迷  走  録


一旦自分の口から飛び出してしまったコトバには責任を持たなければならない。それは既に社会に向けて発信されてしまったのである。

ましてそれが確実な記録として残る「書く」ということにおいてはなおのことである。

自分に確たる思想があるわけではないし、生き方の方向が定まっているわけでもない。だからコトバを発することは恐いし、書くことはもっと恐い。

自身で振り返ってみても矛盾に満ち満ちているので・・・。

しかし、だからといって考えることを止めるわけにはいかない。瞑想することを放棄することは出来ない。

たとえ、迷走でも良い。口から発することによって、書くことによって、多少なりとも自らを律することが出来るのだとすれば。

自らを律する意味でも「毎日更新努力」を宣言して、本コンテンツを設置した。    

                                                                       2000年 12月 1日
レジメ 

2000/12  0101前半 0101後半 0102前半 0102後半 0103前半 0103後半 0104前半 0104後半 0105前半 0105後半 0106前半 0106後半 0107前半 0107後半
0108前半 0108後半 0109前半 0109後半 0110前半 0110後半 0111前半
0111後半
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020915  我が家のホームバー

居室の一角を改造してかくなるミニホームバーを作った。

部屋の四隅に置かれたステレオから映画音楽が静かに流れる。ミニバーに相応しく棚にはミニボトルがズラッと並んでいる。

カウンターに寄りかかり静かにオンザロックスを傾けながらショートピースの甘く濃厚な香り。夜中の二時を回ってからの本日の仕上げの一杯である。
まさに充実と至福の一刻。


明日の「迷走録」のネタを考えながら、紫煙の中に文章を綴っていく。

実に贅沢にして芳醇の空間である。このミニバー、名づけて「カサブランカ」。


020914  医者問答

ということでついに痛みに耐え切れずに病院に行った。昨年までの薬を山ほどくれる医者から今年になって取り替えた近所の医者である。従って昨年までの七種類の薬ではなく「高脂質症」と「尿酸値」の二種類だけで勘弁してくれている良心的な医者である。

『どうしました、随分久しぶりじゃないですか。春以来ですよ。検査が必要だといっているのにそれっきりで、ず〜と奥さんが薬を受取にくるだけじゃないですか、いけませんよ』
「ハイ、済みません。なんだかんだで忙しくてなかなか来られないものですから」

『まず血圧です。ハイ、ここに腕を出してください』
「先生、急に発症した水虫が痛くて痛くて、しかも膝から下がこんなにむくんでるんです」

『足じゃありません。腕です、血圧です。腕を出しなさい』
「あのお、水虫は診て頂けないんでしょうか?」

『うちは内科ですよ』 
「でも自分で水虫と決めつけずに、まず内科に行けといわれたのですが」 
『誰がそんなことをいったのですか、とにかく血圧、腕・腕!』

そして血圧を測り終わったところで
『あれっ?たいしたことはないけど前回より高めになっていますね。とにかく検査です。空腹で来て貰わなければならないから今日はダメでしょ。検査日を決めましょう』
「あ・あのお、先生水虫が・・・」

『後です!検査は何時にしますか?』
「検査なら会社の健康診断で受けて、念の為成績表を持ってきました」

『早くいいなさいよ。どれ見せて下さい』 といってしばらく睨んでいたが
『ありゃ、心臓が。これは大変、といっても心電図がないから分からないな。いますぐ心電図を撮りましょう』
「あのお、水虫が痛くて痛くて・・・」
『後だといってるでしょう。水虫では死にません。心臓はヤバイですよ』

ということでムリヤリ心電図を撮られた。それから健康診断の成績表なるものを難しい顔で眺め出して
『ウーン、大分アチコチ引っかかって再検査になってますね。それで再検査の結果はまだ分からないのですか?』

「イエ、それは五月の健康診断ですから。再検査は行っていません」
『なにいっ!五月! あれホントだ。こりゃダメだ。とにかく検査をしなければダメです』

強引に検査の日にちを決められて
『じゃあ薬は検査の結果を待ってからということで、今日はとりあえず今まで通り二種類出しておきますから。お大事にして下さい』
「あのおーーーーっ。水虫が!」

『おっと、そうでしたね。どれ見せて下さい』
しばらく汚いものでも見るような目つきで顔をしかめて遠目で観察。触診もしてくれない。

『これは水虫なんてものじゃない。完全に細菌でイカレテます。抗生物質を出しますから一週間服んで下さい。よくここまで放っておきましたね。なぜもっと早く来ないのですか』

だからさっきから来て騒いでるじゃないか。後で後でっていったのはアンタなんだあっ!

いずれにしても検査が終わった後、また昨年並みにドラスティックに薬の種類が増えて、主食代わりに食うという事態になりそうな予感がする。  余計なときにこの水虫メがっ!!


020913  痛いぞ♪ウッヒッヒ♪

季節の変わり目、二年ほど前から痛めた左足の膝関節痛が始まった。といっても季節の変わり目は特に痛いということであり、普段から平地は平気だが階段の上り下り等では慣れている痛さなのでタカをくくっていた。ところが今回は特に酷いのだ。

ふとしたはずみに猛烈な疼痛が走る。もしかしたら今年の初めに大荷物を持って階段で腰をひねって一月ほど苦しんだが、いまでもたまに再発する腰痛との相乗効果なのかも知れない。効果はオカシイかもしれないが、敵にとっては効果であるに違いない。

通勤激歩の方も、いくら平地は平気とはいっても、気がつくと軽いビッコをひいていた。ところがである。効果の三重苦、十日ほど前から膝だけではなく左足の裏が痛み出したのだ。なんと水虫様のお出ましである。水虫に苦しむ人間は昔から随分多勢見てきたし面白がってきたが、恥ずかしながらこの年になって初対面である。それもかなりひどいらしく、痒いなんてものじゃなくて激痛なのだ。したがって膝との相乗効果でビッコもビッコ大ビッコである。

並んでいる薬の中から一番安いものを買って来てザックリ開いた傷口(?)につけてはみたが、これまた凄まじい。映画で機関銃弾をモロに浴びてドカンと後にスッ飛んでいくようなイメージなのだ。キムチと大蒜とオクラを束にして丸齧りという表現が当っているだろうか。

薬をつけた後を団扇でバタバタ扇ごうものなら、指がもげてひらひらと飛んで行くような錯覚に陥る痛さである。いや、経験のない方には分かるまい。笑うがよい。

それでも昨日までは逆療法にトライした。激歩通勤の継続は当然だが駅は勿論、我が団地の七階までの往復も夜中の酔っ払い帰宅の時以外はエレベータは使わない。ビッコは仕方ないが、左足を地面に下す時はなるべく全面をベタンと力強く下ろすようにして水虫を叩き潰す。その度にビチャッと音がするような気がするので、確かに団体で叩き殺しているのだとは思う。

先日の清里旅行の時は目的地や時間制限があっての歩行ではないので、特に念入りに水虫踏み殺し作戦を展開しながら歩いた。ただし猛妻に見つからないようにである。見つかるとウルサイのだ。やれ激歩は止めろとか、医者に行けとか。だから極力猛妻の後を歩くようにしたし、そうでない時でも猛妻の目線の死角に入る位置を選んで歩いた。もっともこういう場所でカメラを持っている時の猛妻はあっちをキョロキョロ、こっちをキョロキョロで小生のことなど眼中にないので、比較的楽である。

しかし思わぬ落とし穴があった。清里での踏み殺し作戦が度が過ぎたのか、レジャー用の白いソックスがいけなかったのか、帰宅後の血染めのソックスで水虫の方はついにバレテしまったのである。幸い膝痛はまだ隠し通しているので「医者に行け」という大騒ぎにはならなくて済んでいるが、毎晩就寝前に洗面器に入れた酢に足を漬けさせられて、指の酢漬けを作るのだ。

スリッパの管理が厳しくなり、そこらにあるものをどれでも履くわけにはいかないし、裸足でウロチョロしていると急いで専用スリッパを投げつけられる。情けないことこの上ないが、三日ほど前からますます悪化の一途、左膝から下がアブに食われた後のように腫れ上がってきた。折角の三連休の水中激歩は自粛せざるを得まい。好転するまでの出勤は、懐の痛みを犠牲にして車に切り替えざるを得ないし、場合によっては冗談ではなく医者行きかもだ。

ずいぶん前になるが「水虫でたぞ♪水虫でたぞ♪痒いぞウッヒッヒ♪」というコマーシャルがあったっけ。昨年位までだったかの旭化成の「イヒッ」というコマーシャルを見てこれは水虫を連想して企業イメージにダメージを与えるぞ、なんて思っていたが、笑い事ではない。

こんなに痛いのだ。ホントはもっと深刻なのだろう膝痛を忘れさせてくれる効用はあるが。


020912  シャチョーの鏡

経費節減のために社の車を廃車処分にし、駐車場も解約ということを先日書いた。経済効果は大きく、目に見えて資金繰りが楽になったというのはウソだが、今にホントになる。このことによって一番苦労するのはどうしても車が必要な仕事に直面した時の若手社員の諸君であり、幹部社員が最も憂慮したところである。

しかしその若手諸君が 「大丈夫です。大荷物の時はレンタカーを借りるし、荷物がたいしたことない時はタクシーで間に合わせます」。その後がいけなかった。こちとらすぐに意気に感じてしまうというか、オッチョコチョイというか。
「タクシーなんか必要ない。たいした荷物じゃない時は俺の車を持ってくるからそれを使え。保険も万全の体制で加入しているから、その方が安心だ」。 うーーーー、とんでもないことをいってしまった。

その仕事が入ってきてしまったのだ。しかも本来ならば三連休初日である土曜日までも。
「シャチョー、車がいるんです。でもレンタカーというほどの荷物でもないんで、タクシーにしましょうか?」。
『バカいうな。俺の車を使えといったじゃないか』。

「でも、朝早くから必要なんです。それまでに車を持って来ていただかないと」。
『(えーーッ!そ・そんな殺生な!) 朝早いったって俺は車を持ってくるだけでいいんだろ。その後一日中働かなければならないお前たちに比べれば楽なもんじゃないか』。

「帰りは遅くなるかもしれないんです。駐車場がないから、われわれが帰社するまで待っていて頂かなければならないんです。それからお宅まで乗って帰って頂いて、翌朝はまた早くに持って来て頂かなければならないんです。だから多少高くてもやはりタクシーの方が」。
『冗談じゃない。帰社が遅いったって夜中になるわけじゃあるまいし・・・。お前らは働いてくるのだけど、俺は待っているだけでいいんだろ。本を読んでいたっていいんだろ』。

何て思いやりのある優しい社員達なんだ。しかしそれ以上にこのシャチョーは何なのだ。物凄く良く出来たシャチョー、まさに零細企業のシャチョーの鏡である。こういうシャチョーあってこそのこういう社員達だと思ってイタクいたく、目を潤ませんばかりに感動したのだ。

自分で自分のことをここまで激賞するのはチト恥ずかしいところもあるが、やはりシャチョーたるものかくあるべきなのだ。
世の中のシャチョー共に爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。  『朝早いったって何時に持ってくればいいんだ?』。


「それがどんなに遅くてもここを九時半に出発しなければならないんです」。

『(ギャーーッ) 何だ、出社時間定刻じゃないか。それで帰社が遅いって何時になるのだ』。

「なるべく五時を目標にしますが、五時半になるかもです」。
『(ヒエーーーッ) バカいうなよ。それじゃあ退社時間定刻じゃないか』。

若手社員二人が口を揃えていった。 「スミマセン。でも本当に大丈夫ですかあ?」。
定刻に出社しないシャチョー、定時まで居ないシャチョー。

これってもしかして、特に零細企業にとっては 「悪魔のようなシャチョー」 なのではないだろうか?
それで 「大丈夫ですかあ?」 と聞かれるということは、社員から全然信頼されていないシャチョーということではないのか。


強烈な自己嫌悪に陥って、猛省している。俺が若手社員なら多分いう。
「あんなシャチョーはいない方がいい」。 イヤ、彼らも多分蔭ではそういっているかもだ。


も少し反省が必要だが、明朝は早いのでもう寝る。何しろ明日は定刻出社なのである。


020911  イレブン

すっかり忘れ去られたサッカーの話でもないし、映画「オーシャンズイレブン」の話でもない。今日が十一日だからイレブンというのは、少しだけ関係がある。

世界を狂気の坩堝に叩き込んだあの忌まわしい凶行の日から一年が過ぎた。日本の消防士十一人が一周年追悼式のためにニューヨークに向ったそうだ。昨日の「産経抄」に紹介されるまで、あの復旧現場で日本から駆けつけた消防士が活躍していたということは知らなかった。

なぜ日本のマスコミはこういう心温まる小さな勇気をもっと大きく報道しないのだろうか。あるいは報道されたのを小生が見落としただけなのか。

この十一人は横浜や川口に住む消防士。昨年六月に米国で開催された「第七回世界警察消防競技大会」に出席して、ポンプ競技を競ったそうだ。そして世界の、当然米国の消防士達とも友達になったということである。

あの凶行の直後、彼らは米国の友人消防士に連絡を取ろうと試みたがどうにもこうにも連絡がつかなかったらしい。そしてやっと二十二日になって、先方から「助けて欲しい」のメールが入ったそうだ。
彼らは即座に休暇を取って、自費でニューヨークに渡り、救援活動に参加してきたという話である。

しかし、その時の周囲の反応は 【「気持ちはわかるが…」「いま行って何ができる」「無謀な行動だ」「自分勝手」などといった反対も少なくなかった】 ということである。 「産経抄」は続く。

【日本の国際貢献は「金はだしても顔はださぬ」とか「口先ばかりの平和論」などといわれるが、十一人の消防士は立派に“日本の顔”を見せてくれた。】と。

不思議である。彼らの競技会への出席は当然官費であり、出張扱いだったのだろうと思う。別にそのことを悪いといっているのではない。救援活動に出かけたのがなぜ「休暇」で「自費」なのかということを不思議がっているだけである。これを「悪い」といっているのだ。

もちろん猫も杓子もが、あの非常時に勝手な行動を取られては収拾がつかなくなるだろうし、それらにいちいち官費を援助することは出来ない。しかしこのイレブンの場合には救援に向うべく立派な理由があるし、競技会に選抜されるほどの立派な技術を持ったイレブンではないか。 お祭り騒ぎにだけ金を出すというのが能ではあるまい。  

【十月七日、十一人はニューヨークへ駆けつけた。当初は現場へ近づくこともできず、悪戦苦闘がつづいた。それが防塵マスクをつけて初めてグラウンド・ゼロに立ち入った日本人となり、「君らこそわれらの仲間だ」とたたえられた。】そうだが、何とも心温まる話である。

それにしても今回の追悼式への出席も、休暇と自費なのだろうか。義捐金三百万円を持参するとのことだが、それにしたって彼らだけ、或いは周辺の身近な人間だけからのカンパだとしたら、一人あたりの負担はかなり大きなものになる。

害務省からみれば鼻糞程度の金なのに・・・と思うと、歯がゆいし腹立たしい。マスコミが声を大にして報道しないので、この超ミニコミで一人でも多くの人にこの事実を発信して、蔭ながら「行ってらっしゃい」の声援を送るしかない。

それにしてもはや一年か。あの世紀の愚挙を引き金として、世界は本当に狂気の世界に突入した。アフガンではいま現在も飢えた子供達が虚脱したような目で空を見上げているだろう。アメリカは着々とイラク戦争への準備を進めている。

この世界の狂った歯車を、少しでも修正することは出来ないのかって、いまの日本政府にぼやいても無理だよな。


020910  ハムレットの決断

〔TO BE OR NOT TO BE〕 迷いに迷っているということを「020816  この時代に生きて」にアップした。
「視線」がキッカケとなって連絡を頂いた上海国民学校の同窓会。今年は十一月十日に福岡で開催ということであるが、それだけの時間と費用をかけてノコノコと出かけて行って大丈夫なのか。もしかしたら物凄い感涙ものかもしれないが、もしかしたら単なる爺婆集団の愚にもつかないおしゃべり会かもしれない。

上記のアップの結文は 「キーボードの横に置いてある、出欠連絡のハガキが首をかしげている。」 となっている。
しかし結論をいうとバクチに出たのだ。 「出欠の返事は八月一杯、ただしキャンセルの場合は九月三十日までに必ず」 という添え書きがあったので、とりあえず「出席」の返事を出したのだ。

福岡までの往復航空運賃が四万二千円、ホテル一泊の料金と会費等を含めると八万円位の出費になってしまうとあっては、いかに裕福な小生といえども躊躇せざるを得ないではないか。

バクチの内容はこうだ。 「航空券の全国どこでも一万円」 の超割というヤツが取れたら行く、ダメなら諦める。
そこで早速十一月十日がその対象期間であるかどうかを、ネットで調べに走ったらJALもANAも期間外。ところがJASだけがこの日の受付をしているではないか。

早速電話をしたら 「その受付は九月八日の午前九時三十分からです」 の返事。もう一度ネットをよく読んだら確かにそう書いてある。しかしなのだ。ああ無情というか、天のブレーキというか、九月八日は清里ではないか。今年初めての猛妻との一泊旅行が受付開始日にぶつかるとは何たる不運というか、何たる諦めの絶好の口実になるというか。

しかしハムレットの悩みはそんな簡単なものではない。ネットでなくても電話でも受け付けるかも知れないではないか。そのことを問い合わせようと思って、出発前に電話をしたのだが、ご多分に漏れず、どうにもこうにも繋がらないのだ。ツーツーツーツー。

やはりこれは「止めとけ」ということだと思って清里へ出かけたのだが、未練たらしく予約センターの電話番号だけは控えて行った。
そして清里一泊の八日の朝、九時三十分になるや否や公衆電話に飛びついた。
チェックアウトの十時になるまでダイヤルしまくったが、案の定ツーツーツーツー。


仕方がない。ホントに諦めて清里フォトミュージアムへ。しかしホントに諦めた癖にまだ諦め切れずに運転しながら携帯をプッシュしまくった。猛妻が 「危ないじゃないかっ。どこへ電話してるんだ」 と怒鳴るので 「会社に急用思い出した」。
「だって日曜日でしょっ!」。 そうか日曜だった。 「日曜出勤してるのがいるのだ。急用なのだっ!」。

しかし何回プッシュしても同じ、ツーツーツーツー。写真展を見ながらも、蕎麦の昼食をとりながらも、清里の街を歩きながらも、プッシュしまくったのだが流石に気が咎めてきた。折角猛妻とここまで遊びに来ているのに 「心ここにあらず」 状態はいかにも申し訳ない。従ってそこから先は携帯の電源を切って、カバンの奥深くに仕舞い込んでスッパリと諦めた。


のだが、帰宅してから 「もう絶対ダメだが、とりあえずダメモト」 でネットで申し込み。
ナ・ナ・何と月曜の朝、パソを開いたらメールが来ているではないか。


福岡往復「超割」で往復二万円、更にネット申し込みの「N割」とやらが付加されて往復料金一万八千四百円。
「確かに確保しましたのでお手続きをお願いします」。


いかに優柔不断なハムレットといえども、これはスパッと決断である。



020909  意志力

清里フォトミュージアムで開催されている「今井壽恵 写真展」へ行って来た。彼女は一九三一年生まれだそうだから小生よりは六歳年長。
すなわち七十一・二歳の現役カメラマンである。
以下、購入してきた写真集、今井壽恵 「馬に魅せられて−40年の軌跡」 の後書からの抜粋。

【一人の失明したカメラマンが、奇跡的に「目が見えるようになったとき」その目の前に白馬がいた、と書けばいささか小説的になりすぎるかも知れない。】(寺山修司)

【交通事故で失明しかけた時が、私の人生の変わり目だったと思う。今から42年前の晩春の出来事だった。・・中略・・現実に負けても、運命に逆らうことが出来なくても、私は精いっぱい自己主張をしたいエネルギーを、絶えることなく秘めていたい。・・中略・・生命の証は、私の生存理由であるからだ。】(今井壽恵)

交通事故に遇うまでは全く別の傾向の写真を撮っていた。そして失明から奇跡的な回復をして初めて見た映画「アラビアのロレンス」の黒光りする馬の姿に魅せられたのが、競走馬の世界へのキッカケとなったそうだ。それから四十年。何という強靭な意志。

フォトミュージアムの中に競走馬達が躍動していた。今は亡き馬を含めての府中のターフに踊った数々の想い出の名馬達。そして直接に見たわけではないが、その産駒が日本で活躍している、あまりにも高名な外国のサラブレッドの名馬の数々。

アグネスタキオン/アグネスワールド/エルコンドルパサー/オグリキャップ/クロフネ/サンデーサイレンス/シンザン/シンボリルドルフ/ダンシングブレーブ/ティエムオペラオー/テンポイント/トウカイテイオー/ナリタブライアン/ノーザンテースト/マルゼンスキー/ミスターシービー/メジロマックィーン/ラムタラ
あたかもいまフレームから飛び出してきそうな迫力のある写真が会場狭しと展示されていた。

シンボリルドルフが二着にスズマッハを引き連れてゴールインし、小生を狂喜されてくれたあのダービーのシーン。動かないフレームの写真の中で頭の中の映像が、府中の、中山のターフをうす靄のヴェールに包まれて疾駆した。

もし彼女が後五年早くこの世界に入っていてくれれば、競馬の世界に参入した当時の小生のご贔屓馬。サラブレッドの貴公子ではないアラブの野武士。セイユウやイソチドリやタイヘイも加わっていてくれたに違いない。アラブの怪物セイユウは別として、イソチドリとかタイヘイの馬名を覚えている人がいらっしゃるだろうか? もしいらっしゃれば感激である。

請い願わくば我が猛妻も、後四十年頑張って欲しい。そうすれば少しはモノになるかもだ。
百歳超、世界最年長現役カメラマンてなことになったら、小生全財産をはたいてでも「清里フォトミュージアム」に交渉して個展を開いてやろうじゃないか。

いや、強靭な意志力の話だった。マークトウェインがいった。 「禁煙なんて簡単だ。おれなんか百回も禁煙している」。

小生だって意志力は極めて強い。本日ここに誓う。
個展資金調達のためにも、百回を遥かに超えているが、本日をもって、わが財産を掠め取っていく競馬からは足を洗うことを宣言する。


020908  違和感溢れる里

いやあ驚いた。ある程度は覚悟していたが、それにしても凄まじい違和感である。

八ヶ岳の勇姿におおよそ似つかわしくないケバケバシイというか可愛らしい心算らしい、ギラギラの建物。

まるで外国に来たかと錯覚するような茶髪一色の若い男女。手を組んでベタベタして臍丸出しで・・・。痛くないのかその臍ピアス。引っ張ってやろうか。ついでにブラ紐も。

こっちは還暦を遠の昔に過ぎた老婆と静かに歩いているのだ。勿論手なんか繋いでない。余は三歩下がって、後ろから蔭を踏まないようにそろそろと歩いているのだ。

それなのに違和感の建造物の間を、違和感の塊の若者達がキャーキャーざわざわ蠢いている。それにしても最近の若い女性はスタイルの良いことよ。美しい臍をしていることよ。

オマエら本当に違和感の塊だけど、まあ日曜のジムのプールよりは景色は良いか。
何だとっ! ドッチが違和感だって!?  どうもスイマセン。


020907  時ならぬ時間のアップ

ビックリされることなかれ。今日のUPは早いのだ。「なぜかっ?」て聞いて頂きたい。胸を張って答える。遅い夏休みで一泊旅行に出かけるのだ。もっとも厳密には土曜の一泊旅行なのだから夏休みとはいわないかもしれないが、とにかく気分は夏休みなのだ。

しかも本日の第一土曜は会議のための出社日。従って一旦出社して、会議終了後の数時間を早退してきただけなのだから可愛いものだが、とにかく小生にとっては夏休み気分なのだ。

「どこへ行くのか?」って。よくぞ聞いて下さった。八ヶ岳山麓の清里へ行くのだ。何とかホテルという名前のペンションに泊まるのだ。「いくらだ?」って。 いくらだっていいじゃないか、そんなこと。小さな声で答えるが一泊二食付で八千円なのだ。
「誰と行くのだ?」って。 誰と行こうが余計なお世話だ。でもささやくような声で答えてやるが猛妻とアベック旅行だ。

毎年このシーズン、娘は加入している身障者のサークルでボラさん達と一緒に軽井沢へ一泊旅行に出かける。だからといって猛妻と二人で旅行をなんていうことは今まではなかったが、今回は猛妻が 「一泊旅行に行こう」 といい出したのだ。
薄気味の悪いことだが、敵にはちゃんと魂胆があった。以前にも書いたがいま清里の「フォトアートミュージアム」で今井寿恵写真展を開催していて、猛妻はその写真展に行きたいのだ。そのためのアシが欲しくて、小生に色目を使ってきただけのことである。

従ってフツーだったらクソクラエなのだが、今井寿恵の写真展には小生も興味があるのだ。なぜって彼女は世界の競走馬を追いかけて写真を撮っているカメラマン。世界を舞台にした世界的なカメラマンなのである。

その彼女の集大成ともいうべき写真展。七月に始まって来年一月までという半年を越える会期の大写真展である。実際に見学してきてから詳しく報告するが、小生にとってはなんともはや懐かしい競走馬たちの写真がズラッと並べて展示してあるようだ。

彼女が行こうといい出さなければ一人ででも足を運んだかもしれないという写真展に猛妻の方から声がかかったのだから、これはまあラッキーというべきだろう。いくらシミッタレ旅行であるにしても経費は全て向こう持ちというか、自分の小遣いではなく家計費持ちである。

清里なるあまりにも有名な場所も、随分前にチラッと通ったことはあるが、本腰を入れて訪問するのは初めてだし、一度は行っておくべき場所だろう。何よりも八ヶ岳山麓というのも嬉しいではないか。この七月にやはり八ヶ岳山麓の原村に行ったばかりであるが、山里の季節の移り変わりは激しい。あの時とはまた違った風景が待っていてくれることだろう。

行きは関越に乗る。近道の中央道へ出るためには日中の混雑する道を調布まで走らせなければならない。隣の猛妻に「危ない、ブツカル」とか「左オーライ」などといわれるのは鬱陶しいからさっさと高速に乗ってしまうのだ。
そして長野道に折れて佐久まで。この区間、多分猛妻は助手席でおとなしく寝ているだろう。うまくいけば一時間半。
佐久で降りて佐久街道を清里まで一本道。日本一の高所にある鉄道駅「野辺山」経由で。

風光明媚の道である。うまくいけば一時間位か。この間、猛妻は起きていても 「うわーーっ!」 とか 「きれいーーー」 とか叫んでいるだけで、直接のコミュニケーションはなくて済むだろう。

せいぜいがいつもの悪い癖を出して 「さっきの所写真撮りたいから引き返してーーっ」 と理不尽なことをいわれる程度で済むと思う。とにかくそういうことなので本日のUPは早い。

では行って参ります。

020906  「橋善」が潰れた!

最後に乗ったのは四年前の社員旅行の台北行。その時以来、久しぶりのモノレールである。随分長い間、国内線の飛行機にも乗っていないということだ。そういえば飛行機そのものにも昨年十一月のオーストラリア行以来乗っていないし、あの時は成田だった。

もっともモノレールに乗ったといっても飛行機に乗るためではなく、浜松町から一駅目の天王洲アイルまで。巨大ビル群の一角にあるクライアントへの営業のお出かけである。しかしそれでも、モノレールに乗るということ自体が、モノレールに乗って毎日通勤している人には笑われるかも知れないが、何となくくつろいだ気分になるから不思議だ。車内の雰囲気も浜松町まで乗ってきた山手線とはまるで違う。

それもその筈、夏休みが終わったというのにこれから飛行機に乗って旅行に行くらしいOLのきゃあきゃあいう声や、でっかいバッゲージと格闘しながらごろごろ転がしているオバ様達の滑稽な姿で華やいだ雰囲気である。苦虫を噛み潰したような「オレは仕事なんだあ」という顔をしたボストンバッグひとつのサラリーマンの姿もあるが飛行機に乗ることには違いがない。 

どんなに過酷な出張でもいいから飛行機に乗りたいなあ、と思いながら一駅目で淋しく下車してクライアントと面談。
帰途は帰途で 「たった今、楽しい旅行から帰って参りました」 というにこやかな軍団の中に、汗だらけの背広姿で乗り込んだ。


しかしその雰囲気に押されて、何となくこちらまでリッチな気分になるのだ。丁度昼時、よし今日は立ち食い蕎麦ではなく豪勢な昼飯を食おうという気分になってしまった。そういえばあそこの天どんを久しく食っていないな、と思った瞬間にむやみやたらに、何が何でも天どんが食いたくなった。絶対に天どんなのだ。頭の中は天どんで一杯になってしまったのだ。

ということで浜松町で乗り換えて新橋へ。汗をだらだらと流しながら目指す「橋善」へ。ここも随分ご無沙汰である。
最近は現業から干されているためにこの近辺に来ること自体が無くなってしまったのだが、三〜四年前まではしょっちゅうこの近辺のクライアントに来ていたので、少なくとも月に一度は「橋善」で天どんを食っていた。百メートルほどのところに並んでいる「天国」の天どんとローテーションしていたので、最低でも月に二回はこのどちらかの店で天どんを食っていた。
どちらも夜は高いが「昼天どん」は千円で食える。店の雰囲気は「橋善」が高級割烹、「天国」が大衆割烹というイメージか。


しかし「橋善」の店の前にたどりついてビックリ仰天だ。
店が閉まっているのみならずデカデカと張り紙がしてあり 「永年ご愛顧賜りましたが、都合により閉店いたしました」。


永年なんてものじゃない。一八三一年、すなわち天保二年から百七十年続いている店なんだぞ。もっとも小生は天保年間から利用していたわけではないが、頻度は少なくてもここ四十年ほど利用していたのだ。いやはや、天ぷら屋まで倒産か。

もっともあれだけ繁盛していた店、本業の天ぷらでイカレタわけではあるまい。橋善ビルの一・二階が天ぷらの店ということからも分かるように、四代目か五代目かは知らないが、多分手広く事業をやっていたのだろう。

仕方がないから百メートル先の「天国」に足を伸ばしたが、小生同様「橋善」から流れて来た客も多いのだろう。
ビックリ仰天したような顔がズラリと行列していたので、仕方なしに近所の立ち食い蕎麦屋で天ぷら蕎麦を食って引き上げてきた。


わざわざ「橋善」へお出かけの方もいらっしゃるだろうから、本日はそういう方が無駄足を踏まなくて済むように、情報提供まで。


020905 心の腕立て伏せ

昨日の夕方突然「近くまで来たので」ということで同業の零細企業の社長が社に訪ねてきた。零細企業とはいっても当社に比較すれば巨大企業であり、業界の会合等で年に数回はお目にかかり親しくさせて頂いている、声の大きい威勢のいい方である。


丁度テレビニュースで株価最安値更新が流れていた。最近の挨拶の決まりは「いつまでも暑いですねえ」と「いやあ、厳しいですねえ。何とかならないのですかねえ、この景気」のいずれかのパターンであるが、昨日はこの二つの挨拶を一度にした後、雑談に入った。

必然的にお互い元気のない内容の話になったが、それでも彼は相変わらず前向きである。下向きの小生としては大いに見習わなければならない話がポンポン飛び出してくる。

「社員にいつもいっているんです。俺たちにはそんな素晴らしい能力があるわけではない。能力がなければ何でカバーするか。それは体力と努力しかないだろって。能力がないのだから体力と努力を使い続けよう。いつかは能力がついてくるからって」。

「よく社員がいってくるのです。AかBかって。二者択一なんだけどどっちにしようかって。だから怒鳴ってやるんです。AかBかじゃなくって、AもBもだって。二倍の努力をすればAかBかじゃなくて、AもBも出来る筈なんです」。

小生のようななまくら社長と違って、なかなか優れた経営哲学を持っていらっしゃる。流石わが零細企業との比較では巨大零細企業だけのことはあると痛く感動した。続けて次のような名言を吐かれたのだ。

「われわれ経営者はどうしてもデスクワークに縛られることが多い。でも汗をかくことを忘れてはダメです。ボクは毎日三十回、心の腕立て伏せをやっています。これはオススメです」。
『??? 具体的にどうやればいいんですか?』

「ぎゃはは、そんなもの具体的に出来るわけないじゃないですか。とにかく心の腕立て伏せをやって、健全な心を保つように心がけなければダメです」。
なるほど、イマイチよく分からないが、分かったような気もするし、これは頂きの名言だ。

そうこうするうちに退社時間になったのでちょっと一杯とお誘いして、社の二軒隣の焼鳥屋にご案内した。
今週始めにオープンしたばかりの店で、様子見に行こうと思っていた所なので丁度よかった。メニューブックをみて彼が 「とりあえず僕はレバとハツとタンとカワとカシラとピーマンを一本ずつ」 とオーダーした。流石である。ピーマンを除けば正しい選択だ。


小生も 『じゃ、同じものを一本ずつ。でもこっちはピーマンはいらない。全部タレで』 とオーダーしたら、彼は慌てて 「アッ、僕は全部塩でね」 というではないか。ちょっとガッカリだ。

『えーっ! 焼鳥はタレの勝負でしょう。なんで塩でなんか』 と抗議をしたら
「冗談じゃない。先週の夏休みに岩手に行って有名な焼鳥屋で“塩で”って頼んだら“うちは塩しかやってません”といわれて恥をかきましたよ。実にまっとうな焼鳥屋です。焼鳥の勝負は肉です」 とおっしゃる。


『そういう人に限って天ぷらは塩なんてキザなことをいうんじゃないですか?』 と尋ねたら案の定 「当り前じゃないですか」という。冗談じゃない。万葉集の昔、古今集の昔から天ぷらはブルドッグソースの中をだぼだぼと泳がせてと相場が決まっているのだ。焼鳥を塩でなんかで食うな。うまいタレがあればそれでよい。場合によっては肉なんかいらん。タレをピチャピチャと嘗めるだけでもいいのだ。

経営哲学には大いに得るところがあり共鳴した彼であるが、彼には焼鳥哲学が欠如していた。 「心の腕立て伏せ」 をやれっ。



020904 独裁者

【考えさせられることが多い選挙だった。県議会から不信任を突きつけられて失職した田中康夫氏が復職できるか。その長野県知事選である】長野知事選翌日の「天声人語」の書き出しである。極力大人しく、客観的なコラムにしようとはしているが、全体を読むと何となく「オレは田中康夫が嫌いなんだあっ」のつぶやきがもれてくるような論調である。

【元々田中氏は毀誉褒貶(きよほうへん)の激しい人だった。作家時代にも「本当にバカタレの女たらしである」と評論家から罵倒(ばとう)されるかと思えば、阪神大震災後の支援活動では「ミニバイクに乗った月光仮面」ともてはやされた。政治の世界に転身しても、好き嫌いがつきまとう。別の言い方をすれば私憤と公憤とが入り交じる。】の記述にその断片を窺うことができるし、最後にこう結んでいる。

【「批判に耳を傾けない個人や組織は、必ずや衰退していく、と僕は思います」。かつての田中氏の言葉だ。もちろん本人にも返ってくる言葉であることはよくご承知だろう】。

「産経抄」にも同じようなニュアンスが読み取れたが、こちらの方は例によっても少し手厳しく 【背広の胸の子供じみたやっしーとかいうブローチははずしたほうがいい。】 の結語が見られた。マスコミをフルに利用して自らの存在感をアピールしている田中知事が、硬派マスコミからは若干揶揄的に扱われているということは、何とも皮肉である。

小生ハッキリいってダム問題には興味があるが長野県政そのものは意識の中では遠い。したがって田中知事の是非については分からない。今回の立候補者の中ではこの選択しかなかっただろうし、もし小生が長野県民ならば同じ選択をしただろう、という程度の意識である。

しかし彼個人ということで、イメージとして捉えるとカッタルさを感じる。先日の茶で乾杯の前の挨拶、ニュースステーションに生出演した時の語り口。とにかく歯切れが悪くて長いのだ。

結婚式の仲人とか、式典の来賓挨拶には絶対に敬遠したい人物像である。地方分権、個性ある地域の確立という点では慎太郎知事と共通する所はあるが、歯切れの良さ、従って説得力のインパクトという点で雲泥の開きを感じるのは小生だけだろうか。


さて、その田中知事が 「歪の構造になる県議会とどう対応していくのか」 という問題について 「批判に耳を傾けない個人や組織は、必ずや衰退していく、と僕は思います」 と明言しているように根気強い話し合いといっているが 「話し合いが無かったこと」 が今回の不信任案の引き金になったのではなかったか。そして果たして「話し合う」ことが可能なのかどうか。

百歩譲歩して可能だったとして、曙光を見つけることが出来るのかどうか。
折からの総理の北朝鮮との話し合いに似たものを感じる。一体何を話し合うのか。対話が成立する相手なのか。


一方において 「来年四月の県議選には独自の候補選びを」 ともいっている。
この破竹の勢いでいけば彼が擁立した候補は軒並み当選し、県議会の勢力図が大きく塗り替えられるということも十分に想定される。

しかし心配はそれから後だ。虎の威を借りて当選した県議達は当然田中知事のいうなりになるだろう。彼らの目は県民に向けられるのではなく、田中知事に向けられる。田中知事の取り巻きになるのではないか。ノーがなくてイエスだけの世界。 独裁者・・・。


そういうことにだけはなって欲しくないと思って、珍しく真面目に考えてみたが、ホントはもっと身近な、続発する最近の企業の不祥事に当てはめて考えている。

もっと端的にいえば、ウチの会社は大丈夫なのだろうかと。


020903 ツケは必ず回ってくる

昨日の「産経抄」。
【南アのヨハネスブルクでは 「環境開発サミット」が開催中だが、先週末、パプアニューギニアから帰ったばかりの水中写真家・中村征夫(いくお)氏(五七)と、ある酒の席で会った。中村さんはいきなり「世界のサンゴはあと三十年で消滅しますよ」という。】

中村征夫といえばいわずと知れたあの椎名誠の「怪しい探検隊」の主要メンバー。彼の写す美しい海中写真に魅せられて、小生前々からのファンである。010701 また猛妻が狂喜」にアップしたが、猛妻は写真展入賞の折のパーティで彼のサインを頂戴したのみならず、二人だけで肩を並べた写真まで撮って貰っている。ウラヤマジイ。

「産経抄」は続く。
【三十年?もうすぐではないですか。「そう、あっという間です。あまりおどかしたくはないですが」。それはまたどういうわけですか。「ずばり地球の温暖化のためです」と中村さんは潮焼けした顔を曇らせていうのだった】・・・中略・・・【真っ青な太平洋の環礁の国ツバルは、いま地球温暖化による海面上昇で水没の危機にある。サンゴもマグロもイワシも、海の葬式を控えているようだ。「人間が海に押しつけたツケは必ず回ってきます」と中村さんはいうが。】

どこを見渡しても頭の痛い問題ばかりで、われわれ凡人は右往左往するだけでどうすることも出来ない。
「人間が海に押しつけたツケは必ず回ってきます」。 何と恐ろしいコトバではないか。勿論 「人間が地球に押しつけたツケは必ず回ってきます」 と置き換えることが出来る。しかしそういわれたって、今から我々の力で何とか出来るのだろうか。
一人一人の自覚と努力の問題だといわれればグーの音も出ないのは承知の上でいうが・・・。


誰だったかがいった 「ビルだって都会の自然」 のことばにも共鳴するものがある。うすばかげろうが自らの住居兼食糧庫として、地球の上に蟻地獄を掘るのは自然であり、人間が自らの住居のためにビルを建てるのはなぜ自然破壊なのか。

人間は知恵を振り絞って、今では夏は涼しく冬は暖かい部屋に住むことが出来る。今になって温暖化防止のためにエアコンよサラバの生活は出来るのだろうか。
ボクには出来ない。この週末に控えた一泊旅行、ドライブ旅行の楽しみを捨てることが出来るのか。ボクには出来ない。 


ましてやオカミのおっしゃるように、家族団欒の時間を多くして夜は一台のテレビを家族全員で・・なんてことはボクには絶対に無理だ。気が狂う。今でさえキチガイといわれているのに、これ以上狂ったらどうすればいいのだ。
そんな個人レベルではなく、アメリカなんか国ごと束になってヤダヤダヤダといっているではないか。


理屈の上では本当によく分かる。今われわれが子孫のために立ち上がらなければ・・・と。
でも一方においては折角手に入れた快適で便利な生活、そう簡単には手放せない。
勿論ゴミの不法投棄等、悪事に走るのはもっての他だが法に触れない範囲で地球温暖化への加担もチョットだけね、と。

ヤケクソになってこんなことを考えることもある。人間には寿命があるし覚悟している。地球にだって寿命があって、臨終が近づいてきたというだけの話じゃないのか。ただ子孫にその恐怖を目の当たりに見せたくないから、子供の数を少しずつ減らして、地球の臨終に向けて調整しているのではないのか。  

どうせボクの考えは間違えていて、また叱られるだろうけど。

020902  長野県

よく「出身地は?」と聞かれることがあるが、その度に答えに窮する。出生地ということでいえば大阪の吹田と聞いているし戸籍謄本にもそう記されている。しかし万博会場以外は吹田のスの字も知らない。

それもその筈、生後間もなく大陸に渡った。全然覚えていないが大連、記憶の断片はある青島、そして毎度お騒がせの記憶の起点の上海。引揚げた所が父の郷里の福島県は会津磐梯村、焼け野原の東京に出てきた後、次は母の郷里の徳島。そしてまた東京へ。


大きく縛ってもこの八カ所。それぞれの地域で何度も転居を繰り返しているので、住んだ家ということになると記憶にある所だけでも両手両足の指を総動員しても間にあわない。だから出身地を聞かれても非常に困るのだ。
たまに「生まれてからずっとこの家」などという方にお目にかかると、化け物ではないかと思ったりする。


強いていえば中学二年から住み着いた東京が五十年強、その間二ケタの転居を繰り返しているとはいえ、一応チャキチャキではないという注釈付き江戸っ子ということになるのだろうか。従って夏休みとはいっても、帰るべく近しい親戚・知己の住む故郷があるわけでもなく、猛妻の徳島への里帰りを指を咥えて眺めているに留まる。

ただしそのような小生にもそれぞれの都道府県に対するマインド・シェアなるものは存在する。東京以外では千葉・神奈川・埼玉。これは日常的に顔を合わせる人間が存在するのだから当然であろう。

しかしそれ以外ということになると長野県のマインド・シェアが大きいのだ。その理由のひとつは旅先としての最も好きな地域ということなのだろうか。青年時代は北アルプスに憧れて奥穂高に登った。それ以後は懲りて登ってはいないが、今でも北アルプスを一望できる場所が好きだし、野天風呂に浸かりながらの槍ヶ岳の勇姿なんていう贅沢は最高である。


もうひとつの理由はやはり友人・知人が多いということだろうか。長年の東京暮らしのため他府県の友人・知人は仕事関係以外にあまり居ない。しかしどういうわけか長野にだけは親しい友人が散在しているし、最近になって交友の始まったネッ友も長野県民である。

さて、その長野県がいま熱い。県知事選で全国規模でこれだけ大騒ぎされているというのは過去に例をみないだろう。結果は予想通りの田中圧勝であったが、なぜ長野県知事だけがこんなに注目を集めているのか。ダム問題というならこれは長野県だけのことではない。

いうまでもなく、田中知事のマスコミをフルに利用してのパフォーマンス政治の成果であろう。政治のパフォーマンス化ということでは、現今の国政の構図とも完全に共通している。よくいえば政治を分かりやすくした、大衆化したということだろうし、あえて危険ないい方をすれば衆愚政治化への暴走ともいえるだろう。

しかしこの知事選で小生が最も分からないのは、ホントに知事は必要なのだろうか、ということである。ここ数ヶ月、長野県知事の椅子はカラッポだった。でもそのことによって長野県民はどんな不利益を蒙ったのだろうか。少なくとも小生の友人達は元気に生きている。

長野県の財政が危ないと叫びながら膨大な金を使って 「何だ、結局前と同じじゃないか」 という選挙をして数ヶ月振りに前の知事が前の椅子に戻ってきた。その空白の間、長野県民は騒々しさには辟易したかもしれないが、何の不便も感じなかった筈だ。

知事というのは一体何をする人なのだろうか。本当に必要な機能をする政治家なのだろうか。
別に 「政治家はいらない、政治なんて官僚主導でいいのだ」 と、とんでもなくヤバイことをいっているわけではない。


長期間のブランクで何の痛痒もないという不思議を不思議がっているだけだ。


020901  家事労働を増やすなっ!

ここ一週間ほど、猛妻が小物家具をゴソゴソと動かして居間のレイアウトを変更していた。「何をやっているのだ」と聞いても生返事。ところが今日ジムから帰宅したら突然こんなものが置いてあってニコニコしている。

「何でこんな面倒なものをまた持ち込んだのだあっ!」。

「大したことないわよ。週に二・三回に分けて三分の一位ずつ水を取り替えてやるのと、朝晩の二回、パラパラッと餌をやるだけ」。

あのなあ、お前が旅行で出かけてしまって居ない時のことをいっているのだ。
先日は植木鉢に水をやるだけであんな凄絶な状態になったのだ。その上に今度は金魚の世話か! これ以上家事を増やすんじゃないっ!! と内心の雄叫び。


でもまあいいか。お前が旅行に行った時に天ぷらにして食ってやる。 
なにっ? 「天ぷらなんかできるのか」って?   デキナイ。。。