予算で押さえるためにはどうしても材料を安いものにしたり、場合によっては間引きしなければならない」。 「その工期に仕上げるためには釘の頭を五回叩くべきところを三回で止めて次にかからなければならない」。 「下請けの哀しさ、そういう風潮に抵抗すると次から仕事がもらえなくなる」。
思わず 「う〜ん、なるほど」 と唸ってしまった。恐ろしいことだ。 しかしこれはどの世界にも共通することだ。


そういえば二〜三ヶ月前にガハクが若干のアトリエの改修をしたいと言い出したことがあった。大体の予算のメドをつけたいということで勤労奉仕でママの弟さんに現場を見て貰った時のことだ。弟さんがアトリエの中を歩き出してすぐに叫んだそうだ。
「ありゃっ、ここ柱が一本ありませんよ」 って。


ガハクのアトリエの床にビー玉を置くと、静かにゴロゴロと転がって行く。
さすが芸術家のアトリエ、なかなか凝った造りだと感心していたがどうやらそういう問題ではなかったようだ。


いやはや、ホントに恐ろしいというか情けない世の中である。
そういえば高速道路の手抜き工事だって、素人目には震災でぶっ壊れてみて始めて分かるんだものな。


近々土地を購入して新築の家をと思っていたが、考え直した。 家を新築するのは中止だ。


020825  どなたかご存知だろうか

先日幹線道路沿いでみかけたこの店。わざわざ車を止めてパチッとした。
小生焼肉は好物なのだ。高くて美味い店は知っているけど、それは当り前
だしそうそうは行けない。

安くて美味い店を探しているのだが、このド派手な看板というか下品なメ
ニューブックというか。
雰囲気からしてチェーン店ではないかと思うがどなたかご存知だろうか。


ちょっと見ると物凄く美味そうじゃないか。しかも安いではないか。
しかしよくよく見ると物凄く不味そうにも見える。
看板もここまでハッタリを噛まされると迷うなあ。


美味いのか、不味いのか、どなたかご存知だったら教えて下さい。

020824  秋の色

休日の日課。ジムのプールで二キロ激歩の後、クロールで軽く五百メートル。涼しいせいもあってかこの夏休にしては珍しく空いていた。そういえばここの所楽しみだった女子高生の姿もない。宿題に追われてそれどころではないのだろう。プールは完全に旧に復してビア樽に目鼻のおば様族に占拠されていた。どうやら目の保養のシーズンも終ったようだ。

それにしても変な陽気である。六月中旬から続いた記録的な連続夏日が一昨日で途絶えたのみならず、昨日の最高気温は八月としては数年振りだか十数年振りだかの最低気温だったそうだ。
天気予報では今日からまた暑くなるようなことをいっていたが、今日だって昨日に劣らず涼しい。

いくら歩き回ったことの余波もあるとはいえ、一昨日の汗ゲトゲトは何だったのだ。やはり地球は狂ってきたのではないだろうか。ヨーロッパや中国の水害然りである。


昨年も本コンテンツに書いたが、秋は神代の昔から、静かに密やかに忍び寄ってくるものと相場が決まっているのだ。
風の音にぞびっくり仰天して「ありゃっ、秋だ」と感じるのであり、桐一葉が落ちて初めて天下の秋を知るのだ。
ところが昨年は突然「ドカンと秋がきた」と記述している。しかしそれも九月に入ってからのことである。今日はまだ八月なのだし八月はまだ一週間も残っているのだ。北海道の大雪では二〜三日前に初雪を記録したそうだ。


まだ夏休も終らないうちに秋に入るなんてこんな寂しいことがあってよいのか。もっともっとガンガンと暑い日が続いて欲しい。つい先日までのクソ暑さが恋しい。

激歩とクロールの後、サウナで六分間。頭から冷たいシャワーを浴びる。先週までは外に出た途端にどどどっ〜と汗が噴出していた。
昔の田植えのおじさんよろしく広げたタオルを頭からたらし、その上に帽子を被ってチャリンコを漕いで帰ってきていた。ところが今日は表へ出た途端に風が心地よいのだ。サウナでかいた汗がさあ〜と引いていくのだ。どうにもこうにも物足りないではないか。
チャリンコを思い切り漕いで、そのまま三宝寺へブットンデ行った。


そして自転車を置いて速足で池の周りを三周したが約四十分。一周目位でやっと汗が噴出してきた。二周した所で汗がポタポタと落ちるようになった。そして三周、やっと所期の目的である汗ゲトゲト状態になることが出来た。すかさず茶店に飛び込んで氷イチゴ。ガツガツと食ったらすぐに体が芯から冷えてきて、例の後頭部がツッキーーーンとなる症状が始まった。

三分の一ほどを残したがやっと人心地がついたので、続いて缶ビール。家につくまでに放出する汗の生産である。
五才くらいのガキが小生の顔を覗き込むようにして、母親に向かって叫んだ。「あのおじちゃん、氷食べながらビール飲んでる」。
母親がバツの悪そうな顔をしたが、見ると熱々のラーメンをふうふうしながら、そのガキと一緒に食っているのだ。
「このクソ暑いのにラーメンなんか食うなあっ」と怒鳴ってやりたくなった。


とにかく変な陽気である。天気も経済も地球規模で狂っている。どうやらこのウィークエンドで実質的な夏休は終ったようだ。
来週の月曜位からは静まり返っていた電話も鳴り出すだろうか。少しは仕事も動き出してくれるのだろうか。そうでなければ困るのだが。


もっとも小生はまだ夏休を取っていないのだ。三日間の権利をまだ留保したままなのだ。
も少し寒くなったら、夏休を取ることにして、そろそろ計画を練るか。


本日の分裂的行動パターンをみても分かるが、少し精神の休養を取らないと、どうもかなりおかしくなっているような気がする。
誰もそうは思ってくれていないようだから、自分でそう思うことにしよう。



020823  そういう生き方も

六月末にアップしたが経営難から自らの命を生保金に換えた中学の同級生だった女性社長。その片腕だったT氏から連絡があり、昼飯を食ってきた。彼女との昼食や夕方からのちょっと一杯の時に二回に一度は同席していたので、親しいというほどではないがトータルすれば随分会っている。ただし今日会ったのはあの偲ぶ会以来である。今月で還暦を迎えたということであるが、穏やかな人柄である。
最も生前の彼女の言葉によれば、彼は一見穏やかな雰囲気ではあるが、特に創業期には鬼のように激しく走っていたそうだ。


当然のことではあるが、やはり深刻に厳しい状態のようで 「関係のない人に甘えて悪いが社内では勿論、他に話が出来る人もいないのでグチこぼしの相手に選んだ」 の有難迷惑。

「実際のお役には全く立てないが」 という念押しをした上で 「話を聞くだけなら・・・」 と彼のグチ話を聞いてきた。
グチといっても別に不快感を与えるようなしゃべり方ではなく、淡々と事実だけを客観的に、時には笑声を交えながらの語り口だった。


食品流通の会社であるが、何しろ食品業界は不祥事続発の最近のこの騒ぎ。ただでさえ苦しかった零細の彼の会社は、直接には全く関係ないのに、思わぬことから煽りを受けて文字通り二進も三進も行かない状況だそうだ。彼の会社といったが彼女亡き後行きがかり上、残された僅かばかりの従業員のためにも引き受けざるを得ず、今日改めて頂戴した名刺には代表取締役社長の肩書きが印刷されていた。

彼女が亡くなった時点で取締役は四人居たそうだ。彼女と彼、そしてやはり創業時から一緒だったK氏。そして社外取締役として、これは名前を借りているだけの彼女の友人。従って彼女を欠いても三人の取締役が残ったので、株式会社としての取締役定数はクリアしていた。

ところが突然、K氏から辞任届が出てきたということである。会社の危機を承知で逃げ出すというのは、結果がどうなるかは分からないとしても、たしか民法だったか商法だったかの「背任罪」で損害賠償請求の訴訟を起こせる筈なのだ。
例えどんな形であれ、取締役には権限だけではなく、大きな義務・社会的責任が課されているのだ。
しかしそんなに堅苦しい法律を引き合いに出さなくても、取締役としての社員に対する倫理観というものがなければならない。


小生が激昂してそのことをいうと、彼は静かに苦笑して 「イヤ、私が至らなかった所もあるのです」 という。
彼女が残した生保金だけではどうしようもなく、資金繰りに完全に行き詰まり、僅かばかりの社員の賃金支払いもピンチに陥ったそうだ。

そしてT氏は小生ほどではあるまいが、貧乏だそうだ。それでも僅かばかりの蓄財を全て放出して賃金に回し、その後の当面の運転資金について取締役のK氏に頭を下げたということである。K氏は北海道の大地主の長男坊なのだそうだが、むろんそんな大金をということでなく、二〜三百万位のことだったらしい。

しかし天災を察知していち早く逃げ出す鼠よろしくK氏は直ちに辞任届を提出、それ以後出社することもなく、自身の身の振り方だけに狂奔した上、自分の権利だけを主張して、大急ぎで逃げ出しにかかったというわけだ。彼は 「Kに借金で頭を下げた私がバカだった」 と苦笑したのだが、当面の最大のピンチは取締役の定員を欠くことであり、この状況では取締役に頼める人もいないということである。

彼は完全な一人身であり、名義を借りるだけの家族もいない。かといって株式会社を個人会社に改組するための登記費用すら苦しいとのことである。
多分もうダメだろう。しかしなまじ彼の人柄を知ってしまっただけに申し訳ないとは思うが、小生では役に立てない。

それどころか、もし小生がK氏の立場だったら、同じ手段を取るかもしれない。
自分の生き方として絶対に取りたくない手段ではあるが。


020822  西新井大師

関東随一の霊場、真言宗豊山派に属する名刹で天長三(八二六)年、弘法大師の創建と伝えられており、正式名称は「五智山遍照院總持寺」というそうだ。弘法大師が関東巡錫の際、この地に立ち寄ると、人々は悪疫の流行に苦しんでいた。人々を苦しみから救おうと自ら十一面観音像を造り、二十一日間祈願を続けたところ浄らかな泉が湧き出て人々の厄は払われ、病はたちまち平癒したと伝えられているそうだ。

この泉が湧き出たということが「西新井」の地名の由来になっているそうだ。そして国宝「弘法大師像」を始め、重要文化財が、ゴッチャリと所蔵されているそうだ。

もとより無信仰、神仏には無縁の小生が、社から一時間余もかかる東京の外れまで仕事をさぼって訪れる筈がない。わざわざ出向いたのはこの近くにオープンしたスーパーの調査取材のためである。仕事をしに行ったのだ。クライアントの田中氏も同行である。

いくら朝夕涼しくなったとはいえ、かんかん照りの残暑。店内取材の間はよかったが、終了後に立地条件を見てみようということで周辺を小一時間も歩き回った。汗でゲトゲト、ワイシャツからは絞るほどの汗、ズボンにも汗が滲み出している。物凄く暑いのだ。

「帰ろう」ということになって、ここ西新井大師の前を通りかかった。田中氏が 「折角だから参拝して行こう」 とおっしゃる。
小生は神仏を拝むのは嫌いなので 「ここで待たせて頂きます」 といって境内のベンチに腰掛けて、汗を拭いながらタバコを吸っていた。


夏祭りと見えて、境内にはビッシリと屋台が並び、しつらえられたステージの上では場末の、それでも一応はポスターなど張り出してあるからプロらしい、女性の歌手が艶歌を歌っている。黒山の観客であるが、こんな所で艶歌とは弘法大師も目を剥いているに違いない。国宝や重文を所蔵している場所とはおうよそ似あわない雰囲気である。

田中氏が参拝を終えて汗を拭きながら戻って来たが、手に缶ビールを二缶持っている。 「いやあ、たまらない。やりましょう」 といって一缶を差し出してくれた。でもまだ勤務時間中なのである。困るのだ。滅茶苦茶冷えているビールなのだ。一気にキューーーッとやった。

いやあっ、美味いの何のって。胃袋の中からグーーーッと冷えて、汗がガーンと引いていく。タバコをもう一服。 「ご馳走さまでした、では帰りましょう」 ということで腰をあげた。参道を通って駅の方へ。参道の両脇には茶店がビッシリと並んで呼び込みをやっている。

バタッバタバタッ、ぷ〜〜ん。強烈に魅力的な焼鳥の匂いが行く手を阻んだ。何とも表現のしようのない匂いである。田中氏が立ち止まって人の顔を見てニヤリ。いかんせんクライアント氏である。例え缶ビールとはいえ、奢られっぱなしというわけにはいかないではないか。

どちらからともなく店の中に足を踏み入れた。ジョッキの生ビールをキューーーンッ。飲み終わって田中氏が人差し指をピッと立てた。
匂いほどには焼鳥は美味くなかったが二杯目の生ビールぐびぐびはやっと落ち着いて味わえたビールの味。うんめいのだ。感動なのだ。


駅について反対方向の田中氏と別れて電車に。乗り換えの銀座駅までの四十分強を前後不覚で熟睡してしまった。銀座で降りてトイレへ。鏡を見てびっくり仰天。とてもこの顔で会社に戻るわけにはいかない。シャチョーがこれでは社員に示しがつかない。

万やむを得ず会社に電話。万やむを得ずだ。 「打ち合わせが長引いているので直帰する」。
そんでもって早めに帰宅した。イカンいかん。猛烈に弛んでいる。未だに夏休気分が抜けない。


猛省である。 いまから呑みにでかけて、じっくりと反省してくるのだ。



020821  堅苦しい儀式

先週の夏休み期間中、親しくさせて頂いている同業の社長の母君が他界され、通夜に出席してきた。新聞にも出たが世界的なバイオリニストだったそうだ。東京の中でもメジャーな霊園で執り行われたが、凄い数の参列者だった。

しかし非常に驚いた。「○○株式会社代表取締役何の誰兵衛」のお決まりの花輪が一基もないのだ。
小生が当社から贈った花輪も勿論ない。その代わり、それらの献花を全て纏めてのものであろう。
式場の壁一面が一輪ずつの白い花でビッシリと埋め尽くされているのだ。大変な労力と費用だっただろう。

もっと驚いたのは坊主がいない、従って退屈で窮屈な読経の声もないのだ。式場前列の右側は当然遺族席であるが、左側にはその母君の教え子代表が三十人位バイオリンを抱えて着席していた。そして式が始まると同時にバイオリンの合奏が始まった。哀しく、延々と。

参列者は遺影の前に献花して合掌するだけという、簡素にして荘厳なものだった。
葬式にこういう形容詞はおかしいかもしれないが、実に爽やかな葬儀だった。

小生もかねがね考えていた。もし死ぬ前に遺書を書くだけの時間と体力が残されていたら冒頭にこう書こうと。
「葬式はしなくてよいが、そうもいかないというならなるべく簡単に。坊主の経は退屈だし嫌いだ。来て下さる方に苦痛にならないように出来れば楽しんで頂けるように、例えば香典代わりの会費制立食パーティのような形で」 と。

まあ遺族のメンツということも考えてやらなければならないのだろうが、葬式に限らずとかく儀式というヤツは窮屈で面倒臭い。
滅多に会えない人同士、久しぶりの人同士が邂逅出来る場所を折角提供しているのだ。葬儀であっても結婚式であっても、勿論主役は存在するわけであるが、その主役があってこその出会いの場というのを、もっと楽しく気軽に演出して欲しい。


もちろん物凄く哀しい葬儀というのもあるのだから一概にはいえないが、功なり名遂げた方が天寿を全うされた場合にはなおのことではないだろうか。そこの参列者達がその方の残された偉大なる遺産なのだから。

十年も昔の話になるが猛妻の母、すなわち義母の徳島での葬式。出棺の時に「親族代表で挨拶を」と突然いわれた。
まあこういう挨拶は通り一辺だから突然いわれても困ることはないが、引き受けたからには心からの自分の言葉で語りたい。


「いまごろ母は天国への階段を上っていることと思います。昨年他界した父が途中まで迎えに来てくれる筈です。皆さん、いま天国への階段を杖をつきながらトコトコと上っている母の背中に向って盛大な応援の拍手をお願いします」。
会場はビックリしたように静まり返ったが、勇気ある誰かが手を叩いた。すぐに割れるような拍手に変わっていった。

酒席に入ってから坊主が 「イヤア、東京ではあんなのが流行っているのか、あまりの型破りでビックリした」 というので叱られるかと思ったが人の肩を叩いて「ガハハ」と笑った。聞くところによると徳島では、いまでも語り草の名スピーチになっているそうだ。

今回の爽やかな葬儀に出席して脈絡もなく思い出した。しかし儀式はダメだ。堅苦しすぎるし参列者の苦痛を伴う。何が何でも楽しくとはいわないが、荘厳ではあっても気楽なものであって欲しい。もちろんいろいろ抵抗はあるだろうが、変えていくべきではないだろうか。
そのためには我々の世代が踏ん張る必要があるだろう。

今回のバイオリン葬、見事だった。 ご冥福をお祈りします。


020820  夏休みの断末魔

ごく日常的に使われている言葉であるが「口コミ」。これは諸刃の剣である。
昔からある言葉に翻訳すると、井戸端会議とか世間話とか噂話とかいうことになるのだろう。非常に有益な情報が得られることが多いが、利用の仕方によっては名誉毀損になったり人権侵害になったり、営業妨害になったりするし、最近ではこういうケースが極めて多い。


このネットというメディアが現代的口コミの最たるものであろう。井戸端やご近所様という狭い世間に留まることなく、猛烈なスピードで世界中に吹っ飛んでいってしまうからくれぐれも注意が肝要である。しかし小生自身がやっていたことであるし、これからもやるかもしれないが「ヨド○シカ○ラ」などと書くことによって、営業妨害や名誉毀損を避けた心算になっているのはどんなものだろうか。
このことによってもしかしたら「ヨドビシカツラ」という店があって、スゴク迷惑を蒙っているかもしれないではないか。


だから今後は極力ハッキリ書いてしまうのだ。ここに書くことはあくまでも小生が見聞した、小生が感じたことであるのだから、それを読んで人がどう評価するかは分からないし、それは各人の自由なのだ。折角のメディアなのだから「口コミ」は大いに利用すべきである。

近所のスナックでだって「あの医者はヤブだ」とか「あそこのラーメンは食えたものでない」とか「あのスーパーはゴキブリの宝庫だ」とかの口コミが飛び交っている。それを有益情報として受け取るもよし疑り深く自分で試してみて異論を唱えるもよし、各人の自由である。

さて、ファミレスの話である。いろいろなファミレスがあるが、人それぞれ好みやご贔屓は違うだろう。小生はファミレス全般に、味にそれほど期待しているわけではないが、安くて便利という機能性は評価している。
そして味を基準に考えれば「ロイヤルホスト」が一番好きだ。 


しかし「ロイヤルホスト」ならどこでも良いかというとそうではない。どこがどう違うのか分からないが、明らかに店によって味の違いがあると思う。その点、我が家の近所の店はリーズナブルな味であり、時々は利用していた。

と、過去形で書いたのは最近は全く利用しないからである。どこがどうとはいえないが、ここ半年位前から味が落ちたのである。どこがどうとはいえない。ところがスナックでその話をすると、同意する人間が非常に多かったのである。
「そうだそうだ、なぜだろう」 ということになり、たちまち口コミとして広がっている。


結局とうとう、ダラダラと出社しながら無為に過ごしてしまった夏休み期間の最後の日曜日、せめてファミレス位ということになったがロイヤルホストはいやだ。そこで「すえひろ5」のしゃぶしゃぶ食い放題千九百八十円というのに行ってきた。
肉屋系のファミレスということで随分昔に二・三度利用したことがあるが、肝心の肉の味にビックリしてそれ以後ご無沙汰である。
しかし 「このしゃぶしゃぶは美味かった」 という口コミを入手しての訪問である。


洋式便座ほどもある大皿に、見事な桜色の肉がビッシリと盛られて出てきた。箸でつまみ上げると肉を透かして我が娘が美人に見えるという、正しいしゃぶしゃぶ肉の薄さに切られている。それを煮立った鍋でしゃぶしゃぶっとやって口に運んで、びっくり仰天だったのだ。

さすが肉の「すえひろ5」だ。こんなにペラペラな薄い肉なのに固くて歯が立たないほど頑丈なのだ。やっとの思いで飲み込んだが漬けたゴマダレの味しかしない肉だ。こんなに薄く、どんな機械を使ってスライスしたのだ。一人前ずつ刃を取り替えているのだろうか。

この口コミを利用して、それでも行ってみようと思う方、悪いことはいわない。金槌と鋸を持参した方がいい。
食い放題どころか、盛大に食い残して退散してきた。


何とも情けない夏休みの、最高に情けない終わり方だった。

020819  不可解な国民背番号

先週の始め位から「どん」で 「オレの背番号の通知が届いた」 とか 「届かない」 とかいうことが話題になり始めたが、皆近所の同じ区庁舎管轄の人間である。先週末になって 「まだ届いていない」 のは、とうとう我が家だけになってしまった。
土曜日に猛妻に 「来週になって届かないようなら区役所に問い合わせてみろ」 といったら 『アラ、とっくに着いてるわよ』 だと。


「なぜ見せないんだ!」 といったら 『だってこんなもの、関係ないじゃない。国の都合というだけでしょ』 だと。
「大切なものだぞ」 といったら 『だって協力しない自治体だって沢山あるじゃない。国から監視されてるみたいで不愉快だし、プライバシーの侵害よ』 だと。


みんながそういっているから・・・マスコミでも騒いでいるから・・・というのは、それは単なる付和雷同というヤツじゃないのか。
我が家の猛妻は真剣に考えたのだろうか。


「そう思えば返しに行くなり送り返すなりすればいいじゃないか。意思表示をしないことには何も始まらないぞ」 といったら 『一応あんたに相談してからと思って』 だと。 それならもっとさっさと相談したらどうなのだ。

流石に丸めて捨てたというような暴挙には出ておらず引出しに入っていたので、早速引っ張り出して目を通した。
一応の主旨説明書があり 「プライバシーは守られる」 と銘記してあり、「貴方の十一ケタの番号は乱数で決めたものであり同じ番号を他人と共有することはない」 と書いてあり、ご丁寧にも 「番号が気に入らなければ変更することも出来る」 と書いてあった。  

そしてその裏に我が家三人の家族のコードナンバーが並んでいたが、ちょっと待ってくれだ。
プライパシーというのはあくまでも個人が単位の筈だ。世帯内プライバシーというヤツは頭から認めないということなのだろうか。我が家のように一触即発、明日にも離婚という家庭だって多い筈だ。小生にこんなに簡単に猛妻と娘のナンバーを開示していいのだろうか?


何度でもいうが小生は住基ネットそのものには頭から反対はしない。サービスの充実と合理化への利用ということが目的であれば、むしろ賛成である。いずれは徴兵制に・・・というようなことを云々して反対する方もいらっしゃるようだが、徴兵制のためになんていうことであれば、わざわざこんなややこしいコードナンバーに頼らなくても、現在、区が管理している住民票なり選挙人名簿なりで十分にことが足りるし、そこには区単位の小生のコードナンバーだってついている筈だ。
それこそ他の地区に小生と同じコードナンバーを持った他人がいるかもなのだ。


問題は家族をいっしょくたにしてナンバーを知らせてくるという、使う側の無神経さが怖い。
「この番号を他人に知らせることはありません」 と書いてあるが、他人みたいな家族だってゴマンといるだろうが。
初っ端からこれでは、ますます監視を強化する必要がある。

しかしそれにしても不思議なのだ。三人の背番号を解読すべく、一所懸命見比べてみた。
当然十一ケタもあるのだから、論理的なロジカルコードだろうと思っていた。

例えば最初の二ケタが都道府県番号、次の二ケタが市区町村番号、次の五ケタが世帯番号、最後の二ケタが家族番号・・・というような。
しかし我が家の三人の番号には全く何の関連性もないのだ。どう捻りまわしてみても、何の意味も発見出来ないということは・・・ホントに乱数表によって決めた数字のようだ。 しかし、だとすればますます不可解なのだ。

今の日本の人口は一億三千万人で九ケタ。逆立ちして考えても近い将来に人口が十億になるということはないし、百歩譲歩して人口が九十九億人を越えたとしても、十ケタで間にあうのだ。

なぜ十一ケタなんだろう? あるいはやはり、われわれ素人には解読不能な暗号のロジカルコードになっているのだろうか? 
なぜ十一ケタなのかを説明してくれないと気味が悪いぞ。


020818  世界の交差点

イメージからいっても数少ない実見からいっても、「世界の繁華街」といわれて思いつくのはニューヨークの五番街、ロンドンのピカデリーサーカス、そしてここ銀座四丁目である。

嘘だとばかりに我が目を疑った。この盆休真っ最中の真っ昼間の景色である。昨年撮影した昭和通とはわけが違う。世界の交差点の銀座四丁目なのだ。

ここにいない車の数だけ、ここにいない人達の数だけ、日本中、否、世界中に散らばっているということなのだろうか。昨日から殺人的なUターンラッシュが続いているようだから、そうであったに違いない。大いに出かけて行ってくれ。大いに散財してきてくれ。

夏休みはあっても出かける場所もなく、出かけるお金もない零細企業のひがみっぽい社長のために、「景気回復」という土産を持って元気でUターンしてこい。

るるる

020817  呂律が叩けない

どうもいかん。最近とみに酒量が増えてきた。といっても酒豪の皆さんからみれば笑止千万なのだろうが、四十歳まではほとんど酒を飲めなかった自分としては驚異的な量になってきた。ひとえに目と鼻の「どん」のママさんとそこに毎晩のように現れるガハクの責任である。

晩酌の三百五十ミリ缶のビールは可愛いものだ。とはいってもこれも四十歳の頃には、全身が火ダルマのように真っ赤になっていた。
ビール大ビン一本ともなると小生にとっては致死量だった。
しかるに今は休日の昼間には大ビンを一本飲んでも、ほんのりと顔が赤くなる程度だ。

しかしウイスキーがいけない。昨年までは、原則として週四夜と決めている「どん」で月にボトル二〜三本、自宅で月に二本程度、合計で四本半位のペースだった。然るに今年に入ってというか特に最近、「どん」で一本、自宅で一本。
すなわち七百ミリのボトルが週二本ペースで空になっていく。悪いことに三百六十五日、アルコールを摂取しない日は一日たりとてない。例え病院の精密検査の前日であっても、早目に大急ぎでビールを飲むように心がけている。

ビールのアルコールはたかが知れているが、ウイスキーの場合は四十%。ということは週に五百六十ミリ、一年に換算すると二万九千二百ミリ、ということは二十九リットルの純粋アルコールを摂取しているということになる。 たいしたことないか。
いま一瞬計算違いをして 「グエッ、約三トン!明日から酒止めよう」 と考え違いをした。

まあ自分の体なのだから、酒で潰れたとしても自業自得。それは仕方がない。しかし酒を飲んで人に迷惑をかけるのは大嫌いなのだ。
そこまでいかなくてもだらしなくなりたくないのだ。しょっちゅう迷惑をかけられているし、しょっちゅう飲んでだらしがなくなる人間を見ているからそういう風にだけはなりたくないのだ。

牧水の歌ではないが、基本的には&%’()「酒は静かに飲むべかりけり」だと考えている。
しかし基本的には小生は牧水ではないのだから、多少饒舌になったり、議論で少々声が大菊なって、白熱する程度のことは許す。


しかし酒を飲んで同じことを何度も何度もグチグチくっちゃべったり、人に絡んだ理というのは持ち論だが、呂律が回らなくなっているヤツも嫌いなのだ。だから自分の呂律ということを凄く気にしながら飲んでいる。「呂律」というのは雅楽における呂(りょ)と律(りつ)の音階からきている言葉なのだそうだ。すなわちその音階がうまくハモラナイということである。

今屋は「どん」に行く前に自分のHPをチェックしたら、おおっ!二万ヒットを超えているじゃないか。
「祝一万ヒット」 が昨年の九月末のアップだったから、また電卓を出したら一日平均三十ヒット強。半分は自分でぶったたいているとしても、どこのどなたが読んで下さっているのだろうか。とても十五人は思い浮かばない。

でもものすごく有難うなので興奮して「どん」に行った。それでもって特別大量に呑んだ。 
嬉しいのでグダグダと何回もママとガハクに%$#&嬉しいを連発してきたが、自己管理は厳しい。
「なあ、オレいまちゃんと呂律が回っているか?」 と何度も絡みながら飲んだ。

ママは「大丈夫」と言ってくれたが、早くママと二人だけになりたいガハクが「ダメだ、回っていない」というから頭にきて帰ってきた。

でもどんなに寄っていても、ボトルをパソの上において、明日の「迷走録」の下書きを書き上げるまでは絶対に寝ないのだ。
最近の酒量の飛躍的増大の最大の犯人は、ママとガハクの責任もさることながら、この「迷走録」のネタ切れにありそうだと重いながら、またウィスキーを継ぎ足している。目がボヤケて指がよろよろしている。 おうっ、もうすぐ三万ヒットだ。


Y(Uioe6$’(%&$##& いやあ、ほんとにヤバイ。  呂律が叩けない。


020816  この時代を生きて

ここを以前からお読み頂いている方にとっては「目にかさぶた」といわれそうだが、例の日航「WIND’S 誌」懸賞随筆の今年の三月号に掲載された「視線」。昨日の稿もいわば関連稿であるが、その掲載誌を機内で読んだという見知らぬ女性の方から突然の電話があったということを 「020410 いやあっ、ブッタマゲタ」 としてUPした。

あの玉音放送のあった日から半年ほどを親子三人、制限された外出半径の中を隠れるようにして過ごした。学校も極めて狭い範囲の中の地区毎の集会室に場所が変わり、いわば寺子屋のようなものだった。そして半年後にようやく引揚船に乗ることが出来たが、小生の上陸地は鹿児島だった。引揚船の上陸地としては他にも長崎や舞鶴があった。

見知らぬ女性からの電話は 「もしかしたら上海で、同級生だったかもしれない」 「上海の国民学校に通っていた人間だけの全国組織、『上海会』には現在千六百人の会員がいる」 「年一回総会を開いているが盛会であり、その幹事をしている」 「今秋は福岡での総会になるがぜひ出席を」 という内容のものだった。

その案内状が今週の初めに到着した。従来の総会は東京、少し外れても首都圏での開催だったそうだが非常に多くの会員の引揚地が鹿児島や長崎だったということから、前々から「九州で開催」の希望があったとのことである。とはいっても全国に散在している会員のことを考えると長崎や鹿児島では端過ぎるので「福岡」に決まったということだ。引揚地を訪ねたい人は翌日からの自由行動でという配慮である。

年齢を考えると全員が六十三歳〜六十八歳ということは悠々自適の自由人か、職を持ってはいてもエリートで時間の自由が効く人達ばかりなのだろう。小生のような不自由な零細企業人にとっては、日曜夜に開催の総会、翌月曜は休まなければならないというスケジュールは、まだ全然予定が見えていない十一月の話であるだけにかなり辛い。

しかし何とか都合をつけて行きたいし、出来れば鹿児島に足を伸ばして、念願であった鹿児島の上陸地をひと目でいいから見てきたい。
昨年の十一月には四日も休んでオーストラリアに行ったのだから、二〜三日位の休みはまるきり不可能ということもあるまい。


その大集団に会えば、お互い顔や名前は覚えていなくても、同級生がいるに違いない。唯一のハッキリした記憶「友永朝子」先生の名前を出せば、同じ記憶を持つ人に巡り会えるだろうし、他にもあるいくつかのキーワードによって、埋もれている記憶が掘り起こされるかもしれない。しかし一方においては、今になってのこのことそんな老人クラブみたいな所に顔を出してどうするのだ、という心の中の声も聞こえてくる。

先日WOWWOWで野坂昭如原作の「火垂るの墓」の放映があった。終戦時には、丁度あの主人公の兄妹の年齢だった。
上海ではなく、東京に住んでいれば、自分もあの境遇になっていたかもしれない。広島に住んでいたら・・・長崎に住んでいたら・・・。

あの時代を過ぎて今の時代に生きている自分。沢山の同年代の子供達が無念にも死んでいったあの時代。彼らの分も一緒に生きてやらなければならない自分なのに、自分はそれだけのことをしているのか、いや、そういう自覚すら持っているのだろうか。

きっと考えている人達が多勢いるのだろうな。 会えて良かったと思う人が何人かは見つかるのだろうな。
いま、あの時代を潜り抜けて、この時代を生きているという自分を見つめなおすことができるのだろうな。
よもや 「今の若い者は」 を連発する、そこらにいる単なる酔っ払いの年より集団だったなんてことはないのだろうな。


キーボードの横に置いてある、出欠連絡のハガキが首をかしげている。